朝日と温もり【5】

 昼間、比較的静かだった森も夜は打って変る。

 いったいこの森に何百種類の虫や動物がいるのだろうか。近くで何らかの鳴き声がする度に一瞬ビクリと畏縮してしまう。しかし、多分大丈夫だからと言う彼女の言葉を信じて、アズリは目の前の事に集中しようと思った。


「解除したから、首の付け根……後頭部をグッと押して欲しいの」

 解除とは何の事か分からないが、ともかく言われた通りに事を進めるしかない。

「土に埋まってますから、まず掘り起こします」


 アズリはへばりついた苔共々、指で丁寧に彼女の周りの土を掘り寄せた。

 何十年もこの状態で留まっていたのだから、多少は土に埋もれるのも理解できる。しかし、彼女の状況はまるで投げ飛ばされたかの様に、そしてその勢いで土に埋もれたかの様に見えた。開いたドームの穴もその時に出来たのではないかと想像出来る。

 このボロボロの体を見るに、巨獣が住まうこの森で何かしらあったのだと推測出来た。


 ある程度掘り終わった後、アズリは「起こします」といって、体を持ち上げた。

 左側を軸に、真横で寝そべる形に起こす。当然背中には大量の土が付いている。石や腐った木の下に住まう虫達の散開する様子が彼女の背中でも起こった。

 そんな虫達に見慣れているアズリは気にも止めず、背中や頭の土を取り除く。


「お風呂に入りたいわ」

 彼女はケラケラ笑いながら冗談交じりに言った。

「お風呂……ですか?」

 長年こびり付いた土は簡単に払い落とせる物ではなく、指で削る感覚で作業を進める。

「そ。お風呂。私はシャワーよりお風呂派なの。そもそもこの体になってからは入る意味が無いのだけれど、日課みたいなものだったから癖で入ってた感じ。ま、趣味よ。趣味」

「お風呂……には入った事ありませんけど、私もシャワーくらい浴びたいです。もう、数日体洗ってなくて……多分、今もすごく臭うし……」


 貰った新品の下着が、色んな意味で汚れてしまった事に罪悪感を覚えている。レティーアに対する申し訳なさと情けなさが同時に襲う。

「大丈夫。気にしないで。私匂いとかもう分からないし、それに、少なくとも私よりは綺麗よ?」

 と言ってまたケラケラ笑った。自分の姿を自虐ネタに使う彼女の優しさが心に染みる。


「お風呂ってどんな感じなんですか?」

 存在は知っているが、シャワーしか浴びた事の無いアズリは素直に問いかけた。

「そっか。この辺の国にはお風呂とかあまりないわね。湯舟に浸かるのは管理貴族に一部いるくらいだもの。えっとね、疲れがスッと抜けてく感じ? 無意識に声が漏れるから、いつも皆におっさんくさいって言われてた。とはいっても生身の時までだったけどね。そんな感覚味わえたのって」


 「この体」とか、「生身の時」とかいうセリフは元々人間だったという事を示している様に思える。

「どうして、機械の体になったんですか?」

 聞くと「うーん」と少し唸った後「わかんない」と彼女は答えた。

「運が良かったと言うべきか、自ら望んだと言うべきかわからないけど、こうしてアズリと出会えたから、この体で良かったと今は思う」

 そう彼女は続け、アズリもまた「私もです。出会えて……救って貰えて良かったです」と言った。


 そんな会話が二人の間で続いた。姿を見せて隠す事も無くなった彼女は自分の事を色々と語ってくれた。お風呂の他に編み物が趣味だった事、ショートヘアーが好きな事、家族は五人で兄が二人居た事、紅茶という飲み物が好きだった事。

