ルマーナの店【5】

「わぁ。綺麗」

 入り口を抜けた先には光の世界があった。

 眩しいくらいのライトアップが、上級街の地下である事を忘れさせる。

 ティニャの歓喜と同調するように、アズリもまた「凄い」と、一言だけの感想を述べた。


「綺麗だろ? 上級街でも見れないぜ」

 洞内はかなり広く、そして天井も高い。

 少しうねっている一本道。

 その左右に並ぶ、木材と石材を使った独特なデザインの建物。

 骨組みである木材が目立つように、壁はその骨組みの間を埋める形で作られている。細かい石材で埋めてある建物と、石膏で塗り固められている建物の二通りあるが、剝きだしの骨組みはその建物によって様々な色に塗られていた。白を基本とした外壁に反射するライトの光が、なんとも言えない幻想的な雰囲気を作り出している。

 ギラギラとしたネオンの看板は全くと言っていい程に見当たらず、各々の店のセンスを感じさせる看板が、程よい主張で掲げられていた。

 上級街とは少し違う建築様式と雰囲気が、ここは別の世界なのだと訴えかけていた。


「ほう。これはなかなか」

 アズリの後ろを歩くロクセもまた、建物を見回しながら称する声を上げた。

 店先には綺麗な服を着た女性達が立っている。建物の隙間である路地奥にも店がある様で、路地前に立っている女性もいた。品のあるドレスに身を包んだ女性も居れば、胸元が大きく開いて、お尻が見えそうな程短いスカートを履く女性もいる。

 その店に応じた女性の服は様々で、客は自分の好みに合わせて店を選ぶのだろうとアズリは思った。


「メンノ~今夜はウチに来てぇ~」

「メンノ様。最近来てくれないから、あたし寂しい。今夜は……ね? 来て。お願い」

「メンノちゃん。可愛いお友達連れちゃって。どこのお店に連れてくの?」

 等と、歩く度に客引きの女性から声がかかった。

 最初に声をかける相手として、誰もがメンノを選ぶ状況を見れば、彼の飲み歩く頻度がどれ程の物か容易に推測出来た。


「話には聞いてたけど、凄い所だね」

 改めて、思ったままの感想をメンノに投げかけると「今夜は、行くところがあるからさ、ごめんな~」等と、客引きから上手に身をかわしながら「童貞男はこれだけで落ちる」と答えた。

「童貞?」

「なんてな。冗談だ」

「ふ~ん。じゃ、その童貞だからメンノも毎晩通うって訳ね」

 ぶふぉっとザッカが噴き出した。

「何?」

「何でもないっす……ぐふっ」

 意味の分からない噴き出し笑いにアズリは眉をしかめた。メンノもまた釣られる様にくっくっくと小さく笑って「俺はまぁ、ボランティアで通ってるって感じだな」と答えた。


「え? 何……言ってるの? どういう意味?」

 馬鹿な事を、と付け加えたかったが我慢した。

 メンノはアズリの質問に答える事無く、かけられる声全てにひょうひょうとした態度で対応している。

 そんなメンノの後ろを歩くアズリは、はぐれない様に握るティニャの手を、もう一度強く握り直した。

 二番通りを歩き始めたばかりだというのに、客引きの声は既に二十を越える。ルマーナの店が何処にあるかは知らないが、こんな状態が続くのならば着いた時にはぐったりしてしまう様な気がした。


「ふざけるな!」

 気が滅入ると思ったその時、背後から怒号が聞こえた。

 二番通りに入ってから然程歩いていないとはいえ、既に七十メートル程度は進んでいる。入り乱れる客引き女性の声があるのだから、普通は通りの入り口で話す声なんて聞こえやしない。されどここまで届くその怒号。どれだけの怒りが乗っているかは想像に難くない。

