桃太郎小鬼退治奇譚

桃太郎、小鬼と対峙する

むかし、むかし――


他人から見れば大したことがないものでも、

それを宝物と呼んで大切にする時期というものは確かにあって、

ジョウジベル村の話で言えば、

セシは振り回すとぶおんと風切る音を奏でる木の枝を、

本物の刃物である包丁よりもよっぽど勇者の剣のように大切にしていたし、

スニは撫でると滑らかで丸みを帯びた小石を、

本物の宝石のように誇らしげに仲の良い子供たちに見せて回っていた。

そして、ジョウジベル村の子供たちの中で一番賢いミヒロも例外ではなかった。


ミヒロは識字率が高いとは言えないジョウジベル村で、

村長の家にある挿絵のついていない本を読むことが出来たし、

文字の書けない何人かの村人に代わって、

首都マジロウに出稼ぎに行った彼らの子に送る手紙を書くことも出来た。

そんなミヒロでもやはり、

村人からのお駄賃で買った少しだけ上等な木箱に大切に仕舞い込むものがあって、

それは、本のようなものだった。


ミヒロより賢い村長ですら本と断言出来るものではない、本のようなものである。

ジョウジベル村にあるどの本よりも、横に長い。

表紙には文字らしきものが書かれているが、ミヒロも長老も読むことが出来ない。

表紙には人間と三匹の動物の絵が描いてあり、動物の猿、犬、鳥はわかるが、

人間の着ている衣装はやはり誰も見たことがなくて、よくわからない。

ページ数はそう多くはないようだが、そもそも本を開くことが出来ない。

放浪の魔術師によれば、その本らしきものに魔力はないようであり、

封印されし魔導書というものでもない。

本に似せた彫刻だというならば、少しはすごいのかもしれないが、

だからといって、村で誰も欲しがるものはいない。


そんなものをミヒロは何故か大切に箱に締まって、時折取り出しては眺めている。

知らぬ文字に知らぬ衣装、三匹の動物は何を意味している。この髪型はなんだ。

表紙だけの本のようなものを眺めて、ミヒロはぼんやりと考える。

村を出ることが出来る日は10年後か15年後か、もっと後か、

自分の知らない世界を僅かに覗ける門、それがこの本のようなものだった。


その日は空が黒雲に包まれいて、太陽が見えない日だった。

その割に空気は乾いていて、雨の降る気配はない。

大人達はなにか怪しいものを感じながらも、

やはり休まずに農作業はしなければならなかったし、

子供たちは子供たちで、雨が降らないことを祈って外で遊んでいた。


「やあやあおれこそは勇者セシ、おれのけん、こわくないならうけてみろ!」

「いやいやゆうしゃセシはにせもの、ぼくがほんもののゆうしゃスニ!」

「セシとスニの二人がかりで勇者で良いよ、最強剣士ミヒロは無敵だ!」

「いったな!」

「かくご!」


セシはやはり、振るとぶおんと風を切るしなりの良い木の枝を持ち、

スニはそれよりは太いけれど真っ直ぐな木の棒を、

そして、ミヒロは木の枝を2本持って、二刀流の構えを取っていた。

今日の子供たちは、かつて吟遊詩人が語った英雄達を模している。


「ウォーッ!ちょうぜつさいきょうゆうしゃぎ……」

勇者セシが超絶最強勇者斬りを放とうとした、その時。

ギャ……という獣が唸るような声を、子供たちは聞いた。


「……な、なんだ?」

どうにも奇妙である。

ジョウジベルの村を出て少し歩いたところには森があって、

森の側で遊んでいて、獣が出たというのならば、おかしいことはない。

ただ、三人の子供たちは村の外れ、それでも柵に覆われたギリギリで遊んでいた。


そして、その唸り声である。

獲物を狩ろうとする獣は笑わない、

だが、その唸り声には笑っているかのような楽しそうな響きがあった。


「ギャ、ギャ、ギャ」

「だ、だれ……?」

「ギャ、ギャ、ギャ」

「お、おれがやっつけてやる……」

「ギャ、ギャ、ギャ」

「待って、この声、知ってる気がする……!」


もしかしたら、とミヒロが言いかけたが、

その言葉はセシにもスニにも届かなかった。

いや、ミヒロ自身にも届かなかったのだろう。恐怖は思考を止めるのだ。


「ギャ、ギャ、ギャ」

鋤を持っている、鍬を持っている、棍棒を持っている。

ありったけの武器を持って、ありったけの数で、鬼が嗤っている。


子供のミヒロ達よりもなおも低い幼児のような身長、

それでいて、皮膚は厚く、成人男性のような筋肉がある。

皮膚は緑色であり、額からは僅かに白い角が伸びている。

小鬼ゴブリンという。


森の奥深くの自分たちの縄張りで、獣を狩って暮らしている種族。

ミヒロはそれを知っていたが、それをなにかの役に立てることは出来なかった。


「ギャ、ギャ、ギャ」

