第3話 調律者としての決意 久坂部右近

「この国に巣くう薄汚い害虫どもめっ!!」


 内臓が震えるほど怒りに久坂部右近くさかべうこんは、テーブルに渾身の力で右拳を叩きつけた。


「ようやく見つけたホッピーだったのですよっ!」


 京都のショッピングモールでのテロ事件でようやく見つけたホッピーの手がかり。偶然、あの制圧隊にいた透視系の能力者が彼の容姿を認識していたのだ。

その似顔絵を元にいざ調査しようとしたとき、彼の逮捕のニュースが飛び込んでくる。

 この彼の逮捕劇には、右近たち陰陽師が深くかかわってしまっている。

 此度、陰陽師の組織六壬神課りくじんしんかは、日本国へ組み込まれた。日本に生じた二つのダンジョンはある意味右近たち陰陽師たちにとって、六道王の元へ至る奇跡の扉。故にその決断に反対の声はなかった。だからといって陰陽師が一枚岩というわけでもない。

 現在、陰陽師は右近たちの立ち上げた『超常事件対策局』に属する者と、名家の陰陽師たちで構成される元老院の統制下にある『六壬神課』に属する者とで真っ二つに対立してしまっている。

なんとかあの石頭な老人たちを説き伏せ、新組織への完全協力を約束させようとしていた矢先でのこの最悪ともいえる逮捕劇だ。このまま事態が続けば彼と陰陽師との確執は確定的なものとなる。下手をすれば、右近たちの今までの苦労が全て水泡に帰す危険性すらあるのだ。それほど、ホッピーである彼の存在は大きい。


「でも、目撃証言もありますし、警察も馬鹿でも無能でもないでしょう。彼が異形種で人を殺している可能性は高いと思いますし、むしろ我々超常事件対策室も協力するのが筋では?」


右頬に星の入れ墨のある長い赤髪を後ろで一本縛りをした女性、朝倉葵あさくらあおいのそんな頓珍漢な発言に、


「お前、本当に資料を読んだのか?」


 不機嫌を隠そうともせず、十朱とあけはソファーに座りつつも葵に尋ねる。


(やはり十朱は気付きましたか)


 猪突猛進さばかり目が行くが、十朱は世界でも一、二を争う有能な警察組織である捜査一課で長年揉まれてきたのだ。この様な不自然極まりない逮捕劇など信じる気すら起こるまい。


「ざっと目を通しただけだが」

 

 そのあからさまな侮蔑の態度に、ムッと頬を膨らませながらも葵は即答する。


「ド阿呆。もう一度、事の経緯を最初から読んでみろ? その資料、まず、ありえねぇことのデパートだぞ?」


眉を顰めながら葵は資料の冊子をめくって目を通し始める。



読み終わった葵は、不可解な顔で資料を机の上に置くと、


「別に大した違和感などあるようには思えないが?」


 不機嫌そうに返答する。


「お前、マジで馬鹿だろ?」


 十朱は、哀れむような蔑むような目で葵を見ながらも、そんな元も子もない感想を述べる。


「それはどういう意味だ!? 」


噛み付かんばかり顔つきで尋ねる朝倉葵に、十朱は大きなため息を吐くと、


「資料には死体とその殺人犯の立てこもりに、特殊部隊が突入したとあるだろ? 

現在、特殊部隊は皆、組織的凶悪犯罪や魔物の討伐に駆り出されている。人の殺人事件なら、まずは所轄の強行犯係か、警視庁の捜査一課が動く事案だ。それをいきなりかっ飛ばして特殊部隊? この人手不足の状況下では、まずありえねぇよ」

「し、しかし、今回の現場には経産省の大臣のご息女と香坂財閥の御曹司もいたそうじゃないか。なら、警察の上層部が気を利かせたって事もあるんじゃないのか?」


 一応、葵のこの反論も筋は通っている。だが――。


「なら猶更、しっかり己が逮捕を命じましたとアピールをしなければ意味はない。なのに、特殊部隊に制圧を命じた部署が一切書いていない。この状況下でこんな不完全な資料、上が通すはずがないぜ。つまり――」

