闇の中から【16】

 光すら受け付けない黒は、まるで闇の塊。

 四肢があり、頭部の様な物が付いている黒い塊。


 腰が抜けたボーシュはソファーの上で尻を滑らす様に後退りした。

 黒い塊はテーブルの端まで歩いて来て、そして立ち止まった。

 すると、画像が切り替わる様に体の色が変わった。闇の色から黒みがかったグレーになる。

 そこで初めて、人間……的な何かだと判断出来た。

 妙な模様が入っただけの頭部、一定の部位に存在する甲殻類的な外皮。

 見た感じでは無機物の様に思えるが、動いていて、尚且つ人型なのだ。言葉が通じるかもしれない。そう思った瞬間「な、な……」と声が出た。


「な、何なんだ! お、お前は!」

 そう叫ぶと、うずくまっていたエルジボが顔を上げた。

「ひぃっ」

 それだけ言って、エルジボもまたソファーの上を尻だけでスライドした。

「モイズ! モォイズ!」

 ボーシュは部屋の外で待機しているであろうモイズを呼ぶ。

「だ、誰か! 誰か来い!」

 エルジボもまた、常駐している部下を呼ぶ。

 しかし、誰も来なかった。

 考えてみれば、エルジボの手が吹き飛んだ段階で気づいてもおかしくない。次いで発生した悲鳴もあるのだ。気付かない筈が無い。


「モォイズ! クソ! 何をやってる!」

 いつも持ち歩いている護身用の銃は、屋敷に入る際にエルジボの部下へ渡した。

 体術なぞ知らないボーシュは、それなりに腕の立つモイズに頼るしかない。

「な、何が目的だっ」

 痛みと出血で真っ青になったエルジボが問う。

 だが、その黒い人物は何も答えなかった。無言で立っていて、身動きすらしない。

 とその時、漸く扉が開いて、モイズが姿を現した。


「どうかされましたか?」

 非現実的な状況にもかかわらず、少し猫背のモイズは冷静に、そしてすっとぼけた雰囲気で声をかけてきた。

「どう……ってお前っ! こいつを何とかしろっ」

「申し訳ありません。そう言われましても、私にはどうする事もできません」

「は? な……何を言っている?」

「いえ、言葉の通りです。ボーシュ様がどうなったとしても、私には既に関係の無い話、という事ですので」

「お、お前……、この変なのの仲間か?!」

「そもそも、この方には勝てません。そして逃げられません。ですので、安心して死んで下さい」

 言って、浅く丁寧に頭を下げた。

 モイズの表情はいつもと変わらない。だが、目が、ゴミを見るそれだった。


 ボーシュも、勿論エルジボも思考をフル回転している。

 状況判断に追いつかない脳は、返す言葉を見けられず、ただとにかく二人共呆然とモイズを見つめるばかり。

「どうも~。呼ばれたので来ちゃいました~。うわっ。痛そう」

 そんな折、陽気でいて且つ、人を小馬鹿にした様な物言いをする男が入室してきた。

「お……お前……」

 あまりの驚きに、ボーシュはそんな言葉を放った。

「お前って~。君、立場分かってる? 言葉には気を付けなきゃ駄目だぞ?」

「な……何で……」

「あ、この話し方? あはは。こっちが素。これが素なんだよ。いつもは威厳あるようにふるまうよ?」

 確かに普段見る雰囲気とはまるで違う。本来はもっと堂々としていて近寄りがたい雰囲気を纏っている。

 だが、その顔も服装も、ボーシュが知っている人物と同一だ。

 バルゲリー家現当主、独立憲兵軍統括総長、テンランス・バルゲリー。

 間違いない。若くして絶大な権力を持つ男が、何故ここにいるのか。


「テンランス様。そういう事では無いかと」

「あ、そう? ネタばれが欲しかったって事?」

「ある意味そうですね」

「了~解~」

 テンランスに対して、まるで部下の様に振舞うモイズ。

 この時点で多少なりとも察しがついた。

「こいつは、元々僕の部下。お前がやってる偽薬の件で潜り込ませてたんだよね。でもさ、交渉人の尻尾なかなか掴ませてくれないからさ、仕方なく別の手を考えてさ。で、漸く、協力者のおかげで交渉人が誰か分かったから、お前は用済みになったって訳」

