第8話 親睦会

 俺が飲み会に参加する際は、決まって裏方である。店に追加の注文をしたり、空の瓶やら皿などを下げたり、そして――。


「大丈夫かぁ?」

「はい」


 今年入社したばかりの社員の介抱だ。

 現在、男子トイレに籠って出てこない社員に生存確認している最中。

 中村の奴、大学を卒業したての奴に無理に飲ませているようだ。元体育会系だか何だか知らんが酒に慣れてもいねぇ奴に、無理に飲ませんなよ。お前、何年会社にいるんだよ。


『ゲロと酒の匂いで鼻が曲がるのじゃ……』


 クロノが器用にも子猫の姿で鼻を抑えながらも素朴な感想を述べる。


「まったくだ」

「ご苦労様」


 斎藤さんが入ってくる。どうやらやっと終わったか。


「一応二次会があるんだけど?」

「俺が行くと思います?」

「いんや」

「こいつら家に送り届けて俺はそのまま直帰します」


 会計の斎藤さんに飲み会の代金を渡すと、完璧にグロッキーになった新入社員の肩を担いで運び出す。

 

 若いってのはいいもんだ。外に出て渡したスポーツドリンクを飲み干した時には全員どうにか歩ける程度には回復していた。


「秋人先輩!」


 ほんのり頬を赤く染めた雨宮が俺の傍までトテトテとかけてくる。そのおぼつかない足取りからも、珍しく酒を飲んだようだ。次の日、頭の働きが低下するのが許せないとかで飲み会でも、雨宮は酒を滅多に飲まない。珍しいこともあったもんだ。

 香坂秀樹もこちらに近づいてくる。その苦虫を潰したような顔から察するに、早くお邪魔虫は消えろとでもいいたいんだろうな。

 しかし、雨宮は見たところもう撃沈寸前だ。お子ちゃまは、お家に帰る時間だろうさ。


「雨宮、お前はもうタクシーで家に帰れ」

「勝手なことを言うなっ!! 彼女は僕らと二次会に――」

「うん、わかった。ボクは帰るよ。じゃあ、先輩また!」


 雨宮は上機嫌に目を細めると、香坂秀樹の言葉を遮るように俺に軽く左手を上げる。


「ちょっと梓ぁ――」


 慌てふためく香坂秀樹など歯牙にもかけず、雨宮は道路で右手を高く上げてタクシーを拾って乗り込んでしまう。おいおい、恐ろしく淡泊だな。まともな挨拶すらしなかったぞ。こいつら本当に付き合ってるんだろうか? それとも倦怠期ってやつか?


「貴様――っ!!」


 再度、俺にくってかかってくる香坂秀樹に、

 

「秀ちゃーん、早く二次会にいこうよ!」


 奴の取り巻きの女性社員が勢いよく香坂秀樹にタックルするとその腕にしがみ付く。

 親の仇でも見るかのような目で睨まれながらも、奴は部長たちの集団へと戻って行く。

 さて俺も帰るとしよう。丁度やってきたタクシーを停めるべく右手を上げようとすると背後から軽く服を引っ張られる。


(藤村君、君、ほとんど飲んでないだろう? 今から我らだけでまったりと飲む予定なんだ。一緒に行かないかい?)


 耳元で囁く斎藤主任に、


(せっかくのお誘いですが、今日は疲れましたので俺はこれで)


 頭を下げて今度こそ脇を通り過ぎようとするが、


「行きましょう!」


 駐車場の時と同様、一ノ瀬が強引に俺の右腕に腕を掛けると、強引にグイグイと引っ張って行く。



「ひっぱたいて御免なさい」


 案の定、一ノ瀬から頭を下げられる。この古参の面子が事情を話したんじゃないかと思う。気持ちは嬉しいが、営業部内で逆に軋轢を生む危険性があるぞ。

 俺の批難の視線に斎藤主任は肩を竦めると、


「大丈夫。話したのは彼女にだけだよ」


 力強く言い放つ。それが一番問題なんだがな。


「そうそう、今は乾杯しよう! 正直、碌に飲んでないのよ」


 この中で最年長の女性社員が乾杯の音頭を取り、俺は今日初めてのビールを喉奥に供給する。



 現在午後の11時。会社の不満を垂れ流しながらも酒をかっ食らう。まあ、予定調和のごとく俺と斎藤主任が、一ノ瀬達の不満を聞くはめになったわけだが。


「そろそろ、締めにしませんか?」

 

