第29話 首相辞任

「公開演説……ですか? それって、朱莉が首相へと就任して初めて行った所信表明のようなものなんですかね?」

「それと似たようなものですが今回は報道陣の前だけでなく、一般市民へと向けたものとお考えください。朱莉さんが首相就任してから、既に1ヶ月が経過していますからね。これは言わば、朱莉さんがこれまで行ってきたアイディア実績とその結果や影響について、広く国民に知らしめるための報告のようなものとなります。いわゆる施政方針演説とも呼ばれるものになります」

「なるほど……確かに色々独断もあったとはいえ、朱莉のヤツもしてきましたからね」


 俺はみやびさんから近々朱莉の実績について公開演説を開催することを告げられたのだった。

 またこれまでのような首相官邸内にある記者会見室プレスルームで行われていた、いわゆる報道陣だけを集めた報告会のようなものではなく、今度は一般国民が多く集まる目の前で演説を行いたいとの申し出であった。


 これは普段国民が主に接している情報媒体マスメディアのテレビやラジオ、それにネットニュースなどを通して伝えるよりも声を直接生で届けることができ、それと同時に朱莉の日本への想いと熱意を伝えるためだという。

 確かに画面を通してや文字のみでは、国民に朱莉の意図や想いなどがちゃんと伝わっているか判断することができないだろうし、それに首相である朱莉や俺達にとっても直接国民の声に耳を傾けることができる絶好の機会とも言えよう。


「えっ? その公開演説は建物の中じゃなくて屋外で行う予定なんですか?」

「この周辺には一度に何万人もの一般市民を受け入れることができる建物もそう多くはありませんし、それにすべてを管理することも実質的にいっても不可能と言えるでしょうから、屋外にて……というのがベストであると判断いたしました。それにアメリカなどの諸外国で国民を前にして行う演説といったら、屋外で行うことが多いですしね」


 どうやら収容人数やその管理的問題のため、その公開演説とやらは屋外の広いスペースを使って行うとのこと。

 テレビニュースで目にしたことがある広島訪問時の世界平和に対する演説のようなものなのかもしれない。


「俺に説明してるってことは、既に朱莉にも……首相にも言ってあるんですよね?」

「はい、もちろんです。朱莉さんにはお話を通してありますし、既に演説を行う際に読み上げる文面を考え、仕上げて渡してありますので……」


 どうやら俺の説明は一番最後に報告されたのかもしれない。

 もちろんそれは護衛に関するセキュリティ上の問題もあるだろうし、それに第二秘書とはいえ仕事は書類整理の事務仕事ばかりなのでそれほど重要視されてはいないのかもしれない。


 ホテルの一件以来、朱莉とは以前と違ってどこか違和感を感じるようになり、あまり話さなくなっていた。

 それは俺が朱莉の気持ちを拒絶したこともあるだろうが、本当は何を話していいのかよく分からなかったからだ。


 そして仕事に関しても俺は関係資料を集めるためだと称してこれまでの政務室ではなく、隣の会議室でするようになっていた。

 俺は朱莉と二人きりになる瞬間が怖かったのかもしれない。


 それから数日が経ったある日、朱莉の首相生命を脅かす事態がみやびさんの口から聞かされる事になった。


「首相の……朱莉のスキャンダル、ですか?」

「えぇ、そのようです。一応雑誌等々で出版する折りには事前打診というものがありますので、私どものほうで差し止めさせていただきました。そしてこちらがその記者が書いたという記事とその証拠らしき写真らしいのですが、その……」


 みやびさんは少し言いにくそうにしながらも、俺と朱莉に論より証拠とばかりにその記事をコピープリントしたものを差し出してきた。

 そこに書かれていたのは白黒カラー文字でデカデカと『朱莉首相、兄である祐樹氏(秘書官)と恋人として熱愛中か!?』などという見出しが目に入った。


 そしてその写真は、ちょうど俺達が政務を終えて滞在しているホテルに帰り、玄関口から入るところを写真に撮られてしまったらしい。

 しかも間の悪いことに、朱莉がふざけて俺の二の腕へと自分の腕を絡ませながら体を密着させて、まるで恋人同士のように振る舞ってる姿であった。


「これ……は……」

「……どうやらその反応では、お二人とも心当たりがあるようですね」


 俺にはその写真光景に見覚えがあった。

 それは朱莉と部屋でゲームをして、キスをした翌日のことだったと記憶している。


「朱莉……」

「……」


 そして思わず隣に居る朱莉へ目を向けると、何も話さずにじっとそこに写っている俺達を見つめていた。

 不安なのか、口を開く代わりに俺の右手を手に取りぎゅっと握ってくるが、その手から朱莉の震えが伝わってきていた。俺は朱莉を安心させるため言葉ではなく、右手を強く握り締めることで自分の意思を表す。


