幕間

リビの失態

 船掘業がオフの日は、ジャンク通りにある喫茶店【ニア】で仕事をしているリビ。

 その喫茶店【ニア】のキッチンに、リビは一人っきりで居た。


 数年間、姉達に仕込まれた料理の腕。

 新しく教えて貰ったレシピに目を通しつつ、その腕をふるうリビは苦笑した。まさか自分が自ら率先して、こんな女みたいな作業をするとは思ってもみなかった。当時はあんなにも嫌々やっていたのに……と、今の自分と比較する。


 船掘業で遠征している時の船内食は女性で持ち回りというルール。

 オルホエイ船掘商会に入る前から仕込まれた技術があったにせよ、昔から毛嫌いしていた調理をまた強制的にやらされる事に我慢できなかった。

 当然の如く、当初はふざけるなと言う勢いで食って掛かっていた。

 しかし、自分の料理を美味い美味いと言いながら綺麗に平らげる仲間達を見てると、気持ちが良かった。

 殆どが女ばかりの環境でチマチマ食べる姿を見るのと、殆どが男ばかりの環境で豪快に食べる姿を見るのとでは、幸福感が格段に違った。

 褒められると気恥ずかしさが勝る。だが、その度に次はもっと美味い物を食わせてやろうという気になる。

 そう思う頃には自然と持ち回りルールに準ずる様になっていた。

 むしろ、残飯しか作れないミラナナを放置して殆どの料理をこしらえたり、毒とも言えるゲテモノしか作れないペテーナの代わりにキッチンに立ったりする始末。

 自分の身長では少し使い難いキッチンには毎度イライラしたし、キツイ物言いで文句を垂れ流したりもしたが、それでも自然と体が動いた。

 本質的に料理が好きなのだと気づいた時、怒りつつも優しく指導してくれた姉達の姿を思い出して懐かしく感じた。


 だが、二年ほど前、商会に船員としてアズリがやってくると、船内食の人気を一瞬で奪われた。

 包丁の扱いも何もかも技術としては一般人よりちょっと上手い程度なのにどうして……と疑問に思った。

 正直、少し悔しかった。

 でも、独特なアイデアや隠し味を駆使しながら、楽しそうに調理するアズリの姿は素敵だった。そして、常に船員の好みを考えて調理していると分かった時には尊敬の念すら感じた。料理の本質的美味しさはそこにあるのだと、その時に教わった。

 既に船員の好みを熟知しているアズリには、今ではもう勝てないと思っている。

 でも、そんな事は気にしていない。

 食事を作るよりも菓子を作る方が好きなのだと気づき、今では趣味と化しているからだ。

 そして、それにおいてはアズリに負ける気がしない。


 そんな自信を抱くリビは、踏み台を足で蹴とばしながらボールとホイッパーを運ぶ。

 【ニア】のキッチンにあるテーブルも、リビにとっては少し高い。

 踏み台に登って、準備しておいた卵黄と砂糖をボールを入れ、カンカンと小気味よくかき混ぜる。

 ステンレス製のボールとホイッパーがぶつかり合う音は、いつ聞いても心躍る。そして鼻歌を歌いそうになる。

 白っぽくなってきてから薄力粉を入れて、再度軽く混ぜる。そして香りづけに、ハルマの粘液を入れて、温めておいたミルクを少しずつ足していく。

 腕は疲れるが、徐々に美味しく仕上がっていく工程を見ていると、それも苦にならない。

 混ぜ終わったら小鍋に移して火にかける。とろみが出るまで時間はかかるが、これさえ終わればクリームは完成する。

 焦げ付かないようにヘラを回していると、いつの間にかその回転に合わせて「美味しくな~れ」と、口ずさむ自分がいる事に気付いた。

 ハッとして周囲を確認するが、誰も居ない。


――今日は定休日。誰も居るわけないよな。あぶねーあぶねー。つい出ちまう。


 菓子作りの練習の為、特別に貸してもらってるキッチン。副店長に借りた合鍵は自分しか持っていないのだから誰も居る訳ない。

 もし、来るとすれば店長だけだが、定休日に顔を出した事が無い為、気にする事もない。

 ゆっくりとゆっくりと、とろみを増すクリームを見ながら、今回は誰に試食して貰おうかと考えた。


――誰に持って行ってやるかな……。レティーアは……却下だな。何言われるか分かんねーし。


 副店長の菓子作りを手伝う様にと、店長から指示されてから一年半以上は経つ。現在では、船掘の遠征で居ない時以外は、殆ど自分が担当している。

 周囲には、たまに任される、という形で話している為、定休日なのにわざわざ店で作ってわざわざ持って行ったりすると「可愛い趣味してんじゃん」とか何とか言われそうで、特にレティーアには持って行きたくない。

