第13話 超常事件対策室
霞が関、警察庁超常事件対策室
円柱状の巨大な空間にズラリと立ち並ぶデスク。そこで数百人規模の人員が今も次々に持ち込まれる情報を処理している。
この度、種族の決定や魔物の出現という非常事態に日本国は新組織の樹立の検討を始めた。
ただ、その臨時の組織の概要はまだ検討段階の域を脱しておらず、その組織設立の研究や一時的に魔物の討伐や異能犯罪の取り締まりなどを行う組織として、超常事件対策局が内閣に置かれたのである。
さらに、法改正について検討する部署が法務省内に、具体的な組織運営を検討する部署が総務省内に、そして、既に生じている魔物や異能犯罪の取り締まりの解決機関としての対策室が警察庁内に置かれ、それぞれの活動を行う事となる。
(人間の醜悪さには心底辟易しますね)
中心のデスクに座る白髪に目が線のように細い男、
あの種族の決定からそう時は経ってはいない。なのに緩んでいた
どの道、この異常な数の異能事件、これをすべて解決するには今の日本という国家機構には手に余る。それが分かり切っているから新組織の新設を現在模索していているわけだし。
しかし、新組織の樹立までただこのまま指を銜えて眺めていれば、現在培ってきた既存の法による支配秩序は粉々に砕かれ手遅れになる。そうなれば、右近たちの敗北。その前にこの流れを是が非でも止めねばならない。その
「右近様、私、やっぱり納得いきません」
右頬に星の入れ墨のある狩衣を着用した長い赤髪を後ろで一本縛りをした女性が、右近の席まで来る。そして、今も部屋の隅で豪快に
「君の立場ならそうでしょうね」
陰陽師の格は正一位を頂点として正八位まであるが、彼女――
「せめて、一度戦わせて欲しいです」
「ダメですね」
優秀な人材をこれ以上壊されてはたまらない。もちろん、あれは正義の味方を自称しているし彼女を邪悪とみなさない限り危害を加えまい。それでもあれの力の一旦でも己に向けられただけで彼女の心は粉々に崩れてしまうのは想像するに容易い。
現にせっかく引き入れた優秀な陰陽師はことごとくあれにつっかかり、一日も持たず辞表を提出してしまった。
「右近室長、都内の銀行への強盗事件で、応援要請です」
PCの画面に添付されている資料をクリックして開くと状況や場所の詳細が表示される。
都内で発生した集団強盗事件。機動隊が包囲したが、たった数人に壊滅状態になっているらしい。獣の様相との報告もあるし、おそらく獣人系の種族だろう。
発生場所は、ここから近い。あれの出鱈目っぷりを彼女に見せるいい機会かもしれん。
席を立ちあがると、
「
無精ひげを生やした短髪の男が立ち上がる。その両眼は使命を全うせんとゆらゆらと熱く燃えていた。
「右近さん、悪か?」
「ああ、でも
「わかった」
正直、どこまで理解したかは疑問の余地があるが、一応念は押したし最悪な結果にはなるまい。
「右近様、そんな賊、私が――」
「君は今回補佐。だが、もし彼の戦闘を見た後でも同じ気持ちでいられるならそのときは考えます」
朝倉葵はギリッと奥歯を噛みしめつつも小さく頷いた。
現場はここから数キロ離れた場所にすぎず、直ぐに到着する。
銀行を取り囲む警察車両。そしてその中心には、毛むくじゃらの土佐犬顔の化物が機動隊員の頭部を鷲掴みに高く持ち上げたまま佇んでいた。奴の周囲には、十数人の機動隊らしき警察官が血を流しながらも、地に伏し呻き声を上げている。
(動物化した獣人族ですか。なら無理もない)
現在確認されている動物系の異形種は獣人族、低温人族、鳥人族、魚人族の四種のみ。この種族は姿かたちが動物に近いほどその強さが跳ね上がるというと特徴を持つ。
あの全身を覆う体毛に犬の顔。あれでは二足歩行しているだけで完璧に外見上は犬だ。人型を保っている機動隊では相手にすらなるまい。
「弱ぇ! 弱ぇ! 弱ぇぇ!! あれだけ恐ろしかったマッポが今やゴミ同然だぁ!!
