満天の星【11】

 キュキュっと小さな鳴き声を上げながら数匹の小動物が道端を走り去る。下水に住まい、そこに湧き続ける数多の虫を食べ、時には地上に顔を出し残飯を漁る小動物。どれだけの菌と寄生虫を持っているかも分からない。飢えに苦しんだとしても決して誰も手に取らない。

 そんな生物が、我が物顔で走り回る汚い道をオルホエイは歩いていた。


 オイルの臭い。下水から湧き出る糞尿の臭い。様々な匂いが交じり合い、慣れない者には不快でしかない。だが、下級市民街の中央に位置するこの場所はまだマシな方でもある。もっと奥へ進めば、そこに住む人々に同情しか向ける事が出来ない現実がある。


 数メートルおきに座り込む者達は、糧を得る為の皿や空き缶を地面に置き、慈悲を請う。

 全てを相手にしていたらキリがない。しかしオルホエイは、この道を歩く度、できる限りそれに答えた。

 やせ細り、もう自分では働く事も出来ない者。そして老人。そういった者達には一日分の糧となり得る小銭を恵む。自分がちっぽけな慈悲を与えた事で何が変わる訳でもなく、一時の自己満足にすぎない事も分かっている。全てを救う事なんで出来やしない。


――数年前に比べたら随分減ったが……最奥は変わらんのだろうな。


 オルホエイは目的の場所へ向かいつつ、道すがら小銭を与え続けた。

「……お前さんだけだ」

 不意に声をかけられ立ち止まる。 

 髭も髪も何年切っていないのか分からなく、それに隠れ、表情すら分からない老人だった。

「歩く度……いつも恵んでくださるのは……」

「そうか」

 ぶっきらぼうに答えると、老人は顔を上げた。

「こんな老いぼれにどうして……?」

「しらん」

 老人は錆びだらけの缶に入った小銭を抄う様に手に取り、ぎゅっと握りしめる。

「また明日も……生きられる」

「そうか。……くたばるなよ」

 オルホエイの返事を聞くと、老人は再度俯き、胡坐をかいた自分の骨だらけの足を見つめた。

 去り際「ありがとう」と老人の口からこぼれた言葉を受け取って、オルホエイは足を進めた。


 鉄の扉を開けて細い通路を右へ進む。通路灯は殆ど切れかかり薄暗い。僅かな光に寄ってきた虫が飛び回り、羽音が通路に響いている。

 オルホエイは慣れた歩みで通路を進み、目的の場所に着く。そこには鉄で出来た張りぼての壁に不釣り合いな木の扉があった。

 金メッキのノブを掴み扉を開けるとカランとベルが鳴る。

「あら、いらっしゃい」

 入って右中央のカウンターから声がかかるとオルホエイは「ああ、いつもの頼む」と言いながら店の奥へと迷わず歩いて行った。


 店の隅にある丸テーブル。いつもその場所にオルホエイは座る。空いてない場合はカウンターに座るが、常連客はその席がオルホエイのお気に入りだと認識している為誰も座らない。

 背もたれに体を預け、店の雰囲気を味わう。

 天井の淡い照明が、木を基調とした店内を優しく灯し、緩やかな空気を作っている。一枚板のカウンターとテーブル達はウレタンニスが綺麗に塗られ美しい。間接照明に見つめられたバックバーには多様の酒瓶とグラスが飾ってあり、既に出来上がってグラス片手に突っ伏して寝ている客が、カウンターを含めた一つの絵になっている様で、これもまた良い雰囲気を感じさせる。


 オルホエイにとって、この店は隠れ家的バーである。どんな感性があればこの雰囲気を作りだせるのか。この店のオーナーのセンスには感服するしかない。

 こういった店は上級市民街では珍しくない。しかし、中級市民街では一部の場所でしかお目にかかれない。にもかかわらず、どうして下級市民街のど真ん中に存在するのか。逆に怖くて理由なんて誰も聞けない。そして酒瓶の種類。小さなラベルの酒瓶ばかりだが、殆ど上級市民しか口にしない豪奢なラベル付きの酒瓶も驚く程に揃っている。裏から仕入れるのは知っていても、どれだけ金がかかるのか分からない位その種類は豊富にある。


