第2話 久々の出勤

「なんでお前までついてんくんだよ?」


 俺の肩に乗りつつも、車の窓ガラスから外を眺めているビッチ猫に半眼で尋ねる。


『仕方あるまい! そなたと一定距離を離れぬことがルールらしいからのぉ』


 ビッチ猫は、心底忌々しそうに答えた。あのな、ついてこられては困るのは俺の方なんだがね。


「俺の会社は、ペット持ち込み禁止だぞ?」

『ペットとは無礼なっ! わらわ聡慧そうけいの女神と言っておろうがっ!!』

「いや、お前、さっき、自分を慈愛じあいの女神って言ってなかったか?」

『……』 


 はーい、根拠なしね。ありがとうございました!

 不貞腐れたように、右頬に猫パンチを食らわすクロノ。鬱陶しいし、今後は無益な突っ込みはしないのが吉かもな。


「それより、俺からどのくらいまで離れられるんだ? このままついてきても門前払いになるだけだぞ?」


 それに、職場に野良猫連れてきてるなんて知られれば、あのクソ共に何言われるかわからんし。


『ふん! 心配いらん。妾は神ぞ! 通常、妾から関わらんと思わん限り、認識などできんのじゃ!』


 自信たっぷりの発言からもそのくらいは信用してやるさ。


「それはお前の能力か何かか?」


 空間を無視したダンジョンやスキルなどというネット小説でありがちな力が出現する世界だ。もはや妖怪ビッチ猫の不思議能力一つで一々驚き等しないぜ。


『だから、神の奇跡と――』

「わかった、わかった、自称駄女神めがみさま、わー、マジですんごーい、すごいー(全て棒読み)」

『ぐぬぬ、そなた、信じておらんな?』

「いんや、当の本人がいうんだし間違いないんだろうさ」


 もし、嘘だったら見捨てるだけだしな。その際は、妖怪モフモフお化けどもにプレゼントしてやる。

 心配するな。とってくわれりゃしない。せいぜい、毎晩毎夜、奴らの玩具となるだけだ。


『そうか、そうか。ならばよし!』


 先ほどとは一転ご機嫌となり、車の窓から外の景色に視線を移す。



 会社の駐車場まで止める。


「しかし、どういうことだろな?」

 

 ここ堺蔵さかえぐら町は大都市への利便性も高く、通常平日の朝ともなれば通行人でごった返している。それがいつもの半分もいない。

 しかも、駅前のスクランブル交差点には、動物の付け耳、尻尾、翼などを生やした人たちや、犬や猫、ヤギ、鳥などの妙にリアルな被り物をした人物が稀だが見受けられ、他の通行人の注目の的となっていた。

 ハロウィンって確かまだ先だよな。仮装する祭りでもあるんだろうか? 

 まあ、いい。会社で黙って座席についているだけで、嫌でもミーハーな女性社員たちから俺が知りたい情報は得られるはずだ。



 俺の仕事場である第一営業部のフロアに足を踏み入れて、ぎょっとして立ち止まる。

 当然だ。三分の一ほどが動物や鳥などの付け耳、尻尾、翼などを身に着けていたのだから。

 流石に会社まで祭りの余波があるとは夢にも思わなかった。というか、あの堅物の部長がこんなの許すはずが――。

 部長の席に顔を向け、その到底あり得ない光景を網膜が認識し、思わず吹き出しそうになった。

 視線の先には、中年のおっさんが一人。でっぷりとした体躯に、脂ぎった顔つきにバーコードの髪型。どの角度から見てもいつもの部長だ。そう。あの付け耳さえなければだがな。


『あの者の耳、壮絶に似合わんな。というか無茶苦茶気持ち悪いぞ』


 ビッチ猫に同感だ。おっさんが無理にメルヘンチックに仮装するとああなるのだろうな。俺以上に滑りまくっている。本人もそれを肌で感じているのか、相当イラついているようだ。

