闇の中から【8】

 逃げ切る事が出来ずに、全員食べられて終わる。

 緑の何かを見た瞬間からティニャはそう思っていた。

 心の奥に冷静な目で様子を伺うもう一人の自分が居て、何も出来ないと嘆いている。

 諦めたく無かったが、その感覚はきっと無意識下にある本能だと思い、自然と自身の考えも半ば諦めた形となっていた。

 バッと広がった触手が掴みかかろうとした時は、走馬灯の様に家族の事を思い出してしまい、素直に死を覚悟した。

 だが「ティニャッ!!」と呼ばれた瞬間、死の覚悟が生きる覚悟へと変わった。

 もう一人の自分も、一縷の望みにかけたような、希望を見つけたような、そんな感覚へと変わっていた。


「走りなさい!」

 ルマーナはそう一言だけ叫んで、次いで襲って来る脅威を阻んでくれた。

 ティニャは頷いて、走り出した。

 何が起こったのか分からないといった様子でルマーナ達を見上げるラモナに向かって「立って!」と叫んだ。

「え? あっ」

「おか……ルマーナ様が助けに来てくれたっ。だから走って」

 ティニャはラモナの手を取って、ぐっと力一杯引っ張った。

「早く……んんん」

 細くて筋肉の無いティニャが引っ張っても然程として動かない。しかし、懸命に踏ん張って立ち上がらせようと努力した。

「きゃ!」

 ラモナを狙った脅威が彼女の目の前で弾かれた。

「早くしなさいっ」

 叫ぶルマーナをもう一度仰ぎ見て、漸くラモナが立ち上がった。

「ティニャちゃん、ごめん。行こうっ」

 掴まれた手を掴み直し、今度はラモナがティニャの手を引いて走った。


「あの人がルマーナさん?」

「そう。助けに来てくれたの」

 ずっと一番通りで働いてきたラモナは初めてルマーナを見たのだろう。変な疑惑をかけられない様に他の通りには行った事が無いと言っていたのを思い出した。

「船っ!」

 ティニャが指さししながら言うと、ラモナも「うんっ。これで助かる」と言った。

 だが、小型艇のサイズ的に、一度で運べる人数には限りがあると思えた。ずっと先を走っているヌェミ達を乗せるのが限界に見える。

 きっと、一度降ろしてまた助けに来る、その繰り返しだろう。それまで走り続けて生きのびないといけない。


「うっ」

 少し大き目の石が腰付近にぶつかって、少しよろめいた。

「ティニャちゃん?! きゃっ」

 ラモナが振り返りながら言った瞬間、彼女の肩にも小石が勢いよく飛んできた。

 追って来る脅威はルマーナ達によって追い返される。だが、勢いづいたそれは、機械の様にピタッと止まる訳ではなく、勢いのあまり地面に激突する場合もあった。その時の衝撃で地面が削れて石が飛ぶ。

 背後や左右でそんな衝撃がある度に、石が体に当たってきた。

 男の様に早く走り、俊敏に避ける事など出来ない。そんな彼らだって結局は掴まり、残る一人がずっと先を必死に走っている。

 ルマーナ達が居るからこそ、今まだ無事でいるのだ。石くらいどうって事ない。

 そう思いながらティニャは走った。


 そんな中、小型艇で何やら問題が起きていた。

 先頭に追いついた男、タボライが「いいから俺を先に乗せろ!」等と叫びならがヌェミの足を引っ張っている。

「酷いっ」

 息を切らしながらラモナが言った。とその時、触手が小型艇にぶつかって、ヌェミが落ちた。一瞬タボライに殴られた様にも見えた。

 女が走る程度のスピードで飛ぶ船だが、二メートル以上の高さから落ちれば結構な衝撃だろう。

 ヌェミは勢いという見えない力に引きずられ、足、腕、最終的に顔面を地面に擦り付けながら転がった。

 ピクリとも動かない。気を失ったのだろうか。

 早く彼女の元へ辿り着かなくては、と思ってスピードを上げた。同時にラモナもスピードを上げた。


 掴まって何かを吠えるタボライが頭上を通り過ぎた。

「あ!」

 ティニャはタボライを目で追った。

 助ける力が自分にあれば、直ぐにでも助けに向かう。ヌェミに酷い事をした人であっても自分ならばきっと助ける。でも、そんな力も手段も無い。

「……ごめんなさい」

 そう小さく呟いて、これから行われる凄惨から目を背ける様に視線を戻した。

「ティニャちゃんのせいじゃない」

「うん……」

 何で、どうして、こんな事になっているのか。犠牲になった人達は何か悪い事をしたのだろうか。逃げるラモナ達や自分も何か悪い事をしたのだろうか。自分が下級市民だからだろうか。運が悪かっただけなのだろうか。そんな疑問が不意に出た。


