桃太郎、小鬼を退治する

ジョウジベル村を出て、北に歩いていくとその森はある。

正確な名前があるわけではないが、森の奥深くに小鬼ゴブリンが潜むことから、

ジョウジベルの村人たちは小鬼ゴブリンの森と呼んでいる。

空は黒雲に覆われ、かといって雨の降る気配はない。

空気は奇妙に乾いていて不気味な天候だった。

ぎぃ、ぎぃ、と軋む音を立てながら荷車が小鬼ゴブリンの森へと進んでいく。

荷車の荷は気絶した小鬼ゴブリン達、

荷車を引くは馬でも牛でもない、屈強な男である。

桃太郎という。その世界の誰も、彼の名前を正式に書くことは出来ない。

村に僅か残った小鬼ゴブリンを退治した彼は、

唯一無事に残った荷車を見つけ出し、

金銀財宝を積むかのように小鬼ゴブリンを積んで、森へと向かっていた。

その背にはやはりこの世界の誰も読むことが出来ない「日本一」の旗を背負い、

その両肩には、セシとスニの二人の子供を乗せている。


ジョウジベル村で一番の力持ちは、牛をほんの少しだけ持ち上げてみせたが、

桃太郎ならば、牛をぶん投げることすら容易いように子供たちには思えた。


「モモタロウさん、そろそろ……」

「うん、そうだね」

荷車を引く、桃太郎の足が止まる。

壁のように立ち並ぶ木々、

日の光は全て高い木々の葉に塞がれて、朝でも小鬼ゴブリンの森は暗い。

人が踏み入るような場所ではない、明確な出入り口も無かった。

ただ、木々が好き勝手にその枝を伸ばしているだけである。

ここまで木々が入り組んでいれば、荷車も置いていく他ないだろう。


「もりのおくに小鬼ゴブリンたちがむれをつくってるって」

「ただ、そこにいくまでにわながたくさんあるらしいんだ」

ミヒロから聞いた知識を、セシとスニが交互に述べていく。

「わかった、セシ、スニ、ちょっとだけ荷台に乗っていてくれ」

「……う、うん」


桃太郎を疑うわけではない。

だが、意識を失っているとはいえ、

小鬼ゴブリンと共に荷台で待つというのは不安なものがある。

今にも目を覚まして襲いかかってくるのではないか、

だが、二人がそう考えるのも一瞬のことだった。


「どっこい……しょ!」

荷車がぽおんと浮いた。

桃太郎が下から持ち上げて、上空に向けて放り投げたのである。

「あわわ!」

「そおら!」

浮遊感に包まれたかと思えば、荷車はやはり桃太郎の両の手が受け止めている。

驚いたことに、桃太郎の足場は梢――木の頭頂部である。

森の狭さも、空の広さに比べればどうということはない。

梢をひょいひょいと飛び回って、桃太郎は荷車ごと森の奥深くへと向かっていく。


「猿ほど木登りは上手くはないし、雉ほど高くもないが、

 中々桃太郎オレも大したものだろう!」

「は、はい!」

子供達が驚いたことは2つある。

1つ目に、桃太郎に支えられた荷台がずっしりとしていて、

地面のように、安定していること。

意識を失っている小鬼ゴブリン達だって落ちないのだ。

「わぁ……」と声を上げて、周囲の景色を眺める余裕すらある。

鳥が怪訝な顔で子供たちを見る、鳥と同じ目線に立っているのだ。


2つ目に、そんな誰よりもすごい桃太郎ですら一番ではないことだ。


ゴブリンが仕掛けた罠であるとか、森に潜む危険な獣であるとか、

そういうものを一切合切、何もかもひょいひょいと飛び越えて、

桃太郎たちは小鬼ゴブリン達の元に辿り着いていた。


森の奥深く、小鬼ゴブリンの仕業か、木々はなく広場のようになっている。

さらに、その地面はよく見れば木張りであり、

地下に伸びた不細工な階段のようなものもある。

つまり木張りの地面ではない、それは屋根であった。

小鬼ゴブリン達は森の奥深くの、その地下に生息している。

彼らは今まさに、ジョウジベル村の村から攫ってきた村人たちを、

地下へと連行する途中であった。


「ギャ、ギャ、ギャ」

「くそう……」

小鬼ゴブリン達は嗤い、村人たちの表情は怯えに染まっていた。

これから待ち受けるものが何なのか、村人達にはとても想像できない。

ただ、決して良いものではないことだけは確かだった。

おそらくは――食べられてしまうのだろう。


感情が落ち込めば、人の視線は地面に向かう。

最悪の現実というものは顔を上げた視線の先にあるものだからだ。

だからこそ、小鬼ゴブリンが一足先に気づいたものに、

村人たちは遅れて気づくこととなった。


勢いよく空から降り注ぐものがあった。

それは、荷台を両の手で持った桃太郎である。

木の梢から飛び降りた衝撃は、桃太郎の両の足が完全に受け止め、

子供たちにも、小鬼ゴブリン達にも伝わっていない。


「日本一の桃太郎ももたろうが!小鬼退治に参ったぞ!」

桃太郎の背の日本一の旗が揺れる。

村人も、小鬼ゴブリン達も、子供たちですら、日本の意味は知らぬ。

だが、その鴻大な声量と雄々しき声質が、

英雄に相応しきものであることは本能が知っていた。


「だが、その前に……」

桃太郎は荷台をひょいと傾けて、ずさずさと小鬼ゴブリン達を地面へと滑らした。

「お前達の仲間を返しに来た!

