第25話「敗北者」

「しんど……」


 私は地面へと伏した桐一君を眺めながら、一人そう呟く。

 一瞬でも気を抜けばやられる、そんな戦いだった。

 話には聞いていたけれど本当に彼は人の皮を被っただけの化け物だと思う。

 もう二度と戦いたくない相手だ。


 だけど、これでやっと終われる。


「――ほっほっほ、本当に捕らえてしまうとは、さすがエリートスパイだけはありますね。おや、元、エリートスパイでしたか?」


 桐一君に近寄っていると、耳障りな変な声で笑う髭を生やした男が現れた。

 自身のトレードマークと思っているのか、男は長く伸ばした髭を触りながら私にいやらしい目を向けてくる。


「約束は守りました。これで妹は解放をしてもらえるのですよね?」

「ほっほっほ、何をとぼけたことを言っておられるのですか? 命は助けるとは言いましたが、誰も解放するなど言っておりませんよ。あの娘にはまだ利用価値がありますからね――あなたに言うことを聞かせる、道具としての利用価値が」

「…………」


 私はすぐにでもこの男を殺したい衝動に駆られながらも、妹を人質に取られていることからグッと我慢をする。

 今ここでこの男を殺したとしても近くで妹の監視をしている男に殺されてしまう。

 どんな手段を用いても妹を助けなければならない。

 例え自分が人として道を外したことをしていようと、手段を選んでいる余裕はなかった。


「それにしても、よくこの男を倒したものですね。ステージ3に到達した人間の唯一の弱点は研ぎ澄まされすぎた五感にありますが、そこを突くのは至難の業。戦闘狂に見せて隙ができるのを待つとは、さすがの一言です」

「ありがとうございます」


 こんな男に褒められても嬉しくないけれど、ご機嫌取りのために頭を下げておいた。


「さて、念のために麻酔薬を打っておいてください。当分は研ぎ澄まされた聴力によって数十倍に感じた爆音の衝撃で脳が麻痺しているでしょうが、一応警戒はしておいたほうがいいでしょう」

「はい」


 私は隠しておいた鞄から予め用意しておいた注射器を取り出すと、そのまま桐一君の首元へと打つ。

 桐一君は呻き声をあげるだけで抵抗する様子はなく、私になすがままにされていた。


「後はこの男を連れて仲間と合流すれば我々の任務は完了ですね。ふむ、そこの娘はもう息の根を止めておいていいでしょう」


 髭男――ナンバーファイブと呼ばれる男は、自身の持つ銃ではなく、地面に落ちていた桐一君の銃をわざわざ拾って穂乃香ちゃんへと構える。

 しかし、すぐに私は口を開いた。


「待ってください、その子にもまだ利用価値があります。どうしてそのことがわかっていながら殺そうとされるのですか?」

「ふむ、あなたは知らないのでしたね。この娘がいると、この男が予期せぬ力を発揮する可能性があるからですよ。現に数年前、この男は実験体によって殺されかけたにもかかわらず、その少女を守ろうとステージ3へと到達した。それだけではなく、死んでもおかしくない怪我を負って――いや、常人ならとっくに死んでいるような怪我を負っていたはずなのに、今も生きている。それにはこの娘を守りたいという強い意志があるからでしょう。生かしておくだけ厄介になります」


「しかしそれでは、この娘が死んだとわかればもっと予想だにしない力を発揮するのでは? ある程度の娘の安全を確保してさえいれば、言うことを聞かせる脅しに使えると思います」


 ここで穂乃香ちゃんに手を出されるのは困る。

 その後どうなるかだなんて、覚醒した私の脳は簡単に未来を予測していたからだ。


「……いいでしょう、今回の活躍に免じてあなたの言葉を信じましょう。この男が我々の言うことを聞くようになればこれ以上ない収穫ですからね」

「ありがとうござ――」

「それに、中々にかわいい顔をしている。この男の前では人質ふうの態度をさせておいて、裏で私のペットとして調教するのも楽しそうです」

「…………」


 下種げすが。

 思わずそう吐き捨てたくなるけれど、それもグッと我慢をする。

 この男の前では従順にしておかなければいけない。

 どれだけ気持ち悪くて消したりたい存在であろうと、今は我慢をする時だ。

 桐一君の体に鎖を巻きつけながら、そう自分に言い聞かせた。


「とりあえず場所を移しますか。あなたも久しぶりに妹と会いたいでしょう?」

「はい」


 私は桐一君と穂乃香ちゃんを肩に担ぎ、ナンバーファイブの後を付いて行く。

 廃工場の前には既に車が止まっており、私は桐一君と穂乃香ちゃんを連れたままその車へと乗り込んだ。

 そして移動し始めてから三十分ほど経つと、組織が持つ隠れ家のうちの一つに辿り着く。

 そこで待っていたのは全身黒服に身を包んだ男と、ロープで縛られながら眠る私の妹だった。


「これで生物兵器が量産できるのかもしれないのか」

「まだわかりませんがね。しかし、この男を調べればそのヒントは掴めることでしょう」

 

 男たちは二人揃ってニヤケ顔をする。

 ステージ3に到達しても死なない人間を作ることが組織の最優先事項だと聞いたことがある。

 この実験が成功すれば得られるものが多いのだろう。

 きっと世の中はすぐに地獄絵図と化す。

 普通の人間と覚醒した人間では生物としての性能が根本的に違うからだ。

 

「この二人はどうしておきますか?」

「すぐに組織の元に連れて行きたいが、今は警察が動き回っている。下手に動くと捕まってしまうから、身動きが取れないようにして牢屋に入れておけ」

「誘き出すためとはいえ、三人の誘拐は少々やりすぎましたかね。ナンバーツゥエンティーワン、少々軽率だったのではないですか?」

「申し訳ございません、必要だと思いましたので」


 そう、必要だった。

 だから私は三人を誘拐した。


「まぁいいでしょう。何はともあれ、あなたは結果を出しましたからね」


 結果が全て、それはこの組織でも変わらない。

 今まで組織が長年捕まえようとした相手を私は一人で捕まえたのだ、その事実はこの組織であろうと無視することはできない。

 ましてや、私はこの組織が作り出した初めての成功体だ。

 桐一君ほどの性能はないとはいえ、そうそう手放すことはできないだろう。


「それでは、牢屋に入れてきます」

「よろしくお願いしますよ。あぁ、もちろん妙なことは考えないように。あなたの妹の命はこちらの手の中にあるのですからね」


 ナンバーファイブはそう言うと、もう一人の男に視線を向ける。

 すると男は、起爆装置らしき物を私に見せてきた。

 妹の首に巻かれている爆弾を起動させるためのスイッチだ。

 あれがあるからこそ、私は言うことを聞かないといけない。


 私は男たちに頭を下げ、桐一君たちを牢屋へと運ぶのだった。

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