プレゼント【3】

 自室の隣には、脱衣室とトイレ、そしてバスタブ付きのシャワー室がある。

 脱衣室に入るや否や、ルマーナはがばっとワンピースを脱ぎ捨て、そのままの勢いでセミロング丈のスリップも脱いだ。

 ティニャはというと、もじもじしながらボタンを外すも、だがその手は進まず、むしろ手を止めてじっとしていた。


「お手紙読まなくていいの?」

 ティニャが上目遣いで聞いて来た。

「ん? ああ、どうせ中身は請求書だしね。後から確認するよ」

 今回届けられた封書は普段とは違う物。そんな時は何かしらの情報が入っている。

 懸念する案件は常にあるが、今の所解決の目途が立っている物ばかりだから、急ぎの情報でもないだろうと思う。

 それに、今は読んでる暇がない。


 ルマーナは左腕のアームカバーを取るよりも早く、ブラジャーのホックに手をかけた。

 ホックを外すと大きくて柔らかい胸が重力に負けて少しだけ弛んだ。

 ブラもまたワンピースと同様にポイっと投げ捨て、ぶるんとその胸を揺らす。

 ティニャはそんなルマーナを見つめて「お母さんみたい」と呟いた。

「そう? じゃあ、ティニャのお母さんは美人なんだね」

「うん。もう居ないから懐かしい」

「あら残念。一度会ってみたかったわ」


  知っていたが知らないふりをした。

 いつも来るバイドンからの使いの子は、弟と二人暮らしをしている少女だと聞いていた。店の娘は皆、その子を可愛がって、店に来る度に何かしらのお土産を持たせて帰らせる。

 その子が今、目の前にいる。

 油っぽくてボサボサした髪、薄汚れた肌、染みのついた服。

 下級街の孤児の特徴だと改めて思った。でもこれは、まだ良い方。


「でも、ルマーナお姉さんの方がお母さんより綺麗だよ」

「嬉しい事言うじゃないか。……ティニャ、あんたもお母さんに似て美人になるよ」

「そうかなぁ」

「あたいが保証する。あんたは誰もが振り向くイイ女になる、ってね」

 店の娘達が可愛がる理由はティニャに会った瞬間に分かった。

 数々の娘を見て来た自分でも、一瞬息を吞んでしまう位の原石。今から常識や礼儀作法、そして女としての心構えを教えていけば、外からも内からも妖艶な魅力を溢れ出す女に育つと断言できる。

 子供の居ない本店の娘達ならば、こんな子を娘にしたいと思うだろう。

 正直言って、五、六年で良いから店で預かってみたいと思う。

 だが、これは経営者としての私欲。

 働く意思の無い娘を店に立つ前提として育てるならば、ティニャの弟も含めて本気で引き取る覚悟がないと、人としてやってはいけない行為だとルマーナは思う。

 商品として女を見てはいけない。それはルマーナが持つポリシーの一つだ。


「傷浅いし、大丈夫だね」

 屈んでティニャの唇に触れた。

 小さな切り傷から滲んでいた血はもう無い。

 二、三日もすれば、傷は殆ど見えなくなるだろう。

「昼間は助けてくれてありがとう。ハンカチも」

「いいよ。気にする事無いからね。むしろこっちが感謝してるくらい」

「何で?」

 聞き返されて言葉に詰まった。

 だがしかし、躊躇していた質問をするには良い機会かもしれないと思い、素直に答えを返した。


「……彼とのきっかけを貰ったから、かな」

「彼? ロクセおじさん?」

「おじさんじゃないでしょ。でも、あんた位の歳から見たらおじさんか」

「いい人だよ」

「知ってる」

「好きなの?」

 子供ながらのストレートな質問。そして鋭い。

 こういった感性が鋭い子は将来、男を上手に躍らせる女に育つ。

「わかる?」

「わかる」

「じゃあさ、ちょっと聞きたいんだけど」

「うん」

「アズリって子、彼とどんな関係?」

 子供にする質問ではないと分かっている。だからこそ躊躇していた。だが、ロクセを知る人物と二人っきりになれるチャンスはここしかない。


「同じ仕事してる人って言ってた」

「やっぱり。それで……」

「恋人同士かって事?」

 聞くより早くティニャは言った。

 やはり鋭い子だ。

「そう。恋人って感じだった?」

「違うと思うよ。アズリお姉ちゃん、ロクセおじ……ロクセさんにずっと怒ってたから。多分今も」

 見た感じ、ぽやっとしていて鈍感そうに見える。

 服を選んでいる時のきょとんとしていた様子を見るに、自分の理解が及ばない範囲では直ぐに状況把握が出来ないタイプなのだろうと思う。だが、人の感情には鋭い。ティニャは密かに人を良く見ている子なのだと感じた。