いや、違うかっ! 俺が強ぇんだ! もう俺を止められるものはいやしねぇっ!」
犬の顔を恍惚に歪めて自画自賛を繰り返す男に、
「右近様、あの程度私が――」
胸ポケットから式符を取り出し、一歩前に出ようとする朝倉を右腕で制する。
「君は今回補佐だと言ったはずです」
「しかし――」
それでも食い下がろうとする朝倉など気にも留めず、十朱は近くにあった警察車両を覗き込むと人が乗車していないのを確認し、何度も満足そうに頷く。
「この車少し借りるよ。よっこらせ」
そう口にし腰を落とし屈めると警察車両を掴み、まるで荷物を担ぐかのような掛け声のもとに軽々と持ち上げて、肩に担いでしまう。
「んなっ!?」
口をパクパクさせている朝倉を尻目に、十朱は犬男の元までゆっくりと歩いていく。
「な、なんなんだっ! お前っ!?」
歩を進める十朱に犬面男は顔を引き攣らせながらも、機動隊員を地面に放り投げて後退る。
「お前らは悪だ。よって、お前らは断罪されねばならない!」
十朱の顔が今まで気の抜けたぼんやりしたものから、悪鬼のごとき形相に変わる。
「ひぃっ! ば、化物ぉっ!!」
背を向け一目散で逃げ出す犬面の男に向けて、十朱は警察車両を投擲する。
文字通り弾丸のような速度で警察車両が宙を疾駆し、男の前に落下して大爆発する。
「正義を執行する!」
十朱は蹂躙という名の制圧を開始した。
十朱の参戦で数分経たたずに強盗犯は確保される。まあ、確保といっても途中から全員が泣きながら捕まえてくれと懇願してきたわけであるが。
ともあれ、一応、犯人が五体満足でいられたのは一応、子悪党だからやり過ぎるなと念を押したお陰だろう。
現在、警察庁超常事件対策室に三人で戻ってきたところだ。朝倉はあれから真っ青な顔で震えるだけで、一言も口にしない。
朝倉は右近の元にくると、
「彼のあの非常識な力は、何の種族によるものなのですか?」
古来の陰陽師の血筋でもある朝倉は、此度の種族の決定による世界の変革には懐疑的な立場だった。その彼女もようやくこの救えないほど決定的な世界の変貌を自覚したのかもしれない。
「いや、彼の種族特性は特殊でね。あくまで
過去に日本に上陸した華僑系の巨大マフィアの一斉摘発があった。マフィアたちはその潤沢な資金にものを言わせ、裏稼業の者達を多数雇っているようであったが、たった一人の捜査官に全滅させれてしまう。その戦闘シーンはまさに悪鬼そのもの。
素の戦闘で近くにあった電信柱を引きちぎりぶんぶん振り回したり、トラックをまるでボールのように投擲するような人間離れした光景が映し出されていたのだ。
もちろん、それが種族の決定後の変質した後の世界なら、何とか納得はいった。だが、その動画がとられたのは、一年半前。種族の決定前。つまり、十朱のあのパワーは種族の決定とは直接関わりのないこと。
「そうですか。では彼は四天将と同類。生まれながらの突然変異体というわけですか?」
四天将とは正一位の上にいる四人の最強の陰陽術師のことだ。呪いのごとく脈々と受け継がれてきた伝統ある系譜の嫡子であり、全員がそろって人間を辞めている。
「うん。まあ、似たようなものだと思いますよ」
「少し、安心しました。そうですよね。あんなの人の理にいる限り可能なはずがないですし」
その安堵は早計だ。神の戯れか、それとも悪魔の計略か。十朱の種族特性は極めて限定的だが、もし一度発動されれば、十朱を止めることができる存在は世界でもそうは多くはあるまい。そんな最悪といっても過言ではないもの。
「ネットみて来てみたんだけど、ここって異能犯罪対策の中枢って認識でOK?」
突如生じた声に顔を上げるとそこには、赤装束のコスプレをした存在が佇んでいた。
頭巾に口をすっぽりと覆うマスクで顔の9割が隠れているから人相どころから性別さえもわからないが、華奢な身体と声色からして女性だと思う。
一言で彼女を表現すれば、忍者のコスプレイヤーだろうか。
「……」
今まで誰が入ってきてもずっと寝ているだけだった十朱も飛び起き、油断なく身構えて赤装束の女を観察している。その様子は先ほどの犬顔の強盗犯たちとは比較にならないほどピリピリしていた。つまり、少なくとも十朱は彼女を多少なりとも脅威とみなしているということ。
無理もない。この女からは恐ろしいほど気配がしない。しかも、こんなどう見ても頭がおかしいふざけた格好をしていたのに右近すらもその侵入に気付けない。もし、これが暗殺で、あの腰に下げている武器を突き立てられていたら?
ぞっと背筋が寒くなるのを感じつつも、
「君は?」
そう率直に尋ねた。
「情報提供者よ」
女は右近の元までくると懐に抱えていた紙封筒をテーブルにドサリと放り投げる。
「少し失礼しますよ」
「右近様、不用意に――」
傍の朝倉の焦燥たっぷりの制止の声を無視し、中身を一読する。
「大規模な異能犯罪か。やってくれる」
「右近さん‼ この獄門会は悪だ。巨悪だ! 今すぐ潰すべきだぜっ!!」
資料を持つ手を震わせながらも、十朱が絶叫する。
この資料が真実ならもちろん見過ごせはしない。こんなものがまかり通れば、それこそ日本という国は終わりだ。雑草一本足りとも残さず焼き尽くさねばならないのだ。
「この資料の信頼性は?」
「警察には確か裏付け捜査ってのがあるんでしょ? ならそれをすればいいんじゃん?
でもできる限り早くした方がいいと思うよ。きっと期限は明日の正午まで」
「明日の正午? なぜです?」
「明日の正午に獄門会はある人に潰されるから」
「潰される? ある人とは?」
「疑問ばっかりだね。それ、私が答えると思う?」
確かにそれに答えるくらいなら、顔を隠して接触などしてきやしないだろう。
「わかりました。では、一つだけ。貴方がその事実を私達に告げた理由は?」
「私はあんなクズのような奴らのために手を汚してほしくないだけ」
「手を汚してほしくない? それはある人のためということですか?」
「……それじゃ、お願いね」
喋り過ぎたとでもいうかのように、女はその姿を煙のように消失させる。
「右近様、さっきの女も?」
「ええ、種族の特性でしょう。ですが、この短期間であそこまで使いこなしているのは初めてみますね」
思考の渦に入り込もうとしたとき、
「右近さん、早く裏付け捜査をしようぜ。そして、その獄門会とかいうクズをぶっ潰す!
これは俺の責務――正義の執行。正義執行! 正義執行ぉぉっ!!」
部屋全体を震わせるほどの大声を上げる十朱に、
「そうですね。期限がある以上、優先順位の低い事件を保留し、獄門会の捜査を開始してください」
もし、この資料が真実ならば世間へのいい見せしめになるかもしれない。しかも、あの赤装束の女に恩も売れる。あれほどの隠匿の技だ。今の右近たちにとって最も欲しい人材といっても過言じゃない。
(やれやれ、各方面への調整が必要ですね)
大きなため息を吐くと右近は部屋を退出すべく席を立ちあがった。
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