 アズリは明るく語る彼女の話に心を惹かれた。編み物なんてした事が無いし、紅茶という飲み物も飲んだ事が無い。自分とは違う経験をしている彼女が羨ましくも思った。


「どう? 綺麗になった?」

 彼女の語りをもう少し聞いてみたかったが、気が付くとある程度土が落ち、自分の手が止まっている事に気が付いた。

「あ、すみません。もう、大丈夫です。えっと後頭部を……ですよね?」

「そ。付け根を斜め上に、頭に向かって押して」

 アズリは親指でうなじ辺りに触れた。そこにはまだ皮膚と肉の様な物が残っていて、人と同じ感触がした。

 少し躊躇ったが、言われた通り強く押し込む。するとスイッチに似た何かが、頭部にめり込む感触として指先から伝わった。


「押しました」

「あ、押した? ごめんね、感覚とか機能してないから何も分からないの。じゃあ、頭頂部がパカって開いてない?」

「……開いて無いです。……あ、でも皮膚の無い部分に何か亀裂みたいなのが……」

「なら開いてる。随分と埋まってたからね。固まってるのかな? アズリ、脚にナイフ装備してたでしょ? それで開いてみて」

 本人は明るく当たり前の様に言ってのけるが、アズリにしてみれば今の現状をどう表現したらいいか分からない。

 骨に見える機械ではあっても、人間の頭蓋骨に良く似た物にナイフを突き刺すのだ。それにまだ頭部の半分近くは皮膚が残っている。土がついて汚く固まっている髪も、その髪が生えている頭皮だってまだ残っている。


「本当に……やるんですか?」

「ん? 勿論。気にしないでナイフ突き立てていいよ。ナイフ程度じゃ傷つかないし、頭開けなきゃ再起動できないし」

 あまりにも気にしない様子で話す彼女に少し呆れたが、アズリは粘ついたナイフを抜き取り、亀裂部分に突き立てた。テコの原理でナイフを動かすと、残った頭皮がその亀裂に合わせた様に切れ目を現す。初動だけは少し力んだが、その後は然程の力を加えず簡単に頭が割れた。


「うあ……」

 正直、気持ち悪いの他に表現方法がない。

 頭中央から左右の耳上部まで綺麗に口を開け、後頭部が後方に九十度傾く絵ずらは非現実的としか思えなかった。

「開いた?」

「は……い……」

 断面図にした脳にも似た何かに、チカチカと無数の青い光線が走っている。壊れた部分の周囲にはそれが見られず、そこから断裂したと思われる先にも光線は通っていなかった。


「前部中央に円筒制御機構があると思うんだけど……分かる?」

「へ? あ、えっと……丸いつまみがありますけど」

「それそれ。それ回して貰える?」

 アズリは言われた通り、直径三センチ程のつまみを回した。するとその周囲が点滅し、自動的にゆっくりと円筒状の物体が伸び出て来た。

「何か出て来ました」

「良かった。じゃあ、窪みに親指押し付けて。暫くそのままね」

 薄く透明なガラスに守られた金属の上部に薄っすらと窪みがあった。

 アズリは言われた通り、親指を押し付けると刃物で指先の薄皮を剥かれた様な感覚が伝わった。しかし、まったく痛みは無かった。

 十秒程度そのままでいると「完了よ。ありがとう」と彼女が言った。


「終わり……ですか?」

「いいえ。でも、再起動はいつでも出来る。その前に確認しておきたい事があって」

 確認とは一体何の事だろうかと思いつつ、アズリは「何ですか?」と返事をした。

「さっきも言ったけど、これは賭けよ。運が悪かった場合は確実に死が待ってると思って」

 このままここに居ても最悪の未来しか見えないアズリは「構いません」と即答する。


「……分かった。なら説明するね。……これから再起動すると広範囲で救助信号が発信されるの。こんな体だから自動的に発信されるわ。とは言っても五、六十キロ程度。エネルギーが無さ過ぎて、それが限界だと思う」

「救助……信号……。なら誰かがそれをキャッチすれば」

「ええ。運よく受信出来れば助けに来る。でも問題が三つあるの」

 サリーナル号にだって通信機器はある。キャッチする可能性は高い。問題は何処にあるのだろうか。発信時間だろうか。そう思いつつ「問題……ですか?」と問うと、彼女は「アズリ達が使ってる通信機器では受信出来ないってことが一つ」と答えた。

「え? それじゃあ……」

「アズリのお仲間は気付きもしないわね」


――なら、どうやって……いえ、誰に助けを求めるの?


