指定区域【13】
平静を保ちながら銃を握る仲間は一体何人いるのだろうか。
その答えは確認するまでもなく、当然そんな余裕すらあるはずもなかった。
自ら放った音を判別出来るのだろうかと、疑問を持つ程にばら撒かれるクリック音は、もはや銃の発砲音すらも打ち消していた。
アズリは滑り落とした弾倉を拾い、再装填した。焦りで震えが止まらない自分の手に苛立ったが、一度ぎゅっと握り開閉させ、意思通りに動く様努力する。そして事前に弾を込めておいた予備弾倉を、目の前にいるレティーアに差し出した。
一言礼を言ってそれを受け取った彼女は、手慣れたスピードでリロードした。
こんな状況でもスムーズに取り扱う銃の腕を見ると、やはり自慢するだけの事はあるとアズリは思う。
だが、それは身に沁みついた技術が成す物であって、レティーアの顔には焦心と恐怖が張り付いていた。
アズリの足元には予備弾倉が三つ転がっている。しかし、打ち尽くすのに然程の時間を必要としない。今の状況からすれば、火を見るよりも明らかだ。
チラリと振り返ると、反対側のライフラインに居るミラナナは、ボロボロと弾を落としつつも、懸命に空の弾倉に鉛を詰めていた。
アズリは予備弾倉が残り一つになったら、ミラナナと同様の行動に移ろうと判断し、地上に向かって引き金を引いた。
的とすべき敵は周囲を確認する為に、移動したら一度行動を停止した上でクリック音を発する。その一瞬の移動休止は、狙い撃つ側からすれば願っても無い隙だった。そこを狙えばアズリの腕でも多少は命中する。
とはいえ、簡単に倒せる相手でもなかった。ラノーラの言っていた通り、通常の銃でも十分効果はあるが、胴体に数発当てても奴らは死に至らなかった。一撃で仕留めるのならば、つるりとした頭部を狙うしかない。
「は、早く引き上げないとっ。間に合わないっ」
レティーアが玉のような冷や汗を額に滲ませながら言った。だが、木枝に隠れて撃ちにくい敵すらも、数発たらずで命中させ頭部を破壊している。
これだけの命中率を誇るレティーアでさえも嘆く現状には、数の暴力で支配される未来が見えていた。
百。いや二百だろうか。いったい何匹いるのか数えるのもおぞましい。木間から覗かせる姿は絶え間なく続き、サリーナル号を取り囲む様に、否、落ちた遺物船にへばりつく解体班を取り囲む様に、奴らは飢えの解決先を狙っていた。
アズリはレティーアのセリフを聞いた後、ライフラインに足先を引っかけて、体をぐっと前へ押し出した。
「今! カッターが入ったみたいっ。後はフック穴を開けて吊るせば終わりっ。あと少しだから!」
船底が邪魔で、ライフラインに身を乗り出さないと確認出来ない場所に解体班は居る。そこへいっぺんに飛び掛かられたら、角度的に援護するのすら難しい。
出来るだけ、ハイグローブにへばりつく段階で阻止しなければならないが、実際の現場は木枝が邪魔でそれすらも難しい。
「ホント何なのっ? この数っ。あ! 外したっ」
レティーアは小さく「もうっ」と苛立ちを漏らし、あっという間に撃ち終わった空弾倉を捨て、今度は自ら予備弾倉に手を伸ばした。
その隙に、レティーアの弾から逃れた一匹のエッグネックは作業中の解体班目掛けて飛び掛かった。
「あ!」
解体班と一緒に吊るされている護衛班は、別の個体に気を取られ、察知する様子すらない。
咄嗟にアズリは狙い撃つが、動く的に命中させる程腕がない為、その全ての弾を無駄にした。
しかし、ズバンと誰かの一撃で頭部を撃ち抜かれ、その一匹は地面に転がった。
アズリには誰が撃った弾だったのかと即座に判断できる技量はない。だが、仲間達の表情を見ただけでそれは判断できた。
「や、やるねー」
いつの間にか、こちらサイドに来ていたロクセに向かって、誰かが称賛の声をかけていた。近くにいたオルホエイも「ほう」と唸った。
しかしそんな評価は受け取らず、ロクセは淡々と仕事に徹している。
アズリが彼の狙う先を目で追うと、更に一匹が頭部を撃ち抜かれて絶命した。飛び掛かる敵を次々と手際よく無力化させている。
一発で仕留めるロクセの銃の腕には安心と信頼が宿っていると感じた。と同時に、神業としか思えない技量に畏怖すらも薄っすらと湧いた。
「すっごい。なにあれ」
気が付くと隣に居たレティーアも目を向けていた。
不意にロクセが、一旦仕切り直しとばかりに狙うのを止め、空弾倉をポイっと捨てた。
「ふむ。こちらサイドも落ち着きましたね」
ロクセが何を言っているのか理解に及ばなかったが、それは船長であるオルホエイも同じだった様で「何がだ?」と彼に尋ねていた。
「いえ、自分が配置されていた側は早々に沈静化させましたので、こちらサイドへ援護に回ったまでです。こちらも沈静化したようですので自分は配置に戻ります」
――沈静化?
