指定区域【5】

「飲んでなくてラッキーだった……っすかねー」

 ザッカは一人、甲板のライフラインに背中を預け、夜空を見上げていた。サリーナル号のライフラインはステンレス製の柵な為、安全性は高い。

「昨日の深夜に、あの人の引っ越し手伝ったっすから飲めなかったのは逆に良かったのかも。二日酔いで仕事はキツイっすからねー。でも……」


 節約を理由に甲板を照らすライトは一番小さい物が一つだけ。

 ザッカは甲板に無造作に放り投げてあるデッキブラシをみつめる。

「まだ少し日が出てるからとかって、出発してすぐ甲板掃除させられるとか勘弁してほしいっす」

 今はとうに日も暮れ、空では星達の自己表現が始まっている。夕食の頃合いも過ぎているが未だに呼ばれない。


 今回の作戦に参加している女性は少なく、まともな料理を作れる者はカナリエだけ。一応ペテーナも居るのだが、彼女に作らせると明日の仕事に支障をきたす。結果、カナリエ一人に任せる事になっているのだから準備にも時間がかかるのは仕方がない事ではあった。


 ぐうぐう鳴る腹の音と共に溜息が出た。

 仕方ないとは言え、この罰がいつまで続くのだろうかと考える。タバコでも吸ってみたいと思ったが、元々タバコは吸わないのでその思いも一瞬で消えた。


 今回の仕事は夕方に出発し、翌日早朝に現着するタイミングになっている。急な仕事は時折あるが、オフの日に入る仕事は参加者が少ない。オルホエイ船堀商会の男達は、基本大食いで酒好きである。その為、オフ日から二、三日は二日酔いで動けないなんて事は日常だった。いつ死ぬか分からない仕事なのだから好きな事はとことんやる。そんな考えが多いのは必然だった。貰ったお金をどう使おうが個人の自由なのだ。

 ザッカ自身も普段は似たような生活をしている。しかしザッカは仕事があれば基本的には進んで参加する。少しでも金がほしいからだ。


――散乱した戦闘艇の回収っすか。今回の仕事はあまり金になりそうも無いっすね。でも、シップの塗装代稼がなきゃならないし、少しでも足しになればいいっすかね。


 ザッカは右手の小指にはまる指輪を見つめながら、生活費、酒代、そして趣味の費用の事を考え、また溜息をついた。金なんてどれだけあっても足りないといつも思う。


「ま、考えたって仕方ないっすかね。稼げばいいだけの話っす。それよりもあのロクセって人は何者なんすかねー。生きてるとかってあり得ないっすよ。本当」


 どう付き合っていけばいいのか分からない。というのがザッカの気持ちだった。話し方も業務的で無表情。何を考えているのかも謎。それこそ、酒好きで仲間と一緒に飲める様な人間なのであれば扱い方も分かるし仲間意識も芽生える。しかし、一度酒に誘った時は丁寧に断られ、話かけても必要最小限の答えしか返ってこないのだ。一言多いとも言われるコミュニケーションを使って他人との距離を詰めるザッカにとっては、この上なく難しい人物と言えた。ダニルとよく似ているとも思っているが、ダニルの方がまだ付き合いも良い。


「まぁ、古代人だし色んなのが居るって事……っすかね。それに見つかってまだ数日っすからね。これからどうなるかって所っすかね」

 性格的にあまり深く考えないザッカは「さて」と言いながら立ち上がった。

「戻って軽く酒飲んで早く寝るっす。その前に飯っすけど」

 ザッカは歩きながら、ふと景色に目線を向けた。


 ゴロホル山脈が北から南へ伸びていて、大陸を真っ二つにしている。雲が多少低くある時には、それを簡単に突き破る程の高さがあるのだから、見るからに地上の壁だ。ただ今日は雲も無く、その山脈の天辺がよく見える。

