【エピソード1】 四章 朝日と温もり

朝日と温もり【1】

 バンっとテーブルを叩く音が室内に響くと、大柄で猫背の女性がビクッと畏縮した。

 自身に向けられたものでは無いのにも関わらず反応してしまう姿を見ると、何かしらの自責の念があるのかもしれない。確かミラナナと言う名前だった気がする、と思い出しながらロクセは黙って一部始終を眺めていた。


「今すぐよ!」

 テーブルを叩き、声を荒げるのはカナリエ。その向かい側には腕を組みながら険しい表情をするオルホエイが座っていた。

「分かってる。しかし……」

「関係ない!」

 同じ問答のループは、沈鬱な空気をより一層沈ませている。

「お前さんの気持ちは分かる。しかし、状況的に難しいと言っとるんじゃ」

 カズンが言葉を挟むと「少しでも可能性があるなら賭けるしかないじゃない!」と言ってカナリエは再度テーブルを叩いた。


 広い食堂で繰り返される会議は、一人の少女を救出すべきか否か、その一点のみだった。その答えは決まっている様な物なのだが、こうして奇跡にすがる者もいる。

 始めは少数ながらカナリエに賛同する船員もいたが、現実的な答えを突き付けられると徐々に減り、わがままを押し通そうとする子供の様に喚くのは、もはや彼女しかいない。


「切れたロープを見ただろう? あの高さから落ちて、それでも生きている人間がいると思うか?」

「死んだって決めつけないで!」

「……ああ。すまん。そうだな。枝のどこかに引っかかって生きている可能性もある。しかし、サリーナル号が上昇し始めた頃合いに落ちたんだ。わかるだろう?」

 このやり取りも、もう三度目になる。さすがのカナリエも肯定せざるを得ない雰囲気を見せ始めていた。


 遺物船の引き上げも終わり、今は安全地帯にいる。しかし遺物船の解体が始まる事は無く、即座に開始されたのはこの会議だった。状況の確認と対応についての議論は既に一時間近く行われている。

 救出のタイミングはとうに過ぎた。そうロクセは感じていた。


「上昇してからどのタイミングで落ちたか分からんが、少なくともあのバカでかい木の天辺まで二十、いや三十メートル以上はあったはずじゃ。仮に森の木々がアズリの身を守ったとしても、……無傷とは考え難い」

 カズンの言う通り、落ちたスタート地点が高すぎる。奇跡的にハイグローブの真上に落ちたのだとしても枝がクッションとなると同時に、それらが体のどこかを切り刻み、そして突き刺す。

 皆、その事実を理解している。そういう表情をしている。


「ミラナナ。アズリが居なくなった時の状況をもう一度言ってくれ」

 オルホエイの催促に、下を向いていたミラナナがゆっくりと顔を上げた。悲痛な表情でカナリエを一度見つめ、耐えられずに視線を下げる。そして恐る恐る口を開いた。

「……レティーちゃんが……倒れてて、駆け寄って、そ、それから直ぐにアズちゃんに敵を撃ってって言ったんです。……たぶん、その頃にロープリールが動いて、ちょっとしてから船も上昇し始め……ました」

 言葉が詰まり、何かを堪える様にグッと喉を鳴らした。


「続けてくれ」

 言いながらオルホエイは一瞬カナリエを見た。

 これは現実を突きつける為のカナリエに対する拷問にすぎない。


「……はい。レ、レティーちゃんはすごく苦しそうで、私はずっと背中をさすってました。呼吸が落ち着いてから皆を見てみると、甲板に残っていた敵を撃ってる最中でした。敵ももう飛んで来る気配は無いし、と、とにかく直ぐにレティーちゃんの手当をしなきゃって思って、アズちゃんに声をかけようとしたんです。でも……その時にはもう……」

 居なかった、と言葉を続けようとしたのだろうが大粒の涙がそれを遮った。自分が直ぐに気がつけば良かった等といった自責の念を抱えているのだろう。そうロクセは悟った。


「……俺たちが思うよりも高い位置から落ちた可能性もある。奇跡的に助かったとしても、地面には自然界のトラップがある。それにあの場にはまだ沢山のエッグネックが居た。必須装備も無い状態で生き延びるのは……不可能だ」

 オルホエイのセリフを聞いたカナリエは何も答えなかった。大粒の涙を流すミラナナと、その背中に手を置き宥めるしぐさをするリビを見た後、ゆっくりと椅子に座った。


「まさか甲板まで飛んで来るとは予想外だった。こんな状況を招いたのは俺だ。非は俺にある。責めて貰って構わない」

 その言葉に対して、確かにな。とロクセは思った。


 重傷者はレティーアという少女だけで、幸運にも他の者達はかすり傷で済んでいる。加えて行方不明者一名という結果を残したが、あの状況からすれば最小限の損害ですんだと言える。とはいえ、この結果を招いたのはオルホエイだ。責任はすべて彼にあるとロクセは思う。