 敵ながらこの桃太郎オレを相手によく戦った天晴な戦士達だ!」

そして、桃太郎はニイと笑った。

快活な笑いである。顔面という天に日が昇るような笑いであった。

小鬼ゴブリン達の中で、少しだけ上背のある小鬼ゴブリンが応じるように桃太郎の前に躍り出た。

その小鬼ゴブリンには、額の角が2本ある。

「ギャ……!」

命じるようにその小鬼ゴブリンが小さい唸り声を上げる。

「ギャ!ギャ!」

小鬼ゴブリン三匹がかりで、大人の男ほどの大きさもある棍棒を2本角の小鬼ゴブリンに渡した。


巨木を削りに削った――そのような風情の武器であった。

ほとんど、人間を振り回しているものと変わらぬような大きさである。

そして、重さも――それに違わぬものであるのだろう。


それを2本角の小鬼ゴブリンは片手で持つのだ。

俊敏さと剛力を併せ持つ、小鬼ゴブリンの英雄である。


「ギャ!ギャ!ギャ!ギャ!ギャ!ギャ!」

小鬼ゴブリン達が歓声を上げる。

まるで、桃太郎が小鬼ゴブリンの祭に捧げられた贄のような有様である。


「鬼に金棒ならぬ……小鬼に棍棒だな、

 どうれ!桃太郎オレの武器も見せてやろう!」

桃太郎は2本角の小鬼ゴブリンに背を向けたかと思えば、

広場の際にある、木の幹を抱きしめるように、両の手で抱えた。


この世界において、魔法は実在する。

だから、小鬼ゴブリン達は桃太郎の荷車運搬を魔法によるものと思っていたし、

2本角の小鬼ゴブリンは、魔法よりも早く制圧出来るものであると思っていた。


「行くぞ!」

ゴウ、と音を立てて、木が抜けた。


「ギャ……」

2本角の小鬼ゴブリンの緑の皮膚に汗が滲んだ。

目の前で起こった事象は酷くシンプルな腕力によるものだった。

2本角の小鬼ゴブリンは目を伏せない。

恐るべき現実を、桃太郎という敵をその両の目で見据え、吠えた。


「ギャアアアアアア!!」

大人の男ほどの大きさの棍棒を大上段に構え、2本角の小鬼ゴブリンは駆けた。

木を持って迎え撃つ桃太郎。

2本角の小鬼ゴブリンには勝機があった。

引き抜いた木を己の方向に向けて倒す、それだけで恐るべき攻撃になる。

だが、目の前の恐るべき筋力の男ならば、薙ぐことも出来るだろう。

そして、恐らく薙ぐだろう――その木の薙ぎ払いを跳躍で回避し、

頭頂部に一撃ぶちかます、そうすれば勝てる。


ごうわん、と恐るべき音を立てて木が2本角の小鬼ゴブリン目掛けて薙ぎ払われた。

木の幹の太さよりも高く、2本角の小鬼ゴブリンは跳躍した。

だが、2本角の小鬼ゴブリンは知らなかったのだ。桃太郎の恐るべき剛力を。

「ギ……ギャアアアアアアアア!!!!!」

2本角の小鬼ゴブリンの跳躍と同じ高さに合わせて、

二度目の薙ぎ払いがぶちかまされた。

それは、桃太郎による物理的な竜巻が如く有様であった。

桃太郎にとって、二度、三度、四度、と振り回すことは容易い。


2本角の小鬼ゴブリンにとって幸いだったことは、

三度目を桃太郎が打つ気は無かったことである。

2本角の小鬼ゴブリンの身体は宙を舞い、森の外まで吹き飛ばされた。


放られた木が、ずんという重厚な音を立てる。

残された小鬼ゴブリン達は声を上げることすら出来なかった。

村人たちですら、その光景を信じることは出来なかった。

ただ、セシとスニだけが歓声を上げ、桃太郎が応じるように親指を立てる。


「ギャ!ギャ!ギャ!」

しばらく経って声を上げたかと思えば、

残された小鬼ゴブリン達が、地下へと逃げ込んでいく。

桃太郎はそれを横目に、

村人の縄をほどかんと近くの村人の縄に手をかけて腕力でぶちぶちとほどいていく。

だが、次の村人の縄に手を掛けようとすると、

それどころではないとばかりに村人は叫んだ。


「ミヒロが……私の娘が地下に!」

「……モモタロウさん!ミヒロがいない!」

ミヒロの父親とセシとスニが叫んだのは同時だった。


「わかった!桃太郎オレは地下に行く!」

