【エピソード2】 プロローグ

プロローグ

「ルマーナ様。私にはもう、綺麗な花畑が見えております」

「こんな所に花なんてある訳ないじゃない! バカな事言ってんじゃないよ! キエルド!」

「オイラは今、涼しい霧の中を走り抜ける気分でさ。ああ、目の前が白く……」

「レッチョ! あんたはただの酸欠!」


 ゴロホル大森林の南に広がる草原。その更に南には岩山と荒野が広がっている。

 そんな疎らな草しかない荒野を走り抜ける三人は死に物狂いだった。


「キエルド! あんたはそれ捨てなさい! 弾なんてもう無いんだから! レッチョ! これに懲りたら少しは痩せなさい!」

「それは出来ませんルマーナ様! これは私の命よりも大切な物! 捨てるなんてあり得ません!」

 ルマーナの左隣をスマートなフォームで走るキエルドは、細身で大型の銃を胸に抱いて「捨てるなんてしませんよ。 ん~愛してる」と言いながらキスをする。

「気が付いてないのは残念ですルマーナ様。今朝量ったら、オイラ三百グラムも痩せてたんでさ。新記録、新記録」

 右隣で滝の様な汗を流しながら走るレッチョは、ドヤ顔で自分の腹をパンパン叩く。


「また買えばいいじゃない! キエルド! レッチョ! あんたのそれは誤差だよ誤差!」

「そういう問題ではないのです。この子だからこその良いのです。それよりもルマーナ様こそもっとスマートに走りましょう。女性としての品格が!」

「そうでさ。女の子らしく!」

「品格ぅ~? 今そんな事言ってる場合じゃない! それに女の子って歳でもない!」

 ガニ股で大汗をかいて走るルマーナは、今現在だけは女性である事を捨てている。

 必死な形相のまま振り向くと、相手との距離が明らかに縮まっている事に気づいた。


「ヤバいヤバいヤバい!」

 滅多に出くわさない奴と対峙してしまったのは最悪だった。

 長い図体に無数の脚が蠢いて、一直線に向かってくる生物の名はムモール。地中に巣を作り、僅かな草を求めて彷徨う草食動物を食らう。

 巣の中でじっとしている為、その巣にさえ近づかなければ何の問題も無い。絶対数も少ない為、それ故に対峙することも滅多にない。

 だが、今回は強烈に運が悪かったと言わざるおえなかった。


「俺たちが囮になります! ルマーナ様達は船に戻って俺たちの回収をお願いします!」

 そう言って、輸送用五輪バイクに跨って走り出した仲間達をルマーナは思い出す。

「全然囮になってないじゃない! どうしてこう、いつもいつも!」

 五輪バイクのエンジンのかかりが悪く、あっという間に追いつかれた仲間はバイクを捨てて逃げだした。襲われそうになった仲間を助ける為にキエルドが乱射した弾は、こちらに注意を向ける効果のみ抜群に発揮した。


