朝日と温もり【10】
――まぁ、当然の反応だな。
ロクセは指先で摘まんで止めたナイフを見やり、そして彼女の様子を伺った。
怯えている。
ナイフから伝わる震えと、驚愕と恐怖が混じった表情を見るだけで、それ以外の答えは出ない。
ナイフを摘まんだまま、ハイグローブの根本に広がるドーム内へと進入する。
彼女は力いっぱいそのナイフを取り返そうとするが、ピクリとも動かない状況を目の当たりにし、より深い恐怖へと表情を変えた。
ロクセは両手で握りしめる彼女の手へ、優しく自分の手を重ねた。
装備したインナーが、人と同じく調整されている熱量を遮断している。
彼女にとっては人の手に似た冷たい無機物が触れただけの事だろうが、ロクセには彼女の温もりを感じ取る事が出来る。
――もう、大丈夫。
言葉には出さない。
今は必要がない。
じっと見つめて、わざと無言の時を作る。
無機物を眺める彼女の表情と手の震えが、徐々に落ち着きを取り戻していく。
何を言われなくとも、時と空気がその重ねた手の意味を彼女に与える。
――いい子だ。
彼女はナイフからゆっくりと手を放し、脱力したかのように座り込んだ。
そんな彼女へ、ロクセは刃先を横に持ち替えたナイフを差し出した。
差し出されたナイフとロクセの顔を交互にみて、彼女はそれを受け取る。
――よく……生きていたな。アズリ。
ロクセはアズリの頭を優しくポンポンと叩いた。
何故だか分からない。
無意識の行動。
アズリの呆ける顔と、頭に置いた自身の手をみて気恥ずかしさを覚えた。咳払いしたい気持ちを抑えて、ロクセは信号の送り主へ視線を向けた。
――さ、さて。目的はこっちだ。
ボーっと眺めるアズリを他所に、ロクセは発信源へ歩み進む。
想像よりもドーム内は広い。
雑草を踏みながら辿り着くと、純粋な驚きが走った。
――こ、こいつは……。
そこにはロクセと同じ存在であるレプリケーダーが横たわっていた。損傷は激しく、通常ならば起動すら叶わない程に大破している。しかも今し方出来た損傷ではない。大破する程の戦闘が起きた時期は、体中にこびりついた苔が証明している。
――数年……いや数十年は経っているのか?
良く見ると胸の中央に大きな穴があった。
――抜き取られたか。
顔面の皮膚も目元の一部しか残っておらず、見ただけではどこの誰かも分からない。しかし胸に風穴があっても、数十年経っていも、それでもなお起動している状況を見れば敵か味方かの判別は簡単につく。
答えは後者。味方だ。
予備エネルギーを蓄える箇所を密かに備えているのは、こちら側の特徴であるが故。
一度スキャンをかけてみる。一部の皮膚だけでは顔認識用データを引っ張ることが出来ずにエラー表示になった。
――ダメか。……悪いが、一度開かせて貰うぞ。識別番号を確認させてくれ。
ロクセは自分のこめかみ付近に触れ、コードを引っ張り出した。頭部強制開閉の為にそれを接続ようとするが手を止める。
――開いている?
頭部に薄っすらと切れ目が見えた。
――エネルギーを温存する為にスリープ状態でいたコイツをアズリが起動させたという事か? いや、マスター登録のない人間が起動できるはずはないし、そもそも開ける事が出来ないはず。
頭部を開くと、ギリギリの所で起動している様子が伺える。
頭部はかなり頑丈に作られているとはいえ、損傷は激しく、余程強烈な一撃を食らったのだと思った。
制御機構の真上にはSR02-D-0078と刻まれた小さなプレートがあった。
即座にその識別番号を検索すると、ロクセの眼前に一人の顔写真が映しだされた。シャープな顎のラインに大きな目が特徴的な女性だった。
――やはりお前だったか。
苔にまみれた目元を見た時に推測をしていたが、確信は無かった。しかし、その推測は当たっていた。
ロクセは自身のこめかみから伸ばしたコードを彼女のこめかみに接続した。
小さく接続音が聞こえ、頭部断面に数本の光が走る。
『起きてるか?』
彼女は閉じていた目を開けて、ロクセに無言の視線を向けた。
『……初めて、かっこいいと思いました』
『鼻水垂らしてる時からお前を知ってるんだがな。その評価になるまでずいぶんかかったんじゃないか?』
『……今日で爆上がりですよ。……六瀬隊長』
微笑んでいるのだろう、彼女は瞼をすぼめる仕草をした。
『目を開けてるだけで限界です。声は勿論、通信すら出せませんから』
『わかっている。直接繋いで申し訳ないが、むしろ今はこの方が都合がいい』
『ああ……確かにそうですね。でも、あまり見ないでくださいね』
『何でだ?』
