朝日と温もり【4】

「落ち着いた?」

 二、三メートル先の雑草の中から、そう声を掛けられた。

「……はい」


 ひとしきり泣いて、既に涙は枯れている。

 自分を助けてくれた声の主、否、彼女は「エシムの実がその辺にあると思うのだけれど……食べた方がいいわ。血糖値が上がるから少しは体が温まるはず」と言った。


 彼女の導きで、ハイグローブ根本のドームに潜り込んでから随分と時間が経った。

 何故、こんな所に人の言葉を発する何者かが存在しているのか、未だに理解に苦しむ。とぐろを巻く様に交差するハイグローブの幹。それを支える硬いドーム状の根本に開いた穴は、彼女が開けた穴に違いないが、いったいいつからこの場に留まっているのだろうかと疑問しか湧かなかった。


 暗闇に目が慣れて、ドーム内はギリギリ視認出来る。しかし、ドームの隙間から見える外は、もう既に漆黒の闇に包まれていた。

 配布されているアームライトは装備しているが、未だ使用していない。光に反応する生き物がいたのなら何も対処出来そうにないからだ。それに、一度光を見てしまったら、再度目が暗闇に慣れるまで時間がかかる。


 ブルっとアズリは身震いした。寒い。汗が体を冷やし、微かに湿った土が下着を濡らす。

 下着を濡らしたのは湿った土だけでは無い事に気が付いてはいるが、考えない様にしていた。

 アズリは言われた通り、手前に生えているエシムの実をむしり取った。

 市場に出回る物は、だいたい親指の先程の大きさ。しかし、ここにある実はその三倍以上は大きかった。


「……こんなに大きく育ってる実、初めて見た」

 アズリは目一杯口を開けて、その大きな実に噛り付いた。噛んだ瞬間、芳醇な甘みが口いっぱいに広がり、自然の栄養を凝縮させた旨味が染み渡った。水分も豊富で、涙で枯れた体を癒してくれる。

「こんな……美味しいエシムの実、食べた事ない」

 言って即、アズリはもう一つ食べた。


「良かったわね。私の目の前に生えているのだから、その辺にもあると思ってた。その実、食べられるまで何年かかるか分かる?」


――その辺にも? 


 アズリは「時間がかかるって……だから貴重だって聞いたことありますけど、詳しくは分からないです」と答えた。

「市場に出回るサイズまで育つのに約二十五年。品質の良い物なら三十年」

「え? そんなに?」

「ええ。この辺りに生えてるのは少なくとも八十年物。もしかしたら百年とか経ってる実もあるかもね」

 彼女は「なかなか食べられないよ? ここにある実は全部あなたの物。存分に食べておいて損はないわ」そう続けてケラケラ笑った。


――売ったら、すごく高く売れそう。……ってそんな機会無いか。


 自分はもう助からないだろうとアズリは半ば諦めている。時間が経てば経つほど救助の可能性は激減する。ここにあるエシムの実があれば二、三日は食を確保できるが、二、三日経っても救助が来ないのならばもう確実に死んだと思われているだろう。

