ルマーナの店【9】
「直接会いたいのなら会えばいい。が、エルジボ様と美味い酒を飲みたいなら、今月の売り上げ予定を下方修正した方がいいかもしれないな。寛容な俺からのアドバイスだ」
この時点で既に、ボーシュには喧嘩の意思が無い様だった。
ボーシュは「くっくっく」と不気味な笑いを発し「人が悪いですねぇ相変わらず」と言う。
「お前に言われたくないがな」
心からそう思う。
一緒にするなと言いかけた。だが、ヴィスは我慢した。
「いいでしょう。あなたのアドバイス通り、下方修正するとしましょうか。勿論、寛容なあなたの立場を守りますよ。美味い酒が飲める事を期待してね」
「お前次第だ」
エルジボの案件を快く受け入れれば、それだけ仕事もやりやすくなる。そして、エルジボとの面会も確約出来た事となる。今後を考えれば、商品二つと引き換えに得る利益の方が大きいと踏んだのだ。
ヴィスが逆の立場だったとしても同じ算段となるだろう。商売において考える事はあまり変わらない。
では、返金三倍の件は受け入れたのか?
否、それは無い。必ずどこかで交渉してくるはず。
さて、それは何処か。
上手く転がってくれよ、とヴィスは密かに思った。
「おい」
ボーシュが振り向かずに声をかける。
後ろで黙って待機していた男が「はい」と返事をした。
「ラモナを連れてこい。そいつは持って行け」
男はもう一度返事をして、伸びている男の首根っこを掴む。
これからコイツははどうなるのか。
少なくとも明日には生きていないだろう。
「邪魔だ連れてくるな。こっちとしては誰でもいい」
ヴィスの言葉を聞いて、ボーシュが片手を振った。
聞いただろ? その男だけを連れて出ていけ、というジェスチャー。
男は、コクリと頷いて出ていった。
「……生きが良ければそれでいい」
「生きが良ければですか。くっくっく。まぁその辺は大丈夫ですよ。ラモナは稼ぐ女でしたからね、若くて良い女です」
「でした?」
「ええ。近々店をやめる事になってるんですよ。稼ぐ理由が無くなってしまいましてね。勿論、こちらとしても引き止める理由が無くなってしまった」
そう言ってボーシュは自身の胸ポケットに手を入れた。
そして、ポイっと何かを投げた。
的確なコントロールで、その何かはヴィスの手元に飛んでくる。
「これか……」
キャッチして手のひらを見る。
そこには薄い紫色の錠剤が一つ転がっていた。
「やはりご存知でしたか。そう、ソウルワームを殺す薬です。半分偽物ですがね」
「……」
「スラッジラットを食べると、もれなくついてくるソウルワーム。どんなに栄養を取っても体内に巣くうそいつらに吸い尽くされてしまう。衰弱死しても尚、体を腐らせない分泌液を出し、限界まで吸い尽くす。それこそ魂まで全てね」
「これの販売元はお前だったのか」
知っていた。だが、知らないふりをする。
「ええ。いい商売になりますよ。正規の薬はそこそこ値が張りますからね。安い値段で生かさず殺さず、長く搾り取れる素晴らしい薬です。おっと失礼、殺さず……は間違いでした。いつかは死にます。これでは完治しませんので」
「……」
「ラモナには姉が居ましてね。先日亡くなってしまいました。本当に悲しい事です。この薬と引き換えに一生懸命働いてくれた優しい娘でした。でも、最後にこの店への恩を返してくれる事となった訳です。これは喜ばしい事です」
「どうでもいい」
「どうでもいい、ですか。これを聞いても表情一つ変えないあなたは悪魔ですよ」
どの口が。とヴィスは思った。
だが、反論はしなかった。
とその時、コンコンとノック音が聞こえた。
ボーシュが目配せをしてきて、ヴィスは構わないという合図を送った。
「入れ」
扉が開かれると、三人の男女が立っていた。
「お取込み中すみません。ボーシュ様」
一人の男がそう言って、ボーシュの元までやってくる。
待っている側は男と女が一人ずつ。二十歳前後の女が絶望的な表情を浮かべて俯いていて、もう一人の男はその女の横にピタッとくっついて立っていた。
「何だ」
男はボーシュの耳元に顔を近づけ、何やらひそひそと話す。
「……そうか。分かった。下がれ」
男はヴィスに軽く頭を下げてから退室した。
「あの女は今夜からか?」
扉が閉まる瞬間、女と目が合った。