 ザッカにとっては見慣れた景色に何を思う訳でも無く、その無意識に向けた視線をまた無意識に甲板出口に戻す。


 しかしその瞬間、瞳の端に光が見えた。


 思わずザッカは視線を戻し、その小さく光る何かを見つめた。

 その点の光は他の物より幾ばくか明るい気がした。そして高速で動いていた。

 煌めき始めた星達に混じってはいるが、やはりその点光だけは異常な動きだった。


「え!? アレって!?」

 ザッカはライフラインに体当たりしそうな勢いで走り、手すりに掴まって止まった。そして目を凝らす。

 光はゴロホル山脈の更に向こう側に向かって、その存在感を示している。距離的にはかなり遠いのだが十分確認できる。

「遺物船っすよね? アレ」

 直ぐに光は山脈に遮られ見えなくなった。見えてた時間はほんの数秒。

 ザッカは「マジっすか」と呟き、ライフラインを握る力を抜いた。


「落ちてくる瞬間なんて始めて見たっす。あの距離で見えるって……結構なサイズなんじゃ?」

 首都グレホープの遺物船観測塔が今の落下を確認したのかどうかは分からない。適当な仕事しかしない奴らなのだから、見過ごしている可能性の方が高い。そしてこの近くに街は無い。近郊に何処かの商会が滞在していて、ザッカと同じく偶然落ちる瞬間を見ていない限りは誰も気づいていないと思える。


「甲板掃除、やってて良かったっす。払いはまだだけど輸送艇も良い金になるし、そしてまた遺物船発見とか……ここんとこラッキー続きっすね」

 ザッカはニヤリと気持ち悪い笑顔を浮かべた。

「おっと、早く船長に報告っす!」

 そして遺物船が落ちたであろう方向を再度確かめ、急ぎ船内へ戻って行った。





 ロクセという男は、やっぱり不思議な人だとアズリは思う。

 とは言っても独特の空気が、逆に妙な安心感を与えてくれる。ある意味これこそが、ロクセの持つ雰囲気なのかもしれない。


 急に黙り込んだロクセを少し心配したが、そのままアズリは料理を済ませた。ベルおばさんとマツリ、そして自分の分もついでにと思い多目に作ったスープを小鍋に移した。

「温かいうちに食べてくださいね」と声をかけても空返事をするばかりだった。そして更に一言二言言葉を残し、ロクセの家を後にするともう外は夜だった。


 部屋も狭く居候の身ではあるが、とても住み心地の良い我が家に足早に戻ると、ベルとマツリがリビング兼台所でお茶を飲んでいた。その姿を見て、この家の住み心地の良さは優しいベルが居てくれる事と、そして妹のマツリがいつでも自分を見つめてくれている事に起因しているのだろうとアズリは思った。


 少し気分が良くなったであろうマツリは「おかえり」と声をかけ笑顔を向けてきた。ただ、その笑顔は少し気丈に作ったものだとアズリは感じ取った。やはり今夜あたりに一度薬を打った方がいいのかもしれない。

 ともかく、今はお腹が空く時間。むしろ少し遅い夕食。貰ってきたスープとベルの作り置き料理をパンと一緒に食べる事にした。


 談笑をしながらいつもの様に食事をし、食後のお茶を飲みながらまた談笑をする。その話の中には報告の意味を込めて仕事での出来事もネタとして混ざっている。当然ロクセが古代人である事は伏せてだが。