「すみません。私が至らないばかりに」

「気にする事ないよ。むしろ、嫌な仕事押し付ける形になってしまって申し訳ないと思ってるよ。辛い職場だったろ?」

「いえ……、しかし、子供に手を上げる行為だけは精神衛生上よろしくありませんでしたね」

「だよね~。わかるっ!」

 テンランスとモイズは二人で世間話でもするかのように状況説明を始めた。

 向かい側のソファーに座るエルジボも青い顔でその世間話を聞いている。


「ああ、ごめんごめん途中だったね。ともかく、偽薬の件はもう、その交渉人から芋づる式で引っ張る事が出来るから、近い内に終了するって事だね。関わってるであろうベルマールやヴォジャーノの嫌な連中も、ある程度処罰出来そうだし、最高! って感じなんだよね。今」

「さ、最初から狙いは……」

「そうそう。察しが良いね。お前はそもそも眼中に無いよ。まぁやってる事クズだし、早い内に潰しておこうとは思ってたけどね。おっとそうそう、エルジボ、お前もな。本当マジでクズ。早くに処理したかったけどさ、一番通りの客って多いだろ? 偉~い人だって利用するしさ。簡単には手を出せない場所なんだよ。一番通り欲望のはけ口は必要だ……何処かで供給しなければ、そこら中で変態共が暴れ出すんだ。理解しなければならない僕の葛藤、わかる? まぁいいや、だからさ、お前の影が薄くなるまで待ったんだよ。はいっ、そこで質問! 今、一番通りの顔と言えば……誰かな?」


 青い顔のエルジボは過呼吸ぎみだ。

 痛み、出血、そして、絶望、さらにプラスして全てを失う喪失感。

 ボーシュも同じ立場なのだ。理解なぞしたくない。しかし否応なく理解者となってしまう。

「ヴィ……ヴィスか……」

「ピンポーン。正解。だが、ヴィスじゃない。ヴィス様だ。今後そう呼べ」

「テンランス様、こいつにはもう、そんな機会はほぼ無いかと」

「だな。因みに偽薬の件の協力者もヴィス様だ。そしてお前の商会を潰す計画をしたのもヴィス様だ」

 テンランスはそう言ってゆっくりと跪いた。

 それに追随するようにモイズも跪いた。


「ああ……ヴィス様……久方ぶりに拝見するそのお姿。眼福です」

 テンランスの視線は黒い人物に向けられていた。

 ボーシュも、エルジボも、即座に視線を移した。

「遅いくらいだ。本来ならもっと早くに事を進めるべきだった」

 その声はヴィスだった。

「いえ、静かに事を進めるには慎重でないといけません。それに、これからヴィス様が一番通りを変えて下さるのでしょう? ルマーナ嬢の様に」

「努力する。それよりも、一人紹介したい人物がいる」

「誰でしょう?」

「キャニオンスライムの件で世話になった奴だ。テンランス、お前、発狂するなよ?」

「へ? ……ま、まさか」

「入って来てくれ」

 黒い人物、否、ヴィスが振り向きざまに誰かを招いた。

 すると、先も見た光景が再度繰り返された。

 闇の中から、ぬぅっと、その闇が実体化したかの如く、もう一人のヴィスが現れる。

 ヴィスの隣に立つと、それもまた画像を切り替えた様に体の色合いを変化させた。

 ヴィスよりも骨格が太くて、頭部の模様が若干違うだけ。

 ボーシュにとっては同じにしか見えないそのもう一体は「まったく……どういう事だこれは」と言って腕を組んだ。そして「邪魔は入らないから好きにやれ。そう依頼には書いてあったが?」と続けた。


