ルマーナの店【10】
ヴィス達が店を出た後、ボーシュは強めの酒を口にしていた。
そこそこ上等な酒。いつも祝杯や何かしらの記念日に封を開ける酒。
今日という日も、それだけの価値があるとボーシュは思った。
「目を付けていて良かったかと」
ボーシュの側近であるモイズがそう声をかけてくる。
「予想以上に良いタイミングだったな」
モイズを見ると、白い布で手をごしごしと拭いていた。
その布には赤い液体がついていた。
殺すとまではいかなくても、まともに声を出せない位には痛めつけて来た証拠だった。
その切り捨て要員を選んだのはモイズ。そして、処理するのもモイズ。
仕事が早くて助かるとボーシュはいつも思う。
「二番通りへ出入りしていたんです。いつかこうなる事と踏んでいたボーシュ様の判断があったからこそですよ」
持ち上げ方が上手い。
助言をし、即座にティニャを定期監視の対象にしたのはモイズ。
ボーシュはその助言を元に判断を下したに過ぎず、結果を得たのはモイズの手腕があったからこそ。だが、それを丸っとそっくりボーシュの手柄にするのだから、出来た部下と言える。
少し猫背で大きな拳と太い前腕が目立つ男には似つかわしくない優秀さ。
ヘブンカムを開店させた当初、募集をかけて何と無しに雇った男であったが、今では店の経営の一部すらも任せる人物となっている。
「ティニャの来店理由はどうでもいい。あいつがルマーナと対立するきっかけになればいいんだ。しかもガキが一人欲しいとか……処分品も意外な所で役に立つ」
夜にはヘブンカムで食器を洗ったり掃除をしたりと雑用をこなすティニャ。契約はしていても、出勤は都合のつく場合で良いとしている。とはいえ、働かなければそれ相応の支払いになる為、半強制といった所でもある。……だが、今日は休んだ。
契約上、昼間の仕事については自由にさせている。しかし、どんな仕事をしていようとも、夜は夜でヘブンカムに隷属しなければならないとボーシュは思う。
昼の仕事で疲れている等と甘えた精神で、皿やグラスを割ってしまうティニャを見る度、使えないガキだと心底思っていた。
「しかし、少し勿体ないかと。将来有望でしたから」
いつもモイズだけはティニャをかばっていた。粗相をする度にボーシュや他の者が暴力で躾け、それをモイズが止めに入る。
様子を見た後、一定のタイミングで止めに入るのは大怪我しない為の物。そして、顔だけはやめておけと忠告する。
ボーシュとしては、そんなモイズが一番冷酷だと思っている。
実のところ雑用としての契約は表向きで、実際は他の女と同様にいつか売り物にする契約となっていた。
モイズは完全にティニャを商品として考えていて、限界まで絞り取ろうとしていた。
短期的な物の考え方ではなく、長期的でそして最も残酷な考え方。
将来有望でしたから、と言うセリフにその考え方全てが込められていると思った。
「見た目だけはな。所詮は下級市民、教養もくそもない。いちいち教えるのは時間の無駄だと思っていたんだ。丁度いい」
「……ですね」
同意はしても、納得していない風の返答だと思った。
だが、それでも構わない。
自分が一番上であるという威厳を示せば、常に肯定する忠実なモイズ。
それはいつもの事であり、そうあるべきだからだ。
「準備は出来てるな?」
「ええ、勿論です。連れ戻せなかった場合、その無能っぷりを大々的に広めます」
「よし。出来るだけ上まで響く様にな」
これがスタートだ。
ここから徐々にヴィスと自分の信頼を逆転させていく。
「勿論です。それよりも、例の件についてですが何処まで進んでいるのですか?」
「ああ。あいつを含めたら半分以上手放した事になるな」
「商品の足かせにも出来る薬なんですが、勿体ないですね」
「手段なんて他にもあるだろ、モイズ。別にコレに拘る必要はない」
ボーシュは手に持った錠剤をつまんで見つめた。
