朝日と温もり【9】

 木から木へ飛び移る移動方法は存外楽しい。

 エッグネックとは違う物体が、それと似たような移動の仕方で目の前を通り過ぎる。森に住む小型動物には、それを興味深く観察する物と脱兎のごとく逃げる物の二パターンがあった。

 それらには共通の能力がある。匂いなのか何なのか分からないが、蔓を避けて走り去る事が出来るという事。時折、それに失敗し蔓に掴まる姿も見た。しかし、基本的には、この森で生きる術を本能的に、又は遺伝的に会得していると思えた。

 他にも超小型の体躯に生まれ、蔓に掴まる前に素早くすり抜けたり、そもそも地上で生きる事を放棄した種類も居る。

 観察なんて悠長な事をしている暇は無いが、索敵には何の反応も無く、注意深く周囲を確認しながら移動していれば、無意識に目に入るのは当然の事である。


 移動中に二度、新たに湧いたエッグネックに襲われたが、一瞬で事を済ませると、それ以降は確実に敵対する個体は消えた。

 エッグネック同士で、一応のコミュニケーションとは取れるのだろう。一定のリズムでクリック音を鳴らした後は恐怖の対象から逃げる様に散らばって行った。

 遺物船回収時の一斉襲撃を経験しているのだから、これくらいの知恵はあると予測していた。


 走るのとは違い、移動速度は速くないが着実に安全に目的地へ進んでいる。

 遺物船があった場所まで着くとロクセは足を止めた。

 そしてアズリの痕跡は無いかと観察する。すると、一本のロープがぶら下がるハイグローブを発見した。そのハイグローブへ跳躍し、調べてみる。


 幹に沿う様に垂れ下がっていて、上空からの捜索では発見出来そうも無い。

 ロクセは幹を登り、枝を伝って上へ向かうと一体のエッグネックが居た。しかし、それは死体。腹部に風穴があり、枝が突き刺さっている。触手はナイフか何かで切り取られている。

 ロクセはその場所から仰ぎ、そしてまた死体を眺めた。


「こいつがクッションになったのか……」

 見たところ、アズリの死体も食われた跡も無い。ロープが垂れている所を見ると、無事に地上に下りて、どこかに隠れているのかもしれない。

「しかし、あの高さから落ちてきて無事だとは……。しかも枝に絡まる事も無くロープが手に入り、地上にたどり着いている様だしな。……リビが言っていたな。アズリは強運だと。……ははっ。同意だ」

 幾ばくかの安堵を抱え、根本まで下りる。


 どこかに隠れている可能性はあるが、生きている可能性まである訳ではない。

 蔓に掴まらずにこの周辺から移動するには、よほど鈍足に注意深く歩かないと不可能だ。しかもエッグネックに襲われずに移動する事も考慮すると絶望的。仮に隠れる場所を確保できたとしても、そう遠くへは行けない。

 ロクセは暗視と熱感知を同時に起動していたが、より正確に識別する為、視界全体をサーモグラフィーに切り替えた。そして、半径数キロまでを隈なく探った。


――エッグネックは人型に近いが、頭部と胸部のみ体温がかなり高い。人間とは区別出来るが……。


 居ない。

 人の熱量を確認できない。

 救助信号と関係ないのであれば、アズリが単独で行動しているのであれば、考えられるのはたった一つ。


 すでに死んでいるという事。


 この森で周囲数キロを探っても見つからないのであれば、それが答えとしか考えられない。

 先程の安堵はいったい何だったのか。

「……ダメだったか」

 浅く溜息をつく。

 あの時助けていればと思っても時間は戻らない。

 打算的で冷徹な部分が見え隠れする自分に嫌気がさす。

 人間味があると言えば聞こえがいいが、こういった所こそ排除していれば、それこそ人間的な存在になり得るのではないかと思う事もある。体が既に人ではないのだから、せめて、これくらいの配慮は欲しかったと開発者に問いたい。


