指定区域【8】

 味とはどんなものだったのか今ではもう思い出せない。

 甘い、苦い等といった感覚は全てデータで処理される。

 AIを人間と同等のクオリティーで作るのだから味覚だって再現すれば良かったのにと今でも思う。

 嗅覚も同様に分子構造で識別し、それがどういった匂いなのか表示されるだけ。

 様々な作戦で使用されるこの身体には、味覚、嗅覚なんて必要ないという判断故なのだろう。痛覚は無いが触圧覚はあり、温度覚は数値で示される。戦闘用としては理にかなっている。

 人であった頃が懐かしく思うが、こうして生きている実感があるだけマシなのかもしれない。


 ロクセは昨夜の内にメンテナンスを終え、具のないスープを飲んでいる。昨夜の内に作って貰った食事は食べ終わり、今飲んでいるスープは鍋底に残った残りカスだ。

 食事なんて必要の無い身体ではあるが、食べれるならば食べておく。食物はバイオ燃料として消費出来るし、水分に関しては体内の冷却装置用循環水に使えるからだ。


 倉庫室に置きっぱなしになっている鉄テーブルは腰掛けるのに丁度いい。しかし、こんな姿をユキナミ様に見られた日には、行儀が悪いと怒られるのは確実だ。と、そんな事を思っても仕方がない。

 ともかく金を得たならば椅子等を買うのも悪くないし、室内のリフォームも視野に入れて置きたい。

 ロクセはカップ底の残ったスープを一気に飲み干し、足を組み直した。先程、昨夜得た情報をカレンに伝え、スープを飲み干す間に考えろと言った。その答えをロクセは待っている。


『食事はお済みですか?』

「ああ」

 分かっているだろうに、わざわざ聞いてくる。そんな律儀な所はどのカレンシステムも変わらない。

『まず、ノヴァック家ですが第二探査船団に参加した資材船船長である可能性が高いと思われます』

「数百年に渡り、どれだけの人類がこの星に向かったか分からない。同じ苗字の人間は相当数居たと思うが、第二探査と断定するのは何故だ?」

『相応の権限を持っている同セカンドネームの存在は、私の歴史データ上ではその方しか居ないからです。マスターも同じ見解では?』

「……まぁそうだ。母星を離れた一般人全ての名簿を知る訳でもない。となれば歴史的に有名な人物の存在に目が行くのは妥当だな」


 この惑星カレンに全九回に渡って送られた探査船団は、世界史内でも非常に有名である。しかしその名を歴史に刻んだ一番の理由は、一度も帰還しなかった事にある。

 ロクセは腕を組み「バトラーについては?」と続けた。


『有名な所で判断しますと、流刑星送りにされた一家であると思います』

「やはりか」

『はい。武器弾薬に関すると思われる銃剣管理局という役職にバトラーが就いているのであれば納得が出来ます』

「戦争兵器の巨大密売組織。その幹部。バトラー家の子孫である可能性……か」

 思った通り、カレンも自分と同じ見解に行き着く。お互い専門分野以外の情報データが殆ど同じなのだから当たり前といえば当たり前なのだが。


「まぁしかしだ……両方共、それだけで断定するの早計かもしれないな」

『確かにそうです。他にどんな一族が国管理に携わっているのか分かりませんので断定は出来ません。しかし、他の管理をしている一族のセカンドネームが分かれば可能性は一気に高くなります』

「他の一族が、知った名であるかどうかって所か」

『はい。私のAIには基本的な歴史データしか存在しません。しかし、そんな少量のデータでも判断に至る人物の名が出てくるのであれば、文明を発展させた人々が誰であったか分かります』

「ノヴァックとバトラーが存在するのであれば、探査時代と流刑時代の者達が主にこの星の人類始祖である……と」

『そうなります。勿論、途中参加という点においては移星時代の我々も存在している可能性があります。宇宙空間から船が降り注ぐのですから、全ての船が停滞している訳では無いという証明です。逃れて無事たどり着いた船もあった筈ですので』

「そうだな。ただし数百年前までの人類だけだが……な」

 少しワクワクする。ロクセの今の感情はそれに近い。


 バトラーという名を聞いた時には不安がよぎったのも正直な所。とはいえ、小さな情報から得る考察の中で、無事に生き残り知らぬ間に地に根を張る人類の姿が見えてくる。様々な思惑を有する人間が、どういった思想の元この世界を作っているのか興味が沸く。勿論、進んではいけない道ならば自分が出来る最大限の努力をしようとも思うし、御方々の子孫が存在しているのかも気になる。

 空には幾千幾万の屍を積んだ船。それを思うと悲しみがこみ上げる。しかし、こうして生き残った者達もいるのだから、死を覚悟して飛び出していった人類にとっては奇跡なのだろう。

