闇の中から【7】

 小さな弾でも、バースト射撃で数弾撃てば効果はあった。

 弾はキャニオンスライムの薄い膜を貫通し、水中に潜る様に弾道を変えて沈んでいく。一瞬粘性の高い体液がドロリと漏れるが、穴は即座に塞がって元に戻る。出て来た体液は粘性も酸性も失い、まるで血液の様に地面へと落ちた。

 だが、ダメージを受けた様子は一切無かった。沈んだ弾は溶けて消え去ってしまい、これすらも養分へと変わるのだろうと思える程だった。

 唯一効果を感じられるのは、撃てば怯むという所。刺激に驚くのだろう、伸ばした触手は一度本体へと引っ込み、そして再度別の場所から勢い良く飛び出してくる。


「キリが無い! 早く止めてちょうだい!」

 言いながらルマーナは弾倉を装填し直して再度打ち続けた。

「って言ってもね。きゃ! ちょっと、もうっ! ウザいってばっ」

 キャロルが電撃銛を抱えながら答えた。

 キャニオンスライムの脅威は想像以上だった。

 キャニオンスライムの攻撃手数は無尽蔵。いくら怯むとはいえ、連続して何本も至る所から攻撃の手が伸びて来る。

 キエルドとルマーナはティニャ達を襲う行動を阻み、レッチョとパームは仲間達への攻撃を抑え、ベティーは小型艇へ向かう脅威を消す。

 渓谷にへばりつくキャニオンスライムは目の前に居る。距離も近い為、その大きな図体へ銛を打ち込むなんて造作も無い。だが、未だに発射できずにいた。

 恐らく、これまでの経験で人間の攻撃パターンと厄介な点を理解しているのだろう。

 その証拠に、銛を持ったキャロルを狙う攻撃は数段多く行われ、牽制から漏れた触手がキャロルを翻弄させていた。


「ねぇ! 何とかしてよっ」

 キャロルが不満を漏らす。

「手数が多すぎでさ」

「キャロル姉さん、隙をみて何とか頑張って。私達だけじゃこれがギリギリ」

 キャロルの不満にレッチョとパームが同時に返答する。

「無理言っちゃってもう! って危なっ!」

 牽制から漏れた触手がキャロルをかすめて背後の木へと辿り着く。幹に纏わりつく様に引っ付いて、そのままバキバキと砕いた。

「怖っ。やだぁもうっ!」

 捕まって本気で握りつぶされたら、ガチムチのキャロルでも砕かれた木と同じ運命を辿ってしまう。

 あと一人か二人仲間が居れば楽になるのに、とルマーナは思った。

 そしてチラリと小型艇を見た。救出の手段も阻まれて、そちらも未だ何も成果を上げていない。


 低空でスピードを殺し、先頭を走る娘達を救おうと努力しているが、ベティーの牽制を逃れた触手が小型艇を掴み、バランスを奪ってくる。何度も機体を地面に擦り付けて、いつ墜落してもおかしくない状況だった。掴まれてはベティーが追い払い、また掴まれる。そんな事の繰り返しだった。

 進行速度は落ちた。だがそれでも、キャニオンスライムは逃げる餌を追い続けながら攻撃してくる。

 当然、ルマーナ達もそれに応じて移動しながら牽制しなければならない。

 戦力分散、人命救助、そして不殺生。

 戦力分散という不測の事態があったとは言え、考えが甘かったと後悔した。ここまで困難な作戦だとは思っていなかった。

 せめて不殺生さえなければとルマーナは思った。


 キャニオンスライムを見ると、胴体の上部に口があった。

 拳大の岩石が寄り集まって円形を成している様な口部は、時折ゆっくりと中央付近を開閉していて、早く餌を放り込みたいと訴えているように見えた。

 胴体前部には人間の頭部より一回り大きいくらいの核がある。ブツブツと穴の開いた赤い球体の上下左右に膨らんだ半円形の突起物が付いている。その半円形の突起物は細かい何かが密集して出来ている様で、恐らくその一つ一つが目であり、複眼的構造をしているのだと思われた。

