朝日と温もり【11】

「……何だったの?」

 人に似た何かが進入し、そして出て行った穴をアズリは眺めている。

 その何かは、押し広げられたドームの穴から地面を歩き、蔓に巻き付かれても意にも介さず、凄まじい跳躍で姿を消した。

 無機物としか思えない感触が頭と肩に残っている。しかし、無言の行動が与えてくれた温かさは、人と同じ物。

 髪に触れられた感触、雰囲気、つい最近似たような感覚があった気がする。


「そういえば」

 アズリは自分を助けてくれた名も知らない女性へ近づいた。

 閉めたはずの頭部は開きっぱなしになっていて、薄っすらと走っていた光の線は完全に消えている。

「……名前、聞いておけば良かった」

 例の何かは、彼女に寄り添っていた。殆ど動かずに無言で居たのは、彼女の死を目の当たりにして悔やんでいたのかもしれない。


 そう思うと答えは自ずと出る。

 助けが来た。そういう事だろう。


「……勝率低いって言ってたのにね」

 彼女はもう停止している。否、死んでいる。

 救助されるのは一人だけ。

 彼女は自身の死と引き換えに、信号を発信してくれたのだと悟った。

「……ありがとう」

 彼女の目元に手を添えて、その薄く開いた目を優しく閉じる。

 と、同時に咆哮が響いた。

 鳥が飛び立つ音や小動物が走り去る音が、周囲で一気に湧き上がる。

 しかし、アズリだけは落ち着いていた。

 目の前で眠っている彼女と同類の存在が、自分を救ってくれる存在が、今まさに巨獣と戦っているのだろう。

 そう思えた。


「がんばって。ロクセさん」

 不意に出た名前。

「ん? 何で? あれ?」

 激動の一日が思考に靄をかける。

 まさに理解を超えた経験の最中にいる。

 今考えたとしても、理由なんて出るはずもなかった。






「近くで見ると……んん。これは、なかなか……」

 ぱっと見て、全高二十メートルはある巨体が地響きを立てながら迷う事無く、アズリ達の元へと歩みを進めている。

「最大級の搭乗機兵よりもずっとデカいな」

 名前は何というのだろうか。

 ブリーフィングの時には巨獣としか言ってなかったし、多々良も同様に巨獣としか言っていない。

 人が付けた正式名称はあるのだろうが、知らぬのなら勝手につけるしかない。


「トカゲ? それとも亀なのか?」

 フォルムからすればトカゲに近く、尻尾も長い。しかし岩にしか見えない甲羅を背負っている。甲羅には苔や草木まで生えていて、むしろその甲羅の上で生きている小動物や昆虫さえいる。


 頭部は無く、手足の生えた岩と言った方がしっくりくる。亀とも思えた判断は、頭部が甲羅の中に埋まっていると思えるからだ。

 前後脚共に、足先には体毛の様な物も生えていてる。甲羅の周囲にも体毛が生えていて爬虫類としては珍しい。


「名前を付けるとするなら、岩トカゲだな」

 ネーミングセンスが無いと仲間達にも、勿論多々良にも言われた事があるが、気にしてなどいない。

「さて、どう止めるか……」

 その体重を支える、恐ろしく太い脚。地面を歩くのならば、この森の性質上、蔓が巻き付くのは必然。

 しかし、その蔓が見当たらない。いや、見当たらないというのは間違いで、良く見ると実際には蔓が巻き付いている。


「体毛じゃないのか? アレは」

 蔓が巻き付くと同時に体毛が意思を持った様に蠢き、その蔓を抱え込む形で飲み込んでいる。

「体毛一本一本が触手の様な物で、オモトコリスの蔓すらも栄養にしているというのか?」

 生物は奇跡だ。人間の様に道具で生きのびて来た存在に対し、そもそもその自然体系に適応して生きている存在の方が多い。

 荒廃した母星で生きのびている極僅かな生物を、保護しようとする動きがあったのも頷ける。


「まぁ、そんな事はどうでもいい。とにかく追い払わなければな。殺す……のが手っ取り早いが、見たところこの森に四体しか居ない様だしな。生態系に問題が生じても困るだろう。……脚の一本位は折っても問題ないか?」

 等と思案していると岩トカゲは歩みを止めた。

「ん?」

 まるで電池の切れた人形の様にじっと身を動をかさない。

「なんだ? どうしたというんだ?」

 そういえば、巨獣に狙われる理由を多々良は話さなかった。


――まさか、救助信号に反応して向かっていたのか?