 ひとしきり会話を楽しんだ後は、ベルと明日の花屋の配達内容を確認し、マツリと二人でシャワーを浴びて就寝する事にした。


「気分は?」

 部屋に戻って、足の包帯を巻き直したマツリはベッドに横になっている。アズリの手を握りながら「今朝よりは良いから大丈夫」と返して来た。

「そう、でも薬打っておこう。やっぱり不安だから」

 言ってアズリは腰掛けていたベッドから立とうとしたが、マツリは手を離そうとしない。


「いい。大丈夫。本当に今落ち着いてるから」

「薬……勿体無いとか思ってる?」

 聞かれてマツリは口を噤んだ。遠慮がちに薬を使う彼女の姿をいつも見ている。噤んだ口がその答えを示していた。


「気を使ってくれてありがとう。でも気にしないで。ちゃんと薬使わなきゃ、進行しちゃう」

「……高価だもん」

「え?」

「お姉ちゃんが危ない目にあいながら仕事して、全部薬のお金に消えちゃって……。だからいいの。我慢出来る時は我慢する。自分の体は自分が一番分かるから」

 言ってマツリは握ったアズリの手を顔に引き付け力を込めた。


 数日したらロクセの乗っていた輸送艇で得た給料も入って来る。多少は先の余裕もあるのだから今日は薬を使っておいてもいいと思う。でも、マツリがかたくなに断るのだから無理強いも良くない。

「分かった。でも辛かったら言って。直ぐに打つから」

「うん。……ごめん」

 言って、アズリの手を頬に押し付けながらギュッと目を閉じた。


 アズリは空いてる手で妹の髪を撫でた。

 気持ち良さそうにしている妹を見ながらアズリは、はたと気がつく。

「そうだ。マツリにプレゼントがあるの」

「え?」

「仕事で貰ったの。きっと気に入る」

「お人形?」

「ううん。違う。ちょっと待ってて」

 アズリが立ち上がろうとすると、マツリは握る手を離した。

 狭い部屋なので小幅で二歩も歩けば荷物に手が届く。

 アズリは自分の鞄の中をまさぐり、髪留めを取り出した。


「これ、特別に貰ったの。マツリに似合うと思って」

 ベッドに横になっていたマツリは体を起こし、黒ずんだ両手で受け取った。寝ながら受け取るのではなく、わざわざ体を起こす辺り、彼女の行儀の良さが伺える。

 手の平に乗った美しい髪留めを見てマツリはギョッと目を見張った。


「これ……こんなの……私なんかが持ってちゃ不釣り合い」

「そんな事ない」

「お、お金に変えた方が……」

 マツリは恐る恐る見上げる様にアズリに目線を送った。

「ダメ。そんな事しない。いいのお金の事は気にしなくて」

 アズリはスッと手を伸ばし、少し震えるマツリの手から髪留めを取った。

「後ろ向いて」

 一瞬戸惑いを見せたマツリだが、言われるまま後ろを向いた。


 アズリはベッド横にある小さな棚から櫛を取り、妹の髪を整える。終わると頭頂部辺りの髪を後ろで結び、両サイドの髪を三つ編みにした。両方の三つ編みを後頭部で交差させ、片方はピンで止め、もう片方は貰った髪留めで止めた。三つ編みが可愛いハーフアップの形だ。

「見て。やっぱり似合う」

 大きめの手鏡を向け、マツリに見せた。

 左耳の上に付けた髪留めが彼女のほんのり茶色がかった黒髪によく映える。


「少し進行しちゃったからね。でもこれなら目立たない。みんなこっちに目がいくもの」

 左耳周辺から頬の一部まで染みの様に薄黒く侵食し始めたマツリの病気。その部分を不自然に隠すより、綺麗な髪飾りで飾った方がいい。

「……綺麗」

 マツリは髪留めに手を添え、静かに呟いた。

「でしょう? 売るなんて勿体無い。大事に使ってあげて」

 今度は素直に「うん」と頷いたマツリはアズリの胸に抱きついた。


 背中に回った妹の腕は力強く自分を抱きしめ、胸にグッと顔を押し付ける。

 泣いているのだろうと思った。

 優しく妹の頭を撫でる。


――いつもは元気に振る舞うけど、やっぱり泣き虫ね。って人の事いえないか。私達二人、本当、泣いてばかりいる。


「この髪型、一人じゃ大変だから簡単に出来る髪型も教えるね」

 言うと、掠れた声で「うん。ありがとう」とマツリは答えた。スンスンと鼻を啜る音を聴きながら、アズリは愛しさを込めて優しく妹を抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る