 諦めと共に考えを切り替える。今思った所で既にどうしようもない。当初の目的に集中すべきと考える。

 ロクセは遠方の巨獣へ視界を拡大した。鈍足とはいえ、目的地まであと半分といった所まで迫っていた。


――速度的にこちらの方が早く着く。興味はそそるが……いや、回収が優先か。


 正直、手合わせ願いたい。遊んでみたい。戦闘狂では無いが、生物なんて殆ど存在しない世界からやって来たのだから好奇心くらいは沸く。

 しかし、そんな気持ちをかぶりと共に振り捨てる。

 ロクセは信号の発信源に視線を向けた。やはり周囲に妙な識別も無く、索敵には何の反応無い。


「ん?」

 何もない。

 何も気になる部分は無いのだが、唯一、一つだけ、その発信源に寄り添う生物がいた。

 若干体温は低いが、その熱分布は人の物と同じと思えた。

 ぱっと見では人の形として認識出来なかったのだが、よく見てみると膝でも抱えて小さく座っている様に見える。


「……嘘だろ?」

 この森の中心にポツンと座る人間。あり得ない。

 森の入り口からそこまでは相当の距離があるのは勿論、自分がいるこの場所からでも十数キロある。

 歩いて行ったのか、助けられたのか。

 どちらにせよ、体のサイズと線の細さからみて女性と思える人間が、生きてそこにいる。


 敵が潜んでいる可能性があるにも関わらず、ロクセは大声で笑った。 

「なんて言うか……本当に」

 消え失せた安堵が再び湧き上がる。

 罪悪感から解き放たれる感情が、無意識な笑いとなっている。

「信じる心は奇跡すらも生むのか? ははっ。まいったな」

 昼間、最終的に行き着き盛り上がりを見せたアズリ生存論。

 恐ろしく低い生存率に賭けた審議は希望的観測と、アイツは強運というだけだったが、その時の仲間達はそれ以外には無いと言えるほど、確信的な感情を持っていた様に見えた。


 ロクセは勢いよく幹を蹴り、跳躍する。

 周囲への警戒は二の次になっているが、自身では最早気づきもしなかった。






「起動したら、また話せるって言ったのに……」

 あれから数度、体を揺らして反応を見たが彼女は何も答えてはくれなかった。目を閉じたままピクリともしない。

 残っていた肌は殆ど無かったし、本来の顔は想像もつかないが、整った眉と大きな目が素敵で、彼女の優しい声を合わせれば幾らでも妄想は出来た。

 しかし、頭が半分開いたままで眠る姿を見ると、その妄想すらもかき消される。

「美人な方なのよ」といった彼女の言葉を思い出し、アズリは頭部を優しく閉じた。そしてアームライトも消した。


 目を慣らす為にじっと闇を見つめる。

 寒い。

 体を動かせば少し暑いくらいの気候でも、夜の森は体温を奪う。

 膝を抱えて温めても気休めにしかならない。

 人間の物とは違う様々な声が闇の中に溶け込んでいる。

 体温と不安が反比例し、どちらの物か分からない震えが少しづつ現れ始め、彼女との会話は自分にとってどれだけ支えになっていたのか思い知る。


――どう考えたって無理。先に皆が見つけてくれる? 地上に下りる装備、持ってないのに?


 勝率が低いと言った彼女だが、低いというのは間違っていると思った。

 正解は無い、だ。

 枯れたせいで、もう涙は出ない。諦めに近い悟りが自分の中に生まれている感覚すらある。

 そういえば、数秒続いた耳鳴りにも似た感覚は何だったのかと思い出した。


 信号を発信したと思われる瞬間、耳奥が響いた。きっと、この感覚が巨獣を呼び寄せるのだろうと思ったが、人間にも感じ取れる物なのだろうかと、疑問が残る。でも、今はまったく何も感じない。

 はたして、今現在も救助信号は発信されているのだろうか。

 もしかしたら、既に停止しているのではないのだろうか。

 だとすれば、巨獣に襲われる心配はしなくてもいいのではないか。

 信号が停止しているならば、助けが来る可能性だって薄れるという現実には触れもせず、楽観的な希望だけが頭をよぎった。


 等と悟りも伴い、そう思う事で、落ち着きをほんの少し取り戻せた。が、それもつかの間。

 アズリの頭上に何かが勢いよく飛び移る衝撃が起こった。

 目が慣れて来たとはいえ、ドームの狭い隙間から夜の森を見つめても、ほとんど何も見えない。

 ハイグローブの幹へ飛びつく生物は奴らしか居ない。

 アズリはグッと息を潜め、口元を押さえた。

 エッグネックはその場を離れようとはせず、とどまっている。

 冷や汗が流れてもじっとしている事しかアズリには出来ない。


――は、早く行って。


 しかし、アズリの心情を無視するエッグネックはゆっくりとドームの上へ降りて来た。ドームがたわみ、歩いているのが分かる。


「っ!」


 アズリはゆっくりとナイフを引き抜き、両手で握りしめた。

 ぶるぶると手が震える。

 迷う事無くドームに開いた穴に向かってドームのたわみが続いていく。

 クリック音が聞こえなくとも、そこへ向かうのならば、既に自分の存在に気づいているのだろう。


 何故なのか理由が分からない。

 虫や小動物の声は近くで聞こえたが、それ以外はだったのに。


 アズリは中腰になり前へ進んだ。

 ドームの中に入って来られたら逃げる場所なんてない。先手必勝。それしか助かる道は無いと思う。

 たわみは、とうとう穴まで到達し、恐ろしい力でバキバキと入り口を広げ始めた。そして、ぬっと顔を覗かせる。

 暗くてはっきりとは見えないが、目も鼻も口も無いのだけは一瞬で分かった。

 アズリは全身に力を込め、その顔面目掛けて勢いよくナイフを突き刺した。

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