 それに無理はさせたくない。


――ってか安静にしてろって言われても出歩くからなぁ。あのバカは。


 体をひねったりすると治りが遅いと言われてるのにも関わらず、痛み止めだけ飲んで無理やり遊びに行った上級街。帰り際にペテーナと出くわして激怒されていた。

 それから数日、痛み止め無しの罰を受けて過ごす羽目になり、大きく息を吸うと肋骨に響き、切った口内もまだ痛いと嘆いていた。

 半月経った今ではだいぶ落ち着いたと思うが、完治するまでは安静にしていて欲しいと思っている。


――ミラナナは……前回持って行ったしな。フィリッパは駄目だな。最近少し太った感がある。後は……。


 カナリエやアマネル等、他にも選択肢はある。だが……。


――アズリか。うん。アズリとマツリに持って行ってやろう。あとベルさんの分もだな。


 やはりここはアズリだろうと答えが出る。

 決まってしまえば後は、その人の事を考えて愛情を込めればいい。

 そう思った瞬間、再度「美味しくな~れ」は発動した。

 もう無自覚な「美味しくな~れ」ではない。意識的に鼻歌も混ざぜていて、テンションも上がっている。

 楽しい。やっぱり菓子作りは楽しいと心から思った。

 自然と体もリズムを取る様になる。


 だが、油断した。


「あらもう! 可愛い! 可愛すぎ!」

「美味しくな~はぁぇ?!」

 そして鍋を落としそうになった。

 キッチンの入り口に、妙に色っぽい立ち姿で立っているのは店長。溶けそうな笑顔で「うふふ」と声を漏らしている。

「な、な、なんで」

「やだわ。そのままで居て。お尻り振りながらお歌を歌うリビちゃん、とっても可愛いわよ。」

 わなわなと羞恥心が沸き起こり、顔が熱くなるのを感じた。

「て、店長が、な、な、なんで、ここに」

 そんな質問を無視して「休みだってのにお店の制服着てくれるなんて感激! やっぱりリビちゃんが一番似合うわぁ。それにそんな可愛いサロンエプロン持ってたのね! 今度売ってるお店教えてね」と言い「美味しくな~れ。ふんふふふんふ~ん」と真似をしながら歩いて来る。そして鍋に指を入れてクリームを舐めた。


「う~ん。お砂糖足りないかも。まだ間に合うからもう少し追加してみて」

「きょ、今日は定休日……」

 恥ずかし過ぎて、声がうわずる。

「それと、もう少し火を弱くした方がいいわよ。そんなに強火じゃ焦げちゃう。生地の方はどう? 出来てるの?」

 言って、店長は薄く焼いたクレープ生地が重ねてある角形バッドに目をやった。

「あら、上手上手。じゃあ後は、ヘラから筋がでるまでクリーム混ぜたらバットに移して冷やしてね」

「は? ああ……」

「でも、勝負はこれから! 薄くクリームを塗りながら重ねていくクレープは結構難しいのよ? 中央がきちんと丸く盛り上がる様に上手に仕上げてね。それと、これが一番重要……」