「あのみやびさん。この記事は一体どこから……いや、差し止めたんだから、もう安心してもいいんですか?」

「出所についてはこちらでも把握しており、その記者と出版社から記事として出ることについては安心しても良いかもしれませんね」

「そう……なんですか? ほっ。良かったぁ~、下手したら何かしらのペナルティとか受けるのかと思ったけど、それなら安心できるよな。なっ、朱莉?」


 そうみやびさんに言われ、俺は溜め息とともに肩から力が抜け出て、ほっと胸を撫で下ろした。

 けれども未だ握られた右手は更に強く握られてしまい、朱莉の表情も先程と変わってはいなかった。


 たぶんそのとき朱莉はみやびさんの次の言葉を察していたんだと思う。


「ですが、これはあくまでもその出版社だけです。すっぱ抜きの記事……いわゆる事前打診なく一度雑誌として世間に出されてしまえば、私と言えどもそれを止める手立てはありません。もちろん事実に反することならば、裁判所を通して出版の指し止めや雑誌の回収等もできなくはないですが、名誉の回復とまではいかずそれが議員職、ましてや首相ともなればその被害は……」


 みやびさんはそれ以上の言葉を口にするのを止めてしまう。

 だがその続きの言葉を予想するのは決して難しくはなかった。


「……首相……辞任……」


 そう隣に居る朱莉からポツリと呟かれた。


 いくら法的罰則を下すための権限を持っている首相と言えども事実に基づいたスキャンダルをされてしまえば国民からの支持率は急降下してしまい、ついにはそのプレッシャーに堪えきれなくなり唯一内閣総理大臣だけがその権利を有する伝家の宝刀である『衆議院解散』か『総辞職』をするものが一般的である。


 内閣が総辞職をすると再び内閣総理大臣を選出するための総裁選を行うことになるが、その間は前の内閣がその責務を負うことになる。そして衆議院解散は衆議院の議員を選出する通常選挙をしなければならなくなり、その中から多数の派閥議員を選出した党が第一党である『与党』と呼ばれることになる。そしてそれ以下の党または与党とは反対の立場を示す党を一般的には『野党』と呼ばれることになる。

 与党の場合には派閥として方針を固めるだけではなく法律改正や議案を通す際、示し合わせたように可決するのに必要である過半数の2/3を有することができるので当然の如く自分達の意見が通りやすくなる。また野党側も反対へと票を投じることになるのだが、過半数には届かないため意見はほぼ通らない。


 朱莉の場合にはそのいずれにも当てはまらず、議員の中から選ばれた議院内閣制でもなければ、自分の派閥を持っているわけでもない。単一の首相としてあみだくじで選ばれたため、総辞職も衆議院解散もできずにただ首相としての任を解かれ辞めるだけになる。

 もし仮に朱莉が辞任する場合には再び国民の中からあみだくじによって次の首相が選ばれ、まるで何事もなかったかのように国は回っていくことだろう。


 単一首相はその権力こそ、まるで独裁者のように扱われるが周りに味方する者が誰もおらず、常に孤独な戦いを強いられるわけである。


 もちろんスキャンダルを報道されたからと言っても内閣総辞職や衆議院解散または首相辞任をしなければならないわけでは決してないのだが、本来自分の味方のはずの与党そして野党から『内閣不信任決議』という内閣総理大臣が国会内に立ち入れないようにする権限を行使されてしまうと内閣としてはどうにも立ち行かなくなり、ついには衆議院を解散して国民へその民意を問うことになる。

 けれどもそれすらも単一首相である朱莉には当てはまらない。何故なら最初から議員投票による決議というシガラミが一切無いため、内閣不信任決議や問責決議などと言った脅しすらも朱莉には全然関係のないことなのだ。


 だから本来首相である朱莉はスキャンダルがあろうがなかろうが、辞任に追い込まれることはまず無いと言っていいだろう。

 だがしかし、国民の生活を第一に……と常に考え、念頭に置いている朱莉にとって国民の民意を得られないことは、自分の存在を否定されていると考え辞任してしまうかもしれないのだ。

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