 多々良は既に機能を停止している。

 もし、そうならば、今向かった所で意味は無い。


――そのまま仲間の所へ帰ってくれ。


 遊びたい気持ちもあるが、何事も無く事がすめばそれに越したことはない。

 暫く六瀬も様子を伺う。

 しかし、願いも虚しく岩トカゲは動き出した。

「ちっ。無駄か」

 アズリのいる場所まで一キロと無い。


 六瀬は移動していた時と同じ脚力で跳躍し、牽制の蹴りを放った。

「巣に帰れ」

 硬い岩の様な甲羅に横から飛び蹴りが当たると重音が響き、岩トカゲがぐらつく。

 蹴った反動で別の幹に飛び移り、六瀬は念のため反撃に対する体制を取る。

 しかし岩トカゲは、こちらに身を向けただけで何もしてこなかった。


「この程度でどちらが強者か理解しろと言っても無駄かもしれないが、大人しく引き返してくれるのならこれ以上は何も……っ?!」

 と、言いかけた所で高音と低音が混ざった独特な咆哮が鳴り響いた。

 どこから声が出ているのか分からない。

 遠くで森の動物達が騒めき、ビリビリと空気が揺れて、周囲の植物も凪いでいる。


「いきなりデカい声だすな……って、うぉっ!」

 六瀬のいたハイグローブの幹が一瞬にして砕けた。

 その一瞬を言い表すのなら、放った大弓の矢よりも早い速度。

 六瀬はその攻撃を避け、別の幹に移る。

「……やっぱり亀だろ。お前」

 埋まった頭部……本来あるべき場所から矢の如く放たれた攻撃は、自身の頭部を突出するという物。

 長い首に、岩すらも砕けそうなくちばしを備えた大きな頭部が付いている。ピッケル型のくちばしが上に二本、下に一本あり、交差している。目があったと思われる場所には窪みがあるだけで退化している様だった。

 十数人が手を繋いでやっと回り込める程に太いハイグローブの幹が噛み切られ、バキバキと音をなして倒れる。


 獲物を捕らえられなかった頭部は即座に引っ込み、首元へ埋もれる様に隠れた。

 六瀬は相手の正面に位置を取る事を避け、別の幹へ飛び移る。そして、先の牽制より若干強く幹を蹴り、再度飛び蹴りを放った。

 すると岩トカゲは尻尾を振り上げ、それを止めた。

「ん? どうやって俺の動きを見ている?」

 見た所、眼球など存在しない。


――あの動く体毛……。空気の流れでも感知してるのか?


 エッグネックは反響定位、岩トカゲは気流感覚。

 この森には触覚、嗅覚等も含め、暗い中で生き残る術を、各々獲得しているのだと思えた。

「……面白いじゃないか」

 六瀬は周囲の幹を使い、ピンボールの玉の如く素早く移動する。そして岩トカゲの後ろへ回り込み、背にしょった甲羅、否、岩肌へ真上から蹴りを入れた。

 地面に向かって支える脚があるのだから、当然岩トカゲはぐらつく事無く耐えた。

 牽制時と同じく重音が響き、ほんの少し岩が削れる。

「そこそこ力を込めたんだが、かなり硬いな」


 効率が悪い。

 何度蹴っても効果は期待できない。では殴るのはどうか。

 インパクトナックルはインナーのみの装備ではフル稼働できない。とはいえ、蹴りよりはずっと威力が高く、攻撃を繰り返せばそんな硬い甲羅であっても砕く事は難しくない。

 しかし、それをしてしまえば、ただ静かに生きている動植物へ被害が及ぶ。


 リスに似た動物や、かぎ爪の付いた毛玉に見える動物。そして多様の昆虫が騒めき、六瀬から離れていく。

 岩にこびり付いた土。そこに生えた短い草木。

 この巨獣の背の上で生命が息づいている。

 尻尾を使い、六瀬を叩き落とさない様子をみると、岩トカゲ自身その環境を保守していると感じざるおえない。


 六瀬は幹へ飛び移り、溜息をついた。

「こいつを巣に戻す事が目的だからな……」

 と、六瀬が岩トカゲから離れて直ぐ、石が勢いよく飛んで来た。

 難なくかわしたが、幹のど真ん中にクレーターを作りつつ石がめり込んだ。

「……これがお前の本来の姿か?」

 いつの間にか岩トカゲの前脚付近から左右各三本づつ、太い触手が顔を出していた。うねうねと動いて地面をまさぐっている。

 先程突出させた頭部も若干露出して、六瀬がいる方へ向けていた。


「エッグネックといい、お前といい、触手だらけだな」

 まさぐる触手は倒木を掴み、投げ槍の如く飛ばした。

 避けると倒木は幹へ突き刺さり、間髪入れず次の倒木が飛んでくる。

 空中で蹴って方向を逸らした二本目の倒木は、回転しながらハイグローブの枝を勢いよく折って六瀬の後方へ消えた。


「ポンポン投げるな。アズリの所まで飛んでいったらどーする」

 六瀬は深いため息と共に「仕方ない」と呟いた。

 インパクトナックルを起動させ腰を落とす。

 ナックルに青い光が灯り、手甲付近から空気が漏れる音が出る。

 六瀬が何をしようとしているのかなんて、岩トカゲには関係ない。

 地面をまさぐる触手は新たに、石や倒木を掴み同時に投げつけて来た。


「だから! 投げるな!」

 六瀬は頭突きで石を砕破させ、左拳で倒木を殴り飛ばした。そして岩トカゲ目掛けて突っ込んでいった。

 しかし、六瀬が跳躍した先は岩トカゲの眼前。

 インパクトナックルが装備されている右拳は地面を叩き、爆音を轟かせた。

 土が波打つと同時に、円を広げる様に飛び散っていき、パシュっとインパクトナックルが薄い煙を吐いた。

 何事かと驚いたであろう岩トカゲは、次の投射物を探す動きすら見せず、ただ六瀬を見据えている。


「……これなら面倒はないな」

 土埃が静まり、仁王立ちになる六瀬が姿を現す。

 六瀬を中心点として、半径十数メートルには植物の姿は無かった。当然、オモトコリスの蔓も存在せず、土の上に細かい小石が転がるだけ。


「さあ。正面切って遊んでやろうじゃないか」

 言って、六瀬は人差し指をクイっと二度曲げた。

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