第1章 狐面のヒーロー編
第1話 妖怪猫との出会い
――じゃ!
ブラックアウトしていた真っ暗な意識に次第に色、音、感触が出現してくる。まるで深い海底から海上に向けて浮上するかのように、俺の意識はゆっくりと現実へと混じり合う。
――きるのじゃっ!
鬱陶しくも俺の頬をペチペチと叩く小さい手に、俺は寝がえりを打つ。
どこの誰だか知らんが、こんな朝っぱらから傍迷惑な奴! 俺達サラリーマンにとって朝の30分がどれほど貴重かわかってんのか!?
再び微睡へと帰還しようとすると、頭頂部に鈍い痛みが生じる。
――いい加減、起きるのじゃっ!
俺は左手でハエを追い払うかのように痛みの元凶である後頭部を振り払う。
――ぐぇっ!
踏みつぶされた蛙のごとき声に、満足げに口角を上げて再度微睡への逃避行を敢行しようとする。
『起きろっーー!!』
耳元での鼓膜を震わせる大音声に、顔を顰めながらも瞼を開けると視界に飛び込んできたのは俺の胸でお座りしている一匹の黒い子猫。あの異種族、武闘派ゴリラをも悩殺した――。
「おう、ビッチ……猫?」
『誰がビッチ猫じゃっ!!』
顔面に猫パンチをくらって目を白黒させつつも、
「ね、猫がしゃべってやがる……」
そんな身も蓋もない今更な感想を口にしたのだった。
ビッチ猫から一応の説明を受ける。要約すると以下の通りだ。
何でもビッチ猫は、どこぞの女神であるが、気が付いたら子猫の姿となってあの檻の中へ入れられていた。そして俺のゴリアテ討伐直後、俺のサポートを義務付けられたらしい。
正直、こいつの発言には妄想が入り過ぎていて微塵もついていけない。第一、自分がどこの女神かも覚えてないときた。色々、胡散臭すぎんだろ。
『そなたのすっからかんの脳みそでも理解できたか?』
「んー、まあ」
この黒猫がクロノという名の妖怪ビッチ猫であること、このイカレたゲーム運営者により、俺の補佐を命じられたことだけはわかった。ほんと、それだけなわけだが。
『そうじゃろう。そうじゃろう』
得意げに何度も頷くビッチ猫。
「で? 実際のところ、お前は何ができるんだ?」
事実上、それが今一番知りたい事だ。
仮にも死にかけたんだし、是非とも役に立ってもらいたいものだ。
『……』
そんな俺の期待の籠った問に、気まずそうに眼をそらすビッチ猫。
「まさかドヤ顔で補佐してやるとかほざいといて、己が何をできるのかも知らないと?」
『仕方ないじゃろ! 情報がまったく与えられておらなんじゃし……』
拗ねるかのようにビッチ猫は、そっぽを向く。めんどくさい猫だ。
どうせなら、補佐はボンキュッボンの絶世の美女にでもしてくれればよかったのに。気が利かぬ運営だ。
スマホを取り出して日時を確認すると、10月5日(月曜日)午前6時30分と表示されている。
マジか。今日から復職だぞ。もう30分しか時間的余裕がない。早く地上へ戻らねぇとな。
部屋をグルリと見渡してみると部屋の奥に下層の階段はあるが、この部屋へ侵入した上層への階段は閉じたままだった。
おいおい、ちょっと待てよ! このままでは地上に戻れないぜ!
「くそ、電波が通じねぇ!」
スマホを開くと案の定、電波は圏外になっていた。
このまま無断欠勤が数日間続けば、ブラックの代名詞のような俺の会社じゃなくてもクビになっちまう。
全身の血液が冷え渡るような悪寒の中、咄嗟に部屋をもう一度精査してみると、丁度クロノの檻が置かれていた部屋の中心に高さ20㎝、半径1mほどの円柱状の構造物が出現していた。
これがゲームに似せているのなら、きっと地上への帰還方法があるはずなんだ。だとすると、まずすべきことは、あれの精査だな。
『なんじゃ? なんじゃ? あれは何なのじゃ?』
勝手に俺の右肩に乗ったビッチ猫が身を乗り出しつつも、好奇心たっぷりの声を上げる。
時間も押している。一々、相手にするのも面倒だし、無視だ。無視。
俺の無返答などお構いなし話し続けるビッチ猫に構わず、俺は円柱の上面にアイテムボックスから魔石を取り出し、放り投げてみる。円柱状の上面に触れた瞬間消える魔石。なるほどな。そういうからくりか。
円柱の上に足を踏み入れると予想通り視界が変わりいつも見慣れた地上への一階段前の通路の隅と変わる。
つまり、この円柱は転移装置であり、一階階段前とさっきの10階が繋がってたわけだな。
いかんいかん、こんなところでぼさっとしていたら、ホントに遅刻しちまう。全ては今日帰ってきてからだ。
俺は階段を駆け上がり、我が家へ飛び込む。
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