 店長は指を一本上げて「何度も言ってるけど、い~い?」とその指を優しく振る。

「店長って呼んじゃ、駄・目。ちゃんとリンダって呼んでちょうだい」

 男の顔にどぎつい化粧を施したリンダが「ね?」とウインクする。

「……」

「あ、そうそう。これ、明日使うフルーツ。ここに置いておくから片付けておいてね。それじゃ、邪魔しちゃってごめんね。がんばって。美味しくな~れ、ふんふふふんふ~ん」

 言いたい事だけ言って、歌いながらリンダは店を後にした。


 バタンと扉がしまる音が聞こえて店内は静けさを取り戻す。

 ほとんど時間が停止した状態のリビの耳に、温まったクリームのポコポコと空気を吐き出す音が入って来た。すっと手を伸ばし、リビはコンロの火を止めた。

 踏み台から降りて、両手で真っ赤な顔を覆う。


「ふぅぅぅああああぁぁぁぁぁ!」


 そして言葉にならない叫びを上げながら、ゆっくりと沈む様にしゃがんだ。






 出来上がったケーキを八つにカットして、その内四つを箱に詰めた。

 お店に置いてきた分は明日、皆に試食して貰う分。そして箱に入った分はアズリ達の分。四つ持って来たのはアズリの家で自分も食べる為。

 顔が熱くて息も荒いリビは、イライラしつつもケーキだけは崩さない様に慎重に歩いていた。

「くっそ! あのオカマ店長の記憶、どうやって消してやろうか。後ろからぶん殴って……ああ! もう! くっそ!」

 恥ずかしい姿をみられてから暫くうずくまっていたが、その後は無言で作業を続けた。


 余計な事を考えない様に放心状態に近い無心を貫いた為か、出来上がったケーキの見た目は非常に綺麗だった。

 初めて作ったとは思えない天才的出来栄えと自画自賛して、店を後にした。

 喫茶店【ニア】から【ベルの花屋】まではそこそこの距離がある。考えない様にしていた羞恥が歩く度に沸き起こり、最終的にその羞恥が憤怒に変わった。


「ってか何で今日に限って店に来るんだよ! 営業日でさえ顔だすのは三日に一度くらいだろうが。くっそ!」

 赤い顔がより一層赤くなる。

 一人でブツブツと暴言を吐きながらケーキを運ぶ女が珍しいのだろう、すれ違う人々は皆じろじろと見てくる。

「みてんじゃねーよ! ぶっ殺すぞ!」

 そんな言葉をかけても、驚く事なく皆笑顔を向ける。

 特に女性は遠くから手を振ってくる場合があった。

 その度に「誰だてめぇ」と小さく呟きならがら素通りした。


 そんな対応を繰り返し、目と鼻の先にベルの花屋が見えた頃には頭も冷えていた。

 道を渡って商店街へ入ろうとした時「リビちゃ……店員さん。こんにちわ」と声をかけられた。

「ん? ああ。おう」

 かなりの頻度で喫茶店に通う常連の客だった。名前は知らない。

「ニアってケーキのお届けもするの?」

「は? ああ……これか。これはただの試作だよ。ウチはそんな面倒な事はしねぇ。食べたいなら店に来な」

「だよね。今日は定休日だし。お届けしてくれるなら毎日食べられるって思ったんだけど、残念」

「おう。悪いな」

「うん。じゃ、またね。お店休みの日まで大変だね。仕事頑張って」

「おう」

 常連の女がひらひらと手を振って去っていく。

 今度サービスしてやるか等と思っていると、ふと不思議な点に気が付いた。


――ん? 仕事? なんでそう思った?


 彼女が残した最後の言葉。仕事というフレーズ。

 わなわなと嫌な予感がよじ登って来る。

 普段から目立つ方ではあったが、今日は異常に視線を感じた。というより今も感じる。ケーキを持ちながらイラついてる女が珍しいのかと思っていたが、そうでは無いらしい。

 リビはゆっくりと視線を下げて自分の服装を確認した。

「ふぁ?!」

 周囲を見回して、ガラスがある建物へとダッシュする。勿論ケーキは崩さない様に。

「ぅぅうぉぉおぁぁああ!!」

 そこには、喫茶店【ニア】の超絶可愛い制服を着ている、酷い形相のガニ股女が立っていた。

「やっちまった~~!!」

 リビは店の制服を着たまま街中を闊歩かっぽしていた。


――ど、どうする? 戻るか? いや、まて、ここから戻るのは流石に……。


 私服は当然、店に置きっぱなしにしてある。

 戻るべきなのだが、もうこれ以上この格好で歩きたくはない。それに悩んでいる暇もない。自分が店の服を着ていると分かった途端に周囲の視線が痛くなった。いや、もう既に激痛の域に達している。