 アズリが振り向くと同時に、全員が振り向いた。客引きの声も消え去って静まり返る。

「通せよ! 俺に触んじゃねー!」

 無理やりにでも二番通りに入ろうとする男が羽交い締めにされている。

 羽交い締めにしている方は、警備員といった風では無く、叫ぶ男と変わらない位にガラが悪そうに見えた。

「カード持ってんだろ! それに俺はブラックカードだぞ! どれだけここに金使ってやったかわかってんのか!」

 ブラックカードとは、メンノが見せた黒い通行カードの事だろう。

「客だぞ! おい! いいから離せよ!」

 そう叫ぶ男の耳元で、羽交い締めの男が何やら話し始める。

「ざっけんな! そんな話があるか!」

 どんな話をしたかは分からないが、語彙力が無くなった叫ぶ男は、ひたすらに暴言だけを吐き続けた。


「怖いね」

 そう声をかけながらティニャを見ると、いつの間にか体半分を隠す様にアズリの後ろへ回り込んでいた。握った手は離さずに、胸元に寄せて、肩を小さくしている。

「どうしたの?」

 聞いても答えず、ティニャは真っすぐに叫ぶ男を見ていた。

「ちょ! おい! 何だよ!」

 ティニャの目線を追う様に、再度叫ぶ男を見やる。

 するとその男の周りには、いかにもヤバそうな、出来る事なら近づきたくない様相の男達数人が集まって来ていた。

 囲む様に立ち、叫ぶ男の姿は見えなくなった。そして「うっ!」とか「ぐはっ!」といった声だけが小さく聞こえた。


「行こう」

 ロクセがティニャの頭に手を置いた。

 目線はメンノに向かっていたが、その言葉はティニャに向けた物だとアズリは感じた。

「あ、ああ。そうだな。あんな事はここじゃ良くある。気にすんな」

「そっす。それに、アレは問題起こした証拠。ヘタな事しなけりゃ楽しめる場所っすから。ここは」

 妙に怯えた雰囲気を見せたティニャ。そして、ティニャの頭に優しく置かれたロクセの手。ティニャを落ち着かせようと置いた手なのだとアズリには分かった。


 歩き始めたメンノ達に合わせて、アズリも歩く。それと同時に周囲の活気が戻り、客引き合戦が始まった。

「待って。ねぇお兄さん。今夜どう?」

 建物に隠れてしまい、もう叫ぶ男の状況は分からない。それでもチラチラと振り返りながら歩くティニャの様子を伺っていると、綺麗なドレスに身を包んだ女性がそう声をかけてきた。

 その女性が最初に声をかけた相手。それはロクセだった。

「いや……」

 無表情ではあるが、言葉に詰まるロクセ。

「ここに来るの初めて? 見ない顔だから」

「ああ」

「そ。なら、今夜は私の所へ来てよ。一杯サービスするから」

 女性は一度胸の谷間に指を入れて、ドレスを下に引っ張った。そしてロクセの腕に張りのある胸を押し付けた。

「いや……。これから行くところが」

「じゃあ、次のお店でそこに行けばいいじゃない。ね? 最初はわたしと飲みましょ?」

 押し付ける胸は更に強さを増して、ロクセの太い腕はその胸の中に沈み込む。

 卑猥な動きでロクセの腕に自身の両手を絡ませて、指と指を交差させるように手を握り始めた。

「すみません。離してもらえますか?」

「嫌。わたしと飲むって言うまで離さない」


 一連の流れをアズリはあっけに取られて見ていた。

 ドレスもそうだが、ロクセに声をかけたこの女性は外見も綺麗だった。化粧もばっちりで、髪のセットにも時間をかけているのが見て取れる。スタイルは少しむっちりとしているが、それ相応のボリュームが二つ、ロクセの腕を惑わせていた。

 良く見ると、握った手を自身の股の間に押し付けている。……ようにも見えた。


――え? 何? この人……何?


 今までの客引き女性は声をかけるだけで、体を押し付ける様な事はしなかった。しかし、この女性は何か性的な圧力をかけて来ている気がした。

 同性同士であるからこそ分かる意思が、色々と疎いアズリにすら電波のように伝わった。

「あの! この人はこれから行くところがあるんです! 離して下さい!」

「あら? あなた達誰? ねぇお兄さん。この子達あなたの連れなの?」

「ええ。そうです」

「へぇ~。そう」

 女性は目を細めてアズリとティニャを交互に見始めた。

 その目には覚えがあると思った。二番通り前の受付男の目。それと同じだったからだ。


「な、なんですか?!」

「ん~。あなたはウチじゃ無理ね。レベルに合わせて少し手前の店に行った方がいいわ。でも、隣のお嬢ちゃんなら大丈夫。ウチに来てみたら? ママに会わせてあげる」


――またそれ?!


 レベルとか見合った等と言われた自分の容姿への評価。

 自分は然程可愛いくない、というのは承知の上だが、遠回し且つ、はっきりと言われた低評価には一人の女として、いや、本能的に腹が立つ。

 二度も同じ答えを下された、その値踏み。不快以外の何物でもない。


「ね! 提案なんだけど、ウチの店にこの子を紹介して、そのまま飲んで行かない? この子達の働く場所、決めかねてるんじゃないの? 何処の店に行くつもりなのか知らないけど、絶対ウチの方がいいと思う。待遇もいいしね。あ、もう一人の方は、後からわたしの知り合いの店を教えてあげる。安い店だけど、まぁそこそこ可愛い子達が揃ってるからやっていけると思うわ。ね? そうしない?」


――安い店? そこそこ?