「悪い。我慢の限界だったからな。エルジボだけはどうしても自分の手で……って思ってしまってな」

「嘘だな。元々お前も来るつもりだっただろ? 俺に依頼した目的はこいつらの始末じゃない。そこにいる奴に俺を会わせる為だ。違うか? クロヴィス」

 もう一体の黒い人物は、そこにいる奴、と言ったタイミングで、顎を使いテンランス達を指した。

 テンランスは恍惚的な表情で唇を震わせている。何か言おうとしているが声にならない雰囲気だった。

「……ああ。そうだ。それよりもここではヴィスと名乗っている。今の俺はクロヴィスじゃない。ヴィス、だ」

「か……神が二人……」

 ここで漸くテンランスが口を開いた。

「で、なんなんだこいつは」

「俺達の理解者……とでも思っていれば良い」

「そうじゃなくてだな」

「ああ、そうか、気にしないでくれ。宗教だ」

「……俺は神か?」

「ははっ。そうだな。六瀬神と言った所か」

「勘弁してくれ」


 指三本が吹き飛び、痛みに耐えるボーシュ。

 片手が無くなり、大粒の汗をかくエルジボ。

 そんな二人を無視して謎の世間話が繰り広げられる。

「だがまさか、ルマーナの店あんな所でお前に会うとは思わなかった」

「店に入る前に気付かなかったのか? 俺は気が付いたが」

「ちょっとな、色々と駄目になってる。半径三メートル以内でないと通信も出来ない」

「だからか。目の前まで来て漸く繋がったのは」

「ああ。悪かったな。それよりも六瀬、お前ポッドは持ってるか?」

「勿論だ」

「後で使わせてくれ」

「今は多々良が使ってる」

「多々良がいるのか!」

「まぁな。もう直ぐ完了する。次に使え」

「すまん。助かる。それとキャニオンスライムの件も助かった。ありがとう」

「報酬は高いぞ」

「大丈夫だ。金ならある。それにこいつらの資産もあるんだ。有効活用するとしよう」

 ヴィスはそう言ってエルジボの方へ顔を向けた。

 するとロクセと呼ばれた方は「俺にはこいつをくれ」と言ってこちらへ顔を向けた。


 ボーシュは思った。もう、自分達は暇つぶしの玩具の様だ、と。

「テンランス。時間はどれだけ取れる?」

 ヴィスがテンランスに向かって言う。

「え? あっはい! や、屋敷内に居たエルジボの部下は全て始末してあります。勿論ボーシュの銃を使って。全てはこいつの仕業とし、遺体も即、回収致します。ですが、ゆっくりもしてられませんので、出来るのであれば十数分程度に抑えて頂けたら幸いです」

「だ、そうだ、六瀬。それで良いか?」

「問題無い。で、お前はソレを使うのか?」

 ロクセがヴィスの持つペンの様な棒状の物を見つめて言う。

「そうだ。音も少ないしな。意外と便利なんだ」

 そう言ってヴィスはペン先をエルジボへ向けた。

 するとピシュッと小さな何かが飛び出してエルジボの足首へと付着した。

 障害物に当たると破裂して粘度の高い液体の様な物が付着する……そんな感じだった。

「ひぃ」とエルジボが悲鳴を上げたが、何も起こらなかった。

「じっくりゆっくり爆殺か。……エグイ事をするな。どれだけ恨んでる」

「恨みじゃない。こいつに人生を狂わされた被害者への弔いだ。で、お前は素手か?」

「ああ。苦痛を味わって貰うにはこれが一番だろ。ポキポキと少しづつ、な」

 ロクセはそう言って両手を開閉させた。

「何の為に?」

「胸糞悪い事があってな。……こっちも弔いだ」

「そうか。なら存分に弔ってやれ」


 今までやって来た事は何だったのだろうか。

 ロンライン全てを手に入れる野望。

 たったそれだけを願って努力してきた事は全て無意味だったのだろうか。

 そこまで酷い悪事を働いて来た覚えはない。

 悪いのは全て上の連中だ。上の連中こそ、悪なのだ。それに比べたら自分はお子様レベル。いたずらレベルだ。ほんの少し、人を……否、女を利用しただけなのだ。

 そうボーシュが思っても、黒ずくめの二人は手を止める事はなかった。


「やめて」「許して」「助けて」「ごめんなさい」

 手足の末端から少しづつ爆破されるエルジボを見ながら何度その言葉を発した事か。

「うるさい」と言われて顎を砕かれるまで、何度その言葉を発した事か。

 エルジボの飛び散る肉片を浴びる度、徹底的に気持ち悪いというだけの嫌悪感が生まれた。

 だが、先に逝ってしまった事に関しては、心の底から羨ましいと思った。

 意識が消えかけた時、今まで抱いた女が見えた。

 ボーシュの目には、皆、嘲笑しているように見えた。


 時間にして十三分と少し。

 その十三分は痛み、苦しみ、恐怖、等々、死が提供する全ての前戯をボーシュへ与えた。

 だが、反省へとは至らずに逝った。

 時間が少な過ぎたのだ。

 あと少し時間があれば、悪夢を見ずに死ぬ事が出来た。

 永遠と悪夢の中で彷徨う運命が待っている。

 ボーシュは消える意識と共に、その渦の中へと引き込まれて行った。

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新星のアズリ 赤城イサミ @isamiagi-kk

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