 中央の赤い球体の穴は鼻腔。そして脳もその中に存在しているのだろう。

 どういう原理で生きているのか分からない。

 ともかく、赤い球体が核なのだ。これさえ破壊してしまえば全てが終わる。こんなにも大量に無駄弾を撃たなくても良いし、ゆっくりと安全に救出活動が出来るのだ。

 それを破壊出来ないもどかしさ。

 ルマーナのイライラはピークに達しようしていた。


「頑張って!」

 ローサの声が聞こえた。

 見るとローサは女の手を引いていた。

 ガリガリに痩せ細った娘は懸命に自分の体を引き上げようとしている。

 走りながら尻に手を添えて、引き上げの助力をしている娘もいる。

「ヌェミっ。早く手すりに掴まって」

 言いながらグッと尻を押すと、ヌェミという名のガリガリの娘は空いた方の手を伸ばして手すりを掴んだ。

「しっかり掴まっててね。さぁ、次はあなた!」

 ヌェミの両手が手すりを掴み、後部ハッチに座ったのを確認してからローサが次の娘に手を差し伸べた。

 娘はローサの手を握って勢いよく蹴り上げた。片足をハッチの際きわに掛けて体を持ち上げる。同時にローサが力強く引き上げて、そのまま滑る様に乗り込んだ。


――よし! まずは二人っ。


 牽制射撃を続けながら、チラチラと確認していたルマーナは心の中で叫んだ。

 だが安心する所か、一層の不安が襲って来た。

 渓谷から少し離れた場所に二人を降ろした後、引き返して来て再度同じ作業を行う。このままだと……ロクセ達の到着が遅いと、これを更に二往復分行わなければならない。後はティニャと額から血を流した娘と何処かで見た覚えのある男だけだが、無事に助け出せる自信はなかった。弾丸だって予想以上に消費している。いつ尽きるかわからない。

 ルマーナは、早く来てと懇願する様にロクセの顔を脳裏に浮かべた。


「俺が先だ!」

 男の怒鳴り声が聞こえた。

 ルマーナは怒鳴る男を見た。

「ちょ! 何やってんの?! あの男!」

 飛び立とうとする小型艇はキャニオンスライムの攻撃を受けていた。

 ベティーが追い払っている最中、男はハッチの際に座るヌェミの足を掴んで引きずり降ろそうとしていた。

「その手離せっ。お前は降りろ!」

 そう言って、力一杯引っ張るとヌェミのお尻が落ちて半身が投げ出された。

「い、嫌。た、助けて」

 助けを求めるヌェミは両腕で抱える様に手すりを握っている。

「また助けに戻ってくるから待ってて!」「ヌェミから手を離して!」と、ローサともう一人の娘がヌェミの服や腕を掴んで叫ぶ。

「うるせぇ! いいから俺を先に乗せろ!」

 男が更に強く引っ張っるとヌェミの体も更に落ちた。

 と、その時、キャニオンスライムの一撃が小型艇にぶつかって、高度が下がった。

 その衝撃で小型艇はバランスを崩した。「きゃ!」とローサ達の体も揺さぶられた。

 その隙に男はヌェミを殴った。

 側頭部を殴られて、その反動で手すりに頭を打ち付けた。

 ヌェミは「うっ」と声を漏らして手すりを離してしまった。一気に重力がかかったヌェミの体を支える事が出来ず、ローサ達もまた手を離してしまった。

「ヌェミ!」

 娘が叫んだ時にはもう遅い。ヌェミの体は勢いよく地面へ落ち、ゴロゴロと転がってしまっていた。

「へっ! 大人しく降りてりゃ良かったんだよ」

 そう言って、男は小型艇へひょいと乗り込んだ。


「てめぇ……」

 ローサが睨む。

「なんだよ。文句なら後からいくらでも聞いてやる」

「やって良い事と悪い事があるだろうが。相手は女だぞ」

「だからなんだ」

「レディーファーストって言葉しらねぇのか?」

「はっ? 何だそれ。強い奴が生き残る。今はそういう状況だろうが」

「助けて貰ってる奴が言うセリフか? 今すぐ叩き落とすぞ、あぁ?」

「やってみろよ! やれるもんならよ! えっ?!」

 触手が伸びる限界値まで高度は上がり、距離も取った。幾本もの攻撃が届かずに諦める中、一本だけギリギリ届いた。それは小型艇ではなく、ハッチの際で悠々と立っている男を捉えた。