 結局、囮になっているのはルマーナ達。

 レッチョはハンマーを、ルマーナは銃剣を捨てて、全速力で空船へ向かっている。

「いやー、ついてないですね。はっはっは」

「あんたの腕が悪いんでしょうが!」

「ショック! 私の腕は確かです。 角度的に悪かっただけですよ」

「だからって全弾撃たなくても良かったでしょう!」

「いや、論点そこじゃないでさ。落ちた遺物船の真下に巣があった時点でついてないって話でさ」

「だまりなさい! って! ギャーー! 来たよ! あんたたち何とかしなさい!」


 あと数百メートル走ればルマーナがローンで買った【ラブリー☆ルマーナ号】が待っている。当然、目視できているが、どう考えても無事に辿り着くとは思えない。

「何とかって、まさか! 私達に囮になれと?! 食われてる隙にお逃げになると?!」

「オイラ、食われるのは嫌でさ」

「……ぐっ。あんた達を見捨てる程、あたいは腐っちゃいないよ!」

「流石! ルマーナ様!」

「信じてついていくでさ。ルマーナ様」

「で、この状況どうすれば良いですか?」

「で、この状況どうすれば良いんでさ?」

「……」


 いざという時頼りにならない。そう痛感するルマーナの頭上に影が落ちる。

 軽く振り向くとムモールが体半分を高く持ち上げ、楕円形の大きな口を広げていた。

「ギャーーー!」

 無数の牙をさらけ出して、後方上段から飛び着く勢いで降って来る。

 ルマーナは「ふんおっ!」と声をあげてオッサンと化す。一瞬だけ火事場の馬鹿力を発揮して跳躍すると、ギリギリで避ける事が出来た。

 地面に勢いよく噛り付いたムモールの衝撃は、三人を宙に舞わせる。


「どぅわっは!」

 足元を崩しながらも着地出来たルマーナは青ざめた顔でそのまま走る。

「あ、あ、あぶ、危なかった~」

「いやー、死ぬかと思いました。はっはっは」

「オイラは腹が減って死にそうでさ」

 危機感という物をこいつらは理解しているのか。

 そう思いつつ、ルマーナは違和感に気づく。


「あ、ルマーナ様。スカートが」

「ん?」

 違和感を探るより早く、キエルドが指摘してきた。

「あぁぁ! 嘘でしょう!」

 ダサい仕事着に幾ばくかのファッション性を取り入れるべく履いていたフィッシュテールスカート。後ろ半分が千切れて前面と同じ長さになっている。これでは只のミニスカート。


