第5話 兎の仮面捕縛
2020年10月17日(土曜日) 午後10時3分
宝石商――七宝で朝からずっと別室で監視を続ける。一ノ瀬の安否も気がかりではあったが、いかんせん。俺はあいつの連絡先を知らん。確認しようがないんだ。
【千里眼】を常時発動中での監視だ。正直、最初はかなり堪えたが、それも数時間続けると大分慣れてくる。
そして午後の10時になって兎が罠にかかった。
へー、見事だな。
姿も気配もどこにも見当たらない。ただ、【千里眼】のスキルだけが異分子がこの場に混入していることを明確に告げていた。
姿も気配もない存在は、裏口の電子ロックをいとも簡単に開錠し、この宝石が収められている展示室へと至る。
そして他の宝石には目もくれず、『蒼麗玉』という真っ青で小さな水晶がはめ込まれた指輪の展示されたケースへと向かう。
そしてカチリッと鍵が開錠される音。そして展示ガラスがゆっくりと開き、姿のない存在はその指輪を手に取る。
俺は扉を勢いよく開くと、床を蹴って奴との距離をゼロにしその手首を掴む。
「そこまでだ。名無しのラビリーさん」
「せ、先輩!?」
ちょっとまて、この声聴いたことあるぞ。
濃い霧が晴れるかのように露わになって行く兎の面をしたライダー姿の女。女は勢いよく兎の仮面をとると、
「なぜ、先輩がここにっ!?」
そんな俺の方が尋ねたい事項を聞いてきやがった。
現在、宝石商――七宝の応接間。俺と
「前の日曜日、両親から逝去した前社長の借金と会社の資産が抵当に入れられていることが最近になって発覚したことを知らされる。数日間、一ノ瀬も会社を休んで金の工面に走ったが親戚を始め、どこの金融機関も貸してはくれなかった。
父親が最後の手段として代々の家宝の『蒼麗玉』を売却するが、二束三文にしかならなかった。だが、後に数億円で取引されていることを知り抗議するも門前払い。両親はそのショックで寝込んでしまう。それで、ここに盗みに入った?」
「……」
コクンと顎を引く一ノ瀬に、大きなため息を吐く。
「全てにおいて最悪だ。盗みに入る方も馬鹿なら、天才的な目利きの腕のある職員がいるのに、そんな信用性を毀損するような商売を態々する奴も馬鹿だ。どちらも救いようがない」
半眼で隣の
「その小娘が盗みに入ったのは事実! 落とし前は付けるべきだ!」
黒スーツにサングラスが俺達の背後から怒声を上げるが、
「お前らがそれを俺の前でいうか?」
俺が振り返り一睨みすると顔を引きつらせて押し黙る。
「
「そんな勝手な――」
背後の黒スーツが再び激高しようとするが、
「それは旦那があっしを信用する。そう言ってるんですかい?」
「まあな。お前の部下の目利きは本物だし、その点は信頼もできる。値段は店の利益も踏まえて決定しな。ただし、以前のような姑息な誤魔化しはするな。それをすればわかるな?」
「はいな。十分すぎるほどに」
ゴクッと喉をならす背後の黒スーツたちとは対照的に、
あとは一ノ瀬だな。
一ノ瀬に視線を向けると俺達のやり取りについていけないのか、怯えと困惑の混じった表情で見上げてくる。
「一ノ瀬、お前、自分のしたことの意味、わかっているな?」
「……」
泣きそうな顔で頷く一ノ瀬。
「だったら二度とこんな真似をするな? いいな?」
できる限り厳しく語りかける。
「は……い」
遂に一ノ瀬は両手で顔を覆い泣き出してしまった。
これでいい。悪いものは悪い。それは間違えてはならない。まあ、本来俺が口が裂けても言える立場ではないわけだが。
「まだ証拠はない。だが、その前社長の借用書、おそらくでっち上げだ」
流石にここまで同じなら虚偽の事実を疑う余地はない。十中八九、此度の種族による変更により得た能力でその極門会とかいう暴力団の誰かが今回の偽造文書を作成したんだろう。