 既にメンバーは俺と斎藤主任、一ノ瀬だけとなっている。


「そうだね」

「まだまだ、飲めまりゅ!」

「はいはい、酔っ払いは黙ってな」


 呂律さえ回っちゃいないし。


 会計を済ませて店を出ると、


「ごめん、私も今日中に帰らないと妻がうるさいんだ。彼女を頼むよ」

「ちょ――」


 斎藤主任はシュタッと右手を上げて、俺の制止も聞かずに人込みに姿を消してしまう。

 相変わらず勝手な人だ。内心で舌打ちをしながらも、タクシーを拾うと泥酔した一ノ瀬から何とかアパートの住所を聞き出す。


 一ノ瀬のアパートは郊外にある地上七階建てのアパートの最上階。しかも、魔物騒動でエレベーターが故障中。まったく踏んだり蹴ったりとはこのことだ。


 今、一ノ瀬を背負いながらも階段を昇っている。ステータスが阿呆みたいに向上した結果か、一ノ瀬の身体は羽のように軽かった。


「ねぇ、先輩?」

「ん?」

「ほんとにごめんね」

「微塵も気にしてねぇよ」


 事実、女子にひっぱたかれた程度で心を痛めるほど俺は繊細にできちゃいない。


「でも、面倒な女だとは思ったでしょ?」

「まあな」

「あー、随分、あっさりと肯定したよね?」

「当然だ。真実だからな」

「そうだよねぇ。あのセクハラ騒ぎのときも先輩に助けてもらったし、よく考えたら先輩には迷惑かけてばっかじゃん。そりゃあ、面倒にもなるか……」


 自嘲気味な台詞を吐きだしながらも、一ノ瀬はカラカラと笑う。


「反省してるなら、もっと上手く世の中を渡って行く方法を学べ。見ていてすこぶる危なっかしいぞ」

「心配はしてくれてるんだぁ?」

「それも違うぞ。俺はお前に辞められちゃ困る。だから助けたし、気にかける。それ以上でも以下でもねぇよ」

「なんで、辞められちゃ困るの?」

「俺の仕事が増えるからだよ」


 即答すると背中から大きなため息が漏れる。


「そこは嘘でもお前が必要だとか言ってほしかったな」

「一応必要だぞ。むろん、労働力としてだがな」

「もう、先輩、いつも一言多いんだもん」


 それ以来再度、一ノ瀬は押し黙る。


「雨宮梓、可愛い子だよね?」

「そのようだな」

「先輩、今珍しく本心を述べたよね?」

「かもな」

「あの可愛らしさに、世界でもトップクラスで頭もいいんでしょ? ホント神様って不公平だよ」


 寂しそうに呟く一ノ瀬に、


『ほほーう。エンジェルの良さに気付くか。中々、見所があるではないか。やはり、その美しき容姿同様、そこの不埒で醜悪な野獣ケダモノとは一味違うようじゃな』


 馬鹿猫は、一ノ瀬につき称賛の声を上げる。まあ、半分以上は俺をディスっている内容だったわけだが。


「他人を羨んでもいいことねぇよ。世の中、ドラマや漫画のようにはいかねぇもんさ。自身が持ってないものを求めるな。それはきっと死ぬほど辛いし、何よりきりがねぇぞ」


 一ノ瀬はしばらく沈黙しいてたがカラカラと笑いだす。


「こんなとき普通なら、『お前にも可能性がある。キリッ!』って諭す場面なんじゃん?」

「そういう慰めを求めてるならあとで彼氏にでも存分にしてもらえ。俺に期待すんじゃねぇよ」

「なんか先輩らしいなぁ」


 さて、そろそろ、最上階だ。

 階段を登り切り701号室の表札を確認し、俺は一ノ瀬を下ろす。

 一ノ瀬は鍵を開けると扉を開けて、


「上がっていってよ。飲み物出すからさ」

「いんや、今日は少々疲れた。俺はここで帰る。戸締りはしっかりとな」

 

 右手を上げて、階段を降りようとする俺に、


「ちょっと待って!」


 いつになく必死な一ノ瀬に右手首を掴まれる。


「ん? まだ用か?」

「先輩、最近知ったけど、私ね、結構悪い女なんだ」

「ほう、唐突な独白だな」

「うん。だからね――」


 一ノ瀬は俺のネクタイを引っ張り、俺の顔を引き寄せるとその小さな唇を俺の唇に押し付けてきた。


「……」


 ただの子供のような唇同士の接触。その初めての感触に脳髄に電撃が走る。そして感覚の暴走とは相反し、頭は真っ白になり全身微動だに出来ない。

 一ノ瀬はゆっくりと俺から離れると、両手を後ろに組んで、


「先輩、私の今の行為の意味わかる?」


 リンゴのごとく真っ赤に顔を紅潮させつつも、俺の顔を除き込むように上目遣いに尋ねてくる。


「う、うむ……」


 正直微塵もわからなかったが、どうにかその言葉だけを吐き出す俺に、クルリと背中を向けて、


「私これで決心がついたよ。あの子には絶対に負けない。だから――」


 意味不明な言葉を吐き出すと、まるで逃げるように一ノ瀬は部屋に飛び込んでしまった。


『あり得ん……あり得んのじゃ! こんな悪魔のごとき邪悪な外見の男に、なぜこんな可憐な乙女たちが――』


 しばし立ち尽くしていたが、クロノの驚愕にどこか動揺の含んだ声が俺の頭の中に反芻する。

 ようやく俺も覚醒しのろのろと帰路につく。

  

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