「ちょ、おい! くそっなんだっ! 離せっ」

 腹部だけが水に浸っている様子で巻き付いた触手は、強い力で小型艇から男を引き離して連れ去った。


「救う価値無し」

 ルマーナは言った。

 仲間達も同じ気持ちなのだろう、誰も助けようとしない。ベティーも恐らく、男を狙って伸びる触手をわざと見逃したのだ。


「一旦そのを降ろして直ぐに戻って来てちょうだい」

 ルマーナはマイクのスイッチを押して指示した。

『はい。急ぎます。それまで持ちこたえてください』

 パウリナの声が届いて、小型艇は離れて行った。

「おい! お前ら助けろっ」

 叫んでいる男はゆっくりとキャニオンスライムの口部へ持って行かれる。


「どうしますか?」

 キエルドが聞いて来る。

「どうしようか」

「一応助けますか? 因みにあの男、数日前ティニャを殴った詐欺男、タボライですよ」

「ああ……あのゴミ男ね」

「何してんだっ。早くしろっお前ら」

 タボライは体に巻き付いた物を引き離そうとあがいていたが、びくともしない為、既に諦めた様子で、懸命に仕事をするルマーナ達へ文句を投げている。

「おい! どうにかしろクソ野郎共!」

 救う価値無しと思ったが、一応全員を救うつもりで来たのだから、救う努力はしようとルマーナは思った。


「ちっ」と舌打ちをしてルマーナは引き金を引いた。

 バースト射撃がタボライに巻き付く触手へと撃ち込まれた。するとビクンと波打ち、タボライを離した。

「おっしゃ!」

 そう言ってタボライは着地しようと体制を整えた。だが、着地点にはキャニオンスライムの口があった。落ちると同時に口がヌルリと開いた。

「ちょ、おいおいおい!」


 運が良いと言うか何と言うか。

 タボライは口部の硬い部分へ着地した。

「うぉぉ……セーフ」

 そう言って冷や汗を拭った。

「おせぇぞお前ら! 危なかったじゃねーか!」


 ルマーナはタボライを見て、馬鹿な男だ、と思った。

 せっかく救ってやったのに、全てを無駄にしている。

「ちゃんと船は戻って来るんだろうな!? まずは俺だぞ!」

 等と喚いて、そこから動かない。

「馬鹿ですね」

 口に出すのを我慢していたルマーナに代わって、キエルドがはっきりと言ってくれた。

 さっさとそこから離れれば良いのに、どうして文句ばかり垂れているのか。

 宙に浮く形で移動するキャニオンスライムは、胴体部分から見ると確かに地面までの距離がかなりある。だが、その体を支える幾本もの触手が渓谷内に張り巡っているのだ。そこを伝って滑り降りれば良いだけなのに。


 触手はタボライを襲わない。いや、襲って来ない。

 ルマーナでも分かる。

 キャニオンスライムにとって彼はもう、眼中に無いのだ。

 上から目線で罵り続けるタボライの片足がガクンと落ちた。

「へ?」

 そして、ずぼっと粘度の高い沼に落ちる様にその足を突っ込んだ。

 キャニオンスライムの口はゆっくりと開き続けていた。

 奴からすれば”動かない餌は捕食済み”なのだろう。

 ルマーナ達からすれば”救う価値無し”と判断された人物。後は自力で何とかしろ、生きてれば最後の最後に救ってやる。その程度の存在。


「ぎゃぁぁぁ」と悲鳴を上げたタボライの足は恐ろしい勢いで溶けた。

 開き続ける口はもう一方の足も捕食する。

 タボライは必死にしがみつき、なんとか這いずり上がったが、既に両足は消えていた。股下付近の断面には、溶けかかった骨と肉が少しだけぶら下がっている。「あぁぁぁ」と泣きながら腕だけで這い、ゴロゴロと転がって地面へ落ちると、ドスンという音と共にボギッと鈍い音がした。

 「うう、うう」と呻く声が漏れている。

 即死しなかったのは……運が悪かったとしか言いようがない。

 キャニオンスライムは食べこぼした餌を拾いあげる様に、ゆっくりとタボライを掴んで、そのままポイっと、まるでゴミを放り込むかの如く自身の口へと投げた。

 そして小さな断末魔が聞こえた。

 ルマーナ達は皆、駄目だったか……と思うだけで、そんなタボライを無視して仕事に集中した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る