 オルホエイがバックバーの酒達をぼーっと眺めていると「おまたせ。どーぞ」と言いながら、この店のオーナーが安ウイスキー入りのロックグラスを置いた。


「ん?ああ」

 そう言ってオルホエイは一口喉を通す。

「見つめちゃって……たまにはラベルのお酒、飲みたくなった?」

「リンダのおごりなら飲む」

「いいわよ。でも私はお返し期待しちゃうかも。満足させてね?」

「……冗談だ。俺はこの安酒でいい」

 言ってオルホエイが逃げる様にグラスに口をつけると「あら、残念ね」と言いながらリンダは本当に残念そうな顔をした。


 名もなきバー。この店には店名が無い。いつ開店したかも分からないし、この店を知る者も多くはない。リンダと名乗るオーナーが一人で経営している為、『リンダの店』と客からは呼ばれている。

「それにしても、こんな時間に来るなんて珍しいわね」

 リンダは小さなトレイを抱えたまま尋ねた。

「ちょっとな。待ち合わせだ」

「あら? そうなの? うーん。長くかかりそう?」

「なんでだ?」

「今日はもう店仕舞いしようかなと思ってた所なの。もうカウンターのお客さんしか居なかったし」

「今は俺も居るだろう。それに客が居ないのはいつもの事だろう?」

「へー。言うわね。なら繁盛させましょうか? その方がいいならそうするわよ?」

「繁盛だ? ふんっ。この店はこの程度が合ってる」

「素直じゃないわね」

 一連の流れはいつもの事。相変わらずの会話に空気が和む。


 一口飲んでオルホエイは「まぁ、二、三杯で済ます。すまんな」と言ってまたグラスに口をつけた。

「そ。分かったわ。こっちこそごめんね。昼間忙しくて。寝てないのよ」

 リンダはそう言って、欠伸をする真似をする。

「ああ。だからか。ソレが目立つのも」

 オルホエイが薄ら笑いを含めながら言うと「なにが?」とリンダが返した。

 その返しを聞き、自分の顎に指を当てながらオルホエイは答えた。

「リンダ。髭が伸びてるぞ」と。




 一杯目が終わり、二杯目のグラスに口をつける。

 カウンターに目を向けるとリンダが未だに手鏡とにらめっこしていた。

 髭を指摘した後「うっそ! やだー! もーう!」とドスの効いた悲鳴を響かせ、寝ていた客が飛び起きて帰った後もカウンター奥で「これだから嫌なのよ髭は! 抜いても抜いても生えてくる」等と独り言ちていた。

 どんなに厚化粧をしても、綺麗な服で着飾っても、男の骨格は隠せない。そもそも、顔自体男のソレである。


 オルホエイは、せっかくセンスの良い店を持っているのだから、普通の恰好をすればいいのにと思うが、人それぞれ個性があるのだから、そういうものだと思って割り切っている。見慣れたといってもいいが、リンダ自体が妙に違和感なく存在している為、少なくともこの店に通う者は受け入れている。

 時折聞くドスの効いたリンダの声は酒のつまみには丁度いい。オルホエイは指で髭を懸命に抜こうとするリンダを見て不覚にも軽い笑みをこぼした。


 そんな折、カランと入り口のドアが開いた。

 我が物顔で入ってくる男にリンダは「いらっしゃい」と声をかける。男は「おお。いつもの頼む」とオルホエイと同じセリフを言いながら店の奥までズカズカと歩いてきた。

「待たせたな」

「ああ、構わない。呼び出したのはこっちだ。とりあえず座れ、肉屋」

 肉屋、否、カテガレートは言われるまでもなく勢いよく椅子に座る。

「とうに日付も変わった時間だしな、俺は一杯でいい。サクッと終わらせよう。で? 何だ?」

 そう言ってカテガレートは足と腕を組む。


 カテガレートは若干せっかちな性格をしている。彼のペースに追いつかず後手後手になってしまう下っ端達が叱咤される場面はよく見る。今日もまた、急かす様なセリフを吐くあたり、なかなかその性格は治らないらしい。

