第8話 可愛くなった友と嫉妬の対象
2020年11月26日(木曜日)
さらに数週間が過ぎ、隣の敷地に7階建てのビルが建つ。半分が会社のオフィス、もう半分がマンションのような造りらしいな。相当急ピッチで進めたらしく、二週間とかからなかったんじゃなかろうか。
新築した屋敷には烏丸親子、一ノ瀬、イノセンスの全社員十数名の全員が移り住んでおり、一ノ瀬の指導のもとダンジョンへと潜っている。そして毎晩午後8時に鬼沼が獲得した魔石を鑑定し買い取っているらしい。一番ぼろ儲けしているのってきっと鬼沼だよな。
もっとも、皆の鍛錬する場所は第一層【草原エリア】の始まりの場所付近。ゴブリンやスライム等、雑魚しかいない。この手の雑魚は現代ではダンジョンでなくとも日常にあふれている。
具体的には市外の森にはゴブリンやビッグウルフが徘徊しているし、公園の片隅ではスライムが飛び跳ね、三角兎が走り回っていることなどざらだ。
政府が魔物の討伐を奨励し、その魔石を広く一般に集めている以上、今や遊び感覚で魔物を討伐している。さらにダンジョンがもうじき解放されるという噂まである。そう遠くない未来に魔石の売却価格は適切な値まで下降していくことだろう。
だからこそ、鬼沼は多額の出費を覚悟で俺の隣にこんな建物を建てたんだろうしな。
ともかくだ。ともかくこのたった一週間たらずの、しかも修練中心のダンジョン探索でイノセンスは500万円という多額の利益を得ている。この調子なら銀行からの1億という借金も、隣のビルの代金もすぐに返済し終えるだろうさ。
もっとも俺については当初の約束で鬼沼に魔石を売却してはいるが、必要最小限しか魔石を売っていない。理由は色々があるが最も大きな理由は二つ。
一つは、俺の所持する魔石があまりに強力であり、もし売却すれば確実に悪目立ちするという理由からだ。
ここで、魔物の強さに比例し魔石の貴重さも上昇していく。今、俺第二層【ガラパゴス】で一般に戦っている魔物は既にオークロードなど比ではないくらい強力であり、その魔石も一般の雑魚でも既に値段が付けられないくらいのとなっている。つまりは、そんなものが流通すれば俺達は悪目立ちし、獄門会のような欲の皮が突っ張った輩が必ず行動を起こしてくる。そんな面倒に巻き込まれるのは御免なのだ。
二つ目は、今俺は金に困っていないこと。一番は一ノ瀬家から7000万円が返済されたこと。さらに、僅かながら阿良々木電子からも金が出るし、今まで貯めるに貯め込んだスライムやゴブリンの魔石を鬼沼に売れば相当な金額手に入る。危険を冒す必要はないわけだ。
イノセンスの本来の業務である出版業についても、社長の忍が雑誌の編集業務に必要な最低限度のノウハウを学ぶため、知人の出版会社の社長に頼み込み、見習いとして通い詰めている。娘の和葉が心配するくらい夜遅くまで研究しているようであり、直ぐに実際に動き出すと思われる。
こんなふうにプライベートは恐ろしいほど順調なわけだが、逆に会社では俺の評判は地に落ちていた。
曰く――反社会的勢力が藤村秋人を訪ね、会社まで押しかけてきた。
曰く――親会社である
曰く――営業部の一ノ瀬雫を騙して弄んでいる。
曰く――血のように赤い液体を飲んでいるのを見た。
曰く――会社の金を横領している。
所々に真実も混じっているのが、余計に事をややこしくしていた。
基本、直情型の一ノ瀬は会社内での噂を耳にしてから会社内で終始機嫌が悪くピリピリしている。まあ、俺のような一回り上のオッサンと関係を疑われているのだ。彼女の怒りも十分推し量れるというものだ。
それにしても、いつも思うが俺のようなオッサンと若い一ノ瀬がそんな関係になるわけがねぇのにな。考えてもみろよ。俺が20の頃、あいつ十代前半だぞ。つり合い取れるわけねぇだろうが。会社の奴らってマジで馬鹿じゃなかろうか。
対して雨宮は――。
「先輩、斎藤さん! お昼だ。食べよう!」
