ルマーナの店【8】

 一番通りを歩く者達の中では有名になりつつある店【ヘブンカム】。ここ一年程で一気に頭角を現し、最近では二号店の計画まで出ている。

 初回は格安かつ予約無しで入れる店。だが二回目からは完全予約制にし、客がハマった頃合いを見計らって料金を上げていくという。

 そんな方法で大金を稼ぐオーナー、ボーシュに会うために、ヴィスはヘブンカムの扉を開けた。


「これはこれはヴィス様」

 まず受付があり、そこには気持ち悪い笑顔を向ける男が立っていた。

「ボーシュは?」

「ええ。いらっしゃいます」

「呼べ」

 それだけ言ってヴィスは店内に通じる扉を開ける。

 開けた瞬間、強い香りが顔に纏わりついた。

 室内は広く、長いカウンター席の両端から二階へ上がる階段がある。ボックス席も幾つもあり、早い時間だというのに既にその殆どが埋まっていた。

 掃除が行き届いた明るい店内は一見するだけだと美味い酒が飲める良店に見える。


 しかし、普通ではない。


 室内に充満する香りには興奮剤が仕込んである。

 一定の生物に睡眠効果があるメニというキノコの胞子と乾燥させたズズルの葉を混ぜた後、好みの香料を加える。そして最後に、とある薬を一滴混ぜて炙れば、一定の人間に作用するお香が出来上がる。


