闇の中から【11】

「こんなのとやり合ってたのか?」

 メンノが弾倉を取り換えながら言った。

「ああ。そのようだ。なかなかに厄介だろ?」

「想像以上だな、これは……ってうぉっ。危ねぇ」

 飛んで来た触手をギリギリの所で避けて、体勢を整えるメンノ。

 ダニルも同時に襲って来た触手を避けて「むぅ」と唸り、数発の弾を無駄にする。

「弾なんていくらあっても足りないな」

「あと少しだ。耐えろ」


 六瀬は小型艇を確認した。

 小型艇はスピードを殺し、ティニャ達が乗れる位置まで移動した。そして今、アズリがティニャの手を掴んだ。

 このままいけば上手くいく。

 だが、キャニオンスライムの様子がおかしい、と六瀬は思う。

 サーモグラフィーを使って確認した当初は飛び出す触手のみで、無駄に何本も伸ばしてはいなかった。しかし今は、無駄な触手を増やし、追い回す様にうねうねとその体から生やしている。


――何をする気だ?


 転んだ所を逃さず捕まえる為だろうか、と思っていたがそういう訳でもなさそうだ。多分こいつは馬鹿じゃない。何かしら策を考えている。そう六瀬には感じ取れた。

「よっし。ティニャちゃん乗った。あとはヘブンカムの子だけだ」

「知り合いか?」

「ああ。ちょっとな。舌っ足らずで可愛い子だぜ。名前は知らないけど」

「なら絶対に助けないとな。という訳で俺は下に下りる」

 会話に乗じて自分の意思を伝えた。

 当然、メンノには「何言ってんだ?」と驚かれ「馬鹿な事をしてはいけません。ルマーナ様みたくなりますよ」と主人を微妙に侮辱したセリフをキエルドに言われ「あたいは反対。もう援護する余力ないんだから!」とルマーナに猛反対された。

 それもそうだろう。この状況下で面倒事を一人分増やす事になるのだ。賛成する者などいない。だが……。


「見ろ。様子がおかしい」

 キャニオンスライムの触手はゆっくりと左上部に集まってきていた。思った通りだ、何かしでかす気でいる。

「何? これ」

 ルマーナが言った。次いでメンノが「壁でも作る気か」と言う。

 キャニオンスライムの触手は交差するように網状の膜を作り始め、それを三段重ねにして、ティニャ達を隠す。

 銃弾を食らって反射的に引っ込めてしまう弱みを、多くの触手を重ねる事で相殺するのだろう。一枚の膜状で作ってしまえば、弾を食らう度に再度広げなければならない。触手ならば食らった一本だけを引っ込めれば良いのだ。

 効率的だし、それを考えるだけの頭もある。厄介だ。


「俺達の目の前に壁を作られたらティニャ達は無防備だ。誰かが壁の向こうで対応しなければならないだろ?」

「でも……」

「ルマーナ、大丈夫だ。俺も船に乗って脱出する。信じろ。って言ってる間に見えなくなった。もう時間がない」

 話している間に、膜はぐんぐん作られて、既に目の前には壁が出来ていた。

 ティニャ達の姿は殆ど見えない。だが、ガンっと音だけが聞こえた。小型艇に何かされたのだ。

「後は頼んだ。とにかく撃ちまくれ」

「ちょ」

 ルマーナが止めようとするが、それを振り切って六瀬は飛んだ。

 キャニオンスライムの胴体へ着地してバウンドする。そのまま崖に張り付く触手達へ飛び移り、ひょいひょいと難なく下りた。

「もう!」

 とルマーナの声が聞こえたが無視した。


 地面へ到着し、キャニオンスライムの下っ腹を突っ切る。その間、数本の触手が飛び出して来たが、余裕で避けた。

「下りて正解だったな。というか馬鹿か? あいつは」

 見ると一本の太い触手がティニャを捉えていた。そしてその触手にしがみつくアズリがいる。形状を変化させて絡みつく生物にしがみついた所で、結局自分も取り込まれるだけ。案の定アズリの体も飲み込まれ、二人仲良く拘束された。

 高く持ち上げられて、触手から抜け出せても無事では済まない。


――あいつはいつも面倒事を増やす。……そういう性分なのか? まったく。


 奥の方を見ると、まだ小型艇が低空飛行を続けていて、後部ハッチに気を失った女がいた。頭でも打ったのだろう。

「アズリっティニャっ」

 六瀬は叫んだ。そして驚いたアズリを他所に「アズリ、よく聞け。体が自由になったらティニャを抱きしめろ。そして、目を閉じろ」と続けた。

「ロクセさん? な、何で……」

 言いたい事は分かる。だが、今はそんな事どうでも良い。

「上からの援護が出来なくなった。だから来た。それだけだ。とにかく俺の言う通りにしろ。俺を信じろ」

「はい!」

 アズリの返事を聞いて直ぐ、六瀬は触手を狙った。

 数発の弾を撃ち込むと、体の自由がきいたアズリはティニャを抱きしめた。

 と同時に六瀬は高く飛んだ。十メートル以上の跳躍をして、アズリの背に腕を回す。落下の間、出来るだけ衝撃が起こらない様にアズリ達を重力と逆方向に持ち上げ、空気を蹴って落下速度を落とし、着地の瞬間の足バネと腕の下方で勢いを殺した。

