プレゼント【2】
酒が並ぶカウンターの横に少し大きな出入口があった。
ルミネの先導に、アズリはティニャの手を握ってついて行った。
店内を出て直ぐ廊下になっていて、その廊下と並列してキッチンがあり、その隣には控室があった。キッチンの壁は大きく横長にくり抜いてあって、その下に出来上がった料理を置くカウンターが設置してあった。
中を覗くと厨房服を着た二人の男性と、エプロン姿の女性が一人立っていた。
「私、ルミネ。ティニャちゃんと、えっと……」
控室前を通り過ぎる時、ルミネが軽く振り向きながら言って来た。
「アズリ……です」
「敬語使わないで。歳あまり変わらないだろうしね」
「はい。あ、うん」
可愛い笑顔を向けてくるルミネの身長は、アズリとそう変わらない。見た感じ、同じ歳くらいかと思えたが、明らかに自分よりも落ち着いた雰囲気を出している為、二つか三つくらいは上なのかもしれないとアズリは思った。
「それにしても凄いね。本店にお客で来るなんて」
「私はロクセさんの付き添いみたいな物だから、お客って訳じゃないし。ティニャちゃんはお仕事だし」
廊下の突き当りにエレベーターがあった。手前に階段があり、その横には食品倉庫があった。
「ううん。それでもお客様はお客様だから。それに、どんな理由があっても凄いと思う。本店って殆どが上級街の人だって聞いてるから」
ルミネがそう言いながらエレベーターのボタンを押した。
「普段はルマーナさんのお得意様だけとか?」
エレベーターが来る間、アズリとティニャを見つめるルミネ。
嬉しそうで、どこかほっとした様な顔をしている。
「うん。基本はそんな感じ。でも、普通の人も来るし、高いお金払えば一応は一見様も受け入れるみたいだけどね」
「へ~」
「今夜初めてお姉様達とお仕事出来るから緊張してる。でもアズリちゃんとティニャちゃんが居てくれて嬉しい。今夜は気兼ねなく楽しんでいってね」
チンと音が鳴り、エレベーターが静かに到着すると、ルミネに続いてアズリとティニャも乗った。
「ルミネ……ちゃんってメンノの紹介って聞いたけど……紹介って?」
最上階のボタンを押して、エレベーターの壁に背中を預けるルミネに問う。
女の子の紹介とは……もしかして悪い事に手を出しているのかもと、メンノを少し疑っている自分がいた。
ロンラインで働く彼女に聞けば詳しく分かるだろうと、そして聞きやすいだろうと思った。だが、聞いて直ぐ、失敗したと思った。
ルミネの顔が一瞬曇って、吐き出す様に答えたからだ。
「……私、大家族でね、しかも下級市民だったの。申請通って、最近やっと中級市民になってさ……漸くまともな生活出来る様になった」
「……」
「船掘やってるなら分かると思うけど、沢山お金稼ぐ方法ってやっぱり限定されてるの。私達みたいな普通の人は特に。……最初は、この仕事するのも嫌でね、でも、やらなきゃって。妹や弟達だけでも食べさせなきゃって」
下級市民が中級市民になるには、一定額の納税を一年間続けた後、それを継続出来るかどうか審査されて、職業や家族構成も含めた合格基準を満たす事が条件となる。申請の手続き自体は簡単な物だが、そもそも稼ぎの少ない下級市民に重い納税を強いる事が高いハードルとなっていた。
安いとはいえ、十八歳以下の子供にも納税義務があり、親を亡くした子供は否応なく極端に安い納税で済む下級市民となる。
まともな暮らしをしたいのなら納税を。奴隷の様な扱いを受けてもいいなら少ない納税の下級街で好きにすればよい。というのが、この国のあり方だ。
子供や老人など支払い出来ない者も多く、実際は半数以上の下級市民は納税していない。だからこそ、国からは全てにおいて最低基準の保護しかして貰えない。
昔と比べたら大分マシになったと、昔を知るオルホエイやカズン達は言うが、ここ数年しか知らないアズリとしては今でも十分酷い状況だと思っている。