『……私……顔、酷いでしょ? 識別信号も出せてないのによく私だってわかりましたね』
『……すまんな。プレートを確認した』
『……開いて見たんですか?』
『ああ』
『……エッチ』
『その調子なら大丈夫そうだな。多々良』
ケラケラと多々良は笑う。
眠っていたのだから、数週間前に会った感覚が自分にはまだ残っている。だが相変わらずの多々良の笑い方を聞いたら不思議と懐かしさを覚えた。
勿論、彼女にとっては自分とは比べ物にならない程、久しい会話だろう。
『それにしても……』
『何だ?』
『……まさか六瀬隊長が来るとは思ってませんでした。あの子に賭けて……よかった』
賭けたとはどういう意味なのか。
『何があった? 彼女は……アズリは何故ここにいる?』
『……あの子に関してはよくわかりません。走ってここまで来たみたいです』
『なに? 走って……だと?』
『……はい。エッグネックに追われてる様でした。ここは安全と思って、声をかけました。遺物船落下の衝撃でスリープ解除してたのが幸いでしたね』
まともに歩く事すら不可能に近しいこの森の中で、十数キロ走破するなんて話を聞いても、当然信じる事ができない。多々良の状況を見る限り、彼女がアズリをここまで運んだとも考えられない。
『……アズリが居なくなった場所から、ここまで十数キロある。本当に一人だったのか?』
『はい。一人でした。でも十数キロ? ……すっごい。……ああ、でも何となく分かるかも。あの子ならやれそう』
『そうか。わかった。信じがたいが今はいい。多々良、お前には何があった?』
『あ……やばい。停止……しそうです。隊長、修理でき……す?』
言葉の間に薄っすらとノイズが入り途切れ始めた。時間がない。
『ああ。ポッドはある。仕方ない、詳しくはそれから聞く事にする。現状だけ教えてくれ』
『……自分で広域信……出せなくて、ア……リをマスター登録しました。再起動の自動発信に頼って……に至ります。敵の存在は分かりませんが、少な……ともこの森の巨獣がここを目指して向かっ……ます』
状況は理解した。
アズリがこの場所まで辿り着けた理由だけは謎だが、少なくとも自分が懸念していた部分は杞憂に終わったと判断出来た。
『予測だが、この森には我々しかいない。罠でない事も分かったしな』
『……よかった。じゃあ……心配なのはア……リだけですね。私は大……夫です。あの子を……願いします』
『わかった。安心していい。それにしても、アズリを登録か。仕方ないとはいえ、お前はそれでいいのか?』
『……良イモ何も……恩人で……ら』
『おいおい。俺は違うのか? 恩人でないなら何だ?』
『……私……評価ダケ……ゃ不満ですか?』
『変わりなくて安心したよ。それはありがたく頂いておこう』
ケラケラ笑う事すらも途切れている。
もう十分だ。古くから知る仲間が目の前にいるだけで心強い。細かい事は復帰してから聞けばいい。
『外部メモリー……破壊サレ……るし、メインメモリーも……ど機能してないんです。記憶は途切レ途切レ……から戦闘時の情報は……わしくツタエラレナイ……ト……イマス。ソレイガイモ……マデ……フクゲン……カリマセン』
限界だ。
『わかった。できるだけの事はしよう』
『……アリガ……イマス。ソレト……』
『何だ?』
『……ニハ、キ……ツケ……サイ』
弱々しく垂れ流していた救助信号は途切れ、頭部の機器も停止した。ゆっくりと瞼が閉じて、半目の状態で止まる。
――気を付けろといったのか? 誰にだ? 無駄話がすぎたか……仕方ない。復帰まで保留だな。
あと数分遅れていたらこの会話すらも出来なかった。無駄話とはいえ、得た物は大きい。
多々良の回収と、アズリの生存が一番と言えるが、精神的な物がより大きかった事に六瀬は気付かない。
――さて。
六瀬は振り返りアズリを見た。
彼女はビクリと体を揺らしたが、それは六瀬に対してではなかった。
足音が聞こえる。
まだ少し距離はあるが、悠長にしている時間は無い。
――多々良とアズリ。二人いっぺんに運ぶのはキツイか。アズリの安全を考えるなら、二回に分けるべきだろう。当然、まずはアズリを送り届けるのが先だが、あのデカいのを放置も出来ないな。
アズリを船まで送っている間に多々良に何かあっては困る。となれば、答えは決まっている。
――遊んでやるか。
六瀬は足音のする方をじっと見つめるアズリに近づき、頭に触れようとした。が、すんでの所で手を止め、肩に触れた。
アズリの視線がインナーを通り越して直接伝わる気がした。
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