 どうせ餓死するまでここに留まっているのが自分の運命ならば、節約なんてせずに、今満足するまで食べておいた方が気持ちよく死ねる。

 アズリはそう思い、更に二つ三つむしり取って、夢中で食べた。


 通常よりも大きく育ってるとはいえ元が小さい実である為、数個食べた程度で簡単に満腹になる訳ではない。しかし、強烈な栄養素が強制的に体を満足させた。

 腹が満たされると心も満たされる。未だ寒さは消えないが、多少の平静は取り戻した様に感じた。


「私ばっかり食べちゃって、ごめんなさい。あの……食べます?」

 アズリはむしり取った実を差しだす様に手を伸ばしたが「大丈夫。ありがとう。それはあなたが食べて」と拒否してきた。

 自分が食べたもの以外、周囲に実っているエシムには一切手を付けられた痕跡が無い。

「なんで、こんな所に? いつからここに居るんですか?」

 ストレートな問いかけだと思っていても、恩人に対する無粋な詮索だとしても、最低限これだけは聞いておきたかった。しかし、沈黙が走った。


 聞くべき事では無かったと謝罪しようとした時「あなた名前は?」と、まったく別の質問で返して来た。

「……アズリって言います」

「可愛い名前。私は好き」

「あ、ありがとうございます」

「仕事は……船掘でしょう?」

「はい」

「大きな地揺れがあったからね。船でも落ちてきたんじゃないかと思ってた。やっぱりね。それで? 回収は済んだの?」


 逆に詮索される側になってしまったが、今は会話が出来るだけでも落ち着く。アズリは「たぶん。済んだと思います」と返した。

「……そっか。船種は? 輸送艇? 戦闘艇?」

「えっと、避難艇でした」

「避難艇……か」

 落胆した気配を含んだ言葉だったが「……でも可能性はあるか」とボソリと続けた声をアズリは聞き逃さなかった。


――可能性ってどういう事? まさか、他にも助けが来る可能性があるって事?


「避難艇がどうかしました? もしかして同じ船掘業ですか?」

 声の主が人だとするならば、同業者だとするならば、その仲間が助けにくるかもしれない。広い森の中で捜索するには人員が多いに越したことはない。

 しかし、その期待も一瞬で潰された。

「いいえ。……私の捜索もあるって期待させちゃったかな? ごめんね。私は一人。誰も助けに来ないわ」

「そ、そうですか……」

「でも、まぁ、私も期待しちゃっても……奇跡にすがってもいいかもね」

「私がここに居るのも奇跡です」

 言うと彼女はまたケラケラ笑い「ホント、生身でどうやってここまで来たのか不思議なくらい。アズリは運がいいのね」と言った。


 蔓が光って見えていた事を話していいのかどうか一瞬悩んだが、話した所で信じて貰えそうにないのだから今話しても意味がないと思った。

「歳は? 声を聴く分にはまだ若い感じだけど」

「十六です。多分」

「多分?」

「私古い記憶があいまいで……」

「……そう。何か事情があるのね。分かった。もう詮索しない。ごめんね。私ばっかり質問してアズリの質問には答えなくて」

 やはり、意図して質問責めにしていたのだと悟った。

「いえ、別に大丈夫です。話せるだけで安心できますから」


 数瞬の沈黙の後「生きたい?」と彼女が唐突に聞いてきた。

「え?」

「待っている人とか居るでしょう? 帰りたい?」

「はい」

「そう。アズリ、あなた運が良いみたいだから私もそれに賭けてみようかなって思う」

 何を言っているのか分からない。確かに救助が来たとしても見つかるかどうかは運次第な気がするが、彼女の言っている意味はそれとは違う気がした。


 何の事を言っているのか問いかけようとすると、それより早く「約束してくれない?」と彼女が言って来た。

「……約束? ですか?」

「ええ。大きな声を出さない事。逃げない事。要するに驚かないでって事」

「言ってる意味が……」

「アズリの助けが無いと何も出来ないの。約束してくれるなら、私も奇跡にすがれるわ。助けが来るかもしれない。どうする?」

 彼女が何をしたいのか、しようとしているのか分からないが、何もしないよりは彼女の言葉を信じた方がずっとマシだと思った。

 アズリは迷う事無く「生きて帰れるなら。約束します」と言った。

「ありがと。じゃあ、こっちへ来て」


 頑なに詮索させず、姿を見せようとしない彼女は漸く招く言葉を発した。


 アズリは中腰になり、膝丈の雑草を掻き分けながらゆっくりと近づいた。

 人なのか、妖精なのか、言葉を発する別の生き物なのか。この世界で人間が知り得る情報は極僅かしかない。どんな生物がいたっておかしくない。

 目が慣れたとはいえ、はっきり見えない視界。彼女の声が聞こえた場所に来ても雑草ばかりで生き物の気配が無かった。


「ここよ。ライトくらい持ってるでしょう? 大丈夫。使ったって平気」

 アズリは迷ったが、幾ばくかの好奇心の方が勝った。アームライトの光量を最小にしてスイッチを入れた。そして声がした周辺を照らしてみると、ギョロリと目を向ける彼女の視線が自分の視線と重なった。

