朝日と温もり【6】
「本家と行ったり来たりで、あなたも大変ね」
庭の鯉に餌をやりながらユキナミが言った。
「いえ、そんなことは」
「ふふ。でも今日は私に付き合って貰うんだから諦めて」
撒かれた餌に、我先にと飛びつく鯉が
「……諦めるも何も、職務ですので」
「もう。その言い方やめてって言ってるでしょう?」
「……申し訳ありません」
はぁと、溜息をつくユキナミを見ながらロクセが撒き餌篭を差し出すと、彼女は空になった篭に一度目をやり、差し出された新しい篭を無言で受け取った。
「今日は休日なんだから、植物園とお買い物に行きたいの」
「畏まりました」
「瑠璃唐草がとても綺麗に咲いてる頃だから楽しみ」
「ルリカラクサ?」
「もう! ネモフィラよ! これ見て思い出さない?」
言いながらユキナミが自分の髪を指さした。
そこには青い宝石を三つ並べただけのシンプルな
「……思い出しました。申し訳ありません。和名でしたので……」
「和名は瑠璃唐草っていうの。教えたじゃない。あの花を見て、この髪留めも一緒に褒めてくれた事忘れてないんだからね!」
言って、ドスっと腹を叩く。
細腕で殴られても衝撃すら感じず、逆に「痛い」と言いながらユキナミはブンブン手を振った。
数歩離れたロクセの隣にはもう一人付き人が居る。
チラリとそこへ視線を向けると、ユキナミのスケジュールを確認している所だった。
ロクセはその隙に「予定を崩される前に出発してしまいましょう。それと、今日もその髪留めお似合いですよ」とユキナミの耳元で囁いた。
それを聞いて、はにかみながら「そうね。早く行きましょう」と彼女は言った。
記憶フォルダを閉じて、夜空を見上げる。
ユキナミのはにかんだ顔は数日前のアズリと良く似ていると思った。
しかしロクセはそれ以降何も考えず、黙ってライフラインに背を預けた。
夕食後は、早朝からの作戦に備えて船員皆、自室に戻ってしまっている。
日も落ちて随分とたった今、甲板に居るのはロクセだけだったのだが、ガチャリと扉が開く。
「この場所好きなの?」
言いながら近づいてくるカナリエの手にはグラスが握られている。
そのグラスからはアルコールと識別される匂いがあった。オルホエイが飲んでいた蒸留酒よりは度数の低い物だと思えた。
「個人的に外の方が好きなので」
「じゃあ、あんな倉庫を部屋にしたのは間違っていたみたいね」
「いえ。荷物も大きいですから、あそこで構いませんよ」
隣までやってきてロクセとは逆側に向かい、ライフラインに手をかけた。
彼女のグラスに口を添える仕草と、その横顔に色気を感じた。
「酒は控える様に言われていたと思いますが?」
「一杯だけよ。それに強いお酒じゃないし」
「そうですか。ほどほどに」
「あなたは飲まないのね。誘い断ってるんだって? 皆あんなだけど、本当は興味津々なのよ。あなたに」
「そうは思えませんが?」
「……腫れ物に触る感じはあるわね。でも、時間が解決するわ。色んな事情をもった人達ばかりだからね。古代人なんて認識はどうでも良くなってくるはずよ」
「なら良いのですが」とロクセが答えると、ふふっと薄い笑みを吐き出しグラスを傾けた。
夜風が優しくそよぎ、カナリエの長い髪が揺れる。
酒の一杯も飲んでいないと落ち着かないのが手に取る様に分かる。
一番最後までアズリの捜索を訴えたのは彼女だ。この状況で冷静に居ろと言う方が無理がある。一人になりたくて甲板まで足を運んだのだろう。
「アズリ……彼女は生きていると思っていますか?」
幾ばくかの沈黙を切ったのはロクセの方。
今出す話題では無い。しかし、彼女には必要だと思った。
そんな不意な質問にカナリエは「勿論よ」と即答した。
「先日、彼女の妹を拝見したのですが、病気か何かですか?」
「……ええ。治療法も分からない奇病。薬を定期的に打たないと体の末端から炭化していくの。ギリギリまで神経だけが残った状態で炭化するから、激痛を伴う病気。……見てるだけで辛いわ」
「では、彼女は妹の薬代を稼ぐ為にこの仕事をしているのですね?」
「そう。稼ぎが良いからね。船掘って。でも私は今でも反対」
「確かに。若過ぎますね」
「……仕事に年齢は関係ないから、この業界でも若い子は沢山居るわ。こんな仕事でも働けるだけマシだし、もっと酷い仕事だってある。でも、やっぱり……」
国の在り方に従わなければ生きて行けない。反対をしてもアズリの家庭環境を思うと納得せざるを得ない。