だからか、聞くまでも無い質問をしてしまった。
「いえ、まずは店のルールを叩き込まなければなりませんので、数日後からです。本来私が教育するのですが……。一緒にいかがです? 最初は譲りますよ?」
「誰に言ってる?」
「これは失礼。今やこの一番通りを実質的に統括しているのはあなただ。旨い物は旨い内に食べてるでしょうね。それにあれだけ女を囲ってれば……。くっくっく。いやいや失礼しました」
「欲しいのか?」
「間に合ってますよ。それに私は人の物にまで手は出しません」
「良い心がけだ」
微妙に嫌味を言われてしまった。余計な質問をしてしまったと少し後悔した。
「で……話を戻すぞ。もう一人はガキだ。お前の所でいくらか雇ってるだろ?」
「ええ。下級市民を三人程」
「二日後にはこいつらが引き取りに来る。それまでに用意しておけ」
「……一枚噛みませんか?」
返事するよりも早く、話題を変えて来た。
だが、それでよかった。
錠剤を渡された時点で、この話を持ち出すだろうと予想していた。
「……これか?」
言いながらヴィスは、手に持った錠剤をつまんで指で弾いた。
神業的なコントロールでボーシュの手元に飛び、ボーシュはそれをキャッチする。
「ええ。儲かりますよ」
「何が目的だ?」
「返金は差額分のみ。それと……少し仕事をお願いしたい」
予想通り、三倍増しの件はここで持って来た。
ヴィスの狙いはここだった。
中途半端に頭が良い奴は、思った通りに動いてくれる為扱い易い。
「……製造元からの取引。そして五割が条件だ」
「製造はベルマール家ですが、ヴォジャーノ家も関わってます。この辺はまぁ、ご存知でしょうね。ただ、交渉先は今は秘密です。そして、八対二。こちらが八です。それ以上は馬鹿げた数字ですね」
実を言うと、取り分などどうでもいいのだ。ともかく、薬の流れが重要。
「……で、仕事は?」
予想外の仕事がおまけで付いて来たが、問題無いだろう。
サクッと済ませて薬の交渉を再開させたい。
「引き抜きの阻止です。連れ戻して頂きたい」
「どこの店だ」
「それが、ここでは無く、二番通りなんですよ」
「……」
「最近、あちらに流れていく女が多いのはご存知でしょう? 流石に、我慢の限界が来てる。他の店からも言われませんか?」
「協定さえ守れば問題ない事だ。無暗に喧嘩は売れないだろ」
一番通りと二番通りには様々な協定がある。
その中でも、通りを跨いだ引き抜きはご法度だった。しかし、契約終了後の移動に関しては問題無い。きちんとした手続きで店を辞めたのならば、次に何処で仕事しようが誰も文句は言わない。
マズイのは、契約中の女を引き抜く事。
一番通りで契約中の女が、二番通りで働いていたとしたら、ガラの悪い一番通りの男が乗り込んで行っても不思議ではないのだ。
近年は、そういった問題は起こっていない。ルマーナの手腕による物だが、勿論、ヴィスの存在も大きい。
「あくまでも協定。厳格な決まりではない。だからと言って破ってしまえばお互いに色々と面倒。……分かります。守りさえすればいいだけの事。無駄な損失をしてまでわざわざ喧嘩する必要も無い。ですがもし、その協定が破られているとしたら? しかも現在進行形で」
「何?」
「あなたの欲しい物が今、二番通りに居ます。今の報告がそれです。で、その場所が厄介でしてね。あなたに行って貰いたい。それに、個人的にも恨みがありますから」
「お前の私情は知った事ではないが?」
「そこにあるのは契約中の商品。正義はこちらにある」
話が本当なら協定破りは向こう側だ。
だが、本当だろうかという疑念も抱く。
「確証は?」
「営業時間内の入店。その目撃情報のみです」
「入店? それだけか?」
「十分でしょう。どちらにせよ、確認は必要です。いいですか? ……これは、あなたの仕事だ」
「……」
「エルジボ様に代わって一番通りを仕切っているのはあなただ。……あの方の右腕という所を見せて頂きたい」
ここで断る事は出来ない。
ヴィスの役目はそこにある。
「場所は?」
「ルマーナの店、本店。そこにあなたが欲しがっている下級市民のガキがいますよ」
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