第3話「大好きな笑顔」

「えっと、その……」


 穂乃果のかわいい顔がすぐ近くに来るだけじゃなく、女の子特有のとてもいい匂いがするせいで緊張から頭が上手く回らない。

 こんな緊張は任務ですらしたことがないくらいだ。

 どうやら俺にとって穂乃香は天敵だったらしい。


「逃げるの、だめ」


 困った俺が視線を逸らすと、穂乃香が服をクイクイッと引っ張ってこっちを向けと主張をしてくる。

 本当に今日の穂乃香は異常に積極的だ。


 ――そしてこれは、俺が彼女を遠ざけてしまったせいなのだろう。


 穂乃果は昔から言葉にはしなかったけど態度で甘えてくる子だった。

 俺から離れず、俺の服の袖を掴んでいつも後ろを付いて来ていたんだ。

 そんな子をいきなり遠ざけてしまえば、きっといろんな不満が彼女を襲ったことだろう。

 そして今回で俺の気持ちを知ったことで、思い切って距離を詰めてきた感じか。


 さすがに、遠ざけたのは仕方なかったんだと言っても納得はしてもらえないだろうな。

 まず、詳しい説明はできないわけだし。


 だけど、もうバレている以上誤魔化しても無駄だ。


 それに、あの穂乃香が俺のことを想っていてくれたことはとても嬉しいし、これ以上彼女を傷つけたくはない。

 任務のことがあるから一緒にいるわけにはいかないけれど、せめて自分の気持ちだけでも伝えておくべきだと思った。


「あの、穂乃香――」

「――すみません、お客様。もうとっくに目的地には着いてしまったのですが……」


 俺が穂乃香にしようとした返事は、タクシーの運転手によって遮られた。

 その表情はとても申し訳なさそうで、おそらく結構待ってくれていたのだろう。

 だけど彼も仕事なため、いつまでも俺たちに時間を奪われるわけにはいかない。


 一応、俺が返事をしようとしたんだと気付いて、更に申し訳なさそうな顔をしたけれど、別にこれも彼のせいではない。

 俺がさっさと返事をしなかったからだ。


「むぅ……」


 会計を済ませてタクシーから降りると、俺の服の袖を握ったままの穂乃香が不満そうに頬を膨らませていた。

 完全にご機嫌斜めだ。


「あの、穂乃香……?」

「はーちゃんのばか。いじわる」

「ち、違うんだ」


 俺が意地悪をして答えなかったと穂乃香が思っているようなので、俺は慌てて否定をする。

 誰も穂乃香にいじわるをしようだなんて思っていない。

 ただ、タイミングが悪かったというだけで。


 しかし、これでは穂乃香は納得してくれないわけで、今もなお物言いたげな目で俺の顔を見上げてきている。


「ごめん、少しこっちで話そう」


 入園前ということもあり、俺は穂乃香の手を掴んで周りから見られない木陰へと移動をする。

 握った穂乃香の手は驚くほど小さく、そして柔らかくて掴み心地がとてもよかった。

 幼い頃はそこまで大きさに差を感じなかったけれど、やはり成長するに連れ体格差は出てしまっているのだろう。


「はーちゃん、だいたん……」


 移動する最中何やら穂乃香がボソッと呟く。

 俺は耳もいいので、その言葉はしっかりと俺には届いており、自分がしていることもちゃんと自覚をしていた。

 今現在、俺たちは手を繋いでいるのだ。

 きっと周りからは仲のいいカップルと見られていることだろう。


 場所を移すためとはいえ、やはり手を握ったのはやりすぎたか。

 顔が熱くて仕方がない。


 俺は木陰まで移動すると、穂乃香から手を放して彼女の目を見つめる。

 放した際に穂乃香の口から「あっ……」と残念そうな声が聞こえてきて、悪いことをした気分になった。


「えっと、さっきの話の続きなんだけど……」

「う、うん」


 俺が返事をしようとしていると気付き、穂乃香の体が途端に固くなる。

 俺自身も緊張から体が自分の物ではないかのような感覚に襲われていた。

 そんな中、意を決するように俺は大きく深呼吸をして口を開く。


「確かに、俺は穂乃香のことが好きだよ」

「――っ!」


 俺の言葉を聞いて、穂乃香は驚いたように目を広げた後、両手を口に当てた。

 そして顔は真っ赤に染まり、目の端には涙が溜まり始める。

 その様子を見て心から喜んでくれているのがわかった。


 しかし、俺は彼女と一緒にいるわけにはいかない。

 胸は痛むが、ちゃんとそのことは伝える必要があった。


 だから俺は再度意を決して口を開く。


「でも、付き合うわけには――」

「両、想い……! だったら、穂乃香たちは、恋人、だよね……?」


 ――そんな思いで口を開いた俺だったが、俺が言おうとした言葉は興奮した穂乃香によって遮られてしまった。

 目を輝かせ、仔犬のように甘えたそうな表情で俺の顔を見上げてくる。


 こんなの、かわいすぎて言えるわけないじゃないか。


 ――そう、だからこの時の俺が、穂乃香を遠ざけないといけないという考えを忘れてしまうのは仕方なかったんだ。


「あ、あぁ、そうなる、よな……」

「――っ! えへへ……」


 俺が頷くと、照れ笑いのような――そして、凄く嬉しそうな笑顔で穂乃香が俺の腕に自分の腕を絡めてきた。

 ニコニコとかわいらしい笑みを浮かべていてとてもご機嫌なことがわかる。

 こんなご機嫌な穂乃香を見たのは小学生の時以来だ。


 少なくとも、彼女のことをミステリアス美少女と呼ぶうちの学校の連中は見たことがないだろう。


 さて、思わず肯定してしまったわけなのだけど、この状況を室長にいったいどう説明をすればいいのか。


 怒鳴られることは避けられないだろうし、減給で済んだらいいほうか。


「どうしたの?」


 俺が一人自分のやらかしについて今後のことを考えていると、笑みを浮かべていた穂乃香が不安そうに俺の顔を見上げてきた。


 そうだな、もうやってしまったことは仕方がない。

 どうせ怒られるのだからもう割り切るしかないだろう。

 そしてそうなのであれば、今だけは自分の気持ちに素直になろうと思った。


「いや、大丈夫だよ。それよりも入場券を買って中に入ろうか」

「あっ……」


 少し照れ臭かったけれど、俺は昔に帰るように穂乃香の頭を優しく撫でてみた。

 それにより穂乃香はまた嬉しそうに頬を緩める。

 やっぱり穂乃香はかわいい。

 普段は表情に出さないのに、本当に嬉しい時だけこういうふうにかわいい笑顔を見せてくれる。


 俺は昔からこの笑顔が大好きだった。

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