 いやならはずせばいいのに。結構な数がしているようだし、社長や専務に命じられでもしたのだろうか。

 ともかく、これ以上の詮索は百害あって一利なしだ。関わらぬが吉。

 俺は可能な限り部長には視線を向けず、席に荷物を置くと腰を下ろす。



 しばらく近くの女性社員の会話に耳をそばだてていてようやくこの異常な風景の理由がわかった。

 即ち――この《カオス・ヴェルト》とかいうシステムのクラスチェンジにより種族が変化してしまった結果のようだ。

 昨日の午後1時すぎから世界中の人々の目の前にテロップが出現し、忽ち上を下への大騒ぎへと発展してしまう。

 政府が緊急会見を開きこれは、全人類共通の現象であることの報告と既に総理と閣僚は全員種族選択を終えた旨を宣言される。

 『赤信号みんなで渡れば怖くない』的な集団心理が働いたんだろう。それを契機に大衆の興味はいかに有利な種族を決定するかと未知の概念であるステータスへと変わっていったようだ。

 さて、そろそろ仕事を始めるか。ぼさっとしているといつものように面倒な奴に絡まれるしな。


「おい、藤村ぁ!」


 振り返ると190cmはある長身巨躯の男が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら佇んでいた。

 このゴリラは中村和人、一応俺の先輩にあたる。上野課長の腰巾着であり、課長に大層嫌われている俺に頻繁に絡んでくるウンコ野郎だ。


「なんです?」

「お前、もう種族を選択したのか?」

「はあ、まあ、一応」


 種族名はチキンハンターという意味不明なものだけどさ。


「そうか、その割に変化はないようだな?」

「そういう先輩は、少し見ないうちに大分印象が変わりましたね?」


 基本的な顔の造形は大した変化はないが、体躯はより筋肉質で一回りでかくなっている。そしてそれよりも大きな変化が黒色の耳と尻尾だろうか。


「ああ、俺はドーベルマンの獣人を選択した。どうだ。この毛並み。素晴らしいだろう?」


 中村は、ワイシャツのそでをたくし上げて黒色の獣毛を見せつけてくる。

 俺といえば、そんな中村の自慢げな様子に目を白黒させていた。

 いくら日本の権力者たちが真っ先にクラスチェンジをして、それをマスコミが全力で後押ししようが、今までの自分を止めるには違いない。これからの未来に強烈な不安を覚えてしかるべきなのだ。なのに、中村からは、そんな悲壮感のようなものは一切感じられやしなかった。


「よく決心つきましたね?」

「ああ、正直、結構迷ったがな。選択してみたら不安は嘘のように吹き飛んだぞ。著しく向上した身体能力! そして見ろよ! この美しい上腕二頭筋っ!!」


 中村は、周囲に見せつけるように力瘤を作る。

 そういやこいつ筋トレが趣味で、大学ではボディビル大会に出場し地区大会で準優勝したとも言っていたな。理解は微塵もできないが、中村にとってクラスチェンジで今までの己を止めることよりも、理想の肉体を得る方がよほど価値のあることだったのかもしれない。

 ともかく奴の腕力は実際に相当なものだ。特に飲み会等では直ぐに腕相撲をしたがり、俺達後輩は、よく数日手が使い物にならなくなることなどざらだ。

 まあ直情的で単純だから、中村だけならさして害があるわけではない。最悪なのはこいつが腰巾着として振る舞う人物にある。


「あれ~、おかしいなぁ。それは君の仕事じゃなかったのかなぁ?」


 短い髪の三十台後半ほどの男が、不精ひげを摩りながらも、目の前で泣きそうな顔で俯いている二十台前半の黒髪をツインテールにした女性社員を細い目で眺めていた。

 あいつだ。あの根暗野郎と自称体育会系中村、さらにお局様的女性社員が合わさるとある意味、最悪の化学変化を引き起こす。

 