 瞬間、アズリは悲鳴を上げそうになり、口元を押さえた。中腰だった腰は砕け、尻餅をつく。


「想像通りの反応ね。……分かってはいたけど、そんなに酷いのね。私」

 彼女は人だった。

 怪我をしているというレベルでは無く、何故生きているのか理解出来ない姿をしていた。あまりにもすさまじく、言葉が出ない。

「落ち着いて。約束でしょう? アズリの協力が必要なの。もっとこっちへ来て」


 アズリは三度大きく深呼吸をして、彼女をもう一度照らした。


 彼女の下腹部は半分削り取られ、もはや下半身は無かった。左腕も肩ごとごっそりと無くなっている。右手も肘から先が見当たらず、胸の中心に丸い穴まである。そして体全体が土にめり込む形で半分埋まっていた。服はボロボロでどんな服を着ていたかすら分からない。


「ねぇ。今私どんな感じ? 教えて」

「あ、足が……ありません。う……腕も」

 声を震わせながら言うと「それは知ってる。知りたいのは頭部」と彼女は言った。

 実際、彼女が人だと判断できたのは人間の顔があったからだ。しかし、顔と言える部分は少なく、殆どが人の頭蓋骨が露出している状態だった。

 皮膚がある所は右半分。正確には右目周辺だけで鼻も無ければ唇も無かった。左目から頭部の一部が、体と同じく削り取られた状態になっていて、髪も当然その周辺だけが無かった。顎は外れていて、並びの良い歯を見せながらポカンと開いたままになっている。


「左目と……頭が少し、無い、です。皮膚があるのは右目の所……くらいで…」

「了解。了解。分かったわ。だいたい。ああ……色々駄目な訳だ」

 声は何処から発しているのだろうか。話す度に振動する程度に口は動くが、話しているという感じがしない。喉の奥にもう一つ口がある様に声が聞こえる。


 良く見ると紐の様な繊維の様な物と機械的な骨の様な物が、削り取られた体や頭から見えている。そして顔も含めて、体全体に苔がこびり付いている。


――人間……じゃない……の? 


 そう思うと同時に、一体いつからこの状態なのかとアズリは思った。

「あ、あの……生きてるんですよね?」 

「生きてるって表現は違うかな。起動してるって言った方がしっくりくる」

「い、いつから……こんな……」

「……えっと、約八十二年前。エネルギーも枯渇した状態でよくもまぁまだ動いてるって自分でもびっくりしてるくらい。遺物船が落ちて来るまでスリープしてたのは結果的に良かったのかも。でも、もう流石に停止しちゃうけどね」

 起動とか停止とか、まるで機械の様な言い回し。

 彼女は人の形に作られた機械なのだろう、とアズリは理解した。

「気持ち悪い顔してるでしょ? 私、ホントは美人な方なのよ?」

 言ってまたケラケラ笑う。


 この空気を和ませようとしている彼女の気持ちが伝わる。


 アズリはそれに答えようと、もう一度大きく深呼吸した。

「顔は……よく分かりませんけど、声で分かります。きっと素敵な人なんだろうなって」

「人……か。……アズリは優しいね」

 言うと「さて、残ってる時間も少ないしイチかバチか賭けに出ましょう」と続けた。

「協力が必要って言ってましたけど、何をすればいいんですか?」

「簡単なお手伝い。少しだけ私の頭をいじってほしいの」

「え?」

 驚くアズリを他所に「大丈夫。怖くない怖くない」と、またケラケラ笑った。

 そして彼女は一つしかない目をアズリに向けて「お願いしたいのは、私の再起動よ。……任せていい?」と言った。

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