第1話 始まりのゴブリン

 うっぷ、マジ吐きそう。なにせ、丸二日、ほとんど寝てねぇからな。

 あのサド課長、いたいけな社畜俺達が逆らえねぇことをいいことに、無茶苦茶しやがって! 連日寝ずに強制労働って、マジで中世並みに人権が仕事してねぇよ。

 そろそろ転職でも考えるか? 確かに社会的には就職氷河期は脱してはいるが、それは新卒の募集においてであって、転職には当てはまらない。あくまで、待遇がまともな会社で転職の募集があるのは自他とも認める一流大卒のエリートさんが中心。俺のような五流大卒はアウトオブ眼中だろうさ。今更どこに行っても大差はないかもな。とはいってもこんな生活続けたらきっと死ぬぞ、俺……。


 俺の愛車はアスファルトの車道を離れて砂利の細い道へと入っていく。

 既に現在、午前2時。ただでさえ人気の少ない時間帯なうえに、場所も場所だ。文字通り人っ子一人いない暗がりの道をしばらく進むと年季の入った一軒家が遠方に見えてくる。

 あれが我が家。俺の城であり、祖父から引き継いだ俺の唯一ともいえる資産。

 この家があるからあの薄給でもなんとかやっていけている。まさに、俺の生命線というわけだな。うん。

 広い敷地の隅に愛車を止めて、玄関口に向かおうとしたとき、


「何だ、こりゃあ?」


 敷地の隅に煉瓦レンガ造りのぽっかりとした空洞が地面から忽然こつぜんと生えていた。

 疲れて幻覚でもみているとか? 数回目をこすってもまったく消える様子はないな。

 まさか、TVのドッキリってやつか? ほら、最近頻繁にお茶の間に流されているし。結構エグいドッキリ多いからな。この間見たのは、頭から無数のリアルなゴキブリの玩具を浴びせられたってのもあったし。

 しかし、TVに映るか。うーん、困ったぞ。この二日間の奴隷作業からまったく気の利いたセリフが浮かばん。このままでは、ハイテンションであのクソ根暗野郎課長の醜聞を垂れ流しかねんぞ。

 ともあれ、全国放送されるかもしれんわけだし、身だしなみは整えるべきだろう。

 月明りの下、家のガラスに映った自分の髪を軽く流しセットし直すことにする。客観的にみて今の俺って相当キモイよな。

 というか、これってリアルタイムで撮られて他の場所から爆笑されているとか? いやいや、ドッキリは気付いていたらつまらない。生ってことはないだろうし、ここの部分は編集でカットされるんじゃなかろうか。

 さて、用意も万端。さっそく足を踏み入れるとしようか。TVの初デビューだし、これがきっかけで嫁さんゲットとか? そうなりゃあ、晴れて魔法使いを卒業し、賢者へのジョブチェンジを阻止できる。うむ、改めて考えるとこれがラストチャンスにも思えてきたな。

 空洞に顔だけ突っ込んで中の様子を確認してみたら、どうやら階段になっているようだ。本当に異様に手が込んだセットだな。第一、こんな空洞二日間でどうやって掘ったんだ?

 まあ、いいや。現在、二日間のデスマーチで既に体力と気力は限界突破しており、考えるのも億劫だ。俺の華々しいドッキリ対策の演技をお茶の間に届けてやることにしよう。

 俺は階段に足を踏み入れて行く。


 それにしてもこの石の階段、どこまで続くんだ。流石に人の敷地にこんな長い通路作ってもらっても困るんだが。ちゃんと直してもらえるんだろうな。

 

 先に階段はない。ようやく到着したようだ。

 階段の下は永遠に続くとも思える青色の石の通路。こんなのセット二日じゃ無理だろう。人の敷地内でコツコツ掘っていたということか? こんな大がかりなセットを作るのにいくらかかんだよ。このドッキリのプロデューサーも監督も馬鹿なのか? 人の敷地で無茶しやがって! あとできつい喝を入れてやらねば気が済まん。

 一歩踏み出すと、


《無限廻廊の初めてのプレイヤー確認。藤村秋人ふじむらあきとと認識。以後、《カオス・ヴェルト》βテストを開始いたします》


 突如聞こえてくる無機質な女の声に、思わず心臓が飛び出そうになる。

 び、びっくりした! どこから聞こえたんだ、今の声? 

 キョロキョロと声の主を探すと、丁度石の通路の向こう側から小柄な人物が此方こちらに向かって歩いてくる。

 ここでへそを曲げて、このセットを無駄にするのも馬鹿馬鹿しい。悪いのはあくまでこんなふざけた企画を考えた阿呆プロデューサーだろうし。演じ切ってやるさ。

 暗がりの中さらに近づいてくる小人。マズいぞ。こんなときどんな言葉をかけるべきなんだ? クソッ! 頭がまったく回らん。

 こんにちは、いや、今は夜間だから、こんばんわ、か。それとも、若者向けにヤッホーとか、チャース、とか? えーい、ままよ!