 もし、自分が指揮を取っていたならば、こんな作戦は立てない。小型船も持っているのだから、囮として敵を引きつける事が前提としての計画を立てる。敵がいない間に作業を済ませれば誰一人として犠牲を払わずに作戦は終了するのだ。

 簡単な事なのに、何故誰も疑問に思わないのか不思議だった。それだけ、オルホエイという男に信頼があるのかもしれないが、ロクセから見れば三流だ。


 ロクセは一人、部屋の隅で壁に背中を預けて腕を組んでいる。

 分かり切った答えに到達しない会議は無意味だと思った。

 組んだ指を額に当ててうつむくカナリエは「だったら……せめて、」と言った。と、その時、ガチャリと少し錆びた重い扉が開いた。


 まず気怠そうなペテーナが入室し、その後ろからアマネルが続いた。

「どうだった?」とオルホエイが問うと「命に別状はないよ」とペテーナが答えた。

 俯いていたカナリエは顔を上げてペテーナを見た。同時に泣き顔のミラナナも、否、女性船員皆が彼女に視線を向けた。

「肩と肋骨が折れたけど、幸いにも吐いていた血は内臓から出てるものじゃなかったよ。口内を切っただけの血だったからね。縫って終わった。頭の裂傷もそれ程じゃなかったよ。ま、大丈夫さ」

 レティーアの状況を聞いて、周囲の空気が少し軽くなった。

 しかし、重症なのは変わりない。「当分は安静が必要だな」とオルホエイが呟いた。


 そんなオルホエイに向かってアマネルが足早に近づいた。

「で、決まったの? 船長」

 苛立ちが隠しきれてない表情で問うと、オルホエイは「まだだ」と答えた。

「そう」

 落胆を含んだ返事をするとアマネルはカナリエに向き直り「今さっき、探査艇を飛ばしたわ」と言った。

 驚くカナリエを他所にして「何を勝手に」とオルホエイが口を挟んだ。


「こんな仕事だもの。いつ死んでもおかしくないわ。そんな事はここにいる誰もが分かってる。それを承知で皆ここにいるの」

 アマネルはテーブルに手を置き、オルホエイをじっと見つめた。

「船長、あなたの気持ちも分かるわ。あの場所に戻っても何もできないし、これ以上仲間を危険にさらせないって思ってる事くらい」

 彼は黙ってアマネルの言葉に耳を傾けている。

「でもね。アズリは女の子よ。まだ16歳なの。無事かどうか確認するのは当然じゃない? もし可能性があるなら、全力で助けるのが私たちオルホエイ船掘商会でしょう? 今までだってそうしてきたじゃない」


――成程な。


 ロクセは一方的に話すアマネルをみて一人納得する。


「あなたは今、いつもの判断が出来てない。年頃の女の子を犠牲にしてしまったから? 想定外な事が起きたから? 自分の計画が甘かったから? ショックを受けるのも、反省するのも勝手だけど、そんなのは一人でやって。大切な事が他にあるでしょう? 船長はあなたなのよ。……もっとしっかりして!」

 オルホエイにどれだけの信頼が集まっているのか、なんてロクセには分からない。あんな危険な作戦でも信じる仲間がいるのだから、相応の信頼はあるのだろう。しかし、この商会内で柱となる人物は、このアマネルという女性である、とロクセは確信した。


