ルマーナの店【6】

 シャワーを浴びて化粧を落とし、部屋着に着替えて酒を飲んだ。

 一般に流通している酒とそう変わらない価値の酒。舌の肥えたルマーナにとっては大した事ない酒だが、今日の味はすこぶる良かった。

 記念日効果が加わると、どんな物でも美味く感じた。

 つまみは長期保存加工として、スパイスの効いたタレを付けた後に乾燥させてある雌ガモニルルの肉。それと、ロクセとの思い出。


 隣でロクセも一緒に飲んでいる妄想をしながら飲む酒は、逆に呑まれる世界へと誘う。

 一杯だけのつもりが二杯三杯と増えていき、昼間っから飲んだくれる駄目人間が構築され始め、最終的には、今夜は仕事したくない……いや、しない! と断言するパーフェクト駄目人間が出来上がっていた。

 心地良さが最高潮に達し、ソファーにごろんと転がると、部屋着用のワンピースがめくれ上がって白い足があらわになった。

 セミロング丈のワンピースから伸びるその足は、誰もが二度見してしまう程の脚線美。

 愛しい彼に見せたらどんな反応を示すのだろうか、と想像しながらクッションを抱きしめた。


「あの抑揚の無い感じ……好き」

 昼間に見たロクセの顔を思い出して、ひとり呟く。

「声も好きだし、瞳も好き。でも、それ以上にゾクっと来るような危険な香りが好き」

 ソファーの生地が破れそうな程に足をバタつかせ、ひとり悶える。

「恋しちゃいけない様な……気がする。でも、それがもう……堪らない!」

 そして、クッションに顔を埋めて「う~ん。好き! 好き!」と叫んだ。

 言葉にならない幸福感が脳を支配し、体は重力の無い世界へと飛んでいく。


 ふわふわ浮かぶ錯覚すら感じる恋という名の毒は、何度味わっても飽きる事が無いとルマーナは思う。

 恋の先に愛があるのだと信じて片思いをし続けた人生。真実の愛にたどり着いた先には、恋とは違う毒が待っているのだろう。

 きっとそれは今以上の幸福感を与えてくれるに違いない。

 もしかしたら、いや、今度こそ。

 彼が、きっと……叶えてくれる。


 夢を見た。


 隣には兄が居る。そして目の前には弟が居る。

 自分は小さな中庭にある花壇の前で「寝てるだけだから」と言い張る弟を見ている。

「いや、もう……その子は」

 兄は何度その台詞を言っただろうか。

「わかって。ね?」

 自分も何度その台詞を言っただろうか。

 弟は口をつぐみ、信じないとばかりに睨みつけてくる。

 懐かしかった。でも、悲しかった。

 弟が居なくなる少し前の出来事。

 幸福感に包まれている最中、何でそんな夢を見るのだろう。

 意識の外でそう思っても、感情は夢の中に居る。

 涙がポロポロとこぼれて、自分ではどうすることも出来なかった。


 コンコンと何かを叩く音が聞こえる。

「……様」

 その音に混じって誰かの声も聞こえる。

「……ナ様」

「……うるさい」

 そう呟いた時、ルマーナは自分の声でハッと目覚めた。

「寝てた?」

 涎がクッションに染みていた。そして涙も染みていた。

「……久しぶりに見ちゃったな」

 ルマーナは涙を拭って「入りなさい」と、扉に向かって声をかけた。

「失礼します」

 入って来たのはキエルドだった。

「何の用?」

「……ルマーナ様。見えてますよ」

 起き上がって片足を立てたガニ股状態のルマーナ。

 ワンピースの隙間からは、キエルドに見られた所で何とも思わない布地が、隠れる気も無く自己表現していた。


「入って来ていきなりそれ?」

「もう少し女性らしくしてください」

「どこをどう見ても女でしょうが」

 言いながら一応、姿勢を正す。

「寝てましたか?」

「見れば分かるでしょう。それよりも、あんた何でここに居るの。三号店の方は?」

「いくら連絡しても出て頂けなかったので、直接来ました。緊急事態だったものですから。あ、店の方は大丈夫です」

「何? 誰か来たの? どんな要人が来たって、あたいは今夜休む。皆に伝えて」

「いえ、それが……」

「何? 早く言いなさい」

「……例の彼が店に来るようです。先程連絡が入りました」

「え?」

「いや~。びっくりですね。まさか今日の内に来るとは思いませんでしたよ」


 その通り。


 ルマーナ自身も、会ったばかりで即来るとは思っていなかった。

 カードを渡した時のロクセの態度を見れば、来たとしても二、三日後だと思っていた。だからこそ、帰って直ぐに飲んだのだ。

 勿論、二、三日経っても来なかったら催促に行くつもりだったが。


「な、何で早く言わないの!」

「ショック! さっきも言いましたが、私は連絡しました。出ないルマーナ様が悪いんです。というか、会うんですか? 彼には」

「当たり前でしょ! って連絡来てからどの位経った?!」

「然程時間は経ってませんが、直接本店まで来るはずですから、もう直ぐ来店するんじゃないでしょうか」


 その通り。


 他の店に入らせないように案内を付けて、直行させる指示を出したのはルマーナ本人なのだ。連絡が入れば直ぐに来店するのは当然。

「ヤバいヤバいヤバい! ど、どうしようキエルド。あたい、今、最悪の状態っ!」

「ですね。寝ぐせとか凄いですし、ノーメイクですし、涎付いてますし。ですから言ったじゃないですか、昼間っから飲んじゃいけませんって。そもそも記念日って何ですか記念日って。あの男と話しただけですよ? 意味が分かりません」