 ロクセはテーブルから降りて、スープの入っていたカップを持った。


『どちらへ?』

「いや、洗っておこうと思ってな」

『答え合わせは終了ですか?』


――答え合わせって、お前……。


 ガキじゃあるまいし、言い方ってものがあるだろうと思うが、つっこむのも面倒くさい。

「ああ。終わりだ。また情報を得たらをしようじゃないか。しかし、昨夜にもう少し話を聞いておくべきだったな」

『そうして下さい。黙りこくってしまうのは本当に悪い癖です』

「知った様な口ぶりだな」

『マスターの事は良く存じております。戦闘においては冷静で判断が早く応用力もあるのですから、日常においてもその能力を……』

 と、そこまで言った所で「分かった分かった」とロクセが止める。そして自分の頭を指先で小突きながら「ここの問題なんだ。勘弁してくれ」と言った。


 このままだとまた何を言われるか分からない。たまに小姑になるカレンから逃げる様にキッチンへ向かう。しかし、それすらも挨拶一つで阻まれた。


「こんにちわ。ロクセさん」

 まただ。昨日の今日でまた同じ声。

「……客だ。カレン。スリープ」

『はい』

 ロクセは少し面倒くさそうに向かった。しかしそれは倉庫室まで。倉庫室の扉を開けた後はいつもの社交的態度へと切り替える。そしてそのまま店舗入り口、否、玄関へと向かった。

「こんにちわ。カナリエさん。何か御用でしたか?」

 両開き扉の片方を開けるとカナリエが凛として立っている。昨日は玄関を開けて顔を覗かせていたが今日は黙って外で待っていた。では昨日は何だったのか。心配して様子でも伺っていたのだろうか。


「ごめんなさいね。今日もまた伺っちゃって。仕事の話なんですけど。……食事中でした?」


――食事中? ……ああ。これか。


 つい、カップを持ったまま対応してしまっていた。

「いえ。すみません。洗い物をしようとしていた所でした。お恥ずかしい」

 ロクセは持っていたカップをひょこっと持ち上げる。

「ちゃんと生活できているみたいですね。良かった」

「食事はアズリさんのおかげですよ。部屋は整理が必要ですから、まだまだ落ち着いて暮らせません。お金も必要ですしね」

 カナリエは「そうですね。何かあれば頼ってくれて構いませんから言って下さい」と笑顔で返す。

 アズリもそうだが、カナリエも他者を気に掛ける気持ちがあるのだろう。何かあれば頼ってみてもいいのかもしれない。


「それで、仕事の件とは?」

 考えてみれば、彼女は仕事へ向かったのではないだろうか。帰りは今夜と言っていたはずだが何故、今ここに居るのか。

「洗い物の途中でしたね。じゃ、手早く。あ、そうそう。これからは敬語は無しで話しますね。本当は苦手なの。ごめんなさいね」

 カナリエは腰に手を置き、小さな空咳をした後言葉を続けた。


「お金になる……かもしれない案件が舞い込んだの。昨日の仕事はキャンセルしてでもそちらを優先する事になりそうなのよ」

「新しい遺物船を発見したのですか? 簡単に見つかるものなのですね」

「違うわ。本来、遺物船はそう簡単に見つかる物じゃないの。昨夜、現場に向かう途中で飛来する遺物船を目撃したのよ。偶然ね」

「ほう。それで急ぎ引き返してきたと?」

「そう。目撃してすぐに、落ちたと思われる場所へ目星をつけて高速艇を飛ばしたわ。まだ連絡が入らないから場所も遺物船の種類も定かじゃないけど、中型クラスの何らかの船って予想。物によってはかなり良いお金になるわ。さすがに今回の仕事に参加した人員では足りないから一旦引き返して、こうして参加者を募ってるってわけ」


 話しを聞く感じでは、昨日の散らばった戦闘艇回収とは違い、原形を留めた状態の船を回収出来そうに思える。

 本来、自動安全装置と重力制御システムがあるのだから簡単には墜落飛散する事もない。では何故戦闘艇は飛散しているのか。様々な可能性が考えられる。その理由を知る為に昨日の仕事には参加したかった。しかし、ポッドの接続を優先したためにそれが叶わなかった。今は優先すべき事柄は無い。

 ロクセは「ふむ」と言いながら一考する。

「どう? 参加してみる? これからウチで働くんだもの、経験積まなきゃ。と、思うわ」


――上手くやれば、乗組員のメモリーシートも手に入るかもしれないな。


 今後の拠点として使用する職なのだから断ってばかりもいられない。信頼と同時に経験も得る事が出来る良い機会だ。ついでに金も手に入る。


 一考するだけ無駄だった。断る理由もなく、ロクセは参加の意を示した。

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