朝日と温もり【12】
遠くで大木が倒れる音が聞こえる。
遠くと言ってもそう遠い訳でもない。そう思えるのは、倒れるハイグローブが放つ轟音が証明している。
「すごい事になってそう」
何かがぶつかる重音や、木々がへし折られる音まで聞こえる。
不意にガモニルル討伐の光景が浮かんだ。
おそらく、先日の光景に似た状況が繰り広げられているのだろう。十数人がかりで討伐した状況を一人で行っているのだとすれば、考えるまでもなく彼は人ではない。
「……静か」
耳を澄ます。
遠くの戦闘音は否が応にも聞こえる。しかし、静かだった。
「虫の声が聞こえない。それに動物達も……たぶんもう、ずっと遠くに逃げてる」
大きな木と植物達に囲まれ隔離された森。
暗闇の中に自身も溶け込んでいる。
全てと一体になった感覚が現れ、見えもしない巨獣と彼の戦闘が肌で感じ取れる。
パッと視界が開け、目の前に彼が立っている。
自分を守る為に、巨獣に立ちはだかり、身を挺す姿が見える。後ろ姿は何故かロクセだった。
幻。そう、幻なのだ。いや、夢なのだろう。
何故なら、既にアズリの意識は飛んでいた。生気が抜ける様に一瞬で深い眠りに落ち、その場に倒れ込んでいた。
鞭がしなる様な攻撃が六瀬を襲う。
「ふんっ」
左手の裏拳で殴り、大木程の触手を容易に弾き返した。次いで右から同じ攻撃が繰り出されるも、当たり前の如く弾き返す。
スパイダースパイクが地中深くに突き刺さり、同時にウエイトオペレーションが起動している。
大地に根付くハイグローブと同じく、そう簡単に吹き飛ばされる事は無い。
左右一本づつだった触手攻撃も、数度弾き返されれば倍に増える。
合計四本の触手がほぼ同時に襲ってきても、六瀬はその全てを捌き、送り返す。
「この程度か? 面白味がないな!」
弾かれた触手は、その勢いを利用してスピードを増す。
すでに常人に避ける事など不可能な程に速度を増しているが、六瀬には関係がない。
思考回路は人と同じレベルのAIだが、戦闘に特化したプログラムは今の状況を容易に把握している。演算処理は戦闘に有益なシステム全てを同時計算し、もはや世界がスローに見える。
慣性を制御する為、基本装備されている大円筋内部の小型ウエイトオペレーション慣性制御機構を使い、同時に拳も瞬間的に二度三度と空殴りを繰り返す。
六瀬の腕は残像で薄っすらと数本に見える。
「どうした? 他に攻撃手段はないのか? ほら! 来てみろ! 頭を出せ。頭を!」
同じ攻撃が数分も続けば飽きて来る。これ以上何もないなら遊ぶ時間ももったいない。
「ちっ」
六瀬はワイヤーナイフでとりあえず一本、触手をみじん切りにしようと左手を前に突き出した。
瞬間、例の突出噛みつきが繰り出され、六瀬を狙う。
「来たか! おらぁ!」
この攻撃を待っていた。
六瀬はインパクトナックルを起動し、岩トカゲの顎にむかってフックを叩きこむ。
衝撃で空気が揺れ、岩トカゲの頭部が真横に吹き飛んだ。長い首ごとハイグローブにぶつかり、ズルズルと落ちる。同時にガクガクと膝が震えだし、岩トカゲはその巨体を地面に預けた。
脳があるのなら、揺らせば意識が飛ぶ。
少しでも屈辱的な感覚を味わったのなら、普通は相手の力量が分かるという物。
六瀬はそれを狙っていた。
「わかったろう? これ以上は無意味だ。巣に帰れ。……しかし、硬い顎だな。あの一撃で砕けないとは」
砕けた感覚はなかった。
甲羅を殴った時と似た衝撃を感じた程度で、地面に伏す頭部をみても、ダメージとしてはそれほど大きくなかったと伺える。
しかし、正直な脳は体の自由を奪っている。
――まぁ数分はまともに起き上がれないだろうな。今すぐに巣に帰れというのも無理な話か。
溜息をつく。
「まいったな。やりすぎたか」
このやり方では、意識が戻り、歩けるようになるまで待つしかない。殺さずに強者と認めさせるには一番と思ったが、愚策だったのかもしれない。
そう思い、腰を落とす。そしてもう一度溜息をついた瞬間、頭上に影が落ちた。
「うおっ!」
重量と勢いが乗った触手が真上から落ちて来て、六瀬は咄嗟に両腕でそれを止めた。
ズンっと地中に足がめり込む。
インパクトナックルで殴り返すと、触手が弾ける様に飛び、しなりながら空中で留まった。
うねうねと、四本の触手が蠢いているが、まだ立ち上がる動作はみせていない。頭部も寝たままでピクリとも動いていない。
にもかかわらず先程と同じ攻撃が繰り出され、六瀬は立ち上がりそれを捌いた。
「ああ……これは駄目だな」
無意識的行動。否、本能的行動なのだろう。
繰り返される攻撃が岩トカゲの存在意義を語っている。