隣で手を握っているティニャを見ても、服装からして良い暮らしをしているとは思えない。
こんな状況を誰かが変えてくれたら……といつも思う。
「どうすればいいか分からなくて、ロンラインの前でウロウロしてたらね、メンノさんに声をかけて貰ったの。そしてルマーナ様の姉妹店を紹介してもらって、今に至る感じ」
メンノは彼女を助けた、と言う事なのだろうか? と思っていると、続けてルミネがその答えを話す。
「私はメンノさんに会えて良かったって思ってる。悪い仲介業者に捉まってたら多分一番通りの危ないお店に連れて行かれてたと思う。二番通りではお金の絡む仲介は禁止されてるからね」
「私もここに来る間、メンノの紹介する子だと思われてたみたいで……」
エレベーターがチンと鳴り、扉が開いた。
あははと笑うルミネに続いてエレベーターを降りた。
「普通は皆そう思う。だってメンノさんってこの辺りじゃ有名人だもん」
「有名人?」
「うん。二番通りで女の子を紹介出来る人って限られててね、その内の一人がメンノさんなの。色んなお店の経営者からの推薦があった人だけが女の子を紹介出来るって形。勿論、無償でね」
「じゃあ、それだけ飲み歩いてるって事か……」
「あはは、そうだね。確かに」
メンノはきっと、ルミネの様な女の子に希望を与えているのだろう。
同時に、底辺から這い上がろうとする者を餌にしている輩から、自分が出来る範囲で守っているのだ。
だが、それはメンノから見た正義。
全ての女性が望んでこの場所にいるわけではないとアズリは思う。
「この仕事、今ではどう思ってるの?」
最上階の殆どはルマーナの部屋となっているらしく、一本の廊下の左右に大きな扉が二つあるだけだった。
左側の扉の前に着いた時、アズリは自然とそんな事を聞いた。
ノックしようとするルミネはピタリと手を止めてゆっくりと振り向き、こう言った。
「天職だと思ってる」
晴れやかで幸せに満ちた顔。悩みも不安も無い。そう訴えかける表情をしていた。
全ての女性が望んでこの場所にいるわけではない?
だから何だというのか。
マツリの為に危険な船掘業をやっている自分もそうじゃないか。
どんな仕事をしてても同じ事なのだ。
まるで上から目線の理解者気取り。
ルミネの顔を見た瞬間、そんな自分が恥ずかしくなった。
「……ごめんなさい」
「いいの。気にしないで」
晴れやかな表情のままにそう言って、ルミネは向き直った。そしてもう一度ノックしようとするが手を止めて「ありがとう。心配してくれて」と小さく言った。
「ルマーナ様、ルミネです」
ノックした後声をかけると「入りなさい」と直ぐに返事が返って来た。
「失礼します」
二枚扉の片方を開けて中に入った。
すると大きくて長いソファーの前に何やら悩みつつ立っているルマーナが居た。
「うわ」
アズリはつい声を出してしまった。
店内と同じくらい広い部屋に、壺、時計、絵画、彫刻等の様々な調度品が置かれていて、大きなシャンデリアがそれら全てを明るく照らしていた。奥には大きなデスク、その横に天蓋付きのベッドがあり、クローゼットも本棚も全て一つの部屋に収まっていた。右側の壁には扉が一つあって、その手前には驚く程大きなドレッサーが置いてあった。
この部屋だけでアズリの部屋がいくつも入る。これが個人の部屋なのだから、誰が見ても驚かざるを得ない。しかし、アズリの声はそれに対する感嘆ではなく……絶句から派生した声だった。
一言で言うなら酷い、だ。
まず、ベッドは乱れて毛布等が床に落ちており、デスクの上にも書類と酒瓶がごっちゃになった状態で放置してあった。ドレッサーには化粧品も香水も、様々な用具が数えるのも億劫になりそうな程置いてあり、置ききれない物は床に転がっていた。部屋の至る所に服や下着が脱ぎ捨てられていて、ソファーの前にあるテーブルの周辺とその上には酒の空瓶と皿、使用済みのグラスが幾つも置いてあった。入り口周辺とソファー前の服だけが綺麗に片付けられていて、その床が妙に目立った。