一介の会社員に過ぎなかった一ノ瀬にどこぞの大怪盗の様な真似ができるくらいだ。その程度、できても何ら不思議ではない。
「どういうことですか!?」
案の定、食いつくてくる一ノ瀬に、
「俺も今お前と似たような境遇だからさ」
俺も今週に起こった一連の出来事につき口にし始めた。
「おかしいと思ったんだ。お祖母ちゃん、生前、お金には恐ろしいほどしっかりしていたし、いくら入院中痴呆が始まっていたとはいえ、あんな借用書に判子など押すわけない」
「俺の爺ちゃんも同じだ。他人に騙されるような間抜けじゃなかった。
おそらく、今のお前のそのチート能力と同じ。偽造か何かの力だ」
一ノ瀬の能力の所在は既に解析済みだ。
―――――――――――――――
種族――【怪盗】
・説明:神出鬼没の凄腕の盗人。その意思一つで姿と気配を完全に消失できる。またいかなる鍵も怪盗の前ではその効力を有せず、自在に開錠、施錠ができる。
・ランク:ランクG
・種族系統:隠遁系(人間種)
――――――――――――――――
Gランクの隠遁系の能力を操る種族。しかも鍵の開錠、施錠も可能だとか。ありえんわ。どんなチート能力だよ。しかし、疑問もある。
「一ノ瀬、お前、よくこの種族を選択する気になったな?」
怪盗といえば聞こえはいいが、とどのつまりは窃盗犯だ。一度選択すれば二度とやり直しがきかないことを鑑みれば、通常の神経ならアウトオブ眼中の種族のはず。
「だって私、【フォーゼ】の怪盗ラビリーのファンだもん」
「それだけ? つーか、お前、【フォーゼ】やるの?」
意外極まりない趣味の独白だな。
「うん! 大ファンですっ!」
目をキラキラさせて頷く一ノ瀬に大きなため息を吐く。
だからって【フォーゼ】好きってだけで種族を選択するなど俺でもしねぇぞ。まあ、そもそも俺には選択肢が与えられていないこともあるわけだが。
しかし、ある意味でこの種族はこの上なく使えるぞ。何せ、俺が今日、一ノ瀬を見つけられたのは予告があったからに過ぎない。もし、何の通告もなければまず特定は不可能だった。そして、この能力があれば、奴らを社会的に抹殺できる。
「一ノ瀬、俺から提案があるんだがいいか?」
「提案?」
「そうだ。奴らは死者を、俺の爺ちゃんを侮辱した。その顔に唾を吐きかけたんだ。俺は奴らを許さねぇ。違うな、俺のこの魂が許せねぇ」
俺は胸に親指を当てつつもそう宣言する。
「だ、だが相手は関東最大の反社会的勢力――極門会だぞ!!」
黒スーツの一人がたまらず裏返った声を上げる。
「関係ねぇさ。俺の唯一の危惧は、奴らの正当性に基づいて警察に泣きつくことだけだしな」
「……あんた絶対、イカレてるよ」
黒スーツの一人が白昼幽霊でも目にしたかのような顔で俺を凝視しつつも、ボソリと呟く。俺の言は極門会を俺一人でどうにかできると言っているに等しい。それはそうかもな。
「話を続けてよ、先輩! 提案って何?」
「俺と奴らを潰すのを手伝え。来週の土曜日が決行日だ」
「来週の土曜……でも私戦闘なんてできないよ?」
悔しそうにそう告げる一ノ瀬。ヤバいな口端が自然に上がっちまう。そうだ。そうだよ。俺は今、丁度おあつらえ向きの施設を有しているんだ。
「心配いらん。俺に考えがある。くくっく……シャバにこれ以上いたくないと泣いて懇願するほど徹底的にいたぶってやるぞ。うふふ……」
元々俺は容姿同様、性格がすこぶる悪いのだ。それに奴らは反社会的勢力。己がしてきたのと同様の狂気に晒される覚悟くらいできるはずだ。特に最近俺はこのクソみたいなシステムのせいで、ストレスがたまりまくりだし、その八つ当たりの玩具くらいになってもらわねば割に合わん。