「で、でも課長にお渡した資料には本日まで決裁をお願いますとの付箋を貼っていたはずです!」

「ふーん、おかしいなぁ。そんなものなかったよ」

「でも、私は確かに――」

「付箋なんて貼られていなかった。課長が言うんだからそれが真実。それとも君は、課長がわざと付箋を捨てたとでも言うつもりか?」


 髪を後ろでお団子にした30代半ばの黒髪の女が、眼鏡のフレームを人差し指で上げながら腰に手を当てて威圧的な視線を向けていた。

 あの眼鏡は坪井。下の名前は興味がないのであえて記憶から消し去っている。

 新人潰しの坪井。何がそこまで坪井に新人に対し厳しい態度をとらせるのかは不明だが、坪井は誰であっても等しく新人に対して冷淡だ。こいつのせいで、俺が知る中でも十人を超える新入社員が辞めてしまっている。

 特に上野課長の信望者であり、奴が白といえば例え黒であることが一目瞭然だとしても白だと信じて疑わない狂信的な性格も併せ持つ傍迷惑な奴だ。

 まあ、辞める方は気楽なものだ。もう二度とあのお局や根暗野郎どもに顔を合わせなくていいんだからな。実際のところ、一番割を食うのは業務が増える俺達古参社員のわけだが。


「そ、そんなこと言ってはいません……」

 

 益々声は小さくなり、俯き気味になるツインテールの女性社員――一ノ瀬雫いちのせしずく

 あーあ、ダメだな。このままじゃ一ノ瀬も辞める。そうなりゃまた仕事が阿呆みたいに増えて俺の余暇が削られる。面倒だ。マジで面倒だ。


「あー、そういや、付箋らしきものが床に落ちてたので、俺、ゴミだと思って捨てましたわ」

「は?」


 ツインテールに向けていた以上の眼光で俺を射抜く坪井。


「俺、ゴミだと思って付箋ふせん捨てましたわ」

「繰り返せって意味じゃないっ!」


 キンキンとよく響くヒステリックな声を張り上げる坪井に、俺は耳をほじりながらも、


「俺が捨てました」


 再度繰り返す。長い付き合いだ。俺にはどんなイビリも意味をなさない。それはこの女が身に染みて知っていることだ。

 上野課長は目を尖らせて暫し俺を凝視していたが、


「藤村、この件は部長に報告しておく。覚悟しておけ」


 舌打ちをし、そう言い放つと窓際の部長の席へ向かう。


「藤村、ちょっとこい!」


 中村に後ろ襟首を掴まれ、別室に呼び出されて散々すごまれたが、別に暴力を振るわれるわけじゃないし俺にとっては馬の耳に念仏状態だった。

 個室から廊下にでると、


『まさか、そなたが女性を助けるとは! 下種なそなたにも心というものがあったようじゃな』


 このビッチ猫、さっきから俺の肩に乗っているが誰も気づきもしない。その存在を認識できないというビッチ猫の言葉もこの点では真実だということらしい。

 ビッチ猫の言葉に返答せずに、己の席に戻ろうとすると、ツインテールの女性社員――一ノ瀬が凄い形相で俺を睨んでいた。

 面倒なので通り過ぎようとすると、


「藤村先輩、ちょっといいですか?」


 強い口調で肩を掴まれる。


「ん?」

「付箋の件、なんでもっと早く名乗り出なかったんですか!?」

「何でって、うーん、面倒だったから?」


 俺の左頬に打ち付けられる一ノ瀬の右の掌。ほんと、面倒な女だ。


「先輩だけは信じてたのにっ!」

「それは残念だったな」


 悪いが俺はそういう人間だよ。俺の行動指針はいつも自分がどう楽できるか。それにつきる。そしてそのことは、この営業部の誰もが知っている共通認識。そんな俺に人間性なんて求めんなよ。


『少しは事情を説明すればよいものを』


 クロノの僅かな憤りを含有した声を浴びながらも、再度、己の席へと足を進めた。

 

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