ハイグローブに視線を戻すと、身を乗り出していたエッグネックは木枝の密集している場所へ身を引き始めていた。
「見て。引いていく」
そうアズリが告げるとレティーアも同じく確認し「ほんとだ」と言った。
そして、謎の静寂が訪れた。
ほんの数秒前まで飛び交っていた不快な音が止み、ガサガサと蠢く葉音だけがひっそりと聞こえる。仲間達は皆、不思議そうに警戒しつつ、弾倉を取り換え始めた。
アズリの目から見ても、冷静沈着を絵に描いた様なロクセが唯一、この状況下で誰よりも周囲を把握していると思えた。
オルホエイは驚きが混じった顔を見せながら、歩き始めるロクセを見送った。船首近くにいるカナリエも船長と似た表情で彼を目で追っていた。
不意にロクセは歩みを止め、振り返りながら言った。
「オルホエイさん。いえ、船長」
「な、なんだ?」
「これからが本番です」
「なに?」
「奴らも馬鹿ではないという事です。現装備では全てを相手にできません。フォローは期待しないで下さい。とにかく身を守る事をお勧めします。では」
そしてロクセは踵を返し、元の配置に戻って行った。
エッグネックの行動を見て、このまま諦めてくれる事を願ったがロクセのセリフを聞く限り、それも望めないのだろう。
アズリは急いで転がる空弾倉に弾を詰め込んだ。
広い甲板上でロクセを注視していた仲間達も、アズリと同じ行動を始めた。
「降ろしてくれっ」
イヤホンに手を当てたオルホエイが地上を確認しながら言った。
瞬間、ガコンと甲板が揺れた。
船内で待機していた仲間が、船底の極太ワイヤーフックを稼働させた音だ。
アズリもライフラインに身を乗り出し、解体班を見た。
招く様に手を振るカズンが確認出来る。
カズンの作業は完了したのだろう。しかし、残りの二人はまだ作業中だった。とはいえ、あと数分もしない内にフックを取り付けられる段階までいく。
フックを取り付けたら、遺物船共々皆を引き上げて、そのまま一気に撤退すればいい。
静寂というこの好機を逃してはいけない。
――あと少し、あと少しこのままでっ。
そんな願いを抱きながらアズリはレティーアを見た。彼女もまた願う様に解体班を見守っていた。
では、その願いを聞き入れるのはいったい誰なのか。この場にいる仲間達や、この世界か。考えるまでもなく、その答えを皆知っている。選択権を持っている存在はたった一つしかない。
「来るぞっ!」
選択は当然、願いとは逆の方向へ歩みを進めた。
ロクセの叫びに反応する様に、全員が銃を構えた。と同時に隠れていた敵が一気に姿を現した。
背中に冷たい何かを差し込まれた様なゾクリとする感覚がアズリを襲った。
エッグネックの狙う対象が変わっている。
ハイグローブの下方に集まっていた先程とは違い、今は殆どが樹頭及びその周辺に密集していた。
見上げる様に首を伸ばし、目も鼻も無い頭部が一斉にこちらを向く光景は、悍ましさしか生まなかった。
援護する事が自分の仕事。でも、もう違うとアズリは判断した。ロクセの言った通り、これからは自分の命を守る事が仕事となる。
誰かの銃声を皮切りに、全員が発砲を開始した。
一瞬ビクリとした後、アズリもその流れに乗る。焦りと恐怖は作戦当初とは比べ物にならなかった。震えて汗ばむ手と荒くなる息が、ただでさえ低いアズリの命中率を更に低下させた。
こちらに向かって跳躍をみせる敵を撃ち落としても、その陰に隠れて後続が現れる。リロードしたくても、そんな余裕すらない程に一斉に襲い掛かって来るのだから絶望しかない。