「二人共、名前は?」
ソファー前に佇むルマーナが顔を向けて言った。
「アズリです」
「ティニャ……です」
「そう。こっちに来なさい」
言われて咄嗟にルミネを見た。
ルミネはアズリの視線だけでその意味を捉えたらしく、言われた通りにしてと言わんばかりにコクリと頷いた。
アズリはティニャの手を引いて酒瓶だらけのテーブルまで進んだ。すると挨拶よりも早く、ティニャが手紙を差し出した。
「あの、これ、お手紙です」
「ん? ああ。バイドンからのね?」
「うん。あ、はい」
微妙に気を使って敬語で言い直すティニャから手紙を受け取ったルマーナは「確かに受け取ったわ。ありがと」と言って、その手紙をそのままテーブルの上に置いた。そして「さて」と言いながら目の前のソファーに向き直った。
そのソファーには一般的サイズの物が二着と少し小さい子供用の物が二着、計四着のドレスが並べてあった。
ルマーナはまず緑のドレスを手に取って、アズリの体にあてた。
「……アズリ、あなたはコレ」
だが、首をかしげて「……じゃないね。こっちか」と言いながらもう一方の赤いドレスをあて直した。
「こっちの方が良いね。胸元緩いかもだけど、寄せて盛れば大丈夫」
――ん? 寄せる? 盛る?
余計な一言を付け加えられた。
「で、ティニャは……これね」
今度は悩む事無く青いドレスを選んで体にあてた。
ティニャは最初きょとんとしていたが、ドレスを見てゆっくりと目を輝かせた。
「あの、着替えするのってどうして」
そうアズリが問うと、ルマーナは当たり前の事といった風に、
「女は綺麗にしてなきゃいけないからね。特にあたいの店では絶対だよ」
と言った。
「こんな高価な服、汚しちゃったら……」
「あげるに決まってるじゃない。何を言ってるの?」
これもまた、当たり前の事と言わんばかりだった。
「え? ええ?!」
「あたいのお古だから。子供の時着てたやつ。こういう時、実家から持って来ておいて良かったって思うわね」
「私も頂いた事あるの。今でも使ってる」
と後ろからルミネが囁く。
「え? でも……」
「あたいからのプレゼントって事にしときなさい。それよりも、早く仕度しないと。あまり長く待たせる訳いかないんだから」
「貰っておいていいと思う」
「そんな……」
「いいから。ルマーナ様ってこういう所太っ腹なの。遠慮しなくていいよ」
ふふっと笑いながら言うルミネ。そして「絶対似合うと思う。ルマーナ様センス良いから」と続けた。
「ルミネ」
「あ、はい。ごめんなさい」
「何謝ってるの? まずは、アズリを着替えさせて、化粧して頂戴。髪もセットしておいて」
「はい!」
「で、こっちはシャワーが先。あたいも入るから、一緒にね」
ルマーナはティニャの体を上から下まで観察しながら言った。
「シャ、シャワーは……」
何故だか口ごもり、俯くティニャの目線は泳いでいた。
「嫌いとか言ってんじゃないよ」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ、いいじゃないか。さ、まずはその汚れを落とさなきゃいけないからね。行くよ」
「……うん」
シャワー付きの部屋に住めるのは下級街では贅沢な方。普通はお金を払って共同のシャワーを使うか、体を拭くだけだと聞いている。
喜ぶのが普通と思うが、ティニャはその逆の反応を示した。
ティニャの小さく切れた唇を思い出し、アズリは幾ばくかの不安を覚えた。
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