「突入を命じた部署を知られたくはないってこと?」

「ああ、しかも、六壬神課とかいうぽっと出の組織に協力を要請? アホか! 面子第一主義の警察のお偉方がそんな臨機応変な判断なんてできるものかよ!」


 葵は眉を寄せて考え込んでいたが、思いついたように両眼をカッと見開き、


「ちょ、ちょっとまって。それって藤村秋人の逮捕に、警察以外の意思が絡んでるってこと?」


 問題の本質を指摘する。


「そうだ。おまけに現在、藤村秋人を取り調べているのは、公安部だ。これはおそらく―」


 通常の殺人事件は捜査一課の管轄であり、公安が出張ることは特段の例外を除きありえない。仮にあるとすれば大きく二つ。テロリズムか、それとも――


「政界からの圧力だろうね。彼の自宅への執拗な調査からも、彼の保有するものが、奴らの利権に絡んででもいるのか。だとすると……」


 ここで、一つの大きな疑問が生じる。同じ組織に所属したのだ。そこまでこの国が腐っているとは思いたくはない。だが、そうとしかこの状況を理解できない。


「で、でも右近様の推測が正しいなら、あの殺人って……」


 ようやくその結論に行きついたのか。葵の顔から急速に血の気が引いていく。


「そう。それも政界の意向ってことになりますね」


 当然、警察上層部も承諾済みだろう。そして――。


「まさか、六壬神課も?」

「遺憾なことだけど、彼らも関与している可能性が浮上してしまった」


 元老院が腐っているのは昔からだし、六壬神課りくじんしんかで最も大きな影響力を有する四天将さえ真面ならまだいくらでもやりようがあった。だが、今回、藤村秋人の逮捕劇の実行部隊を指揮したのは、あの四天将の筆頭、来栖左門くるすさもんだということ。

同じ四天将の中でも来栖左門くるすさもんは、六壬神課りくじんしんかで絶大な発言力がある。もし左門が元老院どもの甘言に乗り、己の欲求を満たすため一般人を犠牲に藤村秋人を捕縛したのなら、もはや交渉の余地などない。右近たちと六壬神課は決定的に決別することになる。


「で? どうすんだ、右近さん?」


 今まで散々似たような屈辱を味わってきたんだろう。鋭い犬歯を剥き出しにして尋ねる十朱からはいつ起爆してもおかしくないニトログリセリンのごとき迫力と危うさがあった。


「決まってます。戦争です」

「それは右近さんの身内と本気で事を構えることを意味するぜ? いいのか?」


きっと十朱は試しているんだ。右近が今後我が道を預けるに値する人物なのかを。


「愚問ですよ。例え彼がホッピーでもない、ただの一般人であっても、こんな無法を認めたなら示しが付かない。例え親兄弟だろうと完膚なきまでに叩き潰します」


 にぃと満足そうに口端を大きく吊り上げて十朱は、ソファーに座り両腕を組むと瞼を閉じる。対して――


「待ってください! 右近様は、あの六壬神課を敵に回すおつもりですか!?」


 血相変えて疑問を口にする葵。


「ええ、そのつもりですよ」

「同じ陰陽師と戦うことになるんですよ!?」

「もちろん、今回の件に関わりのないものまで粛清の対象にはしません。ですが、知って関与したものは徹底的に排除します」

「しかし――」

「葵、現在、私達の生きる祖国は種族絶対主義の異能が溢れる世界へ舵をきっているのです。そして我々陰陽師は約1500年の長きにわたり、その異能の力を研鑽けんさんしてきた一族。我らには混沌と化したこの世界を導く調律者としての使命があるのです」

「調律者……ですか?」

「ええ、調律者がいなければこの世界はまさに力絶対主義の救いのないごみ溜めの様な場所になってしまう」

「だから、煙に巻かないでください! その調律者って何なんですっ!?」

「一切の私情や利己を捨て去り、全種族に対しルールを決定、強いるものですよ」


 ルールを決め、それを強いるものに我欲はいらない。もし、調律者が私利私欲に走ればそこに待つのは想像を絶する混沌だけだ。だからこそ、此度のこの国の政治屋どもに種族特性と異能における調律者の役目を委ねるわけにはいかないのだ。


「私情や利己を捨てるって、それは我ら陰陽師の目的と真っ向から衝突しますっ!」


 それはそうだろう。陰陽師にとって六道王への謁見は叶えなければならぬ至上命題。その目的のためならいかなる非道も許容するのが陰陽師の本質といっても過言ではない。だから、今回の六壬神課の方針は実に陰陽師らしいとすら言っていい。


「それでも我らは変わらねばならないのです」


 右近も陰陽師。六道王に近づきたい気持ちはある。だが、そもそもこの変貌した世界を作ったのは六道王の一柱の可能性が極めて高い。いわば、既に六道王の腹の中にいる状態なのだ。ならば下手に外部へのアクセスを求めるよりも、この世界で確たる秩序を確立してから、その上で広く研究を行う方がよほど生産的だし、至高の頂へと到達する道も見えてくるだろう。

 そう。これはただの戦いではない。陰陽師という一族の根幹をめぐる戦い。絶対に敗北は許されぬ性質のものなのだ。

 

「そんなの陰陽師の誰も賛同しませんよ!」


 もっともな葵の意見は、騒めく外からの声で掻き消される。

 十朱がゆらりと立ち上がり、騒がしい外を睨みつけつつも重心を低くした。

 扉が勢いよく開き、スキンヘッドの男と、紫がかった髪を赤いリボンで結んだ少女とそして、スーツを着た一匹の牛の頭部の怪物が姿を現す。


「アポもなく、困りますよ、九蔵様、詩織様!」


 泣きそうになりながら、いや、実際に目尻に涙をためつつも、右近の側近の青年が扉の前で両手をぶんぶんふっていた。


「よう、根暗男ぉ! 話し合いに来たでぇ」

「甚だ不本意で気色悪いんやけど、お兄ちゃんの無実を晴らすため。一時的にあんたと組んだってもええわ」

「BMO!」


 それは、六壬神課の中枢に位置する二人と一匹の牛の怪物だったのだ。




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