取引客【3】
「ニーヤ、抑えて、抑えて」
店長がまるで馬を静めるかのように女を制する。それで女は自分が感情的になっていることに気付いたのか、一度大きく深呼吸してから口を開いた。
「そんな簡単な話で済んだなら苦労はしないさ」
「そうだね。メイドを雇えばなんて、お坊ちゃんのエドワードだから言えることだし、それに……ニーヤが仕事をしないのは昔忙しすぎた反動でもあるだろうし」
そこでやっとエドワードは自分が二重の失態を犯したことに気が付いた。エドワードの思う普通の生活と世間一般でいう普通の生活とは違うのだ。そのことをこの店で働き始めて知ったのではなかったか。
「すみません」
エドワードはふるふると頭を振ることで恥じる思いを振り払い、謝罪を口にした。間違いを犯せば、それを悔い改め、次に生かせば良い。それもエドワードがこの店で学んだことの一つだ。
素直なエドワードの反応に店長が頬笑みを返す。女も興味深そうにエドワードを見ていた。
そこでエドワードは改めて女に意識を向けた。店長の話を聞く限りでは、彼女には仕事がないのではなく、本当に仕事をする気がなかったのだ。それでいてお腹を空かせて八つ当たりしているようでは、店長が彼女に「仕事をしろ」と言うのも頷ける。勝手に彼女の大切な物を売ってしまったのはいただけないが、自業自得の観も否めない。
エドワードが困ったように眉を寄せたのを見て、
「ともかくだ、俺の仕事の事は置いておいて、速やかな品物の回収、返品を要求する」
と鼻息荒く女は言った。
「そんなこと言われても、日暮れにはアリーが来るし、俺は店を離れられないからなぁ……」
そう言いつつ、店長の目がエドワードに向く。悲しいことに、エドワードには次に続く言葉が予想できてしまった。
「エドワード、ニーヤと一緒に行ってくれるかい?」
もちろん、エドワードに拒否権なんてあるはずがない。それに、先程の発言に対する引け目もあった。エドワードが素直に頷くと、
「なかなか、物わかりの良い店員じゃないか」
と女がエドワードの背中を力強く叩く。エドワードは、背中を摩りながら、
「で、店長、売った相手の事はご存じなんですか?」
と店長を見やった。
「それが、よく知らないんだ。茶色の背広を着た中年男ってだけで、他の事はあんまり知られたそうじゃなかったから……」
「それって、もしかして、ロイドさんのことですか?」
「名前を知っているってことは、エドワードの知り合い?」
「先程、店から出て行った男の人がそうなら、ある意味知り合いです。と、言っても〝母の〟ですが」
エドワードは車に乗って去っていった男の姿を思い浮かべながら言った。
「ふーん、道理で身なりがよいと思った。でも、エドワードの知り合いなら、貴族階級の出だろう?」
「はい、確かそうだったと思います。郊外の大きな屋敷に住んでいたはずですから」
「――だってさ、ニーヤ。郊外だと、馬車で行った方が早いかな?」
店長の言葉に、女は顔を青くしてうろたえた。
「俺は嫌だぞ。あんな狭っくるしいところに押し込められて運ばれるのは」
心底嫌そうな、その様子を見て、店長は「彼女は狭所恐怖症なんだ」とエドワードに耳打ちした。忙しすぎたために仕事嫌いになったり、狭所恐怖症だったりと、彼女にはトラウマが多いらしい。
だが、市街地から郊外までは結構な距離があり、馬車を使わず行こうとするなら、日が暮れてしまうのはわかりきったことであった。
遅くなれば家人や家族が心配する。どうしたものか――とエドワードが悩みかけたその時、ベルの音と共に、今から訪ねようとしたはずの男が店に姿を現した。男はエドワードとニーヤには目もくれず、その横を通り過ぎた。それがさも当然であるかのように、丸テーブルの傍らに立つ店長の前まで足音を響かせてやって来ると、羊皮紙に包まれた品物を突き出した。
その途端、隣に立った女の気配が変わったのを、エドワードは感じた。見れば、自分達に背を向けるようにして店長と向かい合うその男をじっと睨んでいる。
それに気付かないのか、鈍感な男は苛立たしげに口を開いた。
「どういうことだ?」
「どういうことだ、と言いますと?」
聞きようによってはとぼけているような言い方で、店長が返す。それが気に障ったのか、男は手にしていた品物をテーブルに叩きつけた。羊皮紙特有のざわめきに近い音を立てて、包みの中から、品物がテーブルの上に飛び散った。
一つは、よくわからない言語が表紙に書かれている本。そして、もう一つは鈍い音を立ててテーブルの下へ落ちていった。エドワードからは見えない位置だが、音からしてどうも金属製の物らしい。
「とぼけるのか! 偽物を掴ませただろう? 車内で使ってみたが何も起こらなかったぞ!」
怒りに任せて言い募る男に、冷やかな目を向けて、
「車の中でお使いになったのですか? あれほど、広い場所でと念を押しましたのに」
と店長は言った。
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