指定区域【9】

 オルホエイ船掘商会の事務所は応接室よりもずっと大きめに作られている。事務所の窓側半分には、経理や書類データの作成をする机や事務用書棚が置かれ、奥側半分には大きなテーブルと十数脚の椅子が設置されている。その奥側のスペースは探索箇所の確認や、行動計画を決める際に使う場所である。


 そんな事務所に、船員の殆どが集まっている。オフ日だというのに二十人以上も参加し、事務仕事専属の仲間も様子を見に足を運んでいた。

 不参加なのは大怪我をしたダニルを含めた数名だけ。オフ日に入った緊急の仕事でこれだけ集まるのも珍しい。

 アズリはカナリエの座る椅子の背もたれに手を置き、話が始まるのを待っていた。隣には完全メイク状態のレティーアが立っている。


「朝から上級街に行って来たの? レティー」

 話しかけると「だって昨日、全然満喫できなかったから」と返してきた。

 先日言っていたフィリッパとの街散策。案の定フィリッパに時間を取られ不満だらけだったのだろう。

 そして今は昼過ぎ。午前中の内にその不満を解消していたのだと予想できる。

 やはりフィリッパと一緒に出かけてはいけない。


「それよりも、マツリは大丈夫?」

 レティーアは心配顔で問う。何度も妹のマツリに会った事があるし、同期なのだから多少はこちらの事情を知っているが故だ。

「うん。心配ありがとう。熱はもう下がったから大丈夫だと思う」

「そう。なら良かった」

 寝ずの看病が効いたのか、思いのほか早く熱も引き、今朝には食べ物も喉を通る様になっていた。無理言ってベルにお金を借り、午前中の内に薬をもう一本買い足しておいた。一応仕事に行っても差し支えない状況になっている。

 とはいえ二日間殆ど寝ていない為、自分自身は今、恐ろしく眠い。


 二人の会話を聞いて、目の前に座るカナリエがチラリと顔を向けた。しかし何も言わずまた正面を向く。

 アズリには、彼女が何を言おうとしていたのか想像が出来る。

 心配してくれている彼女に一言声をかけたかったが、アズリも何も言わず、気づかないふりをした。


 事務所の外から、コツコツと足音が聞こえる。そろそろブリーフィングが始まる合図だ。

 ふと目を向けるとロクセが壁際に寄りかかり、じっとして立っている。いつもの思案顔ではなく周囲を観察している様にみえた。彼に話しかける者もおらず、よそ者扱いの雰囲気がある。そんな空気を感じ取りアズリは少し切なく思った。


「おう。ずいぶん集まってるな」

 ガチャリとドアが開き、オルホエイが顔を出す。続いてアマネルが入室してきた。本来はこの二人が組みになってやってくるが、今回は更に別の人物が居た。

 続いて入室したガレート狩猟商会所属のラノーラを見た瞬間、室内にいる船員の殆どに緊張が走る。それはアズリも同じだった。その緊張は嫌な予感に近い。


 オルホエイは勢いよく船長席に座り、その左右にアマネルとラノーラが立った。

「オフだってのに、悪いな。……早速だが、説明を始める。アマネル」


 オルホエイが挨拶だけを済ませると、隣に立っているアマネルが今回の仕事に行き着いた経緯を話し始めた。

 ザッカが飛来する遺物船を偶然目撃した事。直後に高速艇を飛ばし、落下地点の確認に向かわせた事。戦闘艇回収は諦めて、今回の仕事を優先する事。それらは勧誘の時点で聞いていた話だった。