 自分は世の中の事を知らない。街から出た事も無いし、街の外にどんな世界が広がっているかも分からない。ただ、人の世界は理不尽で、外の世界は弱肉強食なのだと学んだ。今まさにその授業を受けている。でももし、生き残れたなら、この先の人生全てをかけて変えていかなければならない。平等で差別のない世界、強者にも対抗できる手段がある世界。そんな世に変えるべきなのだ。こんな授業を受けている意味は、それが出来る人間になれという事なのだ。


 眩しい光を背に浴びて、凛々しい姿で銃を構えるルマーナ。

 強くなれ。

 彼女の姿はそう訴えかけていた。

 そして耳元で、ティーヨもそう囁いている気がした。


「ヌェミさんっ」

 名前を叫びながらラモナがヌェミの元へ駆け寄った。

 息を切らせながらティニャも駆け寄って、直ぐにヌェミの様子を伺った。

 ラモナがヌェミの頭へ手をやって、少しだけ持ち上げると「……うぅ」と声を漏らした。

 意識はあった。でももう、生きる気力も体力も無い様子だった。

 酷い傷が手足にあった。顔の右側には額から瞼までの深い擦傷があって、治っても痕が残るレベルだった。

 頬がこけるくらいに痩せているが、顔立ちは整っていて、こうなる前はきっとかなり綺麗な……いや、可愛い人だったのだろうと想像出来た。


「大丈夫?! 立てる?」

 ラモナがそう言うと、薄っすらと目を開けたヌェミは「……置いて行って」と言った。

 右目には滲む様に血が入っていて、真っ赤になっていた。もしかすると眼球も傷ついているのかもしれない。

「何を言ってるの。そんな事出来ないっ」

 言いながらラモナは無理やりヌェミの上半身を起こした。

「……もう辛いの。生きていたくない」

「そんな事言わないでっ」

「私にかまってるとあなた達も犠牲になる。お願い。逃げて。……死なせて」

 彼女の歩んだ人生……なんてティニャには分からない。

 でも、彼女の痩せた姿を見れば、死にたくなるくらい辛い人生を送って来たのだろうと容易に想像がついた。それに、最後の一言には、他者を簡単に納得させるだけの重みが乗っていた。


「そんな事……言わないで」

 ネガティブな思考はラモナの思考までネガティブにした様だった。

 ヌェミとラモナが同調していく。

 先月姉が死んだと聞いた。ラモナも辛い人生を歩んでいるに違いない。

 だが、それでも……。


「生きてっ!!」

 ティニャは叫んだ。

 驚いたヌェミとラモナが目を丸くして視線を向けた。

「今は生きてる! これからもずっと、死ぬまで生きてる!」

 ティニャはヌェミの手を取り「んんん」と引っ張った。

 肘や膝を擦りむいて、目元に大きく腫れた痣を持ったティニャの体。

 それを観察するかのようにヌェミが見て来る。

「女の子は強いの! 誰にも負けないの!」 

 こんな事を言える自分にびっくりした。

 でも本心だった。ルマーナの姿がそう語ったのだ。

「絶対にっ負けないのっ! だからっ立って! んんん~」

「……そ、そう! まだ生きてる。諦めちゃ駄目。立って!」

 ハッとしたラモナも一緒になってヌェミの手を引いた。

 ヌェミはティニャの顔とラモナの顔を交互に見た。

 そして意を決した顔つきになり、痛みを堪えながら立ち上がった。


「さぁ、頑張って走って」

 ラモナがヌェミの肩に手を回し、補助する形で前へ進んだ。

 足を捻った、又は折ってしまったのだろう。ヌェミは片足を引きずっている。

 走るとは程遠いスピード。どんなに頑張っても歩いているのと変わらない。

 でも、生きている。まだ、生きているのだ。

 女はしぶといのだ。

 ティニャはそう思いながらヌェミの腰に手を添えて……走った。






「打ちますか?」

 キエルドが聞いて来る。

「まだ……よ」

 タボライの事は残念だった。というのは冗談にしても、ルマーナの中では多少の感謝はあった。クズなりに役に立ったという所だ。

「ですね。しかし、チャンスですのでこの機を逃さないでくださいね」

「わかってる」

 そう言いながらルマーナはティニャ達とキャニオンスライムを交互にチェックした。


 ティニャ達は小型艇から落ちて動かなくなったヌェミの元へ向かっていた。キャニオンスライムは進行を停止して、タボライを味わっている。それでも多少の攻撃はある。だが獲物を狙うのでは無く、邪魔者を排除するかのようにルマーナ達だけに攻撃を続けていた。