「先輩、マジでその顔止めなよ。悪魔が悪巧みしているようで、ドン引きなんだけど」
頬をヒクつかせている一ノ瀬を尻目に、
俺の自宅に到着してからキッチン向かって二人と一匹分の餌を作る。一ノ瀬の奴が朝から何も食べていないとほざくから、急遽作ったのだ。
「で、先輩、この人、誰?」
一ノ瀬の隣で今も飯をがっついている黒髪の女に視線を向けて尋ねてくる。
「妾は仁愛の女神――クロノじゃ。よろしくの」
右手のフォークで肉を口に含みながらも、左手を軽く上げて挨拶をする。クロノ、お前、また二つ名変わっているぞ……。
「は、はあ……」
どうリアクションをとっていいのかわからない。そんな様子だな。
「クロノ、猫の姿に戻れ」
「えー、妾、まだ食べ途中なのじゃ! 着替えるの面倒じゃし」
不満を垂れ流すクロノの前の皿を取り上げると、
「アキトめ、地獄に落ちろ!」
怨嗟の声をあげつつも、その姿を猫へと変える。
あんぐりと大口を開ける一ノ瀬に、
「そういうわけだ。こいつは妖怪猫。即ち、物の怪の類さ。どうも最近、取りつかれてしまって――」
事情を端的に説明してやるが、
『だれが物の
俺の前に跳躍すると爪を立ててバリバリと顔を引っ掻いてくる。
「何しやがる!!」
『やるか! 妾は構わんぞ!』
俺が激高し馬鹿猫もそれに応じてファイティングポーズをとり、シャドーボクシングを始めた。
「ぷっ!」
一ノ瀬は吹き出すと、腹を抱えて笑い出してしまったのだった。
ようやく爆笑モードに入っていた一ノ瀬が落ち着いたところで、最近俺に起こった事情を話せる部分だけ抜粋して説明する。
「先輩の家の庭にダンジョンが出現したと?」
「ああ、そうだ。一ノ瀬、くれぐれも――」
「わかってる。私ってそこまで恩知らずじゃないよ」
隣に座り、今も無限とも思える胃袋に料理を放り込んでいるクロノの髪を撫でていた。
どうやら、一ノ瀬の奴、クロノがツボにはまってしまったようだ。クロノが女専門の超絶ビッチ猫だということは言わぬが華かもしれんな。
「とりあえず今からこの金をお前の実家に届けろ」
「本当にいいの?」
「うむ、それが最も高い効果が望めるからな」
俺の場合、返済期限まであと9日あるのだ。俺が返済できると言い切っている以上、奴らはそれまで行動に出る意義に欠ける。問題は期限が明日で切れる一ノ瀬家の方だ。
借金の額は1億5000万円だが、この金があれば期限をあと一か月伸ばさせることも可能だろう。一応、奴らが強硬手段に打って出てきたら、『蒼麗玉』を渡させればいい。
「でも、このお金って先輩のこの敷地の――」
「極門会はどうせ次の土曜日に跡形もなく解体される。存在しない奴らへの返済など考える必要はねぇさ。それにこの金は後で奴らからしっかりと取り立てるからな」
もちろんしっかり利子を付けてだ。骨から皮、臓腑に至るまで食い散らかし、しゃぶりつくしてやる。
「これでは、どっちが悪人がわかったもんじゃないの」
クロノの皮肉に乾いた笑いを浮かべながらも、
「でも、わかったよ。ありがたくこのお金、使わせてもらう。それで、私に手伝って欲しいこととは?」
一ノ瀬はそう尋ねてくる。
「言ったはずだ。今のお前は弱いと。今から一週間、ミッションに耐えられるレベルまで実力を引き上げる必要がある。ここに寝泊まりして俺とともにダンジョンに籠って修行してもらうぞ」
「へ? 私にここに住むの?」
「そうだ」
「会社もここから?」
「ああ、そのつもりだぞ」
「えーーーーーーーーーっ!!?」
一ノ瀬は頬に両手を当てると、劈くような絶叫を上げたのだった。
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