毎日昼になると俺を誘いにくる。最近、この噂を流されてから斎藤さんが一緒に昼飯を食べてくれるようになった。もし、それがなければ今頃より最悪の立場になっていたかもしれない。
「だそうだよ。いこうか、藤村君」
「ええ」
斎藤さんに頷くとクロノが俺の右肩に乗ってくると、
『アキトよ。妾は雫とともに行く。マイエンジェルに不埒なことをするでないぞ!』
そう念を押してくる。
(おう。頼む)
一ノ瀬は会社内での同性の友人が多い。故に大抵、昼になると彼女たちに引っ張られてしまう。一ノ瀬もそんな友人関係を大切にしているようであり、昼は基本女性社員同士で食べるのがほとんどだった。だが、最近、男性社員とも昼食を食べるのを目にするようになっており、大分社交的になったと噂になっていたんだ。
だが、最近の虚偽の噂の流布のせいで、一ノ瀬は頑なに仲のいい友達同士でしか食べなくなってしまう。現在クロノはイライラしている一ノ瀬の緩衝材的役割になっているようだ。意外に仲間想いの奴である。
「先輩、行くよ!」
雨宮に再度促され、俺達は他愛もない話をしながら、屋上の傍にある日陰のベンチに向かう。
屋上に着いたはいいが、珍しく雨宮が家に弁当を忘れたらしい。俺は血液が食料だが、雨宮達との昼食のためカモフラージュ的に途中のコンビニでパンを買って持ってきて、おかずのみを雨宮から恵んでもらっている。もちろん、斎藤さんは奥さんの愛妻弁当だ。
というわけで、食べるものがない雨宮が、社員食堂でパンを買ってくるといって飛び出して行ってしまう。
「彼女、可愛くなったね」
斎藤さんがしみじみとそんな俺も当然覚えていた感想を口にした。
「そうみたいですね」
雨宮は阿良々木電子の三大美女に数えられるほど顔の造りはよかったが、あの幼い容姿だ。どちらかというと異性として可愛いというよりは、会社のマスコットに近かった。
だが、あの種族の決定から雨宮の容姿は会うたびに洗練され可愛くなっている。しかも尋常ではないレベルで。この著しい変化は、多分、雨宮の選択した種族の決定が要因であるのは間違いない。あいつの種族って本当に研究職なんだろうか?
もちろん、千里眼なら一発で調べられるが、プライバシーにあたるため友人の種族やステータスは可能な限り、俺は鑑定しないようにしている。まあ、あくまで俺の基本方針に過ぎないから必要性があれば見るが、雨宮に関しては今はその必要性を感じない。
「現在、雨宮さんが、女性社員から色々言われているの、知ってるかい?」
「男遊びをしているとか、ビッチだとかという噂でしょ?」
まあ、あのアイドルも真っ青になる可愛さだ。嫉妬するなという方が無理な話なのかもしれない。その手の噂が流れるのはこの会社では別にさほど奇異ではない。
「うん、考えてみて欲しい。彼女のような頭がすこぶるいい几帳面な人が弁当を入れ忘れるなどあると思う?」
「それはどういう――」
まさかな。だが、それなら全て辻褄が合う。
悪い、雨宮、すこし見せてもらうぞ。 脇に置いてある雨宮のバックを開けて、
「なんだ、こりゃ!?」
思わず目を見張ってそう言い放つ。鞄の中には弁当箱の中身がばら撒かれていた。いつも雨宮が入れていた巾着から弁当箱が飛び出ていることからも、落としたくらいでこうはなるまい。つまり、故意にされたのはもはや疑いはない。
「ざけんな! ここは中学や高校じゃねぇんだぞっ!」
まさかいい年した社会人が、たかが嫉妬でこんな犯罪まがいなことをするとは夢にも思わなかった。
「組織である以上、この手の嫌がらせは日常茶飯事。君もそれはわかっているはずだよ?」
「……」
ああ、そうだ。そうだったな。営業部でも少なくない新入社員がこの手の嫌がらせにより、辞めていくのを見てきた。
「雨宮君に嫌がらせをしている人達には心あたりがある」
「誰です?」
「聞いてどうするつもりだい? 彼女たちにとって君は部外者。そんな君が嫌がらせを止めるように言っても逆効果だと思うよ」
「なぜです?」