 逆にアズリは人を良く見ていて周囲に気を使えそうな子に思えるが、どこか鈍感というか抜けてる所がありそうだとルマーナは思う。


――怒ってる……か。まさかねぇ。


 夜の街に繰り出す男に嫉妬している、もしくは気に食わないといった感情から来る怒りなのだろうか。その可能性も無くは無いが、まだ子供とそう変わらない若い娘が親くらい歳上の男に抱く感情としては結構難しい。あり得なくは無い感情だが、年齢差を考えれば特殊な方でもある。

 いや、親類的感覚なのかもしれない。

 父親が知らない女と……と考えれば、娘としての感情で大いにあり得る。


「わかった。ありがと」

「ティニャに出来る事あったら言って。お手紙渡すくらいなら出来るよ」

「……ラブレターか……それも良いかもしれないね」

 ルマーナはくすっと笑った。

「さ、早く脱いで」

 こんな会話を続けるだけでも時間は刻一刻と過ぎていく。あまり時間をかけすぎると記憶が無くなるくらいにロクセが酔ってしまうかもしれない。飲ませ過ぎない様にと忠告しておいたが、彼が酒に強いかどうかはまだ知らないのだ。


 ルマーナは立ち上がって、きつく絞めてくる薄手のガードルを脱いだ。そしてショーツを脱ごうとした時、その手を止めた。

「どうしたのさ」

 ティニャはボタンを外した段階でそれ以上脱ごうとしなかった。むしろ肌を隠そうとして服をぎゅっと握り、胸元を閉じていた。

「もう」

 早く脱ぎなさいという気持ちを込めてルマーナは上着を勢い良く剥いだ。

「あっ!」

 小さく声を上げて両肩を交互に掴む形で胸元を隠し、ティニャは背中を丸めた。


 気づくべきだったと後悔した。頑なに脱ごうとしないのだから何かしらの理由があるのだと。

 伸びきっている上に所々破け、元々白かったとは思えない位に濁った色をしたキャミソール。そこから見える肌には暗い紫色の斑点が幾つもあった。

 肩口に胸元に、そして背中に。

 まるで、上着の外からは見えない部分だけを狙って付けた様な痣だった。

 ルマーナは無理やり剥いでしまった服を静かに床へ置き、ティニャの肩に手を置いた。


「……バイドンの所以外で働いてる?」

 重ねた手をギュッと握りながら聞いた。

「……うん」

「どこ?」

「一番通りの、ヘブンカムってお店」

「……そう」

 優しくゆっくりと、ティニャの両肩から手を引き離した。

 自然と丸めた背中が引き延ばされて、上目遣いのティニャと目が合った。

 ルマーナはティニャの頬に手を添えて、もう一度唇の傷に触れた後、体の痣に手をやった。


「大丈夫。これも……直ぐに治る」

 胸の痣、肩の痣、それぞれを優しく撫でる様に触れながら言った。

 そして、真っ直ぐティニャを見つめてこう続けた。

「ねぇ。ティニャ。あんたその店辞めて、あたいの所で働く気、ある?」

 働く意思があるのならば、それを全力で支える。

 いや、支えなければならない。

 この際、弟も一緒に引き取ってやる覚悟だった。

「……殴ったり蹴られたりしないなら、ここの方がいい……です」

 プツンと何かが切れた感覚がした。

 裏から手を回し、今まで何度も、出来る範囲で、一番通りの可哀想な娘達を救って来た。

 だが、時間がかかる。


――喧嘩? やってやろうじゃないか。


 沢山の痣が付く程の暴力。

 どんなに加減したとしても、大人の力は想像以上に強い。子供の、それも細身の体でどこまで耐えられるのか。加減を間違えてあっさりと逝ってしまうかもしれない。悠長にしていたら間に合わないかもしれない。

 今回は特にのんびりしてられないと思う。数日中に救わなければ。


「そう。分かった。……少し……我慢してて。あたいが必ず何とかしてあげる」

「いいの?」

「約束する」

「ありがとう。ルマーナお姉さん」

「ルマーナ様よ」

「え?」

「これからはルマーナ様って呼ぶようにしてあげる。慣れておきなさい」

 言いながらもう一度、胸の痣を撫でた。

 襟付き七分袖のフロントボタンドレスを選んで良かったと思った。

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