闇の中から【6】

 ルマーナは走った。

 背負った細身の銃剣が重く感じた。

 渓谷はルマーナから見て逆Yの字になっている。ルマーナが走る場所はYの字の中心。分岐点へ向かう場所だった。


 ルマーナから見て右の渓谷。

 こちらにティニャ達全員が居れば、ロクセ班と共に救出出来る。だが、逆側へ逃げていた場合は、中心部を走るルマーナ班しか行動出来ない。

 ロクセ班が渓谷を渡って来るまでどれだけ持ちこたえられるかが勝負。

 こっちに逃げて来て! と願いつつ、崖下を確認しながら走っていると『見えました!』と少し上空を飛ぶパウリナから通信が入った。

 丁度ルマーナにも人影が見えた。


「いた!」

「何人ですか?」

 後ろを走るキエルドが聞いて来る。

 一度走るのを止め、小型の双眼鏡で覗いた。

 一、二、三、四……四人。たったの四人。しかもティニャの姿は無い。

「四人。ティニャは居ない」

「そうですか。では二手に分かれていますね」

「最悪なパターン。まいったね……」

 ルマーナはマイクのスイッチを押して「パウリナ! もう一方のルートを見て来て! 直ぐに!」と指示をした。

『はい!』

 上空を飛ぶ小型艇が軌道を変えて確認に向かった。


「こちらも二手に分かれる事になります。厄介ですね」

「こっちの四人はロクセ班に任せて、あたい達は向こう側に行くよ」

「そうですね。その方が良いと思います」

 もう一方の渓谷まで数百メートルもある。キャニオンスライムはどちらのルートを選ぶのか……兎に角、今すぐにでも向かわないと間に合わない。


「ロクセ聞こえる?」

『ああ。聞こえてる。見えたんだろ?』

「地図にあった通り、渓谷が分岐してる。こっちには四人走って来る。ティニャ達は二手に分かれたかもしれない」

『そうか。ならルマーナ達は別の方へ向かってくれ』

「そのつもりよ。ここは任せてもいいね?」

『ああ。状況的に安全だったら出来るだけ早く援護しに行く』

「お願いね」

『ああ』

 マイクのスイッチから手を離して「いくよ!」とルマーナは叫んだ。

 走り出すルマーナに全員が続いた。

 少し走ると渓谷の分岐点辺りで緑色の何かが見えた。崖上を走っている為、地面からほんのり顔を出している程度しか見えないが、キャニオンスライムだと直ぐに分かった。


――まだ動いていない。ティニャ、無事でいて!


 もしかしたら、遅かったかもしれない。既に捕食されたかもしれない。

 嫌な想像をかぶりを振って払いのけた。

 パウリナが確認しに行ってからまだ一分と経っていないが、パウリナからの報告をまだかまだかと焦りながら待つ。

『いました!』

 ローサの声だった。恐らく双眼鏡で確認したのだろう。

『ティニャちゃんは無事です。手を引かれて逃げてる最中です。こっちの人数も四人です。あっ待って。後方に一人、男も走ってる。全部で五人』


――良かった!


 通信で話せば全員に聞こえる仕様になっている。

 ローサの報告を聞いて、皆が小さく歓喜の声を上げた。

「パウリナ、ローサ。高度落として救出に向かってちょうだい! こっちももうすぐ着くから。急いでっ!」

『はい!』

 自分は今、荒野タワーロックでムモールに追われている時よりも必死に走っているかもしれないと思った。


 拉致被害に合い、売買される子供達。男の子は他国の奴隷として小さい頃から道具の様に扱われ、女の子は主に娼婦として育てられる。

 目もあてられない現状をどう変えれば良いかとルマーナは考えた。だが、当時の自分には何の力も無く、ただ嘆いているだけの存在だった。

 そんなある日、兄の仕事場を見学する機会が訪れた。中級街にもこんなに華やかな場所があるのかと驚いた。兄の仕事場はロンライン二番通り。女に活気があって皆目的を持って生きている様に見えた。実際は想像以上に重い現実と辛く悲しい人生を歩んでいる者が多かったのだが、その当時は全てが美しく見えた。

 ロンライン……人の欲が集まるその場所は、これからの自分に必要な舞台だと思った。


 兄へ自身が思っている事を全て話し、お互いの利点を加味した上で、ロンライン二番通りの全権を譲って貰った。

 大嫌いな親の権力を利用するのは本当に嫌だった。だが、そんな自分の気持ちは押し殺して、最大限利用させて貰った。

 兄が持っていた人脈と、親の人脈。

 国を動かすレベルの人脈は、そのまま自身の力へと変換される。

 法を作る者、経済を御する者、国や街を守る者、様々な上級市民を駆使して少しづつ国を変えてやると意気込んだ。それと同時に、自分が管轄する二番通りをもっと住みやすい場所に変え、女が強い存在になれるようにと考えた。


