第8話「ざわめき立つ教室」
「――おはよう」
がやがやがや。
教室に入ってすぐ、俺の元に穂乃香が駆け寄ってきて挨拶をしてきたため、クラス内が何事かとざわめき始めた。
今まで自分から挨拶をしたことがなかった――どころか、話し掛けることすらしなかったミステリアス美少女がいきなり笑顔で駆け寄って挨拶をしたのだから、これも当然か。
穂乃香は周りのことを気にしていないのか、甘えたそうな表情で俺の顔を見上げている。
結構マイペースだからな、この子は。
「おはよう穂――朧月さん」
俺は穂乃香と呼びかけて、慌てて苗字に切り替えた。
本当なら穂乃香と呼びたいところなのだけど、学校ではまだ付き合っていることを知られていない。
柊斗には知られているけれど、デートで鉢合わせした日にちゃんと口止めをしたから大丈夫なはずだ。
……多分。
「むぅ……」
しかし、俺に苗字呼びされたのが気に入らなかったのか、穂乃香はぷくっとかわいらしく頬を膨らませてしまう。
それによって更にクラス内がざわめき立った。
「おい、どういうことだよ!? あの朧月さんが頬を膨らませているぞ!?」
「知るかよ、俺が聞きたいわ! というか、なんで桐一とあんな親しげなんだ!?」
「膨れた朧月さん、いつも以上にかわいい……!」
「あれってやっぱりそういうことかな? えっ、いつから……?」
男子からは嫉妬と憎悪が混じった視線、女子からは戸惑いがありながらも歓迎してくれていそうな視線が向けられている。
男子の視線は概ね予想通りだったけれど、女子の視線はちょっと意外だった。
これは穂乃香が女子からも人気があるからだろうか?
かわいい子は
ただ、このままにしておくわけにはいかない。
穂乃香にはちゃんとチャットアプリで伝えていたはずなのに、やっぱりマイペースなんだろうな。
「ごめん、朧月さん。通ってもいいかな?」
「…………」
俺が親しくない雰囲気を出して言うと、穂乃香は物言いたげな目を向けてきた。
ジッと俺の目を見つめ、構えアピールをしてくる。
穂乃香の気持ちはわからないでもないのだけど、やっぱり学校では目立ちたくないので穂乃香といちゃつくわけにはいかない。
そしてデートの時のことを想い返してみたのだけれど、おそらく俺は穂乃香と一緒にいると歯止めが利かなくなる。
こんなふうに甘やかしてほしいとか、構ってほしいアピールをされると人目もはばからずに甘やかしてしまうだろう。
だから、学校では距離を置くべきだと判断した。
そうしないと本当にどんなボロが出るかわかったもんじゃないからな。
もちろんそれだけでは穂乃香が納得しないとわかっているので、昼休みは人気のないところで二人きりで食べようと約束をしている。
それで割り切ってくれたと思ったのだが――この様子、チャットアプリでは納得したように見せて、内心では納得していなかったらしい。
まぁ俺の任務のこととか立場のこととかを知らないのだから、普通の学生みたいにいちゃつきたいという気持ちは凄くわかる。
けれどやっぱりここは割り切ってもらうしかないだろう。
「ごめん、約束は守るから」
俺は一瞬だけ穂乃香の耳元に自分の口を寄せ、小さく耳打ちをした。
もうこれで納得してもらうしかなく、クラスメイトたちがいる前では余計なことも言えない。
穂乃香はまだ不満そうに俺の目を見てきたけれど、これ以上はわがままになるとわかってくれたのか、おとなしく席に戻ってくれた。
しかし、とぼとぼと寂しそうに戻って行くものだから、俺に向けられる視線がかなりきつくなってしまった。
先程まで歓迎してくれていた女子たちの視線のほうがきついとも言える。
全員――
『『『『『お前、何朧月さんを悲しませてるの?』』』』』
とでも言いたげな目を向けてきていた。
うん、これはもうやらかしてしまったな。
穂乃香が駆け寄ってきていた時点でアウトだったのだろう。
とはいえ、穂乃香のことを責めることなんてできやしない。
なんせ、彼女が駆け寄って来てくれたことに俺自身が嬉しいと思っているのだからな。
「――久しぶりに見たな、お前が責められる視線を向けられるところ」
冷たい視線を全身に受けながら自分の席のところに行くと、訳知り顔をしていた柊斗が話しかけてきた。
ちょっと楽しそうなのは俺に喧嘩を売っているととっていいのだろうか?