 呆けるアズリをジッと見つめて彼女は言葉を続ける。

「避難艇を回収したんでしょ? もしかしたら、そこに受信できる可能性があるの」

「私達が回収した遺物船にですか?」

「そ。可能性は低いけどね」


――遺物船には受信設備があって、運よく皆がそれに気が付いてくれたら助けに来れる、という事……かな。


 しかし解体作業をしている事が前提なのだ。夜に作業を行っている事は基本的に無い。


「賭けってこの事ですか?」

「ええ。でもこれだけじゃないわ。問題と同じ数だけ賭けに出る事になる」

「じゃあ、二つ目は?」

「この信号はアルゴリズム変換がされてないの。敵味方関係なく理解できる。もし、敵側に見つかったら、アズリも私も助からない。これが問題の二つ目」

 敵とは何の組織の事を示しているのか。その敵対する存在が彼女の今の姿に起因するのか。そもそも通常では受信できない信号を発信するのに、そこまで警戒する必要があるのだろうか。

 説明を聞いても疑問が沸くばかりだが、それを問う以前に問題の三つ目が気になった。


「さ、最後は……何ですか?」

「これが一番重要で、確実に起こり得る事なんだけど……この森の巨獣に襲われるの。この信号を発信するとね」

「……冗談ですよね?」

「いいえ。冗談なんかじゃないわ。私がこんな所で土に埋まってた原因でもあるし。前にも自動で救助信号を発信したんだけど、それを耳障りに感じたアイツが私をぶん投げたの」

「耳障り……」

「感じ取れたのね。あの巨獣には。咄嗟に信号切ったら、それ以降任意で発信出来なくなっちゃって。だから再起動後の自動発信に頼るしかないって訳。最後の賭けは、アイツがやって来て見つかるのが先か、運よく助けが来るのが先かって話。どう? 勝率低いでしょ」


 低いなんて物じゃない。巨獣よりも早く救助しに来るという以前に信号を拾って貰う可能性すら危うい。

「……はい」

「朝まで待ちたいけど、それまで私が保たない」

「……はい」

「……オッケー。じゃあ、制御装置を更に手前に引き出して。奥の窪みに指を押し付けて装置が赤く光ったら大丈夫。後はもう一度同じことを繰り返して、青く光ったら装置を元に戻す。それで完了よ」

「……再起動したらまたお話しできますよね」

 言うと、一瞬沈黙した彼女は「ええ」と答えた。

 アズリはその答えを聞いて、大きく深呼吸する。そして「分かりました。始めます」と言った。


 言われた通り、円筒状の塊をゆっくり引き出す。最初と同じ窪みが奥にも存在し、そこへ親指を押し付けた。数秒すると装置全体が赤く点滅し始めた。

 一瞬「またね」と彼女が言った気がした。「え?」と反応してもチキチキと虫の鳴き声にも似た音が聞こえてくるだけだった。


 数分後には脳断面に走っていた線が光を失った。

「あの、後は青く光ってからこの機械を元に戻せばいいんですよね?」

 聞いても返事は帰って来ない。

 アズリは黙って同じ手順を繰り返した。青く光るのを確認してから装置を押し戻す。再度、虫の鳴き声が聞こえて光線が幾度も脳内を走り抜ける。


「これでいいのかな」

 瞬間、耳奥が響いた。

 超高音の音が鼓膜を揺らす。そんな感じだった。

 数秒間それが続いたと思えたが、音に慣れたのだろうか、耳はいつの間にか森の喧騒だけを拾っていた。

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