――花屋に行くしかないっ。


 選択肢は残されていなかった。


――アズリの服……ではデカいか。なら、マツリの服を借りて帰るしかないだろ。


 体ではなく、心に刺さる視線を搔い潜って、急ぎ、ベルの花屋へ向かう。

「くっそ! 何なんだ今日は! くっそ!」

 赤い顔を見られまいと下を向いて早歩きで進む。ダッシュはしなかった。余計に目立つから。


「あら、いらっしゃい。リビちゃん」

 店に入り、下を向いたまま、店奥に居たベルの隣にストンと座る。

 ふーふーと、息を整えて「こ、こんちわ」と挨拶を返した。

「顔真っ赤じゃない。大丈夫?」

 そう言ってベルが両手を頬に当てて来た。水揚げ後の手が冷たくて、熱くなった頬が一気に冷えていく感覚が分かる。

 リビは黙ってベルの優しさを堪能した。


「走って来たの? それとも体調悪いの?」

「だ、大丈夫。でも、もう少しこのままで。冷たくて気持ちいいから」

「ふふ。私は温かくて気持ちいいわよ」

 いつでも優しいベル。こんな人と一緒に暮らせるアズリが羨ましいといつも思う。

 一人暮らしする前には、一切怒らない優しい姉も沢山居た。

 ベルの冷たくて温もりのある手は、姉達に会いたいと、少しだけ思わせた。

「ありがと。もう落ち着いたから」

「そう? 良かったわ。こんなお婆ちゃんの手でごめんなさいね」

「そんな事ない」

 店に客はいない。そして誰も来なかった。

 リビはすぅっと深呼吸して平静を取り戻す。そして試作のケーキが入った箱を見せた。


「あら? 何かしら」

「ケーキ試作したから。良かったらって思って。持って来た」

「あらら。いつもありがとうね。もしかして、このために急いで来たの?」

 そうではないが一応「あぁ~まぁ。うん」と答えた。

「じゃあ二階に持って行ってあげて。あ、そうそう、今レティーアちゃんも来てるの。お茶でも持って行ってあげようって思ってたから丁度良かったわ」

「レティーアが?」

 ケーキは四つしかない。

 自分も食べたらベルの分が無くなってしまう。だが、自分は食べなければいいだけの話なので問題は無い。それよりも、怪我の治っていないレティーアが普通に出歩いている事の方が問題だと思った。


――あのバカ。まだ安静にしてろって言われてんだろうが。


「どうしたの?」

「あ、いや、何でも……」

 顔を合わせたら、小言の一つでも言ってやろうと思った。しかし、今の自分の格好を見せたら何倍にもなっていじり返される。

 部屋に入った瞬間、負け戦が決定しているのだから、余計な一言は言わない方がいいのかもしれない。

「とりあえず、コレ持って行くよ」

「ええ。お願い。直ぐにお茶持って行くわ」

「ありがと」


 アズリの部屋は狭い。女と言えど、四人も入ったら結構狭苦しいのではないかと思いながら、何度も通った事のあるアズリの部屋へ迷わず向かう。

 そして、部屋のドアを軽くノックした。だが、反応はなかった。


――ん? どうした?


 リビは耳を澄ませた。

「お揃いっていいね」「い! い! 幸せ!」とマツリとレティーアの声が聞こえた。何やら盛り上がってる様子だった。

「アズリ。入るぞ」

 言いながらゆっくりとドアを開けた。


「尊い!」


 ベッドの前に正座して、意味の分からない台詞を吐くのはレティーア。そのレティーアが見つめる先にはアズリとマツリが立っている。

 服が脱ぎ捨てられていて、三人共、花の刺繍が施されたピンクの下着姿で居た。

「はぁ~もう! 尊い!」

 レティーアの気持ち悪い声色を聞きながら、リビはそっと、そのドアを閉めた。


 リビは思った。


 今日という日がどんな日かと問われたら……。

 記憶にございません!! 

 そう答えるだろう、と。

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