第10話 最低最悪の私のヒーロー 烏丸和葉


 堺蔵さかえぐら高等学院


「今日はこれで終わりにしましょう。最近、モンスターが出没するらしいし、皆、寄り道せずに帰りなさいね」


(よかった、いつもより早く終わった)


 吹奏楽部部長――藤村朱里の終了の宣言に、烏丸和葉は安堵のため息を吐く。

 烏丸家が直面している一連のごたごたからまったく集中できなかったし、部活が早く終わったのは和葉にとっても僥倖ぎょうこうだった。

 約一週間前、突如、極門会とかいう暴力団の金貸しどもが烏丸家を訪れ、四年前他界した父が銀行から多額の借金をしており、その債権を獄門会が譲り受けた旨を知らされる。それから毎日のように嫌がらせが続いた。母が金銭の返済を約束したから、一時的に家へ奴らが訪れることがなくなってはいるが、今後はどうなるかは全くわからない。

 そんな状況だ。授業中も友達との会話をしている間も心ここにあらずの状況だった。


「烏丸さん、少しいいかしら」

「は、はい」


 自身のクラリネットをケースに収納していると艶やかでサラサラの栗色の長い髪の美しい女性に声を掛けられる。彼女は藤村朱里、堺蔵さかえぐら高校二年吹奏楽部の部長にして、成績は常に学年一位。

 空手部主将を一撃のもとに沈めたとか、本校の女子にちょっかいを出した他校の不良数十人をフルボッコにしたなど凡そ信じるに値しないような噂がまことしやかに囁かれている。次期生徒会長が確実視されている完全無欠の女傑だ。


「最近、ずっとボーとしているけど、何かあった?」

「少し家庭の事情で……」

「そう……もし助けが必要なときはいつでも相談してちょうだい。きっと力になるから」


 宣言すると藤村先輩は、颯爽さっそうと部室を出て行ってしまう。

 力になるから。そう言い切れるところが、先輩の凄い所だと思う。そしてその発言を実行できる力を持っている。それが、和葉はただただ羨ましかった。

 

(帰ろう)

 

 今世の中はかなり物騒になっている。弟も迎えに行かなければならない。荷物を持って音楽室を後にした。校門を出て長い坂を下り始める。

 

 西空に太陽が沈みこみ、辺りはすっかり薄暗くなっている。

 少し前ならこの時間帯のこの坂は、運動部等の学生たちで溢れていた。それが今やまばらにしか存在しない。その理由は数週間前に出現したモンスターが原因だ。

 スポーツも命あってのものだね。今や運動部でさえも夜遅くまで残って練習するものは一割もいない。というより、最近では次の大会が近い和葉たち吹奏楽部以外の姿がほとんどいない。


 坂の下の大通りまで200mほどにさしかかったとき、背後から坂を下ってくる車の気配がしたので、左端によける。

 白色のミニバンは和葉の真横で急停止すると後部座席の扉が勢いよく開く。


「え?」


 そして、たちまち、車の中に引きずり込まれる。混乱する頭の中、薄暗い車内で忽ち猿轡さるぐつわを掛けられロープで拘束されてしまった。


「猿渡さん、事務所と組頭のマンションにいまサツが来てるらしいんで、一時、いつものとこに連れて行けって連絡があったぜ」


 助手席に座る20代前半の赤髪にサングラスの男がスマホを耳から外して、後ろでふんぞり返っている金髪にサングラス、鼻と口にピアスをした男――猿渡に報告する。


「向かえ」


 金髪ピアス――猿渡の指示により、車は走り出す。


 この金髪ピアス男には見覚えがある。あの粗暴で最低な債権者達だ。状況からいって和葉は拉致されてしまった? まだ返済には期限はあるし、一応今迄は正式な金銭消費貸借契約に基づき奴らは行動してきていた。金の工面を母が主張している以上、このタイミングで強硬手段に訴える必要性がない。

 最悪、奴らは烏丸家への債権を国に訴えれば母の会社や祖父が残してくれた家屋と土地を金に換えられる。つまり、この拉致は金銭の収奪が目的ではない? この奴らの行為の意図は――。


(そんなの決まってる)


 男たちが女の和葉を攫う理由など一つしか思い浮かばない。いくらその手の事情に疎くても、これからされることにも検討が付く。


(なぜ、私達親子ばかり!!)