 目を開けて呆けるアズリを他所に、六瀬はすかさず走り出した。


 小型艇を見ると、操縦席に座るザッカがチラチラと振り向いて後方を確認していた。

 ザッカの存在を忘れていた。

 人間離れした行動を見られたかもしれない。だが、驚いたというより、何が起きたか理解に苦しむといった様子だった。

 ならば、誤魔化し通す。なんとかなる。


「え、えっと……」

「先に乗れ。俺は船が離れるまで援護する」

 一緒に乗って脱出するとルマーナに言ったが、それは嘘だ。

 誰かが援護すれば、脱出の確率は格段に上がる。それに、依頼された二つ目の仕事を、この機に乗じて遂行できるかもしれない。

 ともかく、アズリを船に乗せて、脱出を確認後、全員を安全な場所まで撤退させる。その間囮となって、キャニオンスライムを引き離す。皆、絶対に反対するだろうが、無視すればいい。……等と思ったが、杞憂に終わった。


「ありがとう。もういいわ。降ろしなさい」

 ほんの今まで、アズリは頬を赤らめていた。

 こんな状況なのだ。興奮するのも分かる。

 しかし、上から目線を感じさせる妙な言葉を発したアズリは、既に別人だった。

 真っすぐに見つめて来るアズリの視線。その目の感じには思い当たる節があった。

 無歩の森で出会った別人格のアズリだ。

 六瀬は驚いて足を止めた。

 何故ならば、同じ視線を向けるもう一人の人物が居たからだ。

 それは……ティニャだった。

 六瀬の腕の中で重なる様に寝そべる少女二人が、一切ぶれる事の無い視線を、無表情のまま、一点に注いでいくる異様さ。

 何かに憑り付かれたのでは? と不安になるが、好奇心の方が勝った。

 観察したい。この状態のアズリ達はいったい何なのだろうか。

 六瀬は素直に二人を優しく立たせた。

 立つ間も視線を外さず、真っすぐに六瀬の目を見ていた。瞬きもしないのだ。普通なら恐怖を感じる。

 流石に耐えられなくなった六瀬はキャニオンスライムへ顔を向けた。

 奴もまた、動きを止めていた。無歩の森で会った岩トカゲと一緒だ。

 触手の壁は作られたままで、発砲音だけが聞こえる。


「お前は……誰だ?」

 アズリに向かって言った。だが、何も答えなかった。

「前にも会っただろ? 覚えているか?」

 もう一度声をかけてみる。それもまた無視という形で返されたが、表情は変わった。

 瞬きをした瞬間、生気が戻った。とはいえ、別人のままだ。

 アズリは腕を出して六瀬の胸へと触れる。そして邪魔だと言わんばかりに押し出した。

 六瀬は素直に移動して、アズリとティニャの横へ立った。

 二人はキャニオンスライムへ視線を移し、じっと立ったままで身動きすらしない。


――何が起きている? 会話でもしているのか? テレパシー的な何かか?


 この特殊な力、というか別人格はアズリ特有の物だと思っていたが、ティニャまで同じように変化した。謎は深まるばかりだが、これはこれで面白い。

 六瀬はマイクのスイッチを押して「撃つのを止めてくれ」と言った。

 余計な刺激が逆に悪い様に思えた。

『どういう事?』

 とルマーナから返答があった。当然、そう思うだろう。

「キャニオンスライムの攻撃が止まった。とにかく撃つのを止めろ。刺激したくない」

『ホントに? いいわ……分かった。何かあったら直ぐに言って』

 発砲音が消えた。

 呼吸音すら発しないキャニオンスライムは静かだ。小型艇の稼働音しか聞こえない状況は不思議な空気感を生み出した。


「……気に入ってたから」

 突然ティニャが話し出した。同じティニャの声だが雰囲気が違う。

「そう。大事にしなさい」

 アズリがそれに答えた。こっちもまた雰囲気が違う。

「他は?」

「三つ。今はあなただけよ」

「随分と多いじゃない」

「引き合うはことわり

「全て人間?」

「ええ。でも一つは駄目」

「あらら」

「もうすぐ朽ちて、次に行くわ」

「残念」

 何の話をしているのか。

 二人はまるで昔からの知り合いだったかのように話している。


――解離性人格という訳でもなさそうだ。引き合う? 魂が……か?