「……と、言うわけ。皆ここまでは聞いてると思う。では、遺物船についてだけど、中型のおそらく避難艇だったと報告が来たわ。そうね? メンノ、ミラナナ」

 呼ばれて一瞬びくりとするミラナナは焦って顔を縦にふった。メンノは片手をスッと上げるだけで肯定の意を示した。

「確かな事は現場についてから確認するつもりだけど、確実に言えるのは今回は中型サイズの船を丸ごと回収出来るという事」

 アマネルの言葉に、船員の半数が小さく歓喜の声を発した。

「サイズがサイズなだけに品質はどうあれ、それなりの売り上げになるわ。でも、問題が一つ」

 残り半数が簡単に歓喜せず、押し黙っていたのはこの続きが聞きたかったからだ。部外者のラノーラがこの場に居る理由もこの先にある。


 アマネルがプロジェクターに手を伸ばしスイッチを入れた。するとテーブルに地図が表示され、同時にオルホエイの後ろにあるボードにも同じ地図が表示された。

「落ちた先はここ」

 アマネルがいつの間にか指し棒を持ち、地図の一点を示した。

 瞬間、周囲がざわついた。同時にカズンが「間違いないのか?」と高速艇に同乗していた男、メンノに向かって問う。

「ああ。間違いないぜ。そこで見つけた。あと数十キロ東だったら良かったのにな」

「……ちっ。こいつぁ厄介じゃな」

 皆カズンと同じセリフが頭を過る。勿論アズリもそうだ。

「危険指定はFだ、俺たちならばやれない事はない。しかしだ、見て分かると思うが余計な物が二つもついてる」

 オルホエイは舌打ちをしながら言った。

 船員達は地図を凝視しながら口をつぐむ。


 アズリも改めて地図を見た。やはり見間違えではない。そこにはドクロマークに赤い線が一本入った記号と、三本爪のマークに赤い線が一本入った記号があった。

「いやー、仲良く並んでるっすねぇ。まぁ一本だけなのが救いっすけど」

 不意に発した緊張感の欠片も無いザッカの一言だが、それが周囲の空気を和ませた。その雰囲気を使ってカナリエが問いを投げかける。

「危難と巨獣の指定区域よ? 当然、考えがあるのよね?」


 危険地域はAからGまでの指定と独立したZがある。Aは居住可能地域、Fは十五名以上で探索可能地域といった具合である。危難指定区域は死の危険が強い場合に用いられ、巨獣指定区域はその名の通り巨獣が住む地域に用いられる。その二つとも赤い線の本数で危険の度合いや巨獣の種類数を表している。

 まず間違いなく、下位ランクの商会が行く場所ではない。商会に入って二年が過ぎたアズリにとっても初めて経験する危険度だ。


 アズリはオルホエイの答えを待ち、彼をじっと見つめる。

「……勿論だ。しかし、まずはこの場所の特徴を知ってもらう。古参には知る者もいるだろうが、皆知っている訳ではないだろう? その為に狩猟商会からラノーラを呼んだ。とりあえず話を聞いてくれ」

 直後ラノーラに視線が集まった。こんな説明会は一度や二度ではない。さすがに彼も慣れている様で、動じる事なく軽く会釈をした。

 ラノーラは一歩前に出て「では説明します」と言った。


「先程の場所は見てお分かりの通りゴロホル神山群、エリア八十二番に数えられる場所です。別名【無歩の森】と言います。周囲の山と鬱蒼とした木々に守られて、当然ここ一帯だけで生態系が成り立っています」

 神山群はクレーターの様な山間の中に各々の生態系を持ち、尚且つそれぞれに特徴を持つ場所でもある。ゴロホル大森林とは違い、船掘においても狩猟においても難易度の高い地域だ。先日のガモニルル討伐場所は神山群内ではあったが分類的には非常に安全な地域だった。神山群は場所によって、危険度が天と地程の差がある。


「無歩の森の特徴は、七十メートル以上の高さを持つハイグローブと言う木々が育ち、光を遮っている所にあります。非常に暗く、昼間でも日没前程度の照度しかありません。薄暗いのは探索においても危険ですから厄介ですが、このエリアで特に危険なのは周囲に蔦を張らす植物、オモトコリスです」

 椅子に座るペテーナの隣にはルリンがちょこんと座っている。ラノーラの説明を聞きながらルリンは満足気に耳を傾けている。植物の話にはいつも食いつく。


「その植物の蔓は触れると反射的に巻き付き、歩みを阻害します。それなりに強度があるので巻き付かれたら面倒ですが、問題はそこではありません。その蔓に付いた刺からでる分泌物が毒である事。それが脅威です」

 船員達にはやはり知る者もいるらしい。頷く動作をする仲間も数名は居る。


「かなり鋭い刺ですから巻き付く勢いで簡単に衣類を突き通します。巻き付かれたら最後、あっという間に強烈な麻痺毒が全身に回り、手足にけいれんが起こります。まず間違いなく起き上がる事が出来ません。生物の死体も大切な栄養です。死ぬまで毒を注入し続けるので、周囲に誰も居なければ当然その場で餓死します。でもこれは運が良ければです」

「他にもヤバい理由があるんすか?」

 ザッカが無知の船員代表として疑問を投げた。


「はい。無歩の森ではその植物だけが危険という訳ではありません。危険な生物も生息しています。危難記号があったのも、その生物がいるからです」

「確かに。巨獣もいるみたいっすからね」

「いえ、実は巨獣に関してはそれほど心配しなくてもいいんです」

 どういう意味なのだろうか。その巨獣が危険と言う事ではないのだろうか。


「ここの巨獣は森のヌシでして、意外と温和です。肉食ではありますが刺激しなければ人間を襲う事はありません。ただ、そのヌシが主食とするエッグネックという名の生物は人間を襲います」