 あの親子で行ったファンタジァランドでの化物との遭遇。まさに生命の危機の中、ホッピーの仮面を被った男性に間一髪のところで助けられ安堵した途端、今度は祖父の借金。そしてこの拉致。どうして最近こうもあり得ない事態ばかり頻発するんだろう。


(なんでよっ!)


 はけ口のない、耐え難い陰鬱いんうつな圧迫感に和葉は下唇を痛いくらい噛みしめたのだった。

 


 数十分後、車が止まり、車内から突き飛ばされるように外に出される。

 夕闇はすっかり夜の暗さに変わっており、天から注ぐ月の光が広い敷地にポツンと立つ二階建ての建物を不気味に映し出していた。

 

「早く来い!」

「んんっ!」


 猿轡をされた状態で懸命に抵抗をするが、後ろの襟首を掴まれ引きずられるように家の中のリビングまで連れてこられるとソファーの上に突き飛ばされた。そして、男たちは冷蔵庫から飲み物を取り出し、各自酒盛りを始めてしまう。

 新たに部屋に入ってきたパンチパーマの男は、正面のソファーに座り、マジマジとまるで物色するかのように和葉を観察してくると、


「こいつが、例のかしらが目を付けた女の娘か?」

 

 金髪ピアスの男――猿渡に尋ねる。


「ああ」

「へー」


 パンチパーマの男は、右手で和葉の胸倉を掴むと引き寄せてそのブレザーの上着の谷間をのぞき込んでくる。


「ん、んっ!!」


 ミノムシのような惨めな恰好で身体をもがいて逃れようとするが、丸太のような右手で完璧にロックされており、ピクリとも微動だにしない。


「もったいねぇなぁ。こいつ一見ショボガキだが、一皮むけば相当な上玉だぜぇ? Gはあるし、尻もでかい。色気ムンムンつうかよぉ」

「そりゃあな。この娘の母親には、組頭がたいそう執着しているようだし」

「へー、親子そろって男を喜ばせるのが得意な天性のエロエロ情婦ってか。でも、かしらが相手だとすぐに壊れちまうからな。俺達には一切回ってこねぇな、きっと」

「いや、今回は特別に役得があるぞ?」


 猿渡は和葉の背後に回り込むと、ポケットから取り出したナイフで和葉を拘束したロープを切断し、その猿轡を外す。


「役得って、おいおい、マジか?」


 パンチパーマの男が上擦った声で、その発言の意図を尋ねる。

 今迄酒を飲んでいた男たちが一斉に和葉に視線を集中させる。その纏わりつくような粘着質な多数の眼差しに、背筋に氷を当てられたような強烈な悪寒が生じる。


「ああ、たった今から撮影会だ」

「俺達もやっていいのか!?」


 上擦った声でパンチパーマの男が確認すると、


「母親の烏丸忍の退路を断つために、この女にAVデビューさせろってさ」


 猿渡は大きく頷くと、一人がニヤケ面でカメラを回し始め、剥き出しの欲望を隠そうともせず部屋中の男たちが和葉に向けて近づいてくる。


「く、来るなっ!」


 カラカラに乾いた喉から出た和葉のみっともない裏返った叫び声に、男たちは下品な笑みを浮かべせせら笑う。

 こんな最低なクズ共に好き勝手なぶられるなんて冗談じゃない! 強烈な焦燥から、出口に向かって男たちの脇を通りすぎようとするが、あっさり屈強な男二人に床に羽交い絞めにされてしまう。


「離せ! 離せよぉ!!」


 我武者羅で暴れるが、万力のような力でびくともしない。


「お、俺からでいいよなっ!?」


 上着を脱ぎ棄ててるパンチパーマの男に、


「脱ぎ脱ぎしながらいうんじゃねぇよ」


 猿渡は呆れたように肩を竦め、パンチパーマの男が和葉に馬乗りに覆いかぶさる。


「離せ! クズ野郎!!」


 折れそうな心に鞭打ちパンチパーマの男に唾を飛ばし罵倒し睨みつけるが、


「いいねぇ! マジでおまぇ最高だぜぇ! 俺ぁ気の強い女を無理矢理ねじ伏せるのが一番興奮すんのさぁ!!」


 恍惚の表情で頬に付着した唾をぬぐうと和葉の制服の胸元に手を掛けてそれを引き裂く。

 外界にさらされる己の肌と下着。


「ぁ……」


 口から洩れる小さな掠れ声。これから己がされる最悪の現実をようやく実感し、強烈な忌避感と嫌悪感が全身を駆け巡り、両手両足の指先が震え出す。


「ぃ……ゃ」


 男たちに攫われたんだ。和葉が女である以上、その破滅的な結末くらい予想していたし、現にさっきまでは何があっても屈服しない。隙をみて必ず逃げ出してやると誓っていたはずだった。なのに抵抗ところか、罵倒の言葉一つ口から出てこない。ただ、拒絶の言葉だけがむなしく部屋に響き渡る。


