取引客【2】

「店長!」


 エドワードは、店長を助け起こそうと慌てて駆け寄るが、店長はそれを手で制す。そうして自力で上半身を起こした店長は、口の端に滲んだ血を拭い、自分を見下ろす女に向き直った。


「その短気な所直した方がよいと思うな。それとも、お腹が減ってカッカッしているだけなのかい?」


 店長の言葉に女の顔がぼっと赤くなる。それは、怒りで頭に血が上っているようでもあったし、恥ずかしさに顔を赤らめているようでもあった。そして、店の中に一瞬沈黙が生まれ、


 きゅぅ、ぐるるるるるるる。


 独特の高い音に続いて、くぐもった音が尾を引く。それが腹の音だとエドワードが気付く前に、女が自分の腹を抱えて蹲った。


 それを見て店長が、


「やっぱり、お腹が減っていたんだ」


 と言う。


 そうか、だから先程からカッカッしていたのか、とエドワードは納得する。同時に、「だから何だって言うんだ!」と女がより一層顔を赤らめて店長を睨んだ。だが、それがわかってしまうと、女からはもう先程までのような攻撃的な雰囲気は感じられない。


「最近、仕事が芳しくないらしいじゃないか?  収入もなかったんだろう?」


「…………」


 女は一瞬開きかけた口を噤んで、店長を見た。反論しようとしたが、言葉が出てこない様子だった。沈黙は肯定――店長はそう受け取ったのだろう。


「だから、俺はニーヤのためを思ってアレを売ったんだ。アレを売れば暫くは食うに困らないだろ?」


「だが、俺には何の断りもなかった……」


 収入の無くなってしまった彼女の少しでも生活の足しにしようと、店長が彼女の大切な何かを売ってしまったのが事の発端らしい。


だが、店長にとっては親切心からの好意でも、彼女の了解を得ていないのではまずいのではないか、とエドワードは思った。


「店長、今からでもソレを返してもらうことはできないんですか?」


「できないこともないけど……。どちらにしろ、ニーヤに仕事をする気になって貰わないことには始まらないかな」


 曖昧に店長が笑い、エドワードは言葉に釣られ女を見る。


「言っておくが、俺にだって客を選ぶ権利はある」


 と彼女は恨めしそうに口を尖らせた。それを聞いた店長が、紅茶を啜って眉を顰めた。先程、殴られた時に口の中を切ったのか、それとも彼女の言葉に対して思うところがあったのか微妙なところだ。


「そういうことは、普段ちゃんと仕事をしている奴が言うものじゃないのかい?」


「……アヴィーは俺が仕事をしていないと言いたいのか?」


「だって、事実だろ。ニーヤが仕事をしていたら、こんな事にはなっていなかったさ」


 店長はなんだか責任転嫁している感も否めなかったが、女の方も思うところがあったのだろう。彼女は唇を噛んで押し黙ってしまう。


 その間に、とエドワードは思考を巡らせた。よくよく見れば、彼女の肌は、色素の薄い白人と比べて日に焼けたような小麦色をしている。昔から、強制的にしろ、自主的にしろ、働き手としてこの国に来る他国の人間は多い。エドワードはさしてそのことを気にしたことはなかったし、人種差別をする気もないが、彼女の肌の色が満足な賃金を得られなかった理由になるのかもしれなかった。


 だが、そこで気になってくるのは彼女の仕事である。先程からの二人の遣り取りからは、エドワードが考え付くに至った悲観的な状況がどうも感じられない。寧ろ、見方によっては彼女の客より彼女の方が上位に立っている観すらあった。


 エドワードがその単純な疑問を口にすると、


「ニーヤは、謂わば〝何でも屋さん〟なんだ」


 と店長は言った。


「〝何でも屋〟?」


「そう、〝何でも屋〟。それこそ、家事から厄介事まで何でも引き受けてくれるよ。まあ、その分、報酬は高いけどね」


 簡単に言ってしまえば、この妖精フェアリーの尻尾テイルと根本的には同じようだ。違いがあるとすれば、客が求めるモノが『物』であるか『労力』であるかだ。だが、それはきっと大きな違いだろう。  そもそも――


「家事なんてメイドを雇えば済むことですし、厄介事にしても他人に首を突っ込んで欲しくない人だっているでしょうに……」


 素直に思ったことを口にして、エドワードは、しまった、と思った。目の前には、未だ口を噤んだ女が居る。彼女の肩は何かに耐えるように小刻みに震えており、彼女の先程の怒りようを思い出すと、エドワードは身を縮めずにはいられなかった。

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