「むしろ、淫乱だの男を直ぐにたぶらかすなど、言いたい放題吹聴されるだけさ。だって、彼女たちの嫉妬の原因は彼女の許嫁である
「わかりませんね。あのボンボンと雨宮が許嫁なのは周知の事実でしょう。今になってなぜこんなことするんです?」
「少し前までの雨宮君は異性を夢中にさせるというよりは男女とともに好かれるマスコット的存在だった。何より雨宮君自身が、淑女として振る舞ってはいなかった」
斎藤さんの言いたいことが多少分かった気がするぞ。
雨宮は妙に形式ばった言葉遣いをするし、服装もどこを行くにもいつも白衣だ。俺はそんな雨宮だったから、今迄異性として意識せずに気軽に話せたのだ。
なのに最近の雨宮は白衣を必ず脱いでくるし、言葉遣いはもちろん、仕草や表情一つとっても以前とはまったく別者となっている。
「雨宮が女性として認識されて改めて
「うん。そうだ」
「なら簡単だ。あのボンボンに事情を話して雨宮とのフィアンセ宣言をさせればいい。そうすれば、一発でこんなバカな行為はなくなる」
斎藤さんは大きく息を吐き出すと、
「それができるなら話は早いんだけどね。誓ってもいいけど、彼はしないよ」
「はぁ? なぜです?」
雨宮から以前、あのボンボンとは幼馴染であると聞いたことがあった。なら、例え惚れてなくても雨宮のためにひと肌脱ぐくらいしてくれるはずだ。
「彼が一年生社員のとき、彼の教育係だったからわかる。彼は自分を慕う女性を傷つけられない。例えそれがどんなに許せぬことであっても、自分のためにその女性がやったと聞けば、何も言えなくなる」
「斎藤さん、それ冗談言ってるんですか?」
意味不明だ。幼馴染ならば優先的にまず助けるのが信条ってものだろう。例え俺を好きだという物好きの赤の他人がこの世にいるとしても、俺の大切なものを侮辱し傷つけるなら俺は一切の容赦はしない。徹底的に排除する。今までずっとそうしてきたし、これからもそうすると思う。だからこそだ。まったくその考えが理解できない。
「いんや、大真面目だよ。彼は多分、よくラノベ小説や漫画に出てくるハーレム体質の主人公なんだろう」
「ハーレム体質の主人公?」
「そう。多くの女性を魅了してやまない。そして女性には常に平等に優しく紳士的だ。だがね、いかんせん。これは小説や漫画の世界ではなく現実なんだ。嫉妬もあれば、醜悪でドロドロとしたいがみ合いも存在する。そんな主人公に都合の良い状況に納得してくれる女性ばかりじゃないんだよ」
ようやく斎藤さんのいいたいことが朧気ながらにわかってきた。だとすると、これは相当根が深いぞ。特に俺たちは完全に部外者だ。口を出す権利そのものがない。
それに斎藤さんの言う通りだ。今回やった奴を凝らしめても、あのボンボンはダース単位で女性社員を口説いており、根本的な解決にはなりやしない。
「で? 斎藤さんはどうすれば最良だと考えているんです?」
「雨宮君が香坂君以外の相手を見つけることかな。このタイミングでの彼女の変わりよう。雨宮君に好きな人ができたと私は個人的にみているんだけどね」
あの
ん? なんだ? 何か胸の奥がもやもやするぞ。俺は友の幸せに感傷を受けるほどセンチメンタルではない。もしかして、嫁にだす父親の心境ってやつ? いや、この際俺の感情などどうでもいいか。
ともあれ、許嫁のあのボンボンに解決する気がないのなら、雨宮恋人計画も確かに最良の方法かもしれん。
「わかりましたよ。俺もそれに協力します。ただし、これはこれ。これをやった阿呆は探し出して注意はします」
「ああ、そうするといいよ」
なくならないとしても多少のストッパーにはなるだろうしな。
「待たせたね」
小走りでかけてくると雨宮は俺の隣のベンチに座る。
「雨宮」
「うん?」
笑顔を浮かべ俺を見上げてくる雨宮の頭に手を置くと、そっと撫でる。
「あまり無理はするなよ」
「う、うん」
雨宮は俯きながらも小さく頷いたのだった。
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