闇の中から【15】

「あいつは何をしていた……。クソっ!」


「さぁ……何処に居たんでしょうね」

 限界を超えた怒りを、勢い良く投げたグラスで表現するエルジボ。

 ボーシュはそんな男を見て、理解者の如く、しかし、侮蔑的心情で軽く返答する。

 これでグラスは二つ目だ。

 そんな悪態という行動を嫌と言う程ついて、多少は落ち着きを見せてきたのだから、グラスには悪いが、お前も良い働きをしたな、とボーシュは思う。


 エルジボの隣に座っていた女が、即座に棚から新しいグラスを持って来て、再度酒を提供した。そして無言で割れたグラスを拾い、無言で退室した。

「……人的資源が減っただけで済んだとはいえ、商会の殆どが居なくなったんだぞ。馬鹿共だったとしても、扱いやすい駒を集めるのは意外と面倒なんだ」

 退室する女の尻を眺めつつ、エルジボが言う。

「確かに。疑問も抱かず反論反問もせず、ただ貰った金を無駄に使い、むしろ還元してくれる馬鹿な下僕は貴重品ですからね。そのお気持ち、お察しします」

 さっきまで胸を揉んでいたのに今度は尻か? と思いつつボーシュはまた理解者の如く返答した。


 ここはエルジボが住む上級街の屋敷。貴族の別宅を借りて住んでいるというのだから、小物感が否めない。

 広いバルコニーの扉をあけ放ち、開放感を得ながら、ボーシュは今、エルジボと商談をしている。

 立地が悪いせいか、バルコニーから先は真っ暗だ。

 中級街側に向いていれば、多少の夜景も見えただろうに、こんな物件を選ぶ辺り、やはり小物だなと痛感する。だがまぁ、ほんのりと暗く淡い色合いの照明が、権力者の商談という雰囲気を作り出し、なかなかに悪くないとも思う。


 部屋の中央に置かれたソファーにふんぞり返るエルジボを見ながら、付き合い程度に飲む酒。

 これに関しては、暗いバルコニーと相まって恐ろしく不味い。

 漸く得たエルジボと話す機会。

 こんな大事な日にエルジボが所有する狩猟商会が朝方、ほぼ壊滅状態で戻った。当然、その愚痴に付き合う羽目になる。

 ボーシュは辟易しつつも礼儀を忘れずに、馬鹿で変態で気持ち悪い男の愚痴に付き合った。

 我慢できるのも今後の為。そして、最高のタイミングで様々な出来事が起きた感謝がある為だ。


「ヴィスも今回の仕事に参加していると思っていた……。あいつに任せっきりにしていた俺にも責任はあるが、それ以前に、あいつがいればこんな事にはならなかったはずだ」

「そうかもしれませんね。しかし、所詮は人。狂暴な何かに襲われた……という話ですから、彼でも生きて帰るのが限界でしたでしょう。安全な区域から出れば人間は餌にすぎません」

 実質的に商会を運営するヴィスは、実の所、商会の仕事に殆ど参加していない……と噂で聞いた事がある。

 そんな噂すら知らないエルジボが少し不憫に感じるが、それで良い。

 今回の様な事が起きれば、ヴィスは不在の責任を問われる事になる。

 そして何より、その不在時に、例の偽薬の件で交渉人と会っていたのだ。最高のタイミングで欲を出したな……とボーシュは胸中にてほくそ笑んでいた。


「そうなる前に撤退なりなんなり出来たはずだ。あいつは優秀だ。馬鹿共よりはまともな状況判断が出来ただろう」

「……いささか彼を過大評価し過ぎではありませんか?」

「何?」

 この商談で得られるだろう益は店舗拡大。その一点だけに絞って、余計な事はせず、ともかくエルジボに気に入られる事だけを視野に進めて行こうと思っていた。

 しかし、運命が味方していた。

 今現在、それ以上の結果が得られる状態にあるのだ。

 ヴィスと自分との立ち位置をひっくり返すチャンスを逃す事は出来ない。

「いえね、つい先日、私の商品がルマーナに引き抜かれたんですよ。明らかな協定違反でしてね。どうすることもできない私は彼に協力を仰いだんです。しかし、連れ戻す事も出来ずに、結局、私が手を尽くす羽目になったのです」

