満天の星【3】

 ドタバタと船内を歩く足音が聞こえる。

 起きるか起きないかの微妙な心地よさが残る微睡に、アズリは意識を泳がせていた。


――ザッカの足音ね。相変わらずうるさいなぁ


 普段は早起きのアズリだが、今日はどうしても起きる事が出来なかった。

 足音で一瞬起きかけたが、再度意識が飛んでいく。しかし「ちょっとアズ。起きなさいよ。ねぇ」と、体を揺すりながら浴びせられた声に体はビクリと反応し、意識は飛ぶ事を止めた。

「はっ。ごめんっ。何時? 」

 言いながらアズリは声をかけてくれた少女の顔を見た。

 その少女は少し呆れた声で「時間は大丈夫。まだ余裕はあるよ」と答え、時計を指差した。


「朝食の担当、今日は私達なんだからね。アズは船長と出かけるんでしょ? 早く作らなきゃ」

「そうだった。起こしてくれてありがとレティー」

 アズリとほぼ同時期に雇用され、尚且つ同室であるレティーアは「気にしないで」と言いながら屈んでいた腰を起こし背伸びをした。

 アズリも上半身を起こすと、窓から漏れる陽光が瞳に入り軽い刺激を感じた。

 そのまま目を擦りベッドから降りる。少し怠さが残るが、軽く背筋を伸ばすだけでそれも気にならなくなった。


「ねぇ、昨日のさ、古代人? どんな人だったの? 男? 女? 私詳しく聞いてないし」

 寝巻き用として使っている少しくたびれたシャツのボタンを外しながらレティーアが聞いてきた。

「どんな人って……。うーん、歳は三十歳前後くらいに見えて結構がっちりした身体の男の人かな。最初に船長と話してる時の感じでは、真面目そうな人……って印象だった。遺物船の中で会った時は怖くて逃げ出しちゃったから、少し悪い事したなぁって思ってるけどね」

「ふーん。男の人ね……。昨夜の船長の話だと、その人をウチの商会に入れるって感じだったけど? マジ?」

「どうなんだろう。多分そうなると思うけど、話してみないと分からないと思う」

「そっか。でも。男か……。その人がウチに入るなら、更にむさ苦しさが増す様な気がするわ」

 レティーアは心底嫌そうな顔をしながら、七部丈のフワリとしたパンツを脱いでベットの上へ投げ捨てた。


 長年使っているかであろうレティーアの寝巻きは、くたびれてはいるが上下共に可愛らしい。黄色の布地にワンポイントで付いたブルーのリボンがよく目立つ。勿論、今着ている下着もピンク地に小さなリボンが付いてシンプルなのに可愛らしい。

 それに比べてアズリの寝巻きは裾がヨレヨレになったキャミソールと、足首で止めてあるモッコリしたパンツだ。下着だって上下真っ白でゴムも若干伸びている。

 アズリはレティーアの下着姿を見て、小さな溜息を吐きながら「せめて下着だけでも新しいの買わなきゃ」と呟いた。


 アズリもレティーアもいつもの日常の如く朝の身だしなみを整え始めた。違った事と言えば手早く支度を済ませる為に今日は寝巻きを畳まない事くらい。

「アズリ。俺も行く事になったから、よろしく……」

 いきなりだった。

 ガチャリと勢いよくアズリとレティーアの居る二人部屋の扉が開かれると、そこからザッカが顔を出した。


 アズリは丁度寝巻きを脱いだばかり。レティーアは仕事着を着ようとハンガーに手を伸ばした所だった。

「あ」

 と、ザッカが声をあげた瞬間、超反応でレティーアがベットの脇に置いてあった鞄を投げつけた。

「死ね! ザッカ死ね!」

 鞄はザッカの顔面に命中し、次に放ったサイドバックは閉じられた扉にぶつかって跳ねた。

「ごめん! ほんとごめん! もう着替え終わったと思ってたっす」

 と、扉の向こうからザッカの謝罪が聞こえる。

 いつもより少し起きるのが遅くなったからタイミングが悪かったのだろうとアズリは冷静に判断したが、ゴムが伸びて可愛らしさのカケラもない下着を見られた事に気づくと一気に恥ずかしさが表に出た。


「これで何度目だと思ってるのッ? 女の子の部屋勝手に開けるなって何度言ったらわかるのよッ」

「いや、ほんとごめんって」

「うるさい! もう死ね! アマ姐様に言いつけてやるからね! 覚悟してなさいよ」

「それだけはマジ勘弁ッ。あの人怒ると洒落にならないくらい怖いっすから」

「ほんとうっさい! もうあっち行って!」

 二人の問答の最中、アズリは一人顔を赤くしながら静かに仕事着を引っ張り出し、そそくさと着替え始めた。





 今日の朝食はベモという鳥の卵で作ったスクランブルエッグと、長期保存に適した硬いパン。遠い昔から親しまれているとか何とか言われるジャガイモと言う名前の野菜と、エリマイラの腿肉のスープだ。スープには少しバターを溶かしてある。

 コクと香り付けのバターはアズリ考案で、船員皆んなにとても好評なのが少し誇らしい。

 料理はいつもの朝食の時間になんとか間に合った。時間通りに続々と船員が集まって来て、待ってましたとばかりに各々取り皿を持って並んでいる。

 厨房前の長テーブルには出来立ての料理がそのまま置いてあり各々取り分けて行くのだが、スープの鍋にだけはレティーアが付いてよそっている。肉だけが無くなる事態を防ぐ為、女性陣で決めたシステムである。