「ずいぶん可愛い名前っすね」

「名前だけなら可愛いですね。でもエッグネックは非常に狂暴です。鋭い爪を持ち、素早く木々の間を飛び回ります。卵の様なつるっとした頭部と、それに繋がる伸縮可能な長い首が特徴的です」

「で、対処法は? 銃は効果あるのか?」

 と、メンノが問う。


「彼らは目が見えません。クリック音を使った反響定位で周囲の状況を把握しています。ですので出来るだけ音を立てずに、木々と寄り添う様に行動すれば見つかり難いです。でも確実ではありません。可聴域は広く、精度も高いので遠い場所から追って来きます。単独行動が基本ですが、奪い合う様に獲物に襲い掛かるので、集団で来られれば対処するのも大変です。硬い皮膚は持ってませんから銃で対処可能です」

「餓死なら運が良い……か。蔓の毒で身動きが取れない所に、そいつが襲い掛かってきたらと思うと……ゾッとするぜ」

「はい。普通に歩いたら百メートル歩けただけで奇跡と言われてます。なので、この森に入る際は鉄で出来た重いロングブーツを履いて入るのが鉄則です。でも、その重さと蔓が邪魔でかなり行動が制限されます。そんな中集団で襲われたら兎に角逃げるという選択肢しか出てきません。貴重な生物も植物もありますから、狩猟商会はこの森に入る事があります。でも稀です。リスクが高すぎますから」


 狩猟商会でさえ、そう易々と足を踏み入れない森にどうやって対処するのだろうか。鉄のブーツで森に入り、解体して回収するのだろうか。悠長に作業を待っている程エッグネックという生物が気長とも思えない。

 皆、自分が食われる想像をしたのだろう。不穏な空気が周囲を取り巻いた。


「ここまでの話で分かったと思うが、落ちた場所は非常に危険だ。だが、出来るだけ安全に、素早く行動できる作戦がある」

 それまで黙って話を聞いていたオルホエイが口を開いた。ここまでが状況説明。これからが本題になる。

 周囲と同じ恐ろしい想像をしたアズリは、一度頭をフラットにしてオルホエイの言葉に耳を傾けた。

「俺たちは狩猟をする訳ではない。獲物を狩って回収するのならば地上班も必要になるだろうが、俺たちの目的は遺物船のみだ。……地上に足をつける事はしない。植物毒のリスクは徹底して避ける」


――え? どうやって? 


 ずいぶんと突拍子も無い事を言ってきたオルホエイにアズリはきょとんとした。しかし、周りを見渡してみると、自分と同じ表情なのは商会に入って数年も経っていない新人ばかりだった。古参達は船長のこのセリフのみで全てを理解しているようだった。


「作戦は簡単だ。サリーナル号で遺物船の真上まで行く。そして解体班を下へ吊るしてフック穴を開けさせる。勿論、警護人員も一緒に吊るす。開けた穴にフックをかけ、一気に引き上げる」

 聞いて「ふむ」とカズンが頷く。

「作業中にエッグネックが襲ってくる可能性は極めて高い。残りの面子は下の警護人員を甲板から援護しろ。全員で解体班を守れ」

「まぁ、それしかないじゃろうな」

「これが、最短作業で回収出来る唯一の方法だ。現場を離れた後は、安全な場所でゆっくり解体すればいい」


 成程と思った。これならリスクも低い。

 昔、一度だけ似たような回収をしたことがある。危険と思われる生物が数種類生息するエリアでの仕事だった。その時も安全地帯に一旦移動してから解体したのだ。今回は吊り下げられての作業だから、難はあるだろうがやれない事はないだろう。

「どうだ? やるか?」

 改めて参加の意を確認するオルホエイに皆同意を示す。アズリも同様に頷くと、不安そうな目で振り向くカナリエが視界に入った。


「よし。今回は人手が必要だからな。助かる。高速艇帰還の際、他商会の高速艇が周囲を探索していたらしい。他にも遺物船の飛来を目撃した商会が居たのかもしれん。予定より少し早いが、夕方には出発しようと思う。各自急いで準備をしておいてくれ。以上だ」


 各々が独自の気合いを入れながら席を立つ。「さて、いくら稼げるか!」「余裕、余裕!」と様々だ。そんな中「本当に参加する?」とカナリエが問いかけてきた。

「うん。参加する。でも大丈夫。私なんて居ても役にたたないから甲板上で見守るのが関の山だし」

 間違ってはいない。おそらくそういうポジションになるだろう。

「……分かったわ」

 そう言ってカナリエは部屋を後にした。

 自分を心配してくれる気持ちは嬉しい。でも、今はどんな事をしたって稼がなくてはならない。

 無意識だった。アズリは隣にいるレティーアの手を握っていた。きょとんとする彼女の顔は視界に入らず、カナリエの出て行った扉をじっと見つめていた。

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