「先日のアレか……下級市民のガキがどうとか。話は聞いていたが……。しかし、何も出来なかったとはな……」


――報告していなかったのか。馬鹿め。


「ええ。私も彼を信頼していたんですがね……残念です。とはいえ、彼がそこまで無能だとは思いません。もしかしたら……あくまで憶測の域ですが……彼はルマーナと繋がっているのではないかと。それも深く。私はそう感じました」

「根拠は?」

「エルジボ様もご存知かと思いますが、ここ最近、いえ数年前からですが、徐々に一番通りの女が減ってきています。新規で働く者も減り、二番通りの活気の方が日を追うごとに高くなっています。協定違反はしていないと彼は言いますが、いくらなんでも、流入しすぎです。それこそ、こちら側に強い権力を持った協力者がいなければ、なかなかに難しい事です」

「では、そのガキの件もヴィス自身が見逃した……と?」

「ええ。私はそう考えています」


 噂を流して貶めようと考えていたが、ここで直接カードを切った方が良い。

 ヴィスに対して若干の不信感を抱き始めた男には良い刺激だろう。

 それにまだまだこれから。他のカードを切るには最高のチャンスだ。

 ボーシュは小さく溜息をついてから困り顔を作り、

「何を計画しているのかは分かりませんが、一番通りが多少衰退しても良い……それでも稼げる算段がある……そういった何かがあるのでしょう」

 と、二枚目のカードを切った。そして「まぁ、一つ二つ思い当たる節はありますが」と続けた。


「何だそれは。聞かせろ」

「一つはソウルワームの偽薬の件です」

「初耳だ」

「最近流行り出した薬ですが……ご存知ありませんでしたか。いけませんねぇ、彼はこの事もエルジボ様へお伝えしていなかったのですか。いや、驚きです。報告も怠っているとは……自分が一番通りの最大権力者だとでも思っているのでしょうか……」

 殆ど隠居状態で、一部の腐れ貴族と一緒に女食いばかりしているエルジボ。

 こんな馬鹿は最近の流行りにも疎いだろう。

 だからこそ、こういった初耳情報には過敏になる。

 変なプライドが、自身の疎外感を刺激して、その怒りの矛先は俗世の情報源であるヴィスへと行き着く。

 徐々に神妙になるエルジボの顔がその証拠だ。

 恐らく、脳裏にはヴィスの顔が浮かんでいる事だろう。


「丁度良い機会です。詳しくご説明致しましょう。実はその偽薬、販売は私が一手に引き受けているのですが……」

「いや、まて。報告を怠っていたあいつから直接聞く。とにかく、それがあいつとどう関係しているのかだけ聞かせろ」

 何の薬か、どんな効果があるのか。その辺の詳しい情報は後からで良いとする。

 これはもう、確実にヴィスの行動だけを気にしている。

 ボーシュの胸中は笑みを通り越して歓喜の宴だ。

「……わかりました。彼は、その薬の販売に一枚嚙ませろと言ってきたのです」

「利益は出るのか?」

「それはもう。かなり便利な薬です。私の店が一年足らずでここまで売り上げを伸ばした要因でもあります。まぁそれだけではありませんが」

「俺の知らない所で……」

「……半強制でしたね。脅しとも取れます。彼は八対二、勿論、で利権を寄越せと言ってきました」


 嘘だ。

 そして嘘でも良い。

 今のエルジボの信頼はこちらに向いている。

 どうせ、ヴィスは近い内に独立憲兵軍バルゲリーに捕まるのだ。そう仕向けるのだ。

 心配する事もない。

 だが、もう一発、ぶち込んでおく。


「もしかしたら……キャニオンスライムの件、参加しなかった理由はそこにあるのかもしれませんね」

「どういう事だ?」

「製造元の交渉人と会うと言ってましたから……。なんて、すみません。忘れて下さい。まさか、エルジボ様の大切な仕事を放棄して、裏で稼ごうとしている案件に動いてた……とは流石に思えませんしね。私だったらそんな事はしませんよ」

