第16話 挑戦状 雨宮梓 

「ただいま」


 タクシーから降りて家に入ると母と妹が血相を変えて玄関口まで駆け寄ってくる。

 あの魔物に襲われた日から、家族、特に母と妹は終始こんな調子だ。梓としても今回の飲み会は先輩が出ないなら、出席するつもりはなかった。

 それから二人からありがたい説教を受け、お風呂に入ってさっぱりした後、今自室のベッドに仰向けになっている。瞼を閉じるが、アルコールが入っていて身体は大層気怠いのに頭だけが妙に興奮してまったく寝付けない。その理由は考えるまでもなかった。


(ボクは、遠足が待ち遠しい小学生かっ!!)


 そう自嘲気味のツッコミをしてみるが、まったく笑えないことに気付き毛布を頭からかぶる。人生初の異性とのデートで寝られなくて目を腫らせて行くなんてどんな罰ゲームだろうか。是非とも最低限の睡眠時間は確保しなければならない。

 瞼を固く閉じたまま、ベタに羊の数を数える。


 丁度瞼の中で、500匹目の羊が牧場の柵をジャンプしたとき、


「ダメだ。まったく眠れない!」


 たまらず、梓は飛び起きていた。こうなってはどうやっても眠れない。

 仰向けになって、真っ白な天井を眺めながらも脇の隅に点滅する矢印をぼんやりと眺めていた。

 これはある日、突如人類の前に提示された種族選択の啓示。この種族の選択拒否は許されず、もし選択しなければ自動的に決定されてしまう性質のもの。

慎重に矢印に触れるとテロップが出現する。


―――――――――――――――

◆種族を決定します。以下の三つから選択してください。

・超一流の科学者(ランクE――人間種)

・エルダーエルフ(ランクE――人間種)

・ニンフ(ランクD――天種)

―――――――――――――――


 選択余地などない。『超一流の科学者』を選ぶべきだ。依然として人間の範疇にとどまれるし、何より元々、梓は三度の飯よりも研究が大好きなのだ。己の研究に少しでもプラスになるのなら迷う余地などない。

 家族会議でも種族について散々話し合った結果、最も人間に近いものを選択することを既に決定している。

 両親や妹には、『超一流の科学者』の存在を既に伝えており、梓はこの種族を既に選択していると思っている。当の梓もそのつもりだった。でも、なぜか、選べなかったのだ。

 気怠い体に鞭打ち、子供机の前にある椅子に腰を下ろす。この机は小学校の入学祝いに両親に買ってもらってからずっと使用しているもの。一時期を過ぎると梓の身体の成長はピタリと止まってしまいこのまま使用しているのだ。

 机の上のPCを起動し、ネットで『ニンフ』の検索をする。


 『ギリシャ神話に出てくる下級女神ないしは妖精。若く美しいあらゆる男性が望む官能的な女性の姿をとる。神々に愛され、時に人に恋をして惑わせる』


「若く美しいあらゆる男性が望む官能的な女性の姿か……」


 言葉を口にした途端、急に今までの己の一連の行為に急に強烈な羞恥心が沸き上がり、慌ててノートパソコンを閉じる。


「な、何やってるんだ、ボクは!?」


 梓は今の今まで己の幼い容姿にコンプレックスなんて抱いたことはない。人の外見など十人十色。良い者もいれば、あまり一般受けのしない者もいる。きっと梓の容姿は後者なのだろう。そうずっと思ってきたし、それについて引け目など微塵も覚えてはいなかった。

 だから、説明不能な己のこの合理性皆無の一連の行動に強烈な戸惑いを覚えていたのだ。


「もう寝よう」


 ベッドにダイブし再度毛布を再度頭から被り、目をつぶった。



 けたたましく鳴る目覚まし時計に起こされて起きたのは、先輩との待ち合わせ時間のなんと1時間半前だった。移動に1時間はかかる。今から支度をしてギリギリの時間だ。半分泣きべそかきつつもいつもの私服に着替える。

 黒色のズボンに長袖の真っ白のシャツにネクタイを締めベストを着こむ。そして帽子を被れば完成だ。

 立てかけた鏡の向こうの自分は、両親に連れられて冠婚葬祭に出席する少女にしか見えまい。誰も人生初めての異性とのデートだとは夢にも思わないだろう。

 それでも、梓の小さな体格に合うような大人用の服などない。スーツや白衣同様、オーダーメイドで特別に作ってもらうしかないのだ。市販のもので梓の身体にピッタリ合う服は決まって、小学生高学年の子供が着るような幼いものばかり。そんな服装でデートに行くくらいなら着慣れた私服の方がよほどよい。


「梓、どこにいくの?」


 階段を駆け下りると、キッチンからできてた母が、焦燥たっぷりの質問を投げかけてくる。


「ちょっと気分転換してくるよ」


 そう返答すると玄関で靴を履いて家を勢いよく飛び出した。


 梓が自宅の玄関口から出たとき、


「ちょっといいかな?」


 雨宮家の表札の前で佇んでいた黒髪ツインテールの女性に声を掛けられた。


(この子、確か営業部の?)