 紆余曲折を経たが、今では二番通りの女は夢を持ち、愛を持ち、希望を持つ者が多く集う場所となった。人それぞれ事情はあるだろうが、少なくとも、何かを叶える力を最大限生かせる場所となった。協力者と共に少しづつ、変態共に囚われた女や一番通りの女を救い、今も着実な成果を上げている。

 特に大きな変革を興せたのは数年前のバルゲリー家との一件。

 一族のトップに君臨する人物が変わってからお互いに理想を分かち合い、人身売買を厳正な取り締まり対象にした事。それに追随する様に法を作った事。

 この一件が治安を安定させる大きな要因となった。

 治安維持に加えて司法権も有する、この国有数の一族と人脈を築いた事は、社会の変革にとても大きく作用する。

 他に暗躍している者が居ると聞いたが、ルマーナにとってはどうでも良い事だった。見えない相手でも、自分と志を同じくしているのならば、それだけで十分信頼に値すると思うからだ。


 部屋の窓から自分が生きる小さな世界を眺めて嘆く日々は、大いなる変革の夢に熱情する日々へと変わった。

 昔に比べたら幾らか良い国になったと思う。だが、まだまだだ。

 ティニャの様な子供が餌として扱われる状況を、そんな事を見て見ぬふりする国をどうして良い国と言えようか。まだまだなのだ。理想はずっと先にある。


「どうして、遊んじゃいけないの? トットの事も紹介してあげたいし、一緒に遊びたいんだ、僕。……ねぇ、どうして会っちゃいけないの?」

 歳の離れた弟が言った言葉。

 厳格な父親は中級市民と我々が住む世界は違うという。ましてや下級市民と個人的に会う事などもっての外だと断定し、律する。

 他と比べて、かなり頑固な父親だと思う。

 だからこそ、ルマーナは思った。弟が自由に友達を作れる世界を作りたいと。

 弟は死んでしまった。若くして死んでしまった。

 弟の存在が、言葉が、自身の理想の根底にあるもう一つの核だとルマーナは思っている。

 全てはそんな世界を作る為の土台となる。

 もし、弟が生きていたら、弟が欲する世界があったとするならば、きっとティニャと友達になっていただろう。いや、ティニャの方が少し年下なのだから、良いお兄さんになっていただろう。


「ティニャッ!!」

 ルマーナは叫びながら銃の引き金を引いた。

 転んで至る所に擦り傷を作り、殴られたと思われる紫色に腫れた目元を向けるティニャ。

 少し眩しそうにしながらも、パァっと笑顔を向けるティニャ。

 性別が違う。

 でも一瞬。

 ティニャの姿が弟に見えた。






 ふざけるなと六瀬は思った。


――情報と違うだろ。


 幾つかある仕事の依頼と共に書いてあった情報。そこには救出して欲しい人達が配置される場所が示してあった。

 その情報を元に予測地点を進言し、作戦を練った。勿論、六瀬が持つ情報は公開せず、あくまでも予測と言った雰囲気で伝えた。

 だからこそ、情報と違う事態に幾ばくかの憤慨も現れる。


――輸送した奴らの独断だろうな。……助けて欲しいと依頼してるんだ、偽の情報を与えるなんてあり得ない。くそっ。厄介な状況だな。


 ルマーナ達は渓谷を渡って向こう側に居る。援護に向かわなければ、恐らく大きな被害が出ると思われる。

『ロクセさん! 見えました!』

 アズリの声が届いた。

 小型艇がもっと高く飛べれば、その分早く発見出来るのだが、あまり高く飛ぶとエルジボ狩猟商会から目視されかねない為、結局非効率な行動しか出来ない。

 そこまで高くない木々と同レベルの高度を保つ小型艇で発見出来るという事は、然程の時間差も無く、六瀬達にも発見出来る。


 ルマーナが伝えて来た通り、四人の女が必死に走っていた。

「こちらも確認した」

 そう言うと同時に六瀬はサーモグラフィーを起動した。

 小動物がうろちょろしているその先に、大きな物体が姿を現す。温度が低い為、それがキャニオンスライムだと判断するのは容易だった。


――こっちに向かって来そうもないな。


 よく確認すると、胴体から伸びている物はこちらの渓谷には無かった。分岐点で留まっているが、数本の触手を別の渓谷へと伸ばしている。もう既に行き先を決めている雰囲気だった。