乱射してしまうアズリの弾倉はあっと言う間に空になる。そして、その一瞬の隙すらも埋めてしまう敵の一斉突撃は、アズリを無視して甲板へと到達した。
エッグネックの太い足先に生える五本の指は綺麗に交差し、ライフラインをガッチリと掴んでいる。細いライフラインを掴んでいるせいか、爪が皮膚に食い込んでいた。そして、にゅるりと首を伸ばしクリック音を発しながら、腕の代わりに背中から生えた長い触手を揺らしていた。
人間より一回り大きい異形の生物が、自分から二メートルと離れていないライフライン上に立っている。それを見た瞬間に込み上げる恐怖は、心臓を一瞬止める程の効果を発揮した。
「わぁぁぁ!」
アズリは叫びながら尻餅をつき、手元に転がる弾倉を手に取った。
急いでリロードを開始するが指先が言う事を聞かない。
いきなりバチンと床が響き、その衝撃で切れたロープの端が体に当たった。
「ひっ!」
エッグネックの触手はアズリを捉えることが出来ず、一メートル以上離れた場所を叩いた。とはいえ、確実に二度目は当たる。
グロテスクな口を向けるエッグネックを見て、完全にこちらを把握したとアズリは悟ったからだ。
頭部の半分以上がぱっくりと三つに割れて、粘度の高い唾液と共に、無数の細かい歯が姿を見せている。中央に存在する触手の様な大量の舌が蠢く様相は、アズリの恐怖を更に刺激した。
「アズに何すんのよー!」
発砲音と共にレティーアの叫びが後ろから聞こえ、触手の一本が弾け飛んだ。
ギュエッと奇怪な悲鳴をあげてエッグネックは軽く跳躍し、甲板上に降り立った。
「レティー!」
「そのまま! 伏せてて!」
伏せるというよりも、尻餅をついたままのアズリは急いでリロードを続けた。
頭上でレティーアが援護している状況は手の震えを和らげてくれた。リロードが終わって前を向くと、敵は甲板に突っ伏していた。
フレンドリーファイヤーを避けるため、まずは脚を狙ったのだろう。この状況下でも、こんな判断が出来るのだから流石と思える。
「取って!」
レティーアが撃ち尽くした弾倉を捨てて、手を差し出しながら叫ぶ。
アズリは予備弾倉を掴み立ち上がった。そしてそれを渡すと、一瞬で装填し終えた彼女は転がるエッグネックに向かって、乱射した。
胴体に撃ち込み、頭部へ撃ち込む。弾の無駄なのだから頭部だけを狙えばいいのにも関わらず、問答無用で打ち込む弾には怒りまでも込められている様に見えた。
ビクンビクンと痙攣している頭部の潰れたエッグネックに、唾を吐き掛けそうな勢いで「ふざけないで」と呟くレティーアは少し怖かった。
「レティー。ありが……」
ありがとうと言いかけたその瞬間、ズンと重い物が着地する音と共に、黒い影が目の前に注ぎ込まれた。
レティーアの後ろにあるライフラインに、ひときわ大きな一体が辿り着き、目の前の獲物に涎を垂らしている。
一斉に襲い掛かる敵を追い返すには一秒でも無駄にする時間は無かった。そう、今は悠長に礼など言ってる状況ではなかったのだ。
アズリもレティーアもビクッと体をこわばらせた。でもそれは一瞬。アズリは叫びながら銃をかまえ、レティーアも同時に振り向いた。
アズリは兎に角引き金を引き、がむしゃらに乱射した。
レティーアも急ぎ射撃体勢に入ろうとする。しかし、敵のしなる触手の方が一瞬早く彼女の懐に入った。
「ゔっ!」
咄嗟に銃を横にして身を守ったが、打ち上げる様に放たれた触手はレティーアの体を中に舞わせた。
「レティーっ!」
彼女の体が三メートル近くも浮いて弧を描く。肩と背中を叩きつけて着地すると「ごふっ」と嫌な声を漏らした。そして逆サイドに居るミラナナの近くまで、滑るように転がった。
――そんな!