ソウルワーム駆除薬。パモ酸何たら……が正式名称らしいのだが、正確にはボーシュも知らない。知った所で何の役にも立たないし、それにコレはフェイク品なのだ。
「確かに……」
「バルゲリー家が本格的に動き始めたんだ。この商売に手を出したがってる奴らに譲って、俺は早々に撤退する」
「しかし、本当に大丈夫でしょうか。ヴィスはそのバルゲリー家と懇意にしていますし」
「だからだろう? 奴らとの仲良しこよしは、
独立憲兵軍を指揮するバルゲリー家と懇意にしているヴィスについて、馬鹿なエルジボは知らないだろうが、ボーシュは知っている。
賄賂を渡して様々な隠蔽をしているだろうし、贔屓もあるだろう。
しかしそんな事はボーシュにだって出来る。
ヴィスはバルゲリー家に使われているに過ぎないのだから、その役を変えた所で彼らにとっては何の変化も無いのだ。彼らが仕事をする上で、ヴィスがその渦中に居たのならば、平然と切り捨てるだろう。
そう、このフェイク薬売買をヴィスに勧めたのはわざとだ。
邪魔者を商売に加担させ、出来るだけ痕跡を残さぬよう、ひっそりと自分は逃げる。
計画通りに行けば、ヴィスを含めた邪魔者を一網打尽に出来る。
「そうなれば後は……」
「簡単な仕事だ。エルジボを消せばいいだけなんだからな」
「……いつかロンライン全てがボーシュ様の物になる日が来るかと」
「だといいがな。三番通りは後にするとしても、早い内にルマーナにも消えて貰いたい。……だがまぁ、チャンスがあれば……の話だな」
殆ど協定を結ばず、完全な孤立状態で独走する三番通りについては追々考えれば良い。まずはヴィスとエルジボを消して一番通りを仕切る事が優先。
ただ、ここロンラインで不気味な程に存在感のあるルマーナは早い内に消した方が良いとボーシュは思う。
奇怪な行動をする女だが、何処と繋がってるか分からない位のパイプを持っていて、相当数の貴族がルマーナを支援している。噂の範囲を超えないが、それでも信憑性は高く、手を出し難いのは確か。
密かに手を回して来て、商品を奪われた恨みもある。
今回の件でヴィスと戦争でもしてくれれば、そして共倒れしてくれれば最高だが、下手な期待は持たない方がいい。
「因みに、あのブルースタ村は?」
「日がな一日祈ってばかりいるイカれた奴らしか居ない村だと思っていたが……。ヴィスも上手い事やってると思ったよ。良い商売だ。あいつが消えた後は俺が取り仕切るとしよう」
と、モイズとの会話が切り良く済んだ所でコンコンとノックされた。
「連れて来ました」
「遅かったな」
今日からヘブンカムの商品となる女が連れられて、のっそりと部屋に入って来た。先と変わらず、俯きながら震えている。
「すみません。目を離した隙に逃げようとしまして……」
「さぁ、そこに座りなさい」
女は素直に向かい側のソファーに座り、ゆっくりと顔を上げた。
見ると頬が赤かった。
理不尽な……否、理由のある一発をお見舞いされた頬だった。
「頬が赤い……すまないね。私の部下が乱暴をしてしまったようだ。でも逃げるなんて何処に行こうとしたのかな? 無駄だと分かっているだろ?」
「……」
女は黙ってボーシュを見つめている。
震えは止まらず、より小刻みになったように見えた。
「そんなに怯えないでくれ」
落ち着かせようと笑顔を向けても何ら変わる事はない。
一瞬この女の名前は何だったか? と思ったが、どうせベッドの上で自ら何でも語るだろうし、今聞くまでも無いと悟った。
「これがあれば、恐怖も痛みも何もかも吹き飛んで快感に変わる。大丈夫、巷で流行っている薬達とは違って中毒性は無いよ。一時だけだから安心するといい」
言いながらボーシュは小さな小瓶を取り出した。
瓶の蓋はスプレー状になっていて、薄緑の液体が中に入っていた。
店内に撒いている興奮剤の原液。それがこの液体の正体。