 嘘ではない。

 これは本当の事だ。

 余計な欲をだすから、簡単に利用されるのだ。ヴィスもたいした男では無いと心底思う。

 エルジボの変化した表情を見て大成功だと確信した。

 目元が引きつっていて、胸中、黒い何かが渦巻いているのが分かる。


「……二つ目は?」

「ブルースタ村の酒。その生産と販売です」

「あんな山奥の……それも頭のおかしい連中しかいない村で……酒か?」

「ええ、かなり高価な酒です。殆ど上の方々しか口にした事がない酒です。ですが、それは隠れ蓑。本来は別の商品を生産しているようです」

「何だそれは」

「いえ、それが……私にも分からないのです。今度調査に行こうかと思っている所でして……」

「そうか……」

 ここは切らなくても良いカードだったかもしれない。

 実際に、酒以外の製造が何なのか誰も知らないのだ。

 この情報も最近知った事。そして、近い内に調査する予定だったのだ。

 無駄なカードだったか……と思うが、もし、驚愕する何かを生産していたのなら、何も知らないエルジボにとって更なる不信感へと繋がる。

 布石として置いておくには丁度いい。


「全てご存知無かったとすると、彼は……いえ、皆まで言いません。エルジボ様程の方であれば、既にお察しかと思いますので」

「あの野郎。俺の一番通りの資産価値を下げて、裏で個人資産拡大……か」

「ご明察。流石ですね。申し上げ難いのですが……彼はエルジボ様を裏切っていると、そう私は考えます」

 ……完璧だ。

 ヴィスの信頼を崩すルートは最高の形で通過した。

 エルジボは既に、これからの部下として自分に目を向けている。

 そうボーシュは確信する。


「……店を増やしたいと言っていたな?」

 と、ここで期待していた質問が来た。

「ええ。追加で一店舗ほど」

「売り上げの悪い店が三店舗ある。そこを潰して全てをお前にやる。その代わり俺の資産を増やせ。二割増だ。出来るだろ?」

「ええ。勿論。一番通りあの場所で商売をさせて頂く限り、エルジボ様へ全力で貢献致します」

「……お前みたいな奴が居たとはな。これからは俺も少しは顔を出さなければと思い知った」

「是非、そうして頂ければと思います。エルジボ様の姿を見るだけで、仕事への意欲が湧きます。我々の士気があがります」


 何という日だ。

 ヴィスを潰し、想像以上の利益を出した今日という日。

 ここ最近の幸運は全て自分へと流れている。

 ティニャとかいうガキがルマーナの店へ行った日以来、全てが最高のタイミング。

 ルマーナがキャニオンスライムの捕獲を妨害しに行った事実も、後から切るカードとして使える。

 ならば、欲が出る。

 出さなければ馬鹿だろう。そしてルマーナの件もそれでこそ使える。

 褒められて「ふんっ」と鼻を鳴らすエルジボ。

 ボーシュはすかさず「そこで提案なんですが……」と欲を出した。


「何だ」

「エルジボ狩猟商会、私に任せて頂けませんか?」

「何?」

「いえ、常にお忙しい身であるエルジボ様が一番通りへ出向くともなれば、商会まで運営するのは酷という物。ヴィス……彼は今回、このような失態をおかしました。ですが、私なら今まで以上に利益を出す事ができます。それに優秀で馬鹿な部下を多く所有しておりますので、即、商会の人材として活用できます。いかがでしょうか」