「いや、待って下さ……」

「駄目! 待たない」

「ですから、これから……」

「何処にも行かないで。行ったら泣いちゃうわよ? いいの?」

「いや……」

「ホントに泣くわよ? いいの? いいの?!」

「それはやめてください」

「なんちゃって~。ごめんね。冗談」

「そうですか……じゃあ、離して……」

「嫌。離さないって言ってるでしょ? わたしと飲んだら解放してあげる」

「……」

「よし! 決まり! 今夜はわたしと飲みましょ」


 なんたる強引。


 というか、ロクセは何故もっとハッキリと断らないんだ、とアズリは思う。

 「いや」とか「ですから」とか言うばかりでガツンと拒否しない。そもそも、何故あんなにべったりとくっつかれて、それを解こうとしないのか。

 男なんだから悪い気はしないのだろう。

 その程度の男心はアズリにも分かる。

 もしかしたら、この女性がロクセの好きなタイプなのかもしれない。

 女として全否定されたような気分になるし、変にイライラするし、ロクセはこんなだし、いったい今日は何なのだ? とアズリは思った。


「よっ! ステイラちゃん」

 こちらに気づかず、先に歩き進めてしまったメンノがやっとのタイミングで戻って来た。

「あら。メンノ。今夜も来てたの?」

「すれ違った時、目があったじゃないか」

「知らない」

「酷いなぁ。ってそんな事はどうでもいいが、そいつを離してやってくれないか?」

「嫌よ。今夜はこの人と飲むの」

「ん~。それは困るな。いや、困るのはステイラちゃんの方かも」

「何でよ」

「そういう客引きは禁止って事知ってるでしょ? 他ならいいけど、二番通りではマズイかなーって」

「他にもやってる人いるもの。わたしだけじゃないし」

「……確かに、たまに居るな。まぁ、それはいいとして、こいつ今夜行くとこあるんだよ。その場所がさ……」

「最初に一、二杯ここでひっかけてもいいじゃない。どうせこの子達の紹介とかでしょ? まだ、早い時間だし、今夜はまだまだ長いじゃない」

 ロクセの腕に絡みつく女性、ステイラはメンノの話を最後まで聞かずに自分の主張を被せた。


 何となくだが、少しでも多くの客を連れてこなければならない義務、みたいな物をステイラから感じた。顔見知りのメンノにここまで言われても、ロクセを離そうとしないのだ。何かしらの事情があるのかもしれない。


「紹介? いやいや、こいつらは客。俺達と飲みに行くんだよ」

「は? 何言ってるの?」

「たまにはいいだろ? 女の客も」

「女性客なんて、お金の使い道に困った上の奥様方だけでしょ?」

 女性客もいるんだ、とアズリは思った。

 そして上とは、上級街の事。

「そうだな。しかも一晩で恐ろしいくらいに金使うってんだからな」

「ウチみたいな普通より少し広いってだけの店に来るわけないし」

「いやいや、ステイラちゃんの店はレベル高いよ? ここは二番通りの中間付近だけど、もっと奥に店出してもいいって俺は思う」

「ほんと?」

「ホントホント。ママさんにも言ってるんだが、冗談だと思われててさ……って話がズレた。ともかく、マジで今夜は無理なんだ。わかってくれ。ここで飲んだらステイラちゃんに迷惑がかかる」

「だから何で?」

「ルマーナんとこに行くんだよ。しかも、こいつ指名で呼ばれてる」

「え?」

「この子達は最初からこいつの連れなんだよ。紹介じゃなくルマーナの客って訳。他の店に浮気すんなって言われてるから、今夜は本当にマズイいんだって」

 私はルマーナさんの招待客ではない、と思ったがアズリは何も言わなかった。

「な? 分かるだろ? 離してやってくれ」


 ステイラはロクセの手を解放し、危険人物から後ずさる様子でゆっくりと離れた。

 顔は当然の如く、マズイ事をしたという表情。

 ルマーナという名前を聞いただけでこれなのだから、相当の影響力があるのだろうとアズリは思った。

「ごめんな。ステイラちゃん。今度俺が飲みに行くからさ」

「あ、うん。こっちこそごめんなさい」

 メンノの言葉に反応しつつもロクセの顔を見ながらステイラは謝った。そして「ごめんね。さっきの話は忘れて」とアズリに向かってもう一度謝った。


 ロンラインで働く人には、それぞれ複雑な事情があるのだろう。

 どうしても客を引き入れたかったステイラにも、勿論それはある。

 船掘業をやりながら花屋で働くアズリと、ロンラインで働くステイラでは住む世界が違う。でも、生きていくという上では全ての人々に、平等に、その人にしか知り得ない世界があるのだとアズリは思った。

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