何がそんなにおかしいのか、小鬼ゴブリンたちは子供たちを見て嗤い続けている。

だが、その理由はすぐに分かった。

小鬼ゴブリンたちは柵の向かい側ではなく、村の内側から子供たちの方に来たのだ。

「あっ……あれ……」


畑が燃えている。家が燃えている。

家畜の牛や豚に乗って、小鬼ゴブリンが村人を追い回している。

よく見れば、鋤や鍬は、この村で使われていたものだ。


「ギャ、ギャ、ギャ」

小鬼ゴブリンたちは勝利に嗤っている。

何が狙いか、小鬼ゴブリンたちはジョウジベル村を襲撃し、

そして、それは完璧な形で成功した。

縄でぐるぐる巻きにされて、

神輿を担ぐかのように森の方角へと運ばれている村人もいる。

目的は森の方角、逃げ惑う村人も、抵抗する村人も、

まもなく、その全てが先の村人達と同じ目に遭うだろう。


そして、自分たちも。

子供たちはそう考え、絶望に襲われた。

セシもスニもミヒロもさっきまでは勇者や剣士だった。

けれど今は、小鬼ゴブリンに囲まれた無力な子供だ。


「ギャ、ギャ、ギャ」

「お、おれが……あいてだ……!」

「セシ!」

「無茶だよ!」

震える手でセシが木の枝を構えた。

それはセシにとっては宝物で、

小鬼ゴブリンを相手にするにはあまりにも頼りない武器だった。


「う、うおおおおおおお!!!」

掛け声と共に自分よりも身長の低い小鬼ゴブリンに突撃するセシ。

だが、小鬼ゴブリンはひらりと身を翻すと、手を鳴らした。

パン、パン、パン、パン。

「ギャ、ギャ、ギャ」

嗤っている。呼んでいる。

「あああああああ!!!!!」

「セシ!!」

セシは叫びながら、何度も何度も小鬼ゴブリンに突撃する。

小鬼ゴブリンは嗤いながらそれを避け、手を叩いて喜んでいる。


「くそおおおお!!!」

セシは叫び続ける必要があった。

叫ばなければ、自分を支えているなにかは容易に折れてしまう。


「ギャ、ギャ、ギャ」

傍目から見れば鬼ごっこのようだった。

だが鬼は人間の子供で、追われるのは小鬼ゴブリン

そして、小鬼ゴブリンにとっては遊びで、セシにとっては本気だった。


どれほど、この鬼ごっこを続けたことだろう。

汗は止めどなく流れ、息は呼吸の仕方を忘れたかのように荒い。

「カヒャ」というカサついた言葉が、セシの口から出た。

叫びすら言葉にならないほどに、喉が傷んでいた。

そして、何かが折れたセシの身体はその場に崩れ落ちた。

それが終わりの合図だった。


「ギャ……」

小鬼ゴブリンがつまらなさそうな表情を浮かべたかと思うと、

セシの横をゆっくりと歩いて、自分より大きいミヒロの身体を担ぎ上げた。

小鬼ゴブリンに囲まれ、ミヒロもスニも逃げることが出来なかった。

ただ、捕まるまでの時間を必死の鬼ごっこでセシが稼ぎ続けただけだ。


「ギャ、ギャ、ギャ」

セシとスニの二人の男の子に見せつけるように、

小鬼ゴブリンはミヒロを運び去っていく。

この村で一番賢い女の子を。


セシの叫びは言葉にならなかった、喉は燃えるような熱を帯びている。


「う、うわあああああああ!!!」

「やめろ……」

スニがやはり叫び声を上げて、木の棒を振り上げる。

スニはセシとミヒロと比べても、更に子供だ。

三人の中で一番年下であったし、その身長は小鬼ゴブリンよりもなおも低い。

それでも、もう黙ってはいられなかった。


「ギャ、ギャ、ギャ」

振り下ろした木の棒は小鬼ゴブリンの額に命中した。

だが、痛がっているようには見えない。小鬼ゴブリンは嗤っている。

逆にスニの腕はじんじんと痺れていた。

小鬼ゴブリンの額の角は伊達ではない、

骨が体外に露出しているようなものである。

それは幼児の腕力で叩いてどうにかなるようなものではないのだ。


「ギャ、ギャ、ギャ」

小鬼ゴブリンはスニの腕から木の棒を取り上げて、膝でへし折った。

そして、やはり愉快そうに嗤っていた。


「うっ……ごめん……セシ……ミヒロ……」

「ちくしょう……」


あらゆる手段で、小鬼ゴブリンは子供達の心を折ることを楽しんでいた。

だから、彼らは油断していたし、子供たちもまた、気づかなかった。


「君の剣、少し借りるよ」

ひょいと、セシの握った木の枝を取り上げる腕があった。

太い腕である。

いや、太いのは腕だけではない。

脚も太ければ、首まで太い、そして胴体が分厚い。

まるで巨岩を削って人の形にしたような男であった。

かといって、身長はめちゃくちゃに大きいというわけではない。

村の大人と比べればそれよりも高い人間はいくらでも見つかるだろう。

だが、大きいのだ。


見たことのない顔だった。