「高かったのに!」

「それもローンでしたよね?」

「それも、とか言うんじゃないよ!」

「多分、一年ローンだったでさ」

「え?! 長い! それ最近買ったばかりでしたよね? ルマーナ様」

「……」

 ムモールが体勢を立て直し、再度一直線に向かってくる。そんな状況でも無駄話は続く。

「ローンだけが残った訳でさ」

「スカート以外にも色々と買っていましたね。しかもローンで。お店の売り上げも常に安定している訳ではないのですよ?」

「……」

「実はその次の日衝動買いした壺。先日酔って割ってしまったんでさ。それもローンだけが残ってるんでさ」

「え? あれ割ってしまわれたのですか?」

「……」

「借金まみれじゃないですか。ルマーナ様。もう少し計画的にお金は使った方が良いかと思いますね」

「……」

 無言で走るルマーナは少し速度を上げた。


「この状況を打開する策、思いついた。今っ! たった今っ!」

「本当ですか?!」

「良かったでさ。で、その策は?」

 ルマーナは「ふんすっ!」と鼻息を一気に噴き出して更に速度を上げた。そして顔を真っ赤にして叫んだ。

「あんた達が囮になりなさい! 食われなさい! あたいの為に!」

「「えーーー?!」」


 生まれてきて、こんなに本気で走った事があっただろうか。

 生き残る感情よりも怒りが勝る。

「酷い!」とか「待ってくだせー」等と後ろから声が聞こえてもガン無視でルマーナは走った。グングンと二人との距離が開いていく。

 しかし、それもつかの間。気づくと既に二人はルマーナの前を走っている。

「早っ!」

「死にたくはありませんので」

「オイラも」

「ちょ! ちょっと待ちなさい! ふんぬっ!」

 真っ赤な顔を更に赤く染めて、普通ならドン引きされる形相で走る。

 三人揃って走る姿は良い歳しても仲の良い姉弟にしか見えない。


 あと少し。

 あと百メートルも無い所にラブリー☆ルマーナ号がある。

 だが、予想通り間に合わなかった。確実に捕らえられる角度に影が落ちる。

 一瞬の跳躍で避けられる状況では無いとルマーナは悟り、振り向いた。

 目の前に大きく開かれた口。

 その中心に吸い込まれるように自分がいる。


――あ。これ死ぬ。


 と思った瞬間、ガィンと鋼鉄を弾く音が響き、ムモールが真横に吹き飛ばされた。

 地面を削りながら滑る様に転がっていく姿を、息を切らしながら三人は目で追った。立ち止まってその原因を探ると、荒野に広がる岩山の端に人影が見えた。


「ハァハァ……誰?」

 人である事は分かるが、遠すぎて顔まで分からない。

「ルマーナ様、とりあえず中に!」

 キエルドから声をかけられてルマーナはハッとする。

 ムモールはまだ死んではいない。ビクンビクンと体を振りながら脚が蠢いている。直ぐにでも起き上がり、また動き出す。

 ルマーナは急いで船に乗り込み、レッチョが首から下げていた双眼鏡を奪い取った。



「同業者でしょうか。それとも狩猟商会? 見た事がない人ですね」

 搭乗口から様子を伺うルマーナの隣で、同じく双眼鏡を覗くキエルドが言った。

 しかし、それに答える事はせず、ルマーナは無言で双眼鏡を握る。

「硬体皮生物用の大型ライフルですね。しかしあれでも、奴の皮膚は貫通出来ません」

「背中に幾つかある鼻腔穴。そこに一発でも撃ち込めればそれで勝ちでさ」

「あの距離では無理でしょう。とにかく、今がチャンスですルマーナ様。船を起動させて逃げましょう」

 キエルドが提案しつつ、ルマーナに視線を向けてくる。


「ルマーナ様?」

 ルマーナはそれでも双眼鏡から目を離さない。

 ルマーナの様子を見て、エキルドとレッチョは「どうしましたか?」と声をかけた。

 とその時、ライフルから二発目が撃たれる音が響いた。

 キエルドとレッチョはすかさずムモールへ向き直った。


「これは……素晴らしいですね」

「凄いでさ」

 一発目は三人を助ける為。

 二発目は確実に仕留める為。

 その二発目は的確にムモールの鼻腔を撃ち抜き、内臓を破壊した。心臓の鼓動と同調するように、鼻腔と口からびゅくびゅくと体液が噴き出し、体を痙攣させている。


 ルマーナも流石に双眼鏡から目を離し、ムモールを見つめた。

「あの男、良い腕してますね。私と肩を並べる……かもしれませんね。はっはっは」

「いや、キエルドよりずっと腕が良いでさ」

「ショック! 心外ですね、レッチョ」

「スコープ装備だったとしてもあの距離から拳程度の穴を撃ち抜いたんでさ。弾のサイズを考慮すればどれだけ神業か。それでも自分と肩を並べると言い張れますかい?」

「むむ……。ル、ルマーナ様はどう思われますか?」

 その質問にも返答しなかった。

 ルマーナは再度双眼鏡を押し付けてじっと眺めている。


「ルマーナ様?」

 二人は目を合わせて考えを巡らした。

 ルマーナの態度と雰囲気。この状況は何度も経験していた二人。

「まさか……」と二人同時に呟くと、「運命……」と二人の言葉に続いてルマーナが呟く。

 同時にたどり着いた二人の答えは当たっていた。


「あたい、今度こそ本物だと思う」

「うわぁ」

「面倒くさい事になりましたね」

 言葉に出来ない幸福感をルマーナは感じる。

 今まで何度も感じてきた感覚だが、今回は得体の知れない危険な香りまで漂っていると思った。


 だが、それが良い。


「……好き」

 ポツリと小さな告白をすると大きな溜息が左右から聞こえた。

 しかし、そんな事は気にならない。何故なら、双眼鏡の向こうで愛しい彼と目が合ったからだ。

「うへへへ」

「相変わらず気持ち悪い笑い方しますね」

「これが可愛いっていう輩も一定数いるのも事実ですがね」

「どこにですか?」

「さぁ? オイラには分からないでさ」

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