「どう?」

 マイクに向かってそう問うと『今降ろしました。これから戻ります』とローサの答えが返って来た。

「厳しいですね」

 キエルドが小さく肩を落としながら言った。

 タボライの犠牲によって得られたチャンス。相手の足が止まり、手数も少なくなった今なら銛を打ち込める。だが、出来る事なら小型艇での救助中に銛を打ち込みたい。今使ってしまうと、小型艇が戻るまでの間に銛の効果時間が切れてしまう可能性があった。

「間に合うと思う?」

「今打てば確実に間に合いませんね」

「弾も半分切ったし、まいったね」

 想像以上の弾の消費。その不安からルマーナ達は焦ってしまう。

 弾を使い切ってしまえば、頼みの綱は電撃銛と緊急事態用の武器しかない。それすらも使い切ってしまうと撤退せざるを得ない。

 キャニオンスライムに取り込まれたタボライはもうすぐ消える。消えて無くなれば進行し始めて、攻撃の手数も増える。


――打つのはまだ……。もう少し、もう少し待って……から……。


 消えるタボライに注視しながら悩むルマーナ。

 すると不意に「生きてっ!!」とティニャの叫びが届いた。

 幾らかの銃撃音が響く中、ティニャの声は空気を突き抜ける様に皆に届いた。

 驚いたルマーナはティニャへ視線を向けた。キエルドも一緒になってティニャを見ている。

 ティニャは懸命にヌェミの手を引いて、懸命に叫んでいた。

 会話をしてみれば、子供らしいというか、子供だなと思える程度の少女。

 恋愛云々には察しが良く、気を使う事も出来きて仕事を二つも掛け持ちするくらいの頑張り屋。でも相手の顔色を伺う気弱さと、何事にも強く出れない消極性がある娘。少しぼやっとしている雰囲気すらある。

 ルマーナから見たティニャの印象はそんな感じだった。

「今は生きてる! これからもずっと、死ぬまで生きてる!」

 だが、考えを改めないといけないと思った。


「あんなでしたか?」

 キエルドが不思議そうに聞いて来た。

「女の子は強いの! 誰にも負けないの!」 

 ティニャの叫びが響く。

 ルマーナは優しく笑った。

「そう。女は強いの。……変わる時は、一瞬なんだよ」

「ルマーナ様みたくなりそうですね。あの娘」

「なって貰わなきゃ困る」

「面倒みきれませんよ」

「あんたが面倒みて貰う立場になるかもよ?」

「そっちの方が良いです」

「なら、命がけで救うよ」

「そうしましょう」


 士気が上がった。

 小さな少女が放った言葉は、この場に居る大人全員の心を掴んだ。

 カリスマを持つ者は、たった一言二言で人心を掌握する。

 なんでも無い言葉でも超自然的な力で強制的に突き刺さる。

 バラバラに散らばる欠片を一点に集約し、他を心酔させる力。無意識下でも、人を惹きつけてしまう力。

 ティニャにはそれがあるのかもしれない。しかも相当強力な。

 あと数年経てば、誰もが驚く程の美人に育つ。たった一度会う為だけに全ての財産を投げ出すような男が現れる。そんな女に育つ。

 可能性ではない。ルマーナにとっては確信だった。


「キャロル今よっ! 打ちな!」

「オッケー! ぉうりゃ!」

 タボライを食べつくして動き出す直前、キャロルの放った銛がズブリと刺さった。

 一気に電流が流し込まれ、飛び出す触手の勢いが殺される。

 ぐぐぐとゆっくり鈍足になり、馬鹿でも核を撃ち抜けるくらいの弱体化を示した。

 たった三分しかない。恐らく、パウリナ達の小型艇が戻るまで効果は続かないだろう。

 だが、それでも良い。

 走れないヌェミを支えて逃げるティニャ。

 こんなにも優しい少女を救わなくて、自分の居る意味は何処にあるのか。

 今、この時、少しでも遠くへ逃げる時間を稼ぐ事が出来ればそれで良い。

 緊急事態用の武器もある。

 時間さえ稼げれば、後は……仲間に任せれば良い。


 最終的には自分の命もあるのだから。

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