桃太郎はそう言って、身をかがめてセシとスニの肩に手をおいた。

「君たちは村の人達を守っていてくれ、任せた!」


セシとスニが微かに頷くのを見て、桃太郎は不細工な階段を駆け下りた。

階段は急であり、段の大きさはまちまちである。

しかも、小鬼ゴブリンの大きさに合わせているため、

桃太郎はほとんど背を伸ばすことは出来なかった。

その上、照明はないので、常に夜闇に包まれているようである。


しばらく階段を降りていくと、暗く狭い通路があった。

小鬼ゴブリンの目が赤く光り、

しゃっ、しゃっ、と桃太郎に向けて吹き矢が射られた。


小鬼ゴブリンの巣は、小鬼ゴブリンは自由に動けるが、

人間の大きさならば、身をかがめるようにする必要がある。

身動きが取りづらく、視界も悪い状況で、一方的に攻め立てる。

小鬼ゴブリン討伐において、放火や毒煙が推奨される理由である。


「ギャ……?」

「うん、不味いな!」

射られた矢を桃太郎は歯で受け止めていた、

タイミングを合わせて鏃を噛み締めたのである。

闇の中でも光るかのような白き歯であった。

ぺっと鏃を吐き捨てて桃太郎が迫れば、

小鬼ゴブリンはほとんど泣き出さんばかりに逃げ出していく。


小鬼ゴブリンに圧倒的有利な環境でありながら、

桃太郎が入り込んでしまえば、鬼ヶ島の有様であった。

小鬼ゴブリン達を組み伏せ、組み伏せ、奥へと進んでいく。


かくして、桃太郎は小鬼ゴブリンの巣の最深部へと辿り着いたのである。

先程までの通路や、

通り過ぎたいくつかの部屋と比べれば天井はかなり高く作られており、

赤々と燃える壁の松明は、照明の役割を果たしていた。

小鬼ゴブリンのためのものではないように思える。

実際、待ち構えていた者は、小鬼ゴブリンだけではない。

ミヒロの腕を掴み上げる謎の男が一人。

重厚な鎧に身を包んでいる、

だが小鬼ゴブリンの通路を抜けてここにいるということは、

その鎧は見た目に反した柔軟さを持っているのだろう。


「誰だよ」

「日本一の桃太郎ももたろう

「オレの小鬼ゴブリン共を……ぶっ倒してくれたのはテメェか」

「皆、桃太郎オレを相手に立派に戦った天晴な者たちだった」

「知るかよ」

「知っておけ、大将えらいなら」

「……ここまで敵の侵入を許してんなら、ただの役立たずじゃねぇか」


男はミヒロの腕を払うと同時に、剣を抜き払った。

燃えるような赤き刀身が、桃太郎に向けられる。


「わかるか?本物の魔剣だぜ……?

 ちっぽけな村潰して、ガキ一人攫うだけで、オレのものになる。

 龍鱗すら切り裂き、生き残っても呪いの切り傷を残す、

 戦術級ぱねぇ切れ味だ……お前で試してやるよ」

男と同時に桃太郎もまた、己の武器を抜き払った。

振れば、ぶおんと風切るセシの木の枝である。


「なんだァ!そりゃ!!」

禍々しい気を垂れ流しにしながら、男が桃太郎へと斬りかかった。

だが、桃太郎は斬る必要すら無かった。

桃太郎が木の枝を振れば、その剛力で衝撃波が発生し、男を打った。

「なっ……」

男が怯んだ瞬間、桃太郎は既に距離を詰め切っていた。

ぶおんと風を切る小気味の良い音と共に、枝が男の頭を打った。


「本物の宝物かたなだ、切れ味も当然日本一ぱねぇ

桃太郎の言葉を聞くことが出来たのは、ミヒロだけだった。

既に、男は頭を打たれて気を失い、小鬼ゴブリン達も皆倒されている。


「きみの友だちに頼まれて、助けに来たんだ」

桃太郎が笑う。

ミヒロはその姿を知っている。

自分の本のようなものたからものの表紙に描かれていた、

何一つ読めない本の英雄。

まるで本から抜け出してきたかのようにそのままの。


「あ、あなたは……」

「日本一の桃太郎」

桃太郎が笑って答える。

ミヒロは本を手にしたときからずっと、その言葉を探していた。

そして、ようやく、その答えを手にすることが出来たのだ。

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