取引客【4】


 その目が気に障ったのか、


「――いんちき業者の分際で!」


 と顔を真っ赤にして、男が捲し立てる。店長はそんな男を気にかけず、テーブルの上に放り出されたままの本を手に取った。そのまま、ぱらぱらとページを捲り、目を走らせる。そして、あるページで手を止め、顔を上げた。


「ニーヤ、やっぱり名前が書かれているよ。どうする?」


「貸せ!」


 店長の問い掛けに女は短く言う。すると、店長の手にしていたはずの本が女の手の中にあった。ぽんっとまるで手品のように、エドワードが瞬きをする一瞬のうちに本が移動していたのだ。


 エドワードは驚きに声も出せず、ぽかんと口を開けて店長と女を交互に見た。だが、男の方は、店長と女のその一連の動きに、より一層顔を赤くして目を吊り上げている。


「手品を見せて、気を引こうと思ったのだろうが、そうは行かん。品物は返品する! 支払った額はきっちり耳を揃えて返してもらうからな!」


 男のその宣言を聞いて、にぃいい、と口角を上げ、女が笑った。小麦色の肌の合間から見える白い歯がエドワードに一種の恐怖を抱かせた。背筋を走った悪寒にエドワードは身震いをする。


 男の宣言に返答するように、


「その宣言確かに聞きいれた」


 と女が言った。


 その瞬間――


 女が手にしていた本がまるで雷が走ったかのように一瞬光り、男の頭上からひらりひらりと一枚の紙が降って来た。それは紙幣大の長方形の紙で、男は腕を伸ばし、素早くその紙を引っ掴んだ。


「あーあ、折角の臨時収入だったのに……」


 店長の残念そうな呟きが、エドワードの耳に入る。その呟きに、あれは男が支払いに使った小切手なのだと、エドワードは悟った。その証拠に、店長のその呟きを聞いた男は、店長を一睨みした後、その紙を大事そうに背広の内ポケットに仕舞い、もう用は済んだとばかりに踵を返してしまう。


 だが、意外なことに男の前に女が立ち塞がった。


「何だ。もうこちらに用はないぞ」


 眉間に皺を寄せ、男が女を睨む。女の身長が高いため、男は彼女を見上げる形になる。


「直に済む」


 女は男の言葉を無視して、その身を屈めた。


 ちゅっ。


「なっ!」


 一部始終を見ていたエドワードは、動揺を隠せなかった。女は事も無げに、男の額に接吻を送ったのである。


「さあ、俺の用も済んだ。何処へなりとも帰るがいい」


 女は事が済むと男に道を譲った。女がドアを指差すとドアがひとりでに開く。男は女の言葉に促されるまま、ふらふらとドアの向こうに消えて行った。女の接吻に対して男が何の反応も示さないのが不思議でならなかったが、エドワードは呆気にとられたままその背中を見送ることしかできなかった。


 男の姿が消えると、ドアが再びひとりでに閉まった。その音に混じって、乾いた木を叩いたような音が店の中に響く。 


 それに続いて、


「痛っ!」 


 と店長が声をあげた。


 エドワードがはっとして声の方を見やれば、テーブルの下に膝を付いて店長が頭を擦っている。一本の支柱の先で別れた三本脚で支えられたテーブルが揺れていることから、テーブルの縁にでも頭をぶつけたのだろう。


「大丈夫ですか?」


 響いた音は軽快なものだったが、分厚いテーブル板は思った以上に固い。以前家で同じようにテーブルに頭をぶつけてたんこぶを作った記憶がエドワードにもあった。しかし、気遣うエドワードを余所に、女が情けなく頭を擦る店長を見てはんっと鼻で笑う。


「俺の本を勝手に売ろうとした報いだ。自業自得だな」


「そりゃないよ、ニーヤ。俺はこれを拾おうとしただけなのに……」


 膝を付いて低くなった顔の位置まで手を上げ、店長がその手に持った物を掲げて見せる。


それは、逆三角形を歪に潰したような形をしていた。蛇を模った持ち手、その対側にスッと上に伸びた口。エドワードはそれを本の中で目にしたことがある。


「……アラビアン・ナイト」


 エドワードが思わず呟いたのも無理はない。店長が手にしていたのは、正しくアラジンと魔法のランプを連想させるに相応しいランプだった。


「おや、エドワード、今日は鋭いね」


 ここは妖精フェアリーの尻尾テイルなのだ。どういう経緯でロイドがこのランプを求めたかは知らないが、


ジンの宿ったランプであっても不思議ではない。店長がランプを擦る。エドワードは次の瞬間を見逃しまいと大きく目を見開いた。


 だが――


「なーんてね。中にジンはいないから擦っても何も起こらないよ」


 ランプには何も変化が起こらない。店長は肩を竦め、ニーヤを見やった。


「ねえ、そうだろ、ジンニーヤー」


 と店長の確かに彼女に向かってそう言った。


「俺は狭いところが嫌いなんだよ。中にいなくて悪かったな」


 ニーヤは腕を組んで、恥かしそうに顔を逸らした。


「えっ、ってことは?」


「そう、彼女がこのランプに宿るジンニーヤー。ジンニーヤーとはつまり女性のジンってことだね」


 ジンにはもっと大きな男のイメージがあったエドワードは、ニーヤをまじまじと見た。確かに、気性が荒く怒りっぽいジンの性質を色濃く宿している。彼女がアラビアン・ナイトのジンのように人の願いを叶えるジンだとしたら、何でも屋の呼称に相応しいのも間違いなかった。


 エドワードの目をまっすぐに見詰め返し、ニーヤは口角を吊り上げた。エドワードはその目に縫いとめられたように動くことが出来ない。


「エドワード、お前の願いなら叶えてやってもいいぞ」


 ニーヤはその身を寄せて、手にしていた本をエドワードに握らせる。


「ニーヤ!」


 窘める店長を一瞥して、


「まあ、今回はあいつが煩いから止めておこう」


 とニーヤは言った。そしてパチンッ指を鳴らすと、その手の内には店長が手にしていたランプがある。


「腹も膨れた。俺は帰って寝る。本は預けておくぞ」


 そう言って彼女はエドワードの額に接吻を落とした。唇の感触が離れると同時に、彼女の姿が煙に包まれる。煙が晴れるとそこにはもうニーヤの姿はなかった。エドワードは手にした本に視線を落とす。


「エドワード、彼女との取引は君にはお勧めしないよ。報酬は高いと言っただろ? 本に名前を書いて契約したら最後、願いが叶えば彼女は人の魂の一部を食べてしまうんだからね」


 店長の忠告を耳にしてエドワードは本を取り落としそうになった。ランプが彼女の住処なら、この本は彼女との契約書であったのだ。




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