 呆れ顔のキエルドはそう言いながら、脱ぎ捨ててある服を丁寧に拾い始めた。

「あんたには分からないだろうさ!」

「乙女心というやつですか? 何でも記念日にして仕事休まれては困りますので、こっちとしてはそんな物いりません。そんな事より、会うのでしたら早くした方がいいですよ。ただでさえルマーナ様は仕度に時間かかりますから」


 右手で拾って左腕に服をかけていく。中には汚れた下着もあったがキエルドは気にする素振りも見せない。

「絶対引き止めておいて!」

「かしこまりました。ま、お連れの方も居るようですし、その辺は大丈夫でしょう」

「連れ? 一人じゃないの?」

 驚く程の事ではないが、まさか誰かを連れて来るとは思わなかった。

 ロンラインを知らない様子だったし、誰か詳しい仲間でも連れてきたのだろう。

「ええ。男性二人、女性二人を連れているとの事。案内人はいらないと断られたそうです。ですが、直接ここへ来ます」

「連れに……女?!」

 流石にこれは驚いた。

 案内人を断ったのだから男の連れは予想通りロンラインに詳しい仲間だろう。しかし、女二人とは一体何故だ? と疑問が沸く。

 仕事を求める女の面接は基本的にキエルドが行っている。紹介するならば三号店に行くはずだ。ここ本店に直接来る事はまず無い。


「店への紹介では無くて純粋に客として来るようですね。ひとりは十五、六。もう一人は十歳にも満たない感じの女の子のようです。下級市民との事ですから、もしかしたら昼間の子供ではないでしょうか。もう一方とはどういった関係かは分かりませんが、歳の差的にルマーナ様が思う様な関係ではないと思いますよ」


 答えは即出た。

 もしかしたら、昼間助けた子はバイドンの所で雇われている子だったのかもしれないと思い至る。

 そろそろ品物が出来る頃合いだし、請求書が届いても変ではない。いつも昼間に請求書を届けてくれる子も下級市民だと聞くし、会った事が無かっただけで、偶然その子を今日、助けたのだろう。

 そして、もう一人の子はその姉か、もしくはオルホエイの所で働く仲間なのだろう。

 客として来る理由は分からないが、確かに年の差を考えれば恋人といった関係ではなさそうだ、と思う。


「そう……」

 ならば、客として対応しなければ。

 しかし、気になる点が一つ。

「どうかされました?」

「……来店したらその子達二人はここまで連れて来なさい」

「どうしてです?」

「たとえ客であっても、あたいが接客する席にみっともない格好の女を置く訳にはいかないからね。プライドが許さない。とにかく、着替えさせるから直ぐに連れて来なさい」


 男はどんな格好だって良い。

 ロンラインという場所、特に一番通りと二番通りは男を喜ばせる為に存在する場所だ。綺麗で可愛らしい娘達が、くたびれた男達に一時の夢を与える場所なのだ。

 だからこそ女は、たとえ客であっても、夢空間を構築する一部にならなくてはならない。

 夢が現実となり、愛に変わる事も常。

 運を掴み取り、努力した娘を支えるのが自分の仕事だとルマーナは思っている。

 そしてその仕事にプライドも持っている。


「かしこまりました。因みに、お連れの皆様は誰に対応させますか?」

「人選は任せる。ウチは他と違うんだから分かっているでしょう? 少なくともキャロルとベティーは一旦奥に引かせて。それと一人は三号店のルミネにして」

「ルミネちゃんですか? 何故です?」

「下級街の子が居るんでしょ? 同じ下級街出身のあの子に対応させる。若いし、それに面倒見もいいだろうから」

 ルミネは最近、姉妹店から引き抜いた十八になったばかりの娘。

 下に四人も姉弟がいて、殆どルミネの稼ぎで育てている。元々下級街の娘なのだが、そんな中でも稼ぎに稼いで、今では家族全員、中級街に住んでいる。

 直営店、そして姉妹店の娘の情報は全て頭に入っているルマーナ。

 バイドンの使いで来るであろう少女の対応には、ルミネが一番だと判断する。


「そうですね。わかりました。直ぐに連れてきます」

「酒は良い物を出しておいてちょうだい。どれにするかも任せる。要望があれば何でもしてあげて。でも、あたいが行くまで、あまり酔わせないように」

「かしこまりました」

「じゃ、頼んだよ」

「すみません。もう一つ報告が」

 言いながらキエルドは、集めた服を対面にあるソファーへと丁寧に置いた。話しながら、既にこの行動を二度繰り返している。

 キエルド周辺の床にだけ、衣類が無い。


「何?」

「タボライが二番通りに来ました」

「誰?」

「昼間の男です」

「ああ、アレね。それで?」

「現在処理中との事です。どの程度にしますか?」

「二度と来たくないと思わせる程度」

「かしこまりました」

 正直どうでもいい。

 自分の目の届く範囲で悪さをする奴、害を及ぼしかねない奴、そういった者は客では無い。むしろ人とも思わない。

 二番通りで働く娘は守らねばならない。それが義務。


「あ、そうそう」

「今度は何?! 早く仕度しろって言ったのあんたでしょう!」

 キエルドは呆れ顔のままで浅い溜息をついた。そして「何度も言ってますが……下着は溜めない方が良いです。臭いますので」と小言を告げた。

「うるさい! 早く行きなっ!」 

 そう言って、ルマーナは足元にあった下着を投げつけた。

 はらりと舞って、キエルドの頭に着地する。


 当然それも、何日前に脱ぎ捨てたか覚えていない。

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