 発動条件は性的興奮。


 一度発情してしまえば理性が徐々に失われ、性衝動に抗えなくなる。効果は短いが、その間の高揚感と快感は凄まじい。

 ドーパミンに作用するとかテストステロンとエストロゲンの基準値を上げるとか……科学的根拠はないが、少なくとも最後に加える一滴の薬が一時的に人間を駄目にする。

 その使用において、一般的には違法となっている。

 一般的には……そう表面上は、だ。


「あ! い、いらっしゃいませ。ヴィス様」

 女が、ギョッとしつつ挨拶してきた。

「奥の部屋は空いてるな?」

「は、はい」

「使わせてもらうぞ」

 女の返答を待たずにヴィスは真っすぐ部屋へ向かう。

「くせぇ」

「理性を保てよイジド」

 ピッタリついてくるイジドは顔をしかめ、目元の刺青を歪ませている。

「ブルーノン。お前もだ」

「……はい」

 顎を鉄板で覆った男、ブルーノンも眉をひそめている。

「薬濃過ぎだろ。香料でどんなに誤魔化したって分かる」

 言って、イジドはつまんだところで意味が無い鼻を、わざとらしくつまんだ。

「耐えろ。馬鹿になりたくなきゃな」

「兄貴、中和剤持って来れば良かったですね」

「今更だ」


 ボックス席を素通りして奥に進むヴィス。

 それを見た客と女は驚いて、グラスを運ぶ手を止めた。

 そのままの勢いで扉を蹴り、VIP室を開けてソファーへ座る。足はテーブルの上。

 そしてソファーの後ろにイジドとブルーノンがいつものポジションで並んで立った。


「ずいぶん乱暴にご来店しますね。壊れてしまいますよ」

 扉を閉めながら入って来たのはボーシュ。

 細身の体にセンスの良い服を羽織り、人を馬鹿にするような目つきで近づいて来た。一度立ち止まってイジドとブルーノンに目を向けて嘲笑し、対面のソファーへ腰を落とした。

「どんなご用件で?」

 ヴィスに負けじと足を組み、立場は対等である、と言わんばかりの態度を見せるボーシュ。

 深く座ったソファーに体を埋めて、腕を組む。

「分かってるだろ?」

「いえ。分かりませんねぇ」

 と、即答。そして「一杯いかがです? 特別に御馳走しますよ。安い酒で良ければ」と煽って来た。

 立場の低い者からのセリフ。

 喧嘩腰な煽り以外の何物でもないが、ヴィスは動じなかった。が、後ろにいるイジドだけは微妙に反応する雰囲気を見せた。


「お前の懐に入った金の件だ」

「何の事でしょう。私は正当な報酬しか頂いてません。それにいつも懐は寂しいですよ? あなたと違って無駄な金は持っていませんので」

 ヴィスをあなたと呼ぶ時点で、イジドの怒りに火を点ける。

「ピンはねしてんだろって話だ!」

 イジドとボーシュが会えば、イジドは即座にキレる。それはいつもの事。

「やめろ」

 言い慣れたセリフを口にすると「うす」とイジドは大人しくなった。

 そんなイジドを見て、再度嘲笑を浮かべたボーシュは「ああ……その件でしたか」と、失念していたといった雰囲気で答えを返した。そして「おいっ!」と叫んだ。

「はい。何でしょうか。ボーシュ様」

 ボーシュの後ろにある、事務所とつながる扉から一人の男が顔を出す。

「連れてこい」

「かしこまりました」

 男は扉を閉めて引き返した。


 この時点で既に分かる。もう、手は打ってあるのだ。

 扉の向こうで何やら叫び声が聞こえる。

 前回と同じパターン。二度目も同じとなると、それだけヴィスが舐められているという事。

「丁度報告に行こうと思っていた所です。タイミングが良いですねぇ」

「俺が来るタイミングでキツくしたのもか?」

「良い香りでしょう? 濃くてね。発情しないで下さいよ?」

「お前にか?」

「くっくっく。やめて下さい。私にはそんな趣味はありませんのでね。腰を振りたいならウチの娘を提供しますよ? 金はとりますが」

「……」 


 ヴィスがヘブンカムに向かっているという情報は即座に伝わり、来る前に興奮剤を強くした。中和剤など普通は持ち歩かない事を見越しての嫌がらせだ。

 とはいえ、この程度ヴィスにとってはどうという事もない。

「ま、待ってくださいボーシュ様!」

 用意されていた男が連れられて、入室してきた。

 開口一番ボーシュの名を叫ぶ男は後ろ手に縛られていて、顔中に殴られた痕があった。

「お、俺は何も、ぐっ!」

 入室してきて発した声はこれだけ。余計な事は何も喋らせない。

 後頭部を殴られて一瞬で意識が飛んでいる。

「無くなった分の金は後日支払います。まずは、こいつを好きに使って下さい」

 後日支払うというのは、犯人役の男の財産売却をする暇が欲しいという事。これも前回と同じパターンだ。


「二度目だぞ?」

「言われても困ります。関与してないのでね」

 ピンはねしていた事実までは調べがついてある。だがこれ以上調べた所で、誰が、という部分にまでたどり着けない。

 たどり着けたとしても、犯人は目の前で伸びている男にすり替わっている。

「そんな事よりも例の件考えてくれましたかねぇ」

「何の事だ?」

「人が悪いですね。エルジボ様への取り次ぎの件ですよ。もうこの店も手狭でしてね」

 この件は終了と言わんばかりに話題を変えて来た。

「さて? ……何の事だ」

「直接伺っても良いのですが……あなたの立場もあるでしょう? 寛容な心であなたの立場を尊重しているのです。こちらとしてはね。でも、そう何度も言いませんよ? あなたと違って私は忙しいのです。バルゲリー家やブルースタ村の事が、酔った勢いでポロっと口から出るかもしれませんね。毎晩酒を飲まなきゃやってられませんので」


 二号店の件で今度は直接エルジボに会いたいと言う。それは前々から言われていたが、ヴィスはスルーしていた。

 そして今度は弱みを握っているとほのめかす。

 喧嘩腰というより、喧嘩上等といった所だろう。

「てめぇ……」

「イジド……やめろ」

「すみません」

 案の定、イジドがキレる。だが、ここも止めた。

 この程度の煽りで引く事はない。

「では、こちらも寛容な心でお前に提案しよう。この店から二人、女をよこせ。一人はガキだ。それでお前がやった行為は不問にしてやる。金は三倍増しで返して貰うがな」

「ああ? 何を言ってる? なめてんのか?」

 口調が変わった。そして目つきも変わった。

 しかし驚く事でもない。

 女は商品。

 どこの店でも、商品を差し出せと言われたら同じ事を思うだろう。

 こうしてキレるか、許しを請うか。その二択。

 そして三倍増しでの返金。前回は二倍増しだった。


「聞こえなかったか? 女を出せと言ってる。そこで伸びてる男は返してやる。寛容だろう?」

「……ここで女は商品。最近では調達も難しくなってきた。あなたも分かるでしょう? 同類ですからね」

 口調も目つきも変化したのは数秒間。

 ボーシュの直ぐに冷静になれる所はヴィスも評価している。

「同類? 面白い事を言うな」

「……私は品質重視の少数精鋭でやってましてね。一人でも欠けたら商売への影響は大きいんですよ。こちらの売り上げが減れば、当然そちらにも影響は出る。……この男を引き渡すのです。それで十分でしょう?」

「エルジボ様の命令でも……か?」

 ボーシュが「ん?」と反応を示した。そして「……へぇ。そう来ましたか」と返す。


「調達が難しくなったと言ったな。それには同意する。こっちも必死なんでな」

「……まさか」

 察しが良くて助かる。

「そのまさかだ。近日中に納品しなければならなくなった。上からの催促だ。店に撒いてるアレもかなり高くなってきただろう?」

「そういう事ですか」

 そして理解も早い。

 一番通りで五本の指に入る売り上げを誇る店ヘブンカム。一年足らずでそこまで育てた手腕はなかなかの物。

 ボーシュが馬鹿でなくて良かったとヴィスは思う。だが、ゆっくりと現れるニヤけ顔を見ていると、大した男でも無いな、とも思った。

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