 

「オッス、オラ秋人あきと。ピッチピチの32歳だ。よろしくな!」

 

 爽やかな笑顔で右手を上げて、そう叫ぶ。


『グギィ?』


 小首を傾げる役者さんと思しき人影。

 ヤバい、いきなり滑ったみたいだぞ! 某国民的人気アニメの主人公のセリフは、俺的に入りとしてはバッチリのはずなんだが。 

 少し趣向を変えてみるか。少年アニメがダメなら少女アニメだ。


「私の家に不法潜入するなんて悪人はぁ、月に代わっておしおきよぉ!」

『グガッ』


 ポーズを決めるも、さらに近づいてくる小柄な男性と視線が合う。

 禿げ上がった頭に皺くちゃの醜悪な顔、緑色の肌そして腰蓑一つしか着ていない小柄な体躯。どの角度からみても、ファンタジーでいうゴブリンだ。

 まさかこの滑らかな動きでロボットじゃないだろうし、すごいレベルのメイクだな。 

 しかし、どうすんべ。完璧にだだ滑りしているぞ。プッ、クスクスっ、はいカットー、という筋書きを期待してたんだけど、やはり、プロには効かぬようだ…………と現実逃避してみたけど、実際には二つともこの前の忘年会で一人もクスリともしなかったからな。負け惜しみですよ! はい! クスンッ……。


「ガギッ!」


 ゴブリン役の俳優はこん棒を振り上げると俺に殴りかかってきたが、やすやすと避ける。

 あのこん棒もゴム製か何かなんだろうが、いかんせん、俺は避けるのだけは滅法得意なんだ。あんな振り回すだけの攻撃では絶対に当たらんし、届かんぜぇ。

 フヒヒ、ほれほれ、どうした? これでおしまいか?

 心の中でどこぞの漫画の小悪党のような台詞を吐きながら、次々に繰り出されるこん棒による攻撃を避け続ける。


『ギギッ!』


 ゴブリン役の俳優もこん棒をぶん回し続けて疲れたのか、肩で息をしていた。


「あのー、お疲れのようですし、そろそろやめませんか?」


 面倒になってきた俺は老婆心でそう進言するも、


『ギガッ!』


 そう激高するとゴブリン役の俳優は再度こん棒を振り上げ、すごい速度で突進してくる。


「おう!?」


 この速度は予想外だ。咄嗟に鼻先スレスレで躱すが、ゴブリン役の俳優は足元の少しせりあがった石床に引っかかってしまい、弾丸のような速度で頭から吹っ飛び壁の角に大激突してしまう。

 ゴキリッと生理的嫌悪のする音が鳴り響き、ゴブリン役の俳優の首は根元からポッキリあらぬ方向へ折れてしまっていた。


「は?」


 あんぐりと大口を開けて目の前の現実を呆然と眺めていると、


《ゴブリンを倒しました。経験値を獲得します。

 ドロップアイテム――【ゴブリンのこん棒】を獲得しました。

 藤村秋人が【無限廻廊】内への初侵入、【無限廻廊】内での魔物の初討伐、初討伐での無手、初討伐でのノーアタック、初討伐でのノーダメージの全条件を満たしました。

 権能――【万物の系統樹】を獲得します。

 【万物の系統樹】の獲得により、成長率に補正がかかります》


 機械のような女の声が脳裏に反響し、ゴブリンの身体が粉々に弾けて黒色の石がゴトリと地面に落ちる。

 なんだ、今の声。それに今のホログラム? いや、それにしては思いっきり壁の石を砕いているぞ。

 この黒色の石、内部が真っ赤に発色しているな。しかも、これってあの砕け散ったゴブリンが持っていたこん棒か? 

 黒色の石をポケットに入れて床に落ちたこん棒を手に取ると、ズシリと重さが右手に伝わる。というか重くて振れんがな。

 先も相当硬い。ゴムマリでは、断じてない。つーか、打ち所が悪ければ死んでるぞ! というか、これで殴られたら俺、どうなってたんだ?

 ありえたかもしれない仮定を思い浮かべ、背筋に冷たいものが走りぬける。あのゴブリンモドキの所在は不明だ。だが、少なくとも俺に殺意を持っていたのは間違いない。


「じょ、冗談じゃねぇよ」

 

 汗を拭いゴブリンのこん棒を床に放り投げたとき、背後に迫る無数の足音。

 ぎぎっと恐る恐る肩越しに振り返ると、十数匹のゴブリンたちが此方に疾走してきていた。


「はは……嘘だろ?」


 俺のチキンな心は、脊髄反射のごとく回れ右を肉体に命じて全力疾走を開始する。


『グガガッ!(※マテやっ、コラ!)』

『グギギギ!(※ぶっ殺されたくなければ止まれ、ゴラァ!)』

『ギガガッ!(※きっちりケジメ、つけさせてやるけーのぉ!)


※全て臆病者チキンな秋人の脳みそが勝手に変換した妄想です。


 背後からの大勢の足音。

 ヤバいって、あの数で襲われたらマジで死ぬべさ!

 ぎゃーす! ぎゃーす! 助けてくんろぉ! 

 神様、仏様、カイ〇ウ様、もう二度と銭湯にチ〇コ洗わずに入りません。新年の始めに神社であの巫女さんとエロいことできますようにと祈ったことや、パンチラや胸チラが神様の思し召しだと宣ったことを撤回しますぅ! だから、だからぁ、助けてくださいぃ!


(おう、許すぜ!)


 そんな天の声が聞こえたような気がしつつも、数段飛びで階段を駆け上がっていく。

 そして外に出ると物置に飛び込み、家財家具のありったけを運び出し、その入り口の前に積み重ねていく。

 

「一体、何なんだ?」


 地面にへたり込みながらも、俺はそう呟いた。


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