「なんで楽しそうなんだよ」
「いや、だっていつも俺と一緒にいるくせに責められるのって俺ばかりじゃん? やっぱそれって納得いかないわけよ」
それはいつも柊斗が変なことをするからだろうに。
俺は柊斗に巻き込まれることがあるくらいで、何もやらかしたりはしない。
目立たないようにしているのだから、勝手に馬鹿やって目立っている柊斗が責められるというわけだ。
「責められたくないなら、もう少しおとなしくしたらどうなんだ?」
「それは無理な話だな! なんせ俺のモットーは、《今を楽しく生きる!》だからな!」
ほら、こういう馬鹿な一面をすぐに見せる。
なんで急に教室内で大声を出して高らかに宣言をするのか。
それによって教室内の注目を集めているじゃないか。
まぁただ、そのおかげで責めるように向けられていた俺への視線は完全に柊斗へと向いた。
こういうところが俺の隠れ蓑として理想的な部分でもある。
何か失敗をしたりして注目を集めても、柊斗がすぐにその視線を引き取ってくれるからな。
本当に有難い奴だ。
…………しかし、俺たちの関係は友達のようで実際は友達ではないのだろう。
柊斗は俺のことを友達と思ってくれているだろうし、俺も柊斗は気楽に話せる相手だと思っている。
だけど、俺の場合は柊斗を利用するために一緒にいるところがあるんだ。
これを友達と言えるほど俺の面は厚くない。
負い目はあるけれど、これも任務や組織のためだから割り切るしかないんだがな。
まぁこんな考えでいる俺はロクな死に方をしないだろう。
室長にもよく言われることだ。
「それで、あの後朧月さんとどこまでいったんだよ?」
高らかに宣言をした後、何やら思いだしたように柊斗が尋ねてきた。
「は? いったいなんの話だよ?」
「とぼけんなって、遊園地デートの日だよ。あの後何もなかったとか、そんなわけがないだろ?」
鼻息荒く興奮して、いったいこいつはなんの想像をしているんだ。
「あの後って観覧車に乗り続けただけで、その後は普通に帰ったぞ」
「観覧車に乗り続けた? なんで? あっ、いや、そうじゃなくて、あの後何もなかったのかよ?」
「何もなかったって、何を期待してるんだ?」
「そりゃあお前、男女のデートの締めと言えばやることなんて決まってるだろ?」
そう言いながらいやらしい笑みを浮かべる柊斗。
こいつが今何を想像していて、何を期待しているのかがよくわかった。
「そう言う柊斗はどうなんだよ? そこまで言うんだったら何かあったのか?」
「…………あの後さ、意を決して誘ってみたわけよ」
俺が聞き返すと、途端に肩と声のトーンを落とす柊斗。
これだけで結果はもうわかってしまった。
「どこに?」
「ホテル」
「それで断られたと?」
「そうだよ、いくらなんでも早すぎるってな」
「付き合ってどれくらいになるんだ?」
「遊園地の日で、三日目……」
うん、こいつは馬鹿なのか?
いや、馬鹿だったな。
俺は口汚くも柊斗のことを心の中でそう評してしまう。
だがしかし、これを聞けば俺と同じことを思う奴は多いはずだ。
「お前な、なんで付き合って三日でホテルに誘おうとするんだよ」
「だってエロゲーだと付き合ったその日にやるんだぜ!? むしろ我慢したほうだろ!?」
がやがやがや。
柊斗のとんでもない発言に、穂乃香が俺に駆け寄ってきた時と同様のざわめきが教室内に起こる。
さすがのこれにはもうフォローなんてできやしない。
「ゲームと現実を一緒にするな。後、決められた年齢になるまでそういったゲームもするな」
俺が言えることはそれだけだった。
この後の柊斗がクラスメイトたちから白い目を向けられたのはもう言うまでもないだろう。
ただ気になるのは、また穂乃香が物言いたげな目を俺に向けてきていることなのだが……。
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