高く舞い上がり、幅十数メートルもある甲板の端から端まで叩き飛ばされたのならば、どれだけの衝撃だろうか。当たり所が悪ければ死んでもおかしくない。
見るとレティーアは懸命に呼吸をしようとしている。背中を強く打ち、息が出来ないのだろう。「げはっ! げはっ!」と血を吐き出しながらもがく姿を見て、アズリは血の気が引いた。そして、頭からも血を流し、泣きながら苦しんでいる彼女に向かって走り出した。
「こっちはいいですからっ! 撃って下さいっ。 早く!」
めずらしく声を荒げたミラナナが、レティーアに駆け寄り、背中をさすった。その後ろのリビはチラっとレティーアを見て、顔色を変えた。そして今度はアズリに視線を向け「馬鹿か! まずは後ろの奴を処理しろ!」と叫んだ。
アズリはピタリと止まり振り返る。
レティーアを泣かせた憎き敵は、大きな口を開けてクリック音を鳴らしている。何発も胴体に撃ち込んだはずなのに、何事もなかった様子でこちらに敵意を見せていた。
――こいつが! こいつが! こいつがっ!
引いた血の気が一気に沸騰する。こんな感覚は初めてだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
アズリは叫んだ。
怒号や咆哮が飛び交い入り乱れる甲板で、アズリの叫びは小さな物だった。しかしそれでも、アズリは腹の底から声を出し、その叫びと共に銃の引き金を引き続けた。
ロープリールがキリキリと音を立てて巻き取られ始めた。次いで浮遊感が発生する。作業が完了した証拠であり、後は無事に撤退するのみ。本来ならば、ほっとする状況なのだが、作戦終了の感覚すらない。
前進しながら、怒りを込めて敵を撃つ。
頭部を狙う、なんて事はしなかった。冷静になれずとにかく全弾撃ち込む、がむしゃらな射撃だった。数十秒前の怒りの混じったレティーアと同じ行動をしている自分に気づく訳も無く、アズリは敵の土手っ腹に向かって引き金を引き、歩みを進めた。
つんざく様な奇声をあげるエッグネックは触手を振り回している。だが、アズリには一度も当たらなかった。足をかすめたり肩をかすめたりと、服を破くばかりで決定的な一撃が入らない。
鋭い一撃が入れば手足がもぎ取られてもおかしくないのだが、アズリはそんな恐怖すら忘れていた。
気が付くと、すでに弾は無くなっていて、目の前には腹に大きな風穴が開いたエッグネックが立ち竦んでいた。
飛び散った緑色の体液が額を濡らし、垂れてくる。
アズリは荒い息のまま、ふと周囲を見回した。二十体を超えるエッグネックの死体が甲板に転がっている。しかし、浮遊を始めた直後のサリーナル号は、まだ殆ど高度を上げておらず、未だに敵の攻撃範囲内。続々と飛び移る敵に、仲間は皆翻弄されていた。
――はっ! レティーは?
敵の死を確信し、怒りから解放されたアズリはレティーアの元へ駆け寄ろうとした。だが、腹部に圧迫感を与えられ、身動きが取れなくなっていた。
――え? 何?
死んだと思ったのは誤認だったのか。それとも、死ぬ間際の無意識的行動だったのか。どちらにせよ、自分の腕よりも太い触手が腹に巻き付いている事実は変わらない。
急ぎそれを取り払おうとするが、がっちり巻き付いていてビクともしなかった。そして焦るアズリに追い打ちをかける様に、引力が後方へと向かう。
「え? うそ? ちょ、ちょっとまって」
ライフラインに掴まっていたエッグネックはもうバランスを取っていなかった。当然、甲板の外か内かどちらかに倒れる事となる。
結果、外側を選んで倒れ込むのは運が悪かったとしかいえない。
アズリはいとも簡単に引っ張られ、ポーンとあっけなく船の外への投げ出された。
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