「あらあら、気の強かった君はどこに行っちゃったのかなぁ?」


 パンチパーマの男は腹部を人差し指でなぞる。先ほど以上の耐えようもない嫌悪感が沸き上がり、


「やめ……て」


 消え入りそうな声で懇願していた。


「ひょー、秒殺で落ちたな。張り合いねぇからよ、もう少し粘ってくれよ」


 さも可笑しそうにケタケタと下品に笑うと男は、ゆっくりと和葉に手を伸ばしてくる。


「やだ……」


 堺蔵さかえぐら高等学院は、全国でも有数の超進学校。生徒たちも異性との交流よりも勉学や内申のためのスポーツに邁進まいしんすべしといった傾向が強い。もちろん、それでも社交的なクラスメイトから他校の男子生徒と遊びに幾度となく誘われるが、和葉はすべて断ってきていた。

 確かに頻繁にクラスメイトの男子たちからは男っぽいと揶揄われるし、女子から毎日のようにラブレターをもらう。だが、異性に興味がないわけじゃない。むしろ異性の興味はあり過ぎるほどある。ただ、合コンの様な場所に、和葉が求める出会いはない。そう考えていただけ。

 和葉がこんな屈折した出会いを信じるようになったのは、多分、和葉の母から父とのなれそめを幼い頃に聞いたから。二人の出会いはドラマ並みに劇的であり、幼い和葉に強烈な印象を与えることに成功していたのだ。

 きっといつか和葉だけのカッコイイ王子様ヒーローが現れる。そんな幼稚な甘くも淡い恋の物語を幼い頃から、ベッドの中で毎晩夢想していた。

 そして、その到底他人には言えないその願望はあのファンタジアランドで叶う。

 ゾンビが跋扈し、縫いぐるみが死のダンスを踊る絶望的な状況で、あの狐仮面のヒーローは颯爽と現れて、和葉と母を救い出してくれたのだ。あの日から、和葉のヒーローはあの狐の仮面の男性となり、その彼への想いは次第に強く抗えぬものへと変わっていく。

 でもこの強烈な彼への想いも今日で終わりだ。こんな下種な男どものくだらない欲望になすすべもなく汚され、跡形もなく壊される。

 それが、耐えられなく嫌で、


「やだぁっ! 誰かぁぁっ! 助けてよぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 喉が潰れん限りの大声を上げた。その刹那――。


 ドゴオオオオッ!!


 鼓膜を震わせる爆発音。

 和葉の胸にまさに触れる寸前で硬直化するパンチパーマの男。


「おい!」


 ざわつく室内で、猿渡が、肩越しに振り返り、背後の坊主の男に対し顎をしゃくる。


「うす!」


 坊主の男が拳銃を懐から取り出し、扉の傍まで行き取っ手に触れようとしたとき――。


 ベゴッ!


 扉からニューと右腕が伸びて坊主の男の頭部を掴み、次の瞬間、扉に大穴を開けつつも吸い込まれていく。


「……」


 一歩も動けず、顔だけ扉に向ける男たち。そして次の瞬間、扉が粉々に吹き飛び、破壊された扉かゆらりと姿を現す幼い子供なら思わず泣き出すがごとき犯罪者然とした凶悪な風貌の男。

 

「フジムラ……アキト?」


 猿渡の呟きを契機に弾かれたように、部屋中の男たちが銃口や日本刀をアキトに向ける。


「やれやれ、間一髪か。あの刑事デカ女、マジでウザすぎんぞ」


 仰向けに羽交い絞めになっている和葉を見下ろしつつも、うんざりしたようにアキトは独り言ちた。

 