彼女が何を思うかという問いにおいて、即座に答えられるだけの気持ちが伝わる。
「花屋で働く選択肢もあったのでは?」
「働いてるわよ。居候の身だからね。こっちがオフの日はずっと花屋。でも花屋だけの稼ぎでマツリの薬代は到底賄えないわ。選択肢なんて元からそんなに多くない。両親の居ない子供の行く先は殆ど決まってる。だから、こんな職業でも……まだ救いがある。理解はしてるの」
「両親はいつから?」
「……知らないわ。本人も覚えてないみたい。私が拾った時には既に居なかったみたい……って当然ね。親が居たらあんな所には居ない」
「拾った?」
「ええ。下級街の奥……誰も寄り付かない下水塗れの細い路地で震えてた。痩せ細った姉妹が寄り添って……今にも死にそうだった。下級街では時折見る光景だけど、アズリ達は特に酷かった。食べる為に衣類は売ったみたいで下着一枚の姿だったの。下級街での生き方が分からないまま、いきなりそこに放り込まれた。そんな感じだった」
カナリエは思い出した光景を飲み込む様にグラスをグイっと傾ける。
「それで、ベル婦人が引き取った、と?」
「いいえ。私が引き取ったの。孤児院をやっててね。そこで面倒見てた。寄付と今の稼ぎでなんとかやってたけどギリギリだった。そんな状態の時にマツリが発病しちゃって……」
「それでこの仕事を?」
「ええ。そんな時にベルおばさんがウチで居候しないかって言って来てね。運営費の寄付もそうだけど、子供達の誕生日には花をプレゼントしてくれたりして本当に良い人。アズリ達の事を知って、孤児院に負担にならない様にって思って提案してくれたんだと思うわ。私達はそれに甘えちゃった」
「……成程」
「子供が居なかったからか寂しかったのかもしれない。今はアズリ達が来る前よりも増して笑顔になった気がする。だから……もし、アズリが戻らなかったらって思うと……」
言ってカナリエは再度酒をあおる。
無理やり流し込む酒に美味い物はない。思いながらロクセは「大丈夫ですよ」と根拠のない励みを与えた。
「……ありがとう」
カナリエは空のグラスを見つめながら言った。そして「明日の捜索、お願いね」と続けた。
「ええ。やれる事はします。敵の排除は任せて下さい」
「銃の腕前は十分確認出来たわ。流石、古代人の兵士って言った所かしら」
「褒められる程の事でもありませんよ」
カナリエはふふっと先程とは違う笑みを見せ、甲板出入口に身を向けた。
「でも期待してる。……話せて少し落ち着いたわ」
「そうですか」
「じゃあ、明日早いから私は……」
と、言った所でロクセの音声認識は一瞬途切れた。
眼前に表示された信号に驚き、体が反応する。即座に振り向き、ライフラインの先に広がる闇に包まれた大自然を凝視した。
「どうしたの?」
問いかけるカナリエに、ロクセは「あ、いえ、何でもありません。鳥……でしょうね。後ろで何か羽ばたいた気がして」と返す。
「そう。あなたも早く休んだ方がいいわ」
そう言ってカナリエは扉の先へ姿を消した。
見送った後ロクセはもう一度振り向いた。
――救助信号……。
信号は途切れ途切れで弱弱しい。眼前に表示される文字には識別番号すらない。
――識別無し……。緊急広域信号か。
「こんな時にどうして。偶然か? いや……」
信号の発信源は例の森がある方向だった。アズリが行方不明になったこのタイミングで送られるのであれば偶然と思えない。
敵か味方か分からないが、信号を発信する何かがあったに違いない。もし、アズリが生きているのならば、あんな所にいる人間は彼女一人だろう。自分と同じ存在にアズリが出会ったと考えるのが妥当だと思える。
「まさか……本当に生きているのか?」
今から向かえば、アズリの生存確認が出来るかもしれない。そして何より、信号の発信者が味方だった場合、仲間に出会えるかもしれない。
――この信号が送られるという事は既に行動不能状態だ。どちらにせよ回収しておけば情報とパーツが手に入る。そして、その場に彼女も居る……可能性も……。
船員皆、既に自室で休んでいる。一人静かに救助に向かう事ができ、密かに回収する事も出来る。こんな好機を逃す訳にはいかない。
――考えるまでもないな。直ぐに向かおう。
ロクセは救出時の装備構成を頭の中で整理しながら、足早に甲板を後にした。
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