ブリーフィング時、ラノーラが語った言葉。
森のヌシ。
隔離された森の中で、多様な生物が安定した共存を成し得るには、それに応じた種のバランスが必要となる。
この森に存在するヌシとは、守護者と同義語。
守護者が存在しうる中で、それ以上の何かが害をなすのならば、それは異物以外の何物でもない。
その命に代えてでも、守るべきものを守る。
岩トカゲはそういう存在なのだ、と六瀬は思った。
甲羅の上にはリスモドキが顔を出して、六瀬を見つめている。毛玉もコロコロと転がりならが様子を伺っていた。
「……お前にも守るべきものがあるって訳か。だがっ」
六瀬は左手を掲げ、素早く小刻みに振った。
触手の一本がバラバラに分解され飛び散った。ドドドと大きな石が落ちる様な音を立て、地面に散らばる。
「こっちも守るべきものがあるんだ」
痛みでビクンと体が反応し、立ち上がろうとする動作を見せ始めた。重い頭部も何度も持ち上げようと努力している。その間も残りの触手は攻撃の手を休めない。
「お前の住処を荒らしに来た訳じゃないんだが」
六瀬は二本目の触手を切り刻む。
血しぶきを上げながら、バラバラになり植物の肥やしへと姿を変えた。
キキッとリスモドキが声を上げて甲羅の上を走り回る。
「分かってくれと言っても無駄か」
攻撃を止めようとしない触手の三本目が肥やしと化した頃、ようやく立ち上がり、ゆっくりと頭部を甲羅に向かって引き寄せ始めた。
触手全てを無くしたとしても、噛みついて攻撃してくる。もしかしたらしっぽを使うかもしれない。突進してくるかもしれない。
どんな事をしても諦めない意思が伝わる。
「……殺すしかないか」
甲羅の上で狼狽える動物達を見ると切なくなる。
守護者の背上で生きる事で、危険から身を守ってきたのだろう。自身を守る存在が息絶えれば、肉片と化すしかない未来が見える。
岩トカゲが頭部をグッと甲羅に引きつけた。
同時に六瀬はインパクトナックルを現在可能な最大レベルまで威力を上げて腰を落とす。
「……すまんな」
岩トカゲが重心を後方に引き寄せた。
六瀬も更に腰を落とし、タイミングを見計らう。
しかし、岩トカゲはそこからピタリと動かず何もしてこなかった。うねっていた残り一本の触手も動きを止めている。
「ん? なんだ?」
岩トカゲはゆっくりと力を抜いて体勢を戻し、触手を引っ込めた後、隠れていた顔を覗かせて、じっと六瀬を見つめた。
しかし、実際は六瀬を見つめていた訳ではなかった。六瀬の後方から忍び寄る何かを見つめている。
「ちっ!」
失態だった。
いつの間にか殆どのシステムを切って、最低限目の前の敵に対応しうる機能しか維持しなかった自分に憤怒する。
こんな事では不意打ちに対応出来ない。
六瀬は身をひるがえし、戦闘態勢に入った。しかし、あまりに予想外すぎる状況に硬直せざるおえなかった。
――は? 何故ここに?
六瀬の視界にはアズリがいた。
散歩でもするかのように歩いて近づいてくる。
――どういう事だ? 足に……蔓が……ない。
真っすぐに迷う事無く歩いている。一キロ程の道をスタスタと蔓に絡まる事も無く歩いている。
数歩歩けば蔓が飛びつく状況を六瀬は確認している。
森の中を十数キロ走破したという話は本当なのだろう。しかしどうして迷わず歩けるのか理解できない。そもそも、この場所に向かってくる事自体理解できない。
――まて、止まれアズリ! くそっ。どうする。
振り向いて岩トカゲを見ると、先と変わらず安心しきった様子で微動だにしない。
アズリには何も変わった所は無いが、幾らか様子が変だとも感じた。
彼女はまっすぐ岩トカゲを見つめながら、歩く速度を変える事無く近づいてくる。
――連れて逃げるか?
そう迷っていると、丁度六瀬が草を排除した部分まで来て、彼女は歩みを止めた。
そして巨獣を見上げてじっと佇む。
双方に動きは無く、ただ静かに見つめ合うだけ。
本当に理解の出来る状況ではない。
「……そう。安心なさい」
不意にアズリが言葉を発した。
「……行きなさい」
そう言葉を続けると、岩トカゲはゆっくりと踵を返し、歩き始めた。
何が起こったのか理解が出来ない六瀬はぼうっと岩トカゲを見送り、アズリに向き直った。
すると、アズリはまるで生気が抜けたかのように崩れ落ちた。
六瀬は咄嗟にアズリを抱きかかえ、様子を伺う。
何も変わった所も無く、だだ深く寝ているだけ。
「なんだったんだ?」
理解できない一連の流れに、六瀬は深い溜息をついた。
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