 ついでに拡大して向こうの渓谷を確認すると、五人の男女が走る様子が見えた。一人は背丈の小さな子供。どう考えてもティニャだろう。

 とにかくまずは、こちら側を処理しなければならない。


「ザッカ。あの四人の……彼女達の救出に向かってくれ」

『もう行っても良いんすか?』

「ああ」

『援護頼むっすよ』

「大丈夫だ。いいから直ぐに向かってくれ」

『了解っす』

 小型艇がスピードを上げて、必死に逃げる四人の元へ向かった。


「まだ距離があるわ。援護するにも……」

 と、カナリエが後ろから声をかけてくるが「問題無い。こっちは大丈夫だろう」と六瀬は答えた。

「なんでそんな事言えるのよ!」

 今度はレティーアが喧嘩腰で問う。

「分裂するという話は聞いていない。一体しかいないのならばどちらかを選択する事になるだろ? そしてこっちには四人しか走って来ていない。逃げ切った男も居れば、向こうの渓谷に集まっている可能性が高い。ならば、キャニオンスライムが向かう先はどっちになる?」

「……餌が多い方」

「そうだ。だからこっちは襲われる確率が低い。大丈夫だ」

「むぅ……」とレティーアが納得し「だな」とメンノが同意する。

 と、ここで『いました!』とローサの通信が入った。そしてティニャも無事だと言う。


「やはりな」

 確認して知っていたが、わざとらしく言う。

「……それで、だ。俺はここをお前達に任せて、先に渓谷を渡ろうと思う」

「え?」

 と声に出したのはカナリエ。他は何を馬鹿な事をと言わんばかり。

「いやいや、待て、ここ相当高いぞ。時間かければ行けそうだが、安全を考えるなら、小型艇で救出した後だ。その小型艇で俺達を向こう側に運んで貰うってのが最善だろ?」

 メンノが言う事は正しい。だがそれでは間に合わない。銛が……だ。

「言う事は分かる。だが、電撃を食らわせなければ動きを止められないんだ。電撃武器の予備もあるが、どれだけ効果があるか分からないだろ? あっちには実質一丁しかないような物だ。相手の攻撃がどれ程かも分からない中で、それではあまりにも心もとない」

「そ、そりゃそうだが」

「だから俺からの提案だ。皆聞いてくれ」

 走るのを止めて、六瀬は自身が最善と思う策を語る。


「まず、銛を持った上で俺がこの崖を下り、向こう側に渡る。大丈夫だ、こういう訓練もしてきたからな。この程度あっさりと渡れる。そしてアズリ達だが、四人を救出した後、単独で来て貰いたい。何故ならば、俺が銛を持って行くし、あちらの救出数は五人。予定数よりも少ないからだ。牽制よりも救出手段が多い方が有効だと思う。それに全員を運ぶ時間の方が惜しいからな」

「じゃあ、俺達は?」

「カナリエとレティーアは保護した四人に念の為ついてやっていて欲しい。何があるか分からないからな。メンノとダニルはここを自力で越えて来てくれ。男だったら出来るだろ?」

「ま、まぁな」

「何か意見は?」

「……いや」とメンノ「……確かにその方が良さそうね」とカナリエ「……分かった」とレティーア。ダニルは無表情でコクリと頷くだけ。

「ならばそれでいこう。アズリ達には戻って来たら伝えておいてくれ」

「ええ」

 カナリエが返事をする。

 とその時、発砲音が鳴り響いた。

 大きな発砲音はキエルドの大型で細身の銃。細かい発砲音は皆が持っている銃よりも少し高音。恐らくルマーナの銃剣から出た音だろうと推測した。


「始まったな。ダニル、銛を貸してくれ」

「ああ」

 両肩に掛かるベルトが胸元で繋がっている。そのベルトの脇付近から背中まで簡易的なレールが取り付けてあり、スライドさせて背負っている状態の電撃銛。大型のバッテリーも一緒になっている為、かなりの大きさがあるが、使用時にはレールを滑らせて脇下から銛先を向けられる仕様になっていて、使い易そうだと感じる。

 そんな便利武器をダニルは軽々と外して渡してくる。

 六瀬もまた軽々と受け取り、軽快に背負って装備した。

 銃は念の為装着してきたベルト部分をたすき掛けで持ち直した。

「よし。行って来る。後は任せた」

 言って六瀬は迷う事無く崖へ飛んだ。

 瞬間的に足場を確認し、同時に無難な場所でホールドする。比較的楽な場所はそのままステップする様に下り、勾配が急な場所はアンダーだろうが何だろうが様々な角度でホールドする。

 勿論、裂け目も有効活用して素早く地面を目指した。


「え? マジ?!」

「うお! すげー!」

 頭上でレティーアとメンノの驚く声が聞こえる。

 地面に足をつけるまで二分とかかっていない。

 そのまま走って今度は崖を上る。似たような動作に様々なムーブを駆使してあっという間に登り切った。

「古代人って身体能力高いのね。人間じゃないみたい」

 後ろからカナリエのそんなセリフが耳に届いた。聴覚拡張は、ある意味地獄耳だ。

 少しやり過ぎたか? と素直に反省した。

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