 魂という概念、そして物質そのものがこの世界にはあるのだろうか。尚且つ、生まれ変わる前の記憶を引き継ぐ事が出来ているのか。

 そんな非物理的な想像上の概念や、非現実的な宗教的概念が、現実の物として、物質として、この世界には存在している。

 否、そんな訳は無いと六瀬は思う。

 科学的に作られた自分の体が、プログラムによって構築された自我が、それを証明している。全ては科学で、物理で、合理的な実証が出来る。全てはそうなっているのだ。


「ねぇあなた」

 突然話しかけられた。

 ティニャが表情を乗せた顔を向けてきた。その顔や態度は、まるで高貴な身分の女が使用人に語りかけるといった風だった。

「……俺か?」

「あなた以外に誰がいるというの?」

「……何だ?」

「不本意だけど、あなたは受け入れてあげる。その代わり、私達を守りなさい」

「……何を言っているの分からないのだが?」

「気に入ってるの。だったら出来るだけ長く使いたいじゃない? だからよ」

 主語が抜けている。


――気に入る? 何をだ? 長く使う? 何をだ?


 とした会話だ。考えた所で答えは出ない。ならば聞くしかない。そう思って六瀬は口を開いた。

 しかし「あの子は元気?」と今度はアズリが声をかけてきた為、寸での所で口をつぐんだ。

「あの子?」

「……森で寝てた子」

「多々良の事か?」

「……どうなの?」

「まぁ、元気と言えば元気か」

「そう。良かった」

 こっちのアズリは多々良が修理中……いや、生きている事を知っているていだ。

 やはり普段のアズリとは別人だと断言できる。

 だが何故知っているのか……。


「じゃ、後はよろしく」

 ティニャが軽い口調で言う。次いでアズリが「時子に会いなさい」言った。

 その名前に六瀬は驚いた。

「時子? 新崎時子か?」

 質問しても何も返さない。

 アズリは自身の胸へ手を当てて「その時はこの子も連れて行って」と言った。そして「また会いましょう」と続けた。

「おい、待て、もう少し……」

 アズリとティニャは糸が切れる様にぐったりと力が抜けて、足から崩れた。

 六瀬は咄嗟に二人を抱えた。

 一体何の話しをしていたのだろうか。

 しかし、得た物は大きい。時子という名。そして他者と繋がりを持つ別人格。

 たった一分程度の会話が謎と利益をもたらした。

 また会えるのならば、直ぐにでも会いたい。この二人は本当に興味深い。


「だ、大丈夫っすか? ってかどうなってるんすか? これ」

 小型艇がUターンして戻って来た。

 ゆっくりと着陸して、ザッカが様子を伺いながら言う。

「さぁな。だが、今は安全だ」

「え? アズリとティニャちゃんどうしたんすか?」

「問題無い。気を失っているだけだ」

「そ、そっすか。とにかく二人を乗せてください。直ぐに逃げるっす」

 操縦席に座ったままのザッカはキャニオンスライムをチラチラ見ながら焦っている。

 だが、六瀬は落ち着いていた。恐らくもう、キャニオンスライムは襲って来ない。

 岩トカゲの時と似ている。理解を示した様な、安心した様な、そんな雰囲気を感じるのだ。

 六瀬は丁寧に、そして優しく二人を後部ハッチに乗せた。気を失った女が三人乗っている。


『どうなってるの? 何があったの?』

 イヤホンからルマーナの戸惑う声が届いた。

「もう、襲う気が無いようだ。腹が膨れたんじゃないか?」

 冗談で返した。

 振り返ってみると、キャニオンスライムは崖に張り付く触手以外全て引っ込めていて、ただ何もせずに浮いていた。そして方向転換をし始めた。

 崖上のルマーナ達は驚いた顔で様子を伺っている。

「ザッカ。悪いがアズリ達を連れて先に行ってくれ」

「何言ってるんすか。一緒に乗って撤退っすよ」

「俺は奴を追って様子を見る。聞いていたか? ルマーナ」

『危ないわ。あなたも戻って来てちょうだい』

「大丈夫だ。そっちは女達を空船まで運んで、捨てた空弾倉マガジンでも拾っておいてくれ。痕跡は出来るだけ残さない様にしないとだろ?」

『駄目よ。戻ってちょうだい』

「一時間だけ時間をくれ。必ずここへ戻る。信じてくれルマーナ」

『……分かった一時間だけだよ。居なかったら飲み代請求するからね』

 上手い冗談だ。

「それは困るな」

 小さく溜息が聞こえた。ついでに「……もう、信じろとかズルい」と呆れた声も聞こえた。

 マイクのスイッチを離してからにしろよ、と思うが、きっとわざとだろう。


――さて、次の仕事に行くか。



 六瀬は小走りでキャニオンスライムを追った。

 渓谷の分岐点を超えてしばらく行った先が急カーブになっていた。そこまで追うとルマーナ達から死角となる。

 死角となった瞬間、六瀬は崖を駆け上り、猛スピードでエルジボ狩猟商会へと向かった。

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