第28話 拒絶
「さてっと。少し早いですが、今日の政務はこのあたりにしておきましょうかね」
そうみやびさんが言いつつも時間は夜の7時過ぎであり、他の企業ならば既に2時間ほどの残業をしているに等しかった。
だが一国を預かる首相にとっては早上がりに他ならない。
そうして俺と朱莉は宿泊先のホテルへと首相専用の車で送迎される。
その間にも朱莉は昼間と同じどこか上の空で窓から覗く夜景をただ眺め、何も話そうとはしなかった。
特に会話も弾まないまま、ホテルへと着き俺達はホテルの一角にある飲食店で遅い夕食を済ませると各部屋へと戻ることになったのだが、その帰り際朱莉から服を軽く引っ張られみやびさん達に聞こえぬよう小声で「あとで部屋に行くからね……」とだけ告げられた。
その声に覇気はなく、どこか暗いようにも思えたが俺は何食わぬ顔で朱莉やみやびさん達と別れると朱莉が訪ねてくるのを部屋で待つことにした。当然書類仕事などで疲れ果て、このままベッドにダイブして朝まで熟睡したい衝動に駆られもするが、朱莉のどこか寂しげとも悲しげとも取れる顔が浮かんでしまい、ただ待つことにした。
コンコン♪
どこか少し控えめのノックがされ、俺はドアを開き出迎える。
「ごめんね、お兄ちゃん。疲れているのに……」
「いや、大丈夫だ。それより今日はどうしたんだ?」
朱莉の顔を見た俺は先程まで襲っていた眠気も吹き飛び、俺達はベッドに腰掛けながらもさっそく本題へと入ることにした。
ここ数日の朱莉の行動や言動が少しおかしかったこともあり、その相談なのだと思わずにはいられない。
「うん……ただちょっとお兄ちゃんの顔が見ながら、話したかったくらい……かな?」
たぶん言いにくい相談なのだと朱莉の言葉から察することが出来た。
俺は迷いを一切顔には出さずに、明るく相談に乗ってやることにした。
「……そうか。ほら遠慮せずに何でも話していいぞ。ちゃんと聞いてやるし、頷けってんならいくらでも頷いてやる。なんせお前はこの国のトップ、首相なんだからな。それに俺にとっても大切な妹様だしな」
「……そうだよね。お兄ちゃんにとってワタシは“妹”なんだもんね」
俺が口にした言葉を反復するかのように、朱莉はそうポツリと呟いた。
「お兄ちゃんはワタシのことが、好き……なんだよね?」
「…………」
まさかここまで直接的に朱莉のほうから言われると思っていなかった俺は未だそれに対する気持ちの心の準備さえもできておらず、何も返すことができずただ突っ立ってることしかできなかった。
「数日前、ワタシが記者さんから『気になる人はいますか?』って質問されたの覚えてるよね?」
「ああ……覚えているさ」
それは数日前の夜、朱莉は報道陣に囲まれ毎日恒例のインタジュー形式の質問に答えていたときのことだった。
ある女性の記者から「朱莉首相はまだ独身だと思いますが、気になる異性はいるのですか?」と色恋の質問をされたのだった。
それはその記者にとっては何気ない質問の一つであり、本来ならば女子高生の朱莉に対する思春期的な問題を考慮しての質問だったのかもしれない。
そのとき朱莉は「首相として、今は政務を頑張りたいと考えています。だから色恋沙汰をしている余裕はありません!」とキッパリ答えたはずである。
「あのときワタシは動揺からあんな風に答えちゃったけど、本当は気になる異性……好きな人いるんだよね……」
「……そうか。まぁ朱莉も年頃だからな……好きなヤツの一人や二人居てもおかしくはないよな」
朱莉は少し自虐的に口元を緩ませながらそう言ったのに対して、俺は敢えて自分の気持ちを封じ込めそんな無難な返答をした。
だがそれがいけなかったのかもしれない。
「……なにそれ?」
「へっ?」
一瞬何について問われているのか理解できず、素で答えてしまった。
「お兄ちゃんはワタシに他の男と恋愛しろって言うつもりなの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあどういうわけなのさっ!!」
「痛っ!?」
何故か朱莉は怒り出して俺の左肩をドンッと強く突き飛ばされてしまい、いきなりの行動だったので俺は上手く対応できずにベッドへと倒れこんでしまう。
そしてそのまま朱莉が馬乗りになって俺の体の上へと乗ってきた。視界に移るのは朱莉の顔とその後ろに見える部屋の白い天井、そして照明器具のみである。
「ぐすっ」
「あ、朱莉……これ、はっ?」
朱莉の顔はちょうど影となり、俺の位置からその表情が見えなかった。
けれども俺の顔に冷たい水のようなものが一滴だけ落ちてきて、俺の右頬に当たって弾け飛んでしまう。
「っ……お、お兄ちゃんはどうしてワタシに好きって言ってくれないの? それに今の受け答えにしてもそうだよ、なんでワタシが他の誰かを好きだと思ってるの? ワタシだけがお兄ちゃんのことを好きなの? じゃあどうしてあのときキスしてくれたの! ちゃんと答えてよっ! ねぇってばっ!!」
「朱莉……」
それは朱莉の心の叫びであると同時に俺に対する不満でもあった。
俺の頬を濡らす冷たい水が一つ、また一つ……っと次第に増えていった。それは朱莉の涙であり、もしかすると心の訴えを表しているのかもしれない。
「ぐすっ……わ、ワタシが首相だから? それとも兄妹だから言ってくれないの? 答えてよっ……ねぇ……お願いだから……」
「…………」
朱莉は未だ何も答えない俺に対して、訴えかけるように畳み掛けてくる。
けれども俺はそれに対して何も答えることができなかった。
実際首相という立場は大変重要であるが、歴代就任してきたそのほとんどが既に既婚者だったのだ。
別にだからと言って恋愛が禁止されているということもない。
だがそれも普通の恋愛という制限つきである。
俺と朱莉とは義理とはいえ、兄と妹であり、世間的に見ても好ましく思われることはない。むしろ批判されることだってありえるのだ。だから俺は朱莉と同じ気持ちなのに、言葉に、そして口にすることができずにいた。
もしも一度それを告げてしまったら、俺達はもう元の兄妹という家族には戻れないものだと考えていたのだ。
今の俺にできることはたった一つ。
「……ごめん」
「っ!?」
「あ、朱莉っ!?」
俺がそう気持ちを拒否する言葉を口にしてしまうと、朱莉は驚いた表情のまま逃げ出してしまった。
慌ててベッドから飛び起きて朱莉の後を追いかけようとしたが、俺の答えは変わることがないので伸ばした右手は空を切るだけに留まってしまう。
「これで……これで本当にいい……んだよな……」
俺は誰に言うでもなくそう呟き、自分自身の選択が間違い出なかったと言い聞かせることしかできなかった。
「これはやはり……と言いますか、結構な荒療治が必要になるかもしれませんね。ですが果たしてそれが吉と出るか凶と出るのか、その運命は神のみぞ知る……と言ったところかもしれませんね。伸るか反るか……それも運次第。ふふっ……一世一代の大博打、華麗に乗せてみせましょう♪ それがワタシが親友から託された責務でもありますからね……」
ホテルの廊下から泣きながら飛び出してくる朱莉を見ていた人物がそうポツリと独り言を呟き、少しだけ口元を緩ませる。
そして朱莉の後を追うようにその人物は長い髪を靡かせながら彼女の部屋を訪ねるのだった。
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