 とはいえ、そんな事は長い付き合いのオルホエイにとって些細な事。彼のペースに合わせ、オルホエイは即、本題に入った。

「先日の作戦でな、追加で輸送艇を見つけただろう? その件だ」

 グラスから手を放し、話始めるオルホエイを見て、カテガレートの雰囲気が変わる。

「……良い話じゃなさそうだな。良い稼ぎになったのかと思ってたが違うのか?」

「ああ。まぁ儲けた事は儲けたが……少し厄介でな。口止めする為にお前を呼んだ」

 長い付き合いの二人は、お互いに表情や声色を見るだけで様々な察しがつく。

 オルホエイは少し身を乗り出したカテガレートに感謝しつつ事の経緯を話した。




 カテガレートの一杯目のグラスが空になり、気を使ったオルホエイが二杯目を頼む。一杯だけと言っていたカテガレートは断りもせず、礼もせず、真面目に話を聞いていた。

「……成る程な」

 言って二杯目のグラスに手をつけた。軽く一口飲んだ後「また厄介なもん拾っちまったな」と言葉を続けた。

 返す言葉も無く、オルホエイもいつの間にか三杯目になったグラスに手をつける。

「……まぁしかし、バレなきゃいいだけの事だ。お前ん所でこき使ってやるといい」

「すまんな」

「気にすんな。あの一帯は既に狩ってるからな。狩済みのポイントとして認識される。少なくとも狩猟商会は近づかん。行くだけ無駄だからな。それに崩れた洞窟なんてそうそう見つかるもんじゃねー。仮にお前らの同業にあの放置した船が見つかったとしても、まぁ中身が無い事に多少は疑問を抱くだろうが、金になるんだ、喜んで解体するだろうよ」

「そうか」

「ウチの奴らにも、輸送艇に関しては見なかった事にしろと言っておく。アイツらは口が固い。心配すんな」


 オルホエイは感謝を込めて再度「すまん」と言った。

「ここはお前の奢りな」とグラスを差し出すカテガレートにカンッとグラスを当てる。

 現状を知る人物がカテガレートで良かったとオルホエイは思う。酒を飲みながら状況を説明しただけで理解を示し、それに素直に協力してくれる人物なんてそうは居ない。

「おう、そうだ。俺からもお前に話す事があった」

 カテガレートは、今思い出したと言わんばかりの態度で大仰に言った。

「なんだ?」

「落ち込んでるお前には丁度いい話さ」

「別に落ち込んでなんかいねーよ」

 オルホエイが「だからなんだ? 早く言え」と言葉を続けると、カテガレートは足を組みなおした。


「ガモニルル討伐の時な、ウチらの面子は少なかっただろう? 別の案件に送ってた奴らも居たからなのは知ってるよな?」

「ああ。知ってる。だから俺らも作戦に参加した訳だが」

「おう。そいつらな、仕事の帰りにバラバラになった遺物船の残骸を見つけて来やがった」

「ほう」

「戦闘艇みたいだが、まだ誰にも言ってねぇ。どうだ? 回収するか?」

 船掘商会と狩猟商会が持ちつ持たれつで関係を保つのは、こういった情報があるからこそ。お互いが仕事中に得た情報は共有する。先日のガモニルル討伐の件に関しても、船掘商会側から情報があったからこそ、狩猟商会は利益を得る事ができたのだ。今回の情報はその礼も兼ねているのだろう。


「場所は? 遠いのか?」

「いや然程遠くない。ゴロホル大森林の南東だ。あの一帯は下位ランクの船堀商会がよく行く場所でもあるからな。放っておいたら見つけられるぞ。早いもん勝ちだ。」

「落ちて間もないのか?」

「ああ、落ちてそう経ってないみたいだな」

「観測塔は?」

「観測塔の情報には上がっていない」

 先日の作戦では怪我人を多数だした。それ故に長めのオフ日を設けたのだが、この情報を捨て置く事も出来ない。売上は取れる時に取らないと、ランク維持もままならないからだ。


――売り上げになるのなら致し方ない……か。無傷の船員数名……では足りないな。軽傷だった奴らも参加できるならさせよう。


 オルホエイは残りの酒をあおり、カウンターに向かって「もう一杯づつ頼む」と言った。

 リンダは「二、三杯って言ったじゃない。嘘つきね」と文句を言いつつもボトルの栓を開ける。

 オルホエイは「これで最後にする。すまんな」と言ってカテガレートの方へ向き直す。

「で? どうする?」

 答えは決まっている。 

「俺たちが回収しよう」

 断る訳がない事を知っている返答の催促に、オルホエイはそう答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る