だが、子供たちはその顔を知っているような気がした。

吟遊詩人は英雄の顔というものを、そのように語る。


その服装は村でも、吟遊詩人や旅芸人の話でも見たことが無いものである。

説明できることは、額に桃が描かれた鉢巻を巻いていることと、

何かしらの文字が描かれた旗を背負っていることぐらいだ。

だが、一度だけ見たことがあると子供たちは考え直した。

ミヒロの持っていた本のようなものの表紙に描かれている人間だ。


木の枝を持った太い男が子供たちを庇うように、その前に出る。

その背中のなんたる大きく、分厚いことか。

その背に畑を耕すことが出来そうですらある。


「ギャ……?」

大体の小鬼ゴブリンは引き上げたが、

それでも、子供たちをいたぶるために十匹程度は残っている。

力自慢であろうとも、囲んで打ち倒すには十分な数である。

何故、その男がわざわざ自分たちの前に現れたのか。

小鬼ゴブリンは一瞬だけ考えて、気にしないことにした。


「あ、あぶない……!」

ぼうっと、男の分厚さに見惚れた後、スニが叫んだ。

数の差は小鬼ゴブリンだけでなく、当然子供たちも理解している。


「なるほど!任せておいてくれ!」

5匹の小鬼ゴブリンが男に向かって正面から一斉に飛びかかる。

男は子供たちに向かって振り返って笑みを送ると、はっと荒く息を吐いた。


「鬼退治は慣れてるんだ」


ぶおん。ぶおん。ぶおん。

小鬼ゴブリンが男の元に飛びつくよりも早く、男は正面に向き直り、木の枝を振った。

1匹、アッパーを食らったかのように宙から更に浮き上がり、地面へと沈んだ。

3匹、宙で叩かれた蝿のように、意識を失って地に落ちている。

残り1匹、ビンタを食らった浮気者のように、横薙ぎに吹っ飛んで地に伏している。


なんたる早業か。

小鬼ゴブリンが5匹で一斉にかかったかと思えば、漏れなく倒れている。


子供たちの目には映らぬし、残りの小鬼ゴブリン達にも映らなかった。

もしもジョウジベルの他の大人がいてもやはりわからなかっただろう。

だが、この男が行った超速の技巧を知る権利が、読者にはある。


まず最初の1匹、その小鬼ゴブリンは一番速かったために、

一番最初に男の攻撃を受けることとなった。

男は超速で木の枝を小鬼ゴブリンの顎目掛けて振り上げたのである。

そして次の3匹、連続で頭を撫ぜていくかのように、

木の枝で3匹の額を擦っていったのである。

超速で擦られた彼らの脳は、頭蓋の中で激しく揺れ、脳震盪を起こした。

最後の1匹はその勢いのままに、木の枝で頬を叩いたのである。

それらを一瞬で行ったがゆえに、小鬼ゴブリンは地に伏し、男は一人立っているのだ。


そして、後悔の悲鳴を上げる間もなかった。


今残った5匹の小鬼ゴブリンもまた全滅している。

5匹の小鬼ゴブリンを瞬殺出来るのならば、残り5匹を瞬殺出来るのも当然のことである。


「ありがとう、君の剣のおかげで助かった」

男は何もなかったかのように笑みを浮かべると、

セシに木の枝を返し、その手で頭を撫でた。

やはり分厚い手のひらをしている。皮膚ですら鍛えているようである。

「君もよく教えてくれた、ありがとう」

そして、スニの頭を撫でた。

何を教えたことがあるだろう、

スニは少し考え――そして、危ないと叫んだことしか無いように思えた。

だが、それが目の前の男の何の助けになったというのだろう。

それでも、目の前の男に満面の笑みで言われると、

自分が大した英雄になってしまったようにスニには思えたのである。


「と、とどめをささなきゃ……」

熱から覚めたように、セシは意識を失った小鬼ゴブリン達を見て、言った。

ほとんど死んだような喉で絞り出す、幽霊のような声だった。

それは男に向けてのものだったのか、あるいは自分に対しての言葉か。

いずれにせよ、小鬼ゴブリン達が死んでいないこと、それは真実である。


「む、むらのみんなをたすけて……!」

続けるように、スニが言った。

知らない男に言う言葉ではない。

それでも目の前の英雄ならばきっと助けてくれるという確信がスニにはあった。


「大丈夫、全部、桃太郎オレに任せておいてくれ」

分厚い男が、分厚い胸を叩いて、笑った。

周りにある嫌なものを全て吹き飛ばすような音だった。

それだけで、問題の何もかもが解決したかのように子供たちには思えた。


男の背負う旗が、乾いた風を受けてなびく。

その世界に住む住民の誰一人として読むことが出来ないが、

その旗には「日本一」と書かれている。


日本という国で一番の英雄であることを意味している。

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