 自分が怖い。自分の幸運が怖い。

 案の定「……いいだろう。明日からお前が仕切れ」とエルジボは快く承諾した。

「ありがとうございます。全力を尽くしてエルジボ様へ貢献致します」

 明日即座に、ルマーナの妨害によって全滅しかけたと報告をでっち上げる。

 イジドとブルーノンに適当な金を掴ませ、銃痕等で空船を適当に傷つけ、証言と証拠で狩猟組合へと報告する。

 事実、ルマーナ達は妨害へと向かったのだ。出航の形跡がある限り、言い逃れは出来ない。


「ああ。ヴィスよりも使える奴だと証明してくれ」

「勿論です。最速でエルジボ様の右腕になりましょう」

 既にもう、エルジボの信頼はこちらに向いた。

 そう確信できた。

 ボーシュの胸中はもはや宴ではない。既に発狂しながら踊り狂っていた。

「それにしても、あの女は何をやっている」

 とエルジボが訝しげに言う。

「薬が切れたのでは?」

「クソ女が……」

 グラスを片付けた女は明らかに何らかの薬をやっている様子だった。

 そんな女が戻って来なくても別段困りはしない。

 ボーシュは居ない女の代わりに、互いのグラスに酒を注いだ。

 無意識的に少し多目に注いでしまった。興奮と歓喜がこんな所に現れる。


「ともかく、ここは乾杯と言う事で」

 言って、ボーシュはグラスを掲げた。

「ああ。期待している。良く働き、最大限俺の為に尽くせよ。ボーシュ」

 エルジボも追う様にグラスを掲げた。


――尽くすかボケ。むしろ短い命せいぜい生きろ。変態が。


 と思っても、顔に出す事無く、

「はい。ご期待に添えるよう尽力してまいります」

 と、誠実な部下の如き顔を作った。


――これからは俺の時代だ。


 二人のグラスがぶつかり合い、キンっと小気味の良い音を立て、酒の雫が飛んだ。

 そしてその瞬間、エルジボの手が、グラスと共に……ボンッという音と共に消えた。

「は?」

 ボーシュはぼんやりと眺めた。

 叫びながら手首を握りしめ、これ以上出ないようにと血を止めるエルジボをぼんやりと眺めた。

 顔には飛び散ったグラスの破片が突き刺さっている。

 何が起きたのか理解出来ない。

 小気味良く鳴らしたグラスが、瞬間、その音と共に吹き飛んだのだ。

 目の前のエルジボの手と共に吹き飛んだのだ。

「ぐぅぅぅあぁぁぁ」

 と唸るような悲鳴をあげてエルジボがテーブルへとうずくまる。


「な……何が?」

 ボーシュは違和感を覚えて自分の手を見た。

 そこには持って居たはずのグラスが無かった。

 エルジボの破裂に自分の指も巻き込まれたのだろう。指三本が無くなっていた。正確には人差し指、中指、薬指の第二関節までが千切れて見当たらない状態だった。

 爪らしき物、骨らしき物、そしてグラスの破片が肉片と共に服の胸元に刺さっていた。

 顔も痛かった。恐らくエルジボ同様、自身の顔にも破片が刺さっているのだろう。

 漸くここでボーシュは悲鳴を上げた。


「あああぁぁぁ」

 と叫びながらビュクビュクと指から飛び出る血液を残った手で止めた。

 誰かに襲われたのだろうか。そいつに何かされたのだろうか。

 そう思って、部屋中を見回すが誰もいない。

 他にもし、可能性があるのならば、バルコニーの外だ。

 それ以外に考えられない答えは、無意識的にそう判断させ、ボーシュの視線をバルコニーへと向けさせた。


 時は夜。

 暗い闇しか見えないバルコニー。

 何も見えない。だが、何かが居る気がした。

 誰だ、と問いたかったが、異様な程の恐怖で声が出なかった。人は理解の範疇を超えると、ただただ恐怖を感じる。


「ひっ」

 その恐怖は一歩一歩と前へ歩み出た。

 黒い人型の何か。

 闇の中から、ぬぅっと、その闇が実体化したかの如く、それは現れた。

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