しかし、女はそれがどういった物なのか分かっていない様子だった。
ただヤバい物であると、直観だけが働いたのだろう。
赤い頬が消えてなくなる程に青ざめた。
「では、今夜からの研修……頑張ってくれ」
「ボーシュの目的、目にみえてますね」
ヘブンカムを出てから暫くしてイジドが声をかけてきた。
ヴィスは再度チラリと後ろを確認する。
隠す気も無い尾行を続ける男との距離は十分に離れていた。
「立場を崩しにかかったか」
その男には聞こえない距離だ、と判断しての会話。
様子を伺う為だけについて来る男を無視してヴィスは会話を続けた。
「どうしてもルマーナ嬢と喧嘩して貰いたいようですよ。この際します?」
「俺がすると思うか?」
「冗談ですよ」
「どっちに転んでも変な噂は広まるだろうな」
「兄貴の信頼からですか……まぁ予想通りでしたね。そろそろかと思ってましたから驚く事も無いって感じですが」
イジドの言う通り、そろそろ始まる頃かと思っていた。
慣例というか習慣というか、調子に乗っている奴は相も変わらず同じ行動に出て来る。
ヴィスの立ち位置を揺るがす為、変な噂を広めたり、間接的に揉め事を起こしたりと、嫌がらせ行為を仕掛けて来る。
慣れたといえば慣れたが、正直に言うとそうでもない。
噂については無視できるが、揉め事に関してはその都度対応しなければならず、厄介以外の何物でもないからだ。
そして今回は、ルマーナの店を巻き込んだ事案となる。
ルマーナにちょっかいを出すように仕向けた作戦はこれまでに無かった。下手をすると直接しっぺ返しを受けるからだ。
「しかし……事前に仕込んでいたとは考え難い」
「偶然って感じですかね。そもそも、協定破りの予兆はある物ですし、ルマーナ嬢が早い内に手を打つはずです」
「だろうな。実際協定は破っていないだろう」
「良いきっかけになったってだけですか」
ルマーナが二番通りを仕切る様になったのはヴィスと同じ時期。その頃からルマーナを見ているヴィスは、彼女の強さもカリスマ性も思想の高さも良く知っていた。
だからこそ、本当に協定破りがあったとするならば、彼女はそれを見過ごす筈が無い。
おそらく、個人的な繋がりでの一時的来店か、無いと思うが客としての来店、とヴィスは考えた。
「まぁいい。やるだけの事はやる。フェイク薬のルートも確認できそうだしな。十分だ」
「しかしエグイ薬ですね。ただでさえ金の無い下級市民から搾取するんですから」
「ソウルワーム被害なんて大抵下級街で起きる。それに都合も良い」
糞尿だろうが虫だろうが構わず食べるスラッジラットは主に下水道を這いずり回っている。だが、その一部は下級街の生ごみを食べる為に外へ出て来る。
病原菌や寄生虫を持つスラッジラットを食べる者は居ないが、食うに困り限界点まで達した輩はそうも言ってられない。食べてしまった挙句、死に至るかもしくはソウルワームに住みつかれてしまう。勿論それだけではなく、スラッジラットの糞が付着した何かを口にしてしまい、同様の被害を出す者もいる。
中級街ではそう滅多に無い被害だが、下級街では往々にして起こる被害だ。
「確かに。基本、下級街の案件は後回しですからね。目をつけられ難い。……ボロい商売ですね」
長期的に儲かる商売は他にもあるが、ここ一年程度で現れたこの商売は日に日に拡大し、その勢力を伸ばしていた。
手を出すには遅い位だとヴィスは思っていた。
「だが、まぁ、奴もこれまでだ」
「八対二、それ以上は馬鹿げてる……か。兄貴を引き入れた時点で終わってるんですけどね」
「これからだ。まずは仕事だろ」
「そうですね」
そう、これからなのだ。
まだ、大元の首謀者すらも分かっていない。しかし、知ってしまえばこちらの勝ち。
近い内にボーシュの居場所は無くなるのだ。
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