 この女性には覚えがある。確か秋人先輩の後輩の子だ。研究開発部の男性職員たちが噂をしていたから覚えている。阿良々木電子でもトップクラスで人気の女性だが、過去の騒動で上司たちに睨まれており声が掛けづらいんだとか。


「研究開発部の先輩に住所を教えてもらったわ」

 

 形の良い細い眉根を寄せつつも、梓をその黒色の瞳で射抜いてくる。こんな状況は苦手――いや、というより初めての経験であり、ゴクリと喉を鳴らす。


(あのひと、また勝手なことをして!)


 研究開発部は基本、梓と同様に人見知りがほとんど。その中で営業部のしかも、今噂の新人女性と関わりがある人物など一人だけ。梓たち研究開発部の部長だろう。

 

「私は営業部の一ノ瀬雫いちのせしずく。突然、押しかけてごめん」

「い、いや……」


 しばし、一ノ瀬雫は梓の全身を凝視していたが、口元を緩ませると、


「男の子みたいで可愛いね」


 今一番、梓が口にして欲しくない感想を口にする。


「大きなお世話さ。君は馬鹿にするためわざわざ、ボクの家まで来たのかいっ!?」


 そんな梓の憤怒の叫びが聞こえているのかいないのか、


「反則だなぁ、その可愛さ。狙ってやってないところが特に……」


 肩を竦めて頭を左右に振る。


「君は――」

「私ってさ、ずっと女子高、女子大で社会に出るまで、男性経験はおろか男の人と深くかかわったことすらなかったんだ」


 梓の怒りの声を遮るかのように、一ノ瀬雫は身の上話をし始めた。


「なんの話を――」

「だから無防備だったんだと思う。上司に手を触られたり、肩に腕を回されたりすることも社会人としてのスキンシップだと思い込んでしまったの。結局次第にエスカレートしてしまってさ、課長や女性の先輩に相談しても社会人なら我慢しろ、そんなことを言われるだけだった。

 あのとき、毎日が嫌で嫌でたまらなかった。遂に、我慢に限界がきて、もうこんな会社やめてやる、そう思ったとき先輩が助けてくれたんだ」

「先輩?」

「うん。アキト先輩に今月で会社を辞めると伝えたら、海外に単身赴任中の上司の奥さんに連絡を取って事情を説明してくれてね。奥さんが会社まで殴り込んできてくれて上司は今までのことにつき私に頭を下げて、もうしないと誓ってくれた」


 丁度、昨日の飲み会でも噂に上っていたから概要は梓も知っている。

 なんでも、営業部の彼女の同僚社員が、阿良々木電子の次期社長とも目される常務のセクハラにつき、香港に単身赴任中だった常務の奥さんに相談。結果、その奥さんがわざわざ海外から会社まで乗り込んできて、常務をフルボッコにして、その女性社員に無理やり頭を下げさせたとか。常務からは他の女性社員も同様のセクハラ被害があり、皆ほっと胸を撫でおろしたといっていた。


「それから当然に上司に睨まれて何度も辞めようかと思ったけどその度に先輩が助けてくれたの。まあ、最後なんて滅茶苦茶わかりにくかったけどね」

 

 ペロっと舌を出す一ノ瀬雫に、

 

「そんな昔話をボクにする意味は?」


 そんなわかり切ったことを彼女に尋ねていた。


「私はアキト先輩が好き。今回の件でようやくそれに気づいたんだ。だから、これは貴方への挑戦状」

「……」


 予想通りの彼女からの宣言に、梓はカラカラに乾いた喉を鳴らすだけで口を開くことすらできない。


「絶対に貴方には負けない!」


 意を決したような面持ちでその言葉を叫ぶと一ノ瀬雫は走り去ってしまう。

 しばし、玄関前で突っ立っていたが、ようやく足を駅前に向けて動かし始めた。



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