「なんや、ゴラァ!! ここがどこだかわかってんのかぁ! あ~~~!?」


 扉の近くにいた長髪にサングラスの男が、蟀谷に太い青筋を張らせ、顔を斜めに傾けながらもアキトに近づき、その喉笛に小刀を突きつけて威圧する。


「さて、どうしたもんかね。あの刑事女に特定されてるし、こいつらを五体満足で帰さなきゃならん。面倒だ。実に面倒だ」

「てめえ、人の話を――」


 アキトは無造作に長髪サングラスの男の右腕を掴むと捩じり上げる。ボキンッと生理的嫌悪のする音とともに、明後日の方向に曲がるサングラスの男の右腕。


「ひへ?」


 キョトンとした顔で棒切れのように折れ曲がった自身の右腕を眺めていた男は、次第に頬を引き攣らせていき、


「ぎゃあああああぁぁ~~~っ!!」


 絶叫を上げる。


「騒々しい」


 吐き捨てるような声とともにアキトの左手が霞むと、長髪サングラスの男は弾丸のような速度で壁まで吹っ飛び激突。陸に打ち上げられた魚のようにピチピチと痙攣し始めた。

 静まり返る室内に――。


「こ、殺せぇ!!」


 猿渡の焦燥たっぷりの掛け声を合図に銃声が鳴り響く。

 そのまさに瞬きをする刹那の間。


「俺を狙ってたんならすげぇノーコンだな」


 アキトは先ほどまで和葉に馬乗りになっていたパンチパーマの男の直ぐ傍にいた。


「ひへっ!?」


 逃げようとしたパンチパーマの男の背後から頭部を鷲掴みにすると、高く持ち上げる。


「は、離――ぐげごがぐぐ……」


 バキゴキと骨が軋む音。忽ち、パンチパーマの男は頭部から血を流し奇声を上げて白目をむく。その男をまるでゴミでも投げ捨てるかのように床へ放り投げると――。


「さーて、時間も押している。警察が踏み込んでくる前にちゃっちゃとケリつけちまおう」


 アキトの姿が消え、銃を構えていた顔中に傷のある巨躯の男の四肢が折れ曲がり、顔がベコンと陥没する。同時にその隣の金髪サングラスの男の全身が垂直に持ち上がり、天井に頭から叩きつけられ、地面に落下する。


「ひぃっ!?」

「うぁ……」

「うああああああ~~~~!!」


 一斉に悲鳴が上がり、銃声が鳴り響く。


「ば、馬鹿野郎っ! こんな密集した状態で撃つ奴があるかっ!」


 猿渡が悲鳴を上げるが、既に恐怖で混乱状態に陥った群衆の制御は困難だった。

 放った銃弾は同じ借金取りの仲間に命中。そんな阿鼻叫喚の中、アキトの本格的な攻勢が開始される。

 ある者は、顔から叩きつけられテーブルを真っ二つに割って地面に転がり、またある者は、壁に頭部ごとめり込んだ状態でプラプラ揺れている。床を突き破り上半身をめり込ませるものもいた。

 あれだけ絶望的な数に感じた武装した屈強な男たちは、ものの数分で金髪ピアスの男以外、五体満足に立っている者はいなくなっていた。


「な、なんなんだ? お前ぇぇっ!!?」


 金髪ピアスの男は、ヒステリックな声を上げて日本刀を振り回すが、アキトは易々とその右腕を掴むと、捩じり上げる。骨が折れる音とともに絶叫が響き渡る。


「お前偉そうに命令してたし、色々知ってそうだな。少々聞きたいことがあるんだ」

 

 後ろ襟首を持つと、引きずって部屋を出て行ってしまう。



 来ない。あのアキトと呼ばれていた男は一向に戻ってこない。まさか和葉を置いていってしまったとか? こんな地獄絵図の様な場所に? いやだ! こんな場所にいたくない! こんな場所にいたらいつまたあの借金取りの仲間がやってくるかわからない!

 立とうとするが、極度の緊張状態のせいか全身が弛緩してしまって指一つ動かすことができない。


 それから不安や恐怖の限界を突破する寸前、ようやく彼が部屋に戻ってきた。闇夜に灯火を得た思いからか、不覚にも涙がでてきた。

 

「どうする。もうじき警察がここにくる。ここでそれを待つか、それとも俺と一緒にくるか?」


 こんな凄惨な現場で、あとどれほども待っていられるはずもない。助けてくれたことにはとても感謝はしている。感謝はしているが、彼のあまりの配慮のなさにふつふつと理不尽な憤りが沸き上がり、


「……に決まってる」


小さく呟く。


「あ? よく聞こえねぇよ」


 アキトはしゃがみ込み、和葉の口元に耳を傾けてくる。二度と離さぬように彼の首に手をまわして強く抱き着くと、


「ついていくに決まってるでしょ!! 馬鹿ぁ!!」


 彼の耳元で鼓膜が破れんがごとき大声を上げたのだった。

 これが和葉のヒーローとの二度目・・・の最低最悪な出会いだったのだ。


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