 アズリは料理に使った道具を洗った後、レティーアには申し訳ないと思いつつも船長との用事がある為、一足先に朝食を取る事にした。

 アズリの目の前にはカナリエとアマネルが揃って座り、アズリの隣にはルリンが座っている。

 食堂には大勢で座れる食事用の長テーブルと、少人数用の丸テーブルが二つある。他にもソファーテーブルが二つあるが、そこは基本的にお酒を飲む時に使っている。

 今アズリが座っているのは丸テーブルの方。何故だか知らないが、丸テーブルは女性陣専用という雰囲気が確立しており、二つとも女性だけで埋まってしまう。もう一方の丸テーブルにはすでに女性が二人座っていて、後からレティーアが座る事になっていた。ペテーナだけは一人で医務室で食べている。食事は静かに行いたい主義らしく滅多に食堂では食べない。


「アズリごめんね。ザッカ叱っておいたから」

 アマネルがホス茶を一口啜り、カップを持ったまま話しかけてきた。

「いえ、別に……大丈夫です」とアズリが答えると、

「大丈夫じゃないわ。着替えを覗くなんて、というか女性の部屋を勝手に開ける事自体問題よ。怒られて当然」と会話に割り込む様にカナリエが返してきた。

 アズリは「あ、はい、そうですよね」と言いながら、カナリエ達の後ろにある長テーブルで食事をしているザッカを見ると一瞬目が合った。こちらの会話が聴こえているのだろうザッカは、バツが悪そうな表情で目を逸らした。顔色も何となく悪い気がする。相当、アマネルに絞られたのだと思えた。


「もうこれで五度目ね。何度言ったら分かるのかしら。取り敢えず数日間の甲板掃除を与えておいたわ」

 とアマネルが言うと「自業自得ぅ。って五回も同じ事繰り返すザッカはやっぱりお馬鹿」とルリンが笑いながら言った。


 アマネルがザッカに課した甲板掃除。これは非常に辛い仕事である。

 探索兼運搬用の小型船、運搬は出来ないが高速移動が出来る探索小型船の二艇が離着陸出来る程の広さがある甲板。デッキブラシで数人がかりで行う掃除を一人でやれというのだ。少なくとも半日はかかる。


――私のゴム伸び下着を見ちゃっただけなのに……可哀想。


 アズリは下着を見られた程度で恥ずかしいとは思わない。今回はヨレヨレな下着を見られた事に関して恥ずかしさを覚えたが、裸を見られた訳でも無いのにどうしてそんなに女性の誰しもが恥ずかしがるのかあまり理解出来なかった。


 そういった面でアズリは少しズレている節があるのだが、本人は勿論この事も理解していない。アズリのズレを理解しているのは周囲だけである。

 以前レティーアに「アズは本当バカが付く位に真面目だけど、天然っぷりが時折見えるから私は好きよ」と言われた事があるが、バカというフレーズだけに反応し、レティーアの中では褒め言葉である事に気がつかない事もあった。しかし、そんな事はもうアズリ中では記憶の彼方。殆ど忘れてしまっている。


「甲板掃除……そうね。そのくらいが丁度いいわ。それよりもあの子たち大丈夫かしら」

 とカナリエがアマネルの方を向きながら言った。

 アマネルは食べ始めたスクランブルエッグを咀嚼した後ゆっくり答えた。

「この辺りはガモニルルくらいしか人を襲う生き物は居ないし、D指定の危険区域だもの。銃も持たせてるし、大型の雌も狩り済みだから見張りは二人で十分だと思う。でも、昨夜は寝ずの番だものね。食事持って行かなきゃね」


 あの子達とは例の遺物船の見張りをしている船員だ。昨日のガモニルル討伐作戦には参加していない罠担当の面子の中で若い男が二人、船長の指示の元この任についた。一晩中見張りをしていたので勿論何も食べていない。そして、これからの古代人との交渉の際も護衛として同席する。


「アマ姐様。これ持って行ってください」

 アマネルの言葉に答える声はアズリの後ろから聞こえた。

 アズリが振り向くと、そこにはランチバックと水筒を差し出す格好で立っているレティーアがいた。

「今日の朝食と、昨夜の肉炒めを温め直して入ってます。保温箱に入ってますから渡すまで冷めません。大丈夫です」


 ザッカに対する、と言うより男性陣に対する声音とは別人とも言える可愛らしい声音でアマネルに話かけるレティーアは満面の笑み。アマネルの考えや行動を熟知しているとしか思えない行動にはいつも感服する。遺物船を見張っている二人を慮って発するであろうアマネルの台詞に合わせる様に、このバックを持って来たのだ。

「あら、ありがとうレティー。気がきくのね」


 アマネルがそう礼を言うと「当然ですよ。二人ともお腹空いてると思ってましたから」とレティーアがより一層の笑みを浮かべながら答えた。

 アマネル以外は微妙に苦笑しているが、アマネルはレティーアの笑顔に笑顔で答える。

 レティーアはバックをアマネルに渡すとスタスタと隣の丸テーブルに向かい、食事をはじめた。

 今夜部屋に戻ると「今日の私、アマ姐様好感度プラスワンねッ!」と言われた後、アマネルのいい所を延々と聞かされる自分の未来が、アズリには見えていた。

 それを想像すると少しげんなりする。しかし、


――今日は起こして貰ったし、話聞いてあげなきゃね。耳にタコだけど。


 と、受け入れる事にした。

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