 言いたい事を言ったアマネルは、口を開きかけたオルホエイを無視して「捜索はザッカに行って貰ったわ。勿論メンノも一緒にね」とカナリエに向かって言った。

「アマネル……」

「とりあえず上空からの捜索しか出来ないけど、何もしないよりはマシでしょう?」

「うん……そうね。ありがとう」

 一瞬の豪雨が淀んだ空気を洗い流す。そんな感覚がそこにはあった。

 ロクセには、アマネルの言葉と行動がここに居る者達の頬をひっぱたいた様に見えた。


「あの!」

 未だ涙目のミラナナが身を乗り出す。

「なに?」

「そ、その……アズちゃんはきっと無事だと思うんです。だから絶対見つけて下さい!」

「……そうね。私もそう信じてる。でも絶対の保証は出来ないわ」

 期待を持たせる行動をしておきながら、絶対の保証は出来ないという辺り、アマネルは冷静に今の現状を見ている。

 一瞬、初めて会った時の冷ややかな雰囲気をロクセは感じた。


 ミラナナは「あ、そうですよね。すみません」と肩を落とした。しかし、その言葉に覆いかぶさる様に「死なねーよ。あいつは!」とリビが声をあげた。

「一人突っ走って、何度危ない目にあったとしてもケロッとしてやがるんだ。馬鹿みたいに強運なんだよ。あいつは。今回だってそうだ。平気な顔してここに戻って来る」

 ミラナナのフォローに回ったのだろう。リビはふんっと腕を組んで口をへの字にまげた。


「リビちゃん……」

「ちゃん付けすんな! ボケ!」

 言って蹴りをいれてくるリビに「えへへ」と涙目の笑顔を見せるミラナナ。そんな二人を見ながら「フィリもリビちゃんに同意~」とフィリッパが会話に割込み「だからちゃん付けすんな!」とリビに睨まれる。


 ロクセはそんな女性達のやり取りを見て、アズリの立ち位置を理解した。

 彼女は愛されている。

 見つかったとしても、頭が割れた遺体かもしれない。食い散らかされた肉片かもしれない。それすらも残らず、草木にこびり付いた染みだけかもしれない。正直、可能性としてはこちらの方が高い。しかし、それでも、信じる仲間達がいるのだからこの船において、アズリはそれだけ大きな存在といえる。

 信頼できる仲間がいないロクセは素直に彼女を羨ましいと思った。しかし同時に後悔もした。


 それは何故か。


 少しでも羨ましいと思えたアズリを、ロクセは見殺しにしたからだった。

 アズリが居なくなった事は多分誰よりも早く気が付いていた。甲板の敵に夢中になる船員や、背中をさすりながらレティーアに声をかけるミラナナの存在も確認していた。そして何より、触手に巻き付かれたアズリがライフラインから飛び出す瞬間を見ていたのだ。


 自身の邪魔なロープを切って、アズリがいた場所まで走り、即座に飛び降りて抱きかかえる。巻き付いた触手を外し、そのまま着地する。着地の瞬間、抱えたアズリに出来るだけ衝撃が伝わらない様にする……なんて造作もない事。助けようと思えば助けられた。

 しかし、そんな事をすれば人間離れしたスピードと高所からの落下でもビクともしない体に皆、恐怖を覚える。そしてその瞬間、人でない事を認識される。


 状況を考えれば、天秤にかけるまでもない。が、仲間に愛される彼女の事を考え、満天の星の下ではにかむ笑顔や、懸命に料理を作る後姿を思い出すと、が胸を締め付けた。


 今更遅い。と、もう一人の自分が語り掛けてくる気さえした。


 気が付くと、いつの間にか周囲の空気が一段と軽いものになっていた。

 女性達に触発されたのか、誰もがアズリの生存を信じる発言をしている。アズリの昔話を語りだし、それを聞いて笑い出す。今から酒でも出て来そうな盛り上がり方だった。

「わかった。わかった。お前らの気持ちは良く分かった。って少し五月蠅いぞ」

 オルホエイが「まったく」と言いながら頭を掻いた。そして「ミラナナ!」と言葉を続けた。


「え? は、はい!」

「ここから高速艇でグレホープまでの往復、どれだけかかる? 今から一時間後スタートでだ」

「え、えーと、明日の昼前……いえ、私ならそれより二、三時間は早く着きます」

「それでも遅い。明日の早朝。日の出までに帰ってこい」

「へ? あ! はい!」

 オルホエイが何を言わんとしているのか理解したミラナナは、パッと明るくなって答えた。


「捜索の結果次第って事にはなるが、もしアズリが生きている可能性があるのならば、高速艇で一旦帰還してもらう。そしてすぐにガレート商会へ向かえ。連絡はしておく」

「はい!」

「お前ら、ガレート商会からの装備が届き次第、さっきの糞雑魚とまたやり合う事になる。遺物船の解体は保留だ。とにかく今から準備を進めておけ。銃の手入れを徹底的にだ」

 オルホエイの言葉で、勢いのある返事が一斉にあがる。

 ここの船員達が持つ本来の姿はこうなのかかもしれない。


「鉄で出来た糞重い靴を履くんだ。装備は最低限。だが、弾はふんだんに持って行け。今日は酒は飲むなよ。早く寝ろ。わかったな」

 もし、アズリが生きていたならばと言っておきながら、結局生きている事が前提の話になっている。オルホエイ自身も本当はアズリが生きていると信じたいのだろう。

 可能性は恐ろしく低い。

 だが、周囲の勢いを信じて、ロクセもそう思うようにした。

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