指定区域【12】

 いつでも船内に退避出来る配置。そして二人一組。オルホエイの指示には若い女性船員に対する気遣いがあった。

 アズリとレティーアがペアになり、ライフラインの逆サイドにはミラナナとリビが居る。ペアを組む時にはこのパターンが多い。

 ただの同室ペアなのだが、バランスは良く取れているとアズリは思う。特にミラナナとリビにおいては、これ以上無い組み方なのだと思っていた。


 体が大きいくせに小動物みたいな性格のミラナナを常に引っ張るリビ。男以上に気が強いくせに体が小さいリビを的確にフォローするミラナナ。お互いに違った特技を持っている為、別行動も多々あるが、この二人はこれが一番しっくり来る。


 いつもの様に、猫背のミラナナを見上げて話すリビの姿を見ながら、アズリは自分の体をスンスンと嗅いだ。

「レティー。私臭くない?」

 言うと、黙ってレティーアがアズリの体に顔を寄せた。

「別に。大丈夫だと思うけど。一日くらいシャワー浴びなくても問題ないでしょ?」

「一日じゃないの……。三日目になるかも」

 マツリの看病で体を洗う事も忘れ、昨夜も色々あって洗えず仕舞い。流石に頭皮の脂っぽさは気になっていた。


「この仕事してたら、一日二日泥まみれなんて事もあるんだし、誰も気にしてないわよ。ま、私は三日も体洗えないんて苦痛だけど」

「私だって同じだよ。はぁ……昨日シャワー浴びそこなったのは痛い」

「アズは人気者だもんね。カナリエさんに加えてあの古代人にまで声かけられてるんだもん。しかも、その後酒のつまみ作ってくれなんて男達に頼まれて、断らないんだから。……ホント、人が良すぎ」

「ちょっとした物くらい作ってあげても苦じゃないし。それにいつも美味しいって言ってくれるしね」

「ちょろいなー」

 否定が出来ず、アズリは苦笑を浮かべた。


「……でも、昨夜はそのまま寝ちゃったから……新しい下着つけたままなのが一番辛い。大事に使いたいのに」

 小さく溜息をつきながら言うと「だ、だから、別に大事に使わなくていいって言ってるでしょ?」とレティーアは答え、ふんっとそっぽを向いた。

 耳が赤い。ちょろいのはどっちなのだろうとアズリは思った。


 そんなレティーアの横顔を見ていたら、何で彼女からの贈り物は素直に受け取れるのだろうかと疑問が浮かんだ。彼女だけじゃなくカナリエやアマネル達からの贈り物も同様に受け取れる。でもラノーラから頂く時は妙な感情が浮かぶ。卑屈になり、妙なライバル心が芽生える。

 同情からの施しに感じるからだろうか。


 なんて、どうでもいい事を考えてもいられない。船長が起動準備にブリッチへ行ってからもう二十分は経つ。そろそろ出発する頃合いなのだ。


 アズリは気持ちを落ち着かせる様に深呼吸をした。

 持ち慣れない銃は重く、安全の為に体に繋がるロープは邪魔くさい。金具の付いたベルトを使って背中まで固定するロープワークは体に食い込んで少し痛かった。


「エッグネックってどんなんだろう?」

 沸々と湧いて出る不安を抑える様にアズリが問うと「さあ?」と興味なさげにレティーアは答えた。

「怖くないの?」

「勿論怖いわよ。でも男共がこんだけいるんだから大丈夫でしょ? 十や二十襲ってきても問題ないはずだし、それに私、狙撃は得意だから。アズも知ってるでしょ」

 言いながら銃を軽く掲げる。

「そうね。レティーが居れば安心」

 彼女はふふんと鼻を鳴らし「アズの事は守ってあげるから心配しなくて大丈夫」と言った。


 そんな会話の折、重い音が響き空船の起動が開始された。

「着いたら直ぐに作戦開始よ。もう泣き言いってらんないんだから、アズは兎に角目の前にいる敵を撃って」

「うん。分かってる」

 アズリは自分の銃を抱きしめる様に持ちながら頷いた。

 今更、怖気づいても仕方がない。甲板の上には十人以上の援護班がいるし、ザッカ達には護衛も付く。オルホエイの作戦もシンプルだが効率が良いし、信頼もある。


 アズリは気持ちを落ち着かせる為に流れる雲を見た。

 薄紫色の雲が白い雲に混じっている。

 各所に大量発生する、とある虫を食べる為、大移動を繰り返す霧状の生物。紫色に染まるそれは、とても穏やかに流れていて人間という存在は眼中にすらない様子だった。

 数多の生き物達の中で四苦八苦している人間は、この星にとってみれば本当にどうでもいい存在なのかもしれない。そう思うと広い空に向かって、すっと不安が吸い取られる感覚をアズリは抱いた。


 アズリは視線を甲板に戻し、反対側のライフラインに目を向けた。中央よりも少し先に配置されたロクセが、ぼうっと空中を眺めている。

 しょっちゅう黙り込む彼を見て、アズリは苦笑した。


――本当、ロクセさんって不思議な人。


 悪い人でない事は良く分かる。

 普通の人とは違う次元の雰囲気を醸し出し、若干避けられている周囲からの空気を物ともせず、我が道を歩く。

 そんな彼を見ていると助けになりたいという妙な感覚が沸いてくる。母性なのかそれとはまた別の何なのかは分からないが。


 アズリもロクセに習い、ぼうっと彼を眺めた。

 意識が別の所に行ってる最中、不意に肩を小突かれた。

「誰を見てるのよ」

 言いながら少しむくれ顔のレティーアが再度小突いてきた。

「え? 別に……」

 レティーアはチラリとロクセに目を向けて「世話役とかアズじゃなくてもいいじゃん」と言った。

「……私も船長に貰う物貰っちゃったしね。仕方ないよ」

「あんな何考えてるか分からないオッサンやめときなさいよ。ってか私が許さないけど」

 言葉の意味が分からなかった。

「何のこと?」

 アズリがそう返すと彼女はフンっとそっぽを向いてしまい、何の返答も得られなかった。


 少しキツ目なレティーアの口調には慣れているし、悪気が無いのも知っている。しかし時折、意味の分からない所で不機嫌になる。こればかりは理解が出来ず、こんな時にはアズリはいつも「ごめんね」を繰り返す事しか出来なかった。


「だ~か~ら! お前は後ろで弾渡しときゃいいって言ってんだろ!」

 アズリが謝ってる最中、目の前から怒鳴り声が聞こえてきた。びっくりしてアズリとレティーアが同時にそちらへ顔を向けた。

「えっと……。それじゃ言われた仕事じゃなくなっちゃうと思うんです。援護しなきゃです」

 ミラナナとリビの会話はいつの間にかヒートアップしていたらしく、相変わらずの喧嘩が始まっていた。

「何度言ったら分かるんだよ。高速艇飛ばす事しか能が無いんだから、お前は黙って弾込めてこっちに渡せばい・い・の!」

「でも……」

「でもじゃねーよ。撃っても当たらないなら弾の無駄!」

 確かに、その方が良いとアズリも思った。


 百発撃って一発当たれば奇跡というほどの命中率を誇るミラナナに乱射されても弾の無駄にしかならない。リビもそれほど腕が良いとは言えないが、ミラナナよりは腕がいいのは確かだ。

 アズリも人の事は言えず、ブーメランとなって返ってくる感想は少し心が痛い。とはいえ、ミラナナと比べればずっとマシな方である。


「やってるねー」

「そうだね」

「私はリビに賛成。アズは?」

「同じく」

 とにかく感謝。

 彼女達の喧嘩を見て、レティーアの斜めな機嫌もどこかへ飛んだ。

 目先で繰り返される喧嘩は、憎さ余って行われている物では無い事をアズリは知っている。勿論レティーアも。

「仲いいね」

 そうアズリが言うと「……そうね」とレティーアは返し、気まずそうにゆっくりとそっぽを向いた。

 沈黙が場を覆い、リビ達の声だけが耳に届く。


 アズリは再度空を眺め、皆無事に帰還する事を祈った。

 すると、いきなり勢い良く扉が開き、手を叩きながらオルホエイが現れた。


 気が付くと既にサリーナル号は目的地に到着していた。

 座っていたアズリは立ち上がり、次いでレティーアも立ち上がった。

 作戦開始の合図がオルホエイの口から発せられ、一気に緊張感が走る。皆、各々返事を済ませ、即座に行動に移った。


 ロープリールの稼働を確認して、解体班が降下の準備に入ると同時に三か所のライフラインがガジャンと音をたてて甲板床に引き込まれた。ロクセ以外の仲間はセイフティーを解除し、射撃体勢に入った。


 現場に着いてからの流れにアズリはついて行けず、まるで訓練されたかのような仲間の動きをきょとんと見守っていた。

 しかし、そんな呆けた面も、突如として襲われた奇妙な感覚にかき消された。

 時折感じるその感覚は違和感にも似た何か。ガモニルル討伐の際に感じた物と同一ではあるが、今回はその時の感覚と比較できなかった。


 断続的に体にぶつかってくる吐き気がする程の違和感は、四方から襲ってくる。まるで自分が、無歩の森という海の中に漂っているようだった。

 アズリは銃を握りしめ、周囲を見回した。

 吐き気の原因が何なのかなんて、考えるまでもなかった。森の木々に隠れて視認が出来なくとも、容易に想像がついた。


――来る……それも、すごい数。


 甲板に配置されている仲間達は射撃態勢をとってはいるものの、危機感は感じ取れない。当然、隣にいるレティーアも同じだった。

「レティー!」

 アズリはレティーアの服を掴み声をかける。

「な、なに?」

「来るっ。沢山!」

「え?」

「撃って! 姿が見えたら直ぐにっ」


 語彙力すら無くなったアズリの言葉に、レティーアは一瞬戸惑いを見せたが、直ぐに理解を示し銃を構え直した。

 敵は目の前まで迫っていた。すでにクリック音が聞こえる。

 レティーアが即座に理解を示したのも、その音が聞こえたからだ。

 その数は一気に膨れ上がり、いったい何匹居るのかも分からない。空気が揺れる感覚すらある。

 五月蠅いくらいの